まず、造る箱庭の題材を高学年の者が決めると、通学区内の通りに面した家の一角を箱庭を飾る場所に借りて箱庭を作り始めます。
みんなで東城川の川原から石や砂を集めてきたり、山の方に行ってコケを採集してきたりするとともに、各自分担して建物や人・動物・車などを手作りして持ち寄ります。
集めてきた石や砂を使って山や谷を造ったり、ビニールシートを敷いて水を入れて川や湖をこしらえたりします。地形ができたら、それぞれ作ってきた建物を配置したり、道路を造って車や人が通っているように置きます。
さらに、水槽用の小型ポンプを使って川が流れたり噴水ような仕掛けをつけたり、さらにクリスマスツリー用の点滅する小型ランプを使って、凝った電飾をすることもあります。
各通学区の箱庭が出そろうと商工会の審査が行われ、優秀な作品には賞が贈られますので、各地区競い合って箱庭造りに没頭したものです。
箱庭を造り終わると、箱庭の周りを幕で囲んで天満書きと呼ばれる子供達の書道作品を展示します。
天満書きの始まりは定かではありませんが、相当古くから東城に伝わる風習で、天満宮に祭られている学問と書の神様菅原道真公にあやかって、子供達の書道の上達を願ったものであると考えられます。
東城中心街の子供達の作品は箱庭と一緒に展示されますが、それ以外の町内地区の子供達の書道作品も、東城中心街の空き店舗を使って展示されています。
箱庭造りは、子供達の創造性を高めると共に、学年の違う子供同士が協力しあい一つの作品を作り上げることによって、協調性を育むことができます。
また天満書きは、子供達の成長を書道作品を通して町の多くの方々に見てもらうことにより、地域全体で子供達を守り育てていく意識を持ってもらうことにも役立っています。
夏休みの花火大会の前頃に備後東城の里に来られたら、各地区の箱庭と天満書きの展示を見て回ってみて下さい。
亥の子祭の日には通学区毎に子供達が集まり、まず通りに面した店先などを借りて幕を張り、祭壇をつくってお供えをし、猪子大明神をまつります。祭壇の準備ができたら、神主さんに来てもらい神迎えの神事を行います。
太陽が西に傾く頃、子供達は「亥の子石」と呼ばれる円筒形の石に何本ものロープをつないだもの、亥の子石を叩く竹棒、提灯などを持って地区内の各家を廻ります。
各家の前で、亥の子石を囲むようにロープを子供達が持ち、次のかけ声とともに亥の子石で地面を叩きます。
「エンショヤ、カンショヤ、亥の子の晩に、祝うた者は、四方の隅(すま)へ、蔵建て並べ、繁盛せぇ繁盛せぇ、福の神ドシこめぇドシこめぇ」
叩き終わってできた穴には塩を撒いて清めます。ただし、最近は家の前が舗装されているので、畳やクッションを敷いた上で石を叩くことがほとんどです。
亥の子石を叩いてもらった家では、いくらかのご祝儀を子供達に渡します。
地区内の家々の前を叩き終わると、他の地区の祭壇前に遠征して叩きに行きます。昔は石と石とで喧嘩させる荒っぽいこともあったようですが、今ではそのようなことはなくなったようです。
子供達は地区内の家を廻り終えると、親が用意した暖かい食べ物を食べ、お供えしてあったお菓子をもらって自分の家に帰ります。
亥の子祭の発祥は古く宮中で行われたものと伝えられ、祭神の猪のように女官が丈夫な子供をたくさん産んで健やかに育ち、子孫が繁栄することを願ったものが始まりだそうです。
その後全国に広がったものの特に都会では廃れてしまい、東城をはじめとして広島県各地などで部分的に継続されているだけの行事になりました。
亥の子祭が終わると、備後東城の里にも雪が舞うようになり、本格的な冬が訪れます。