私のオーディオの原点〜失われた思い出の音を求めて

幼い頃からオーディオに興味を持っていたことを、忘れていたと言うより、思い出さないようにしていた。しかしあることをきっかけに、一気に昨日のことの様に思い出されてきた。32年も前の記憶である。良くも悪くも、何でこんなに覚えているのか不思議なくらいである。そのきっかけがこのレシーバーであった。ある方より見つかったとEメールで緊急の連絡が入り、添付のフロントパネル写真で一気に回路構成や機構部品まで思い出したのである。当時私は、8才くらいの小学生であったはず。これをトラウマと言うのではないか。その前に作っていたのが40Bと40ICというペルーのリマ向けのものであった。ちなみに40ICはEQにオレンジ色のハイブリットICが採用されていた。

日幸電機製作所製レシーバー501 マッキンを思わせるデザイン1968年製オールトランジスタ式
この時代の国産有名メーカーよりかなり高級な作りがわかる。

当時の家業は、小さな町工場で、同社のアンプの組み立てを行っていた。当時何にでも、興味を持った少年は、事細かにこの部品は何と言うの?、何に使うの?と聞いていた。それで部品の名前や型番まで覚えてしまっていた。不思議と、解らないはずなのにドライバートランス式終段OCL、果てはFMフロントエンド構成やダイヤル目盛りのガラスの厚さまで記憶していた。バーアンテナの筒の色も覚えていた。32年ぶりの再開である。一刻も早く直して音を聞きたい。もちろん入手時点では、音は出ない、照光ランプもPLも点灯しない。何かにとりつかれた様に、修理に掛かったのは言うまでもない。幸い大きな故障はなく、全てのスイッチやVRの接点が不良となり、ランプが切れた程度であったランプは、スワン型とエジソン型の小さいものを、入手出来たので復旧、あとは電解コンデンサーの液漏れ1個を交換した。電解コンデンサーを全て交換しては、当時の音にならないのでやめた。

この当時のレシーバーのコンストラクションとしては、高級感がある。パネルのアルミサッシ構造、トランスのシールド。同社のトランスとサーキットブレーカーでの保護回路。40年後の今日でも、動作するのは設計の優秀さか。
周波数目盛りは部厚いガラス。この頃はKHzではなくKCの時代。ダイヤル糸もらくらく掛けなおせたのは不思議だ

手際よく分解して、清掃かなりのコンデションに修繕出来た。出てきた音は当時のままだ。ヒアリングテストは当時SP8T(山水)を使用していたため、JBLLE8Tで今、聞くと当時の音そのものに思える。合わせてドルショックによる辛かった当時の状況も思い出される。

尚、日幸電機製作所は、ブレーカーメーカーとして現在も存続しています。オーディオ部門は撤退してしまいましたが、今年山形県にある、ダムの電気室の分電盤(1架の高さ2M)を開けたら同社製でした。