城下町東城の伝統行事「お通り」

 備後東城の里は古い歴史を持つ城下町ですが、その東城で約三百年以上前に起源を持つ伝統行事「お通り」が毎年11月初旬の休日(年によって異なります)に行われています。

 「お通り」では、関ヶ原の戦いの後東城を治めた長尾隼人公の軍勢を再現した武者行列、江戸時代に東城を治めた浅野家の家老が主君のご神幸に随行した一行を再現した大名行列、平安末期の矢よけの武具に起源を持ち美しい花と武者人形で飾られた衣装を着た母衣(ほろ)行列、幼女が可愛らしい衣装に身を包む華童子行列が、長い列となって東城の中心街を練り歩きます。

 このページでは、勇壮かつ華麗な時代絵巻「お通り」の写真をご覧いただきます。


武者行列
クリックで拡大表示後、戻るを押す  大砲の轟音を合図に「お通り」の列が本陣を出発し、先頭は武者行列が練り歩きます。
 この武者行列は、西暦1600年の関ヶ原の戦いの後安芸国と備後国を治めることとなった福島正則が、東城を見下ろす城山にあった五品嶽城主に家老の長尾隼人を任命し、長尾隼人が家来を率いて東城の地にやってきた軍勢を再現したものです。

クリックで拡大表示後、戻るを押す  武者行列には、町内各企業や事業所から多くの若者が参加し、鎧甲に身を包んで、法螺貝の音を聞きながら銅鑼と太鼓の音に合わせて行進していきます。

クリックで拡大表示後、戻るを押す  「お通り」の行進の途中では、鉄砲隊の一斉発砲の様子の再現が行われ、パンパンという鉄砲の音に、見物人から驚きの声が上がります。

 この武者行列を見ると、長尾隼人公の軍勢の戦場での勇壮さを偲ぶことができます。 

大名行列
クリックで拡大表示後、戻るを押す  武者行列の後ろには、大名行列が練り歩きます。
 この大名行列は、江戸時代に安芸国全部と備後国八郡を治めた広島浅野藩が、家来の一人を家老に取り立てて東城の地を治めさせ、その東城家老が家来を引き連れて主君の御神幸に随行したものを再現したものです。

クリックで拡大表示後、戻るを押す  殿様役は市長や商工会長などが、姫役は事前の公募で選ばれた若く美しい女性たちが務めます。
 途中三楽荘前の交差点広場では寸劇が披露され、殿様と家老とのユーモラスなやりとりが見物人を楽しませます。
クリックで拡大表示後、戻るを押す  また大名行列に加わる家来衆は商店主の皆さんなどが扮し、いつもとは違う姿に馴染みの見物人からも声援が飛びます。

 大名行列は、「したにぃ、したに」のかけ声に合わせて、ゆっくりと歩みを進めていきます。 

母衣(ほろ)行列
クリックで拡大表示後、戻るを押す  勇壮な武者行列の後は、美しく着飾られた母衣(ほろ)行列が続きます。

 母衣は、籠を入れて膨らませた装飾布の上に武者人形と山茶花(さざんか)の花を飾り付けたものを、着飾った小学校高学年くらいの女の子や男の子が背負って歩きます。

クリックで拡大表示後、戻るを押す  母衣の起源は、平安時代末期に武者の鎧の背に付けられた幅広の長い布で、戦場での矢よけの武具として用いられていました。
 室町時代になると布地の内部に籠を入れて膨らませたものになり、江戸時代以降美しく装飾が施されてきました。
 現在では、我が子の健康と平和への願いを込めて「母の衣で包む」という意味合いを持たせた「母衣」の文字を当てています。

  クリックで拡大表示後、戻るを押す  母衣隊の列の後半は、小さな母衣を背負った小学校低学年くらいの女の子や男の子の列が続きます。
 東城の子供たちは、小さなものから大きなものへと、成長と共に母衣を背負っていきます。

 ご覧のように母衣行列は、枝を広げた花の美しさと衣装の華麗さが長い列となって練り歩く見事なものです。 

華童子行列
クリックで拡大表示後、戻るを押す  「お通り」の最後列では、幼い女の子がかわいい装束に身を包んだ華童子行列が歩きます。
 幼い女の子が母親に連れられてちょこちょこと歩く姿が、見物人の微笑みを誘います。

 「お通り」の日は、東城で育つ子供たちにとって忘れられない楽しい想い出になることでしょう。

「お通り」の由来
 江戸時代初期、広島藩家老職東城浅野家の五穀豊穣祈願の依頼により、川西八幡宮御神体を天神社御旅所に招き、十一月一日から五日間の祭礼が執り行われました。
 五日目に八幡神社御神体を八幡宮御輿に奉納し、八幡宮に帰られる折り、天神社御輿と行列を組み町内を練り歩いたのが、「お通り」の始まりとされています。

 「お通り」は、第二次大戦後の高度成長期における過疎化の進行により、だんだんと規模が小さくなり一時期中断されていましたが、平成に入って復活してからは、回を重ねるごとに盛大になっています。
 「お通り」は出演する者だけでなく、東城町商工会の若手を中心に多くの裏方の人々に支えられており、東城の人々が協力してみんなで守り伝えていく伝統行事です。


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 お通りの行列は、地図左下の東城小学校グラウンドをスタート・ゴールに東城市街地を反時計回りに練り歩きます。結構長いルートを歩いていきますので、効率的に見物していくと疲れも少ないでしょう。

 [1]東城小学校グラウンドでは、12時から体育館前の舞台で出陣前の演し物が始まります。美味しい食べ物の出店のテントなどもたくさん並んでおりますので、「腹が減ってはお通りは見れぬ」と、何か買って食べながら舞台で披露される神楽などをお楽しみ下さい。
 13時くらいになるとお通り出演者が登場、鉄砲隊・大砲隊の迫力ある演武が行われた後、いよいよお通りの列が出発します。
 見物目的の方は、お通りの列が出発した後東城川を渡り、地図上側の本町通りを細川医院の左側の新町あたりから、同時開催中の東城まちなみぶらり散歩ギャラリーの展示の数々を、本町通りを地図右側に向かって見て回ると、お通りの列と再会できます。
 撮影目的の方は、地図手前側の通称「産業通り」を進むお通りの列を撮ってみましょう。道幅が広くて直線ですので、長く連なる美しい母衣と華童子の列をカメラに納めることができます。

 [2]大橋(東)交差点では、最初に到着する武者行列の鉄砲隊の発砲パフォーマンスが行われます。東城小学校グラウンドの演武では遠くからしか見られなかった鉄砲隊を近くで見られます。路面に鉄砲隊の立ち位置がマーキングしてありますので、撮影目的の方はそれを見て正面を早めに確保しておきましょう。

 交差点での発砲パフォーマンスの後大砲隊はお通りの列を離れ、[3]大橋の上で大砲発射のパフォーマンスを行います。耳をつんざく大砲発射を、正面至近距離で撮影できます。ただし難聴にならないようにご注意ください。

 大名行列と母衣・華童子の列は、[4]東城駅前でしばし休憩し再び列を整えて出発、東城川を渡って本町通りに入ります。
 ここで大名行列は東城高校で休憩中の武者行列を追い越し、先に[5]三楽荘前に到着します。
 三楽荘前の特設舞台に上がった殿・姫・家臣に町娘によるお茶の接待が行われ、地元の鬼神太鼓の披露などが行われます。撮影目的の方は舞台正面側のポジションを早めに確保しておきましょう。
 殿に遅れて武者行列も三楽荘前に到着。鉄砲隊の発砲パフォーマンスが行われた後、武者行列が先に三楽荘前を出発、元の順序に戻って本町通りを練り歩きます。撮影目的の方は、北村醸造場や竹屋饅頭本舗などの老舗の商家を背景にお通りの列を撮ってみましょう。

 [5]城山橋にお通りの列が至るといよいよクライマックス、武者行列は最後の発砲パフォーマンスを行います。
 母衣と華童子の列は、道幅の広い道路に2列に広がってますます華やかさが増します。城山橋上でしばし歩みを止めて公式撮影が行われた後、アマチュアカメラマンの皆さんへの撮影時間が設けられます。撮影目的の方は、東城病院側で公式撮影が終わるのを待ち、紅葉が進む城山をバックに美しい母衣を思う存分撮影しましょう。

 城山橋を渡ったお通りの列は、東城小学校グラウンドに戻り、お通りの終了となります。お疲れさまでした。

 


 以上の「お通り」のページの作成に際しましては、以下の文献を参考にさせていただきました。
 掲載した写真は、2008年の「お通り」のものです。

 城下町東城の伝統行事「お通り」は、毎年11月3日ごろに行われます。ちょうど国定公園帝釈峡の紅葉が美しい頃ですので、ぜひ「お通り」に合わせて備後東城の里を訪れてみて下さい。

 なお、今年の「お通り」に関する詳しい情報は、「お通り」公式ホームページをご覧下さい。

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