思い出のチューナー製作記



このFMチューナー製作に当たっては当時のことを鮮明に思い出します。何しろ苦節3年で現在の姿になったのでした。いまからその苦労話、いや楽しい思い出?や、秘話を話させていただきます。当時中学3年生であった私は、こともあろうにFMチューナーを製作しようと思いたったのでした。それもはじめから音のまともなものを、なぜそんなたいそうなことを、思い付いたのかといいますと次の通りです。 家に当時としては、珍しいコンポーネントのステレオが昭和44年頃よりあった。しかしFMはNHKのみで音楽ソースとしてさして重要では無い時代でした。チューナーはもちろん無く、ラジオでFMを聞く毎に欲しくてたまりませんでした。拍車をかけるようにFM放送の素晴らしさ、受信回路、アンテナ、電波伝播(でんぱでんぱ)などを、事細かに紹介した「’74電波科学別冊FMチューナーのすべて」(春日二郎先生著)にとても興味を引かれ、普通ならおこずかいをためて購入しよう、あるいは親にねだろうと思うのでしょうが、教科書が良すぎたせいで、作ってやろうと思ったのが今日まで、自作オーディオを趣味としてこれた最大の理由だと思います。さて実際の製作では、壁にぶち当たらな かったわけではありません。
高周波部(フロントエンド)は作れないのでメーカー製のユニットを使ったのですが、どれも不満のあるものばかりで、2台もゴミに捨てることになりました。(実験には十分に役立った)利得不足や周波数ドリフトの問題、バリコンが直線容量のタイプでなくダイヤル目盛りが等間隔でない(今の人には分かりにくいと思います。周波数の表示が目盛りなんて)T社の製品は、利得が小さく感度が悪く、別のS社の製品は、周波数のドリフトが大きく時間とともに受信周波数がずれてしまうのでした。

中間周波数(IF)増幅部は、はじめ少年向けラジオ雑誌(現在も廃刊になっていないほう)に製作記事がありこれの回路をいただき作っつたらまったく動作せずでした。原因はIFアンプICの不良でした。通販の怖さを思い知りました。尚、中間周波数は10.7MHzのため、アンテナをつなげば何とか短波の電波を受信出来たので簡単に一次動作試験できたのでした。

FMマルチプレックス復調器当時最先端の復調はPLL方式で何より調整が少なくて済むのでラジオ用アダプターが製作記事として雑誌に紹介されていました。しかし専用ICの入手が地方では非常に難しく、いくら数社より同じようなものが発売されていても入手できませんでした。しかしメーカーよりサンプルを入手(無償)できました。この時代は良い時代でした。当時東京アイシーと言う会社でした。東京三洋の会社です。


最初の試作は大失敗に終わるのですが、これからが成功のポイントといえる、技術資料を入手出来た製作秘話とでも言える一大チャンスがやってきたのです。当時’70年代は雑誌にもたまにFMチューナーの製作記事は出ていたのですが、実用上問題となるような回路ばかりで理由は前述のFMチューナーのすべてにメーカー品の回路が全て載っていたのでした。それと比較したら一度であまり良さそうではないと思えるのでした。それならメーカー品の回路をそのままと思うのですが、回路があって汎用部品は入手出来ても、IFTや検波回路の部品、音の良いセラミックフィルターなど入手困難な物ばかりなのです。さらに測定機が無ければ調整出来ません。 そこで私が取った手段は半導体メーカーに専用ICの技術資料(通常セットメーカーの設計部門にしか出さない)を貰うことを考えたのでした。資料請求を出したら何と試作用サンプルICと評価用IF基板、それに特殊部品、技術資料がセットで送って頂けたのでした。今でも本当に感謝しています。ありがとうございました。それも当時最新のクオドラチャー検波方式のものです。調整が少ないのもよいです。その甲斐あってそこから私の奮闘記が始 まるのでした。こちらは東京三洋からいただきました。

技術資料があれば鬼に金棒です。ある程度の基礎知識は既に「FMチューナーのすべて」で理解していました。このため、なんとか部品を集めにかかるのですが、当時16歳の少年にとってはどれもこれも高価な部品ばかり、青春は部品調達と言っても過言ではないのでした。それでもなんとか部品を集め完成したのが構想から既に3年めに入っていました。そこでさらなる問題、当時感度が悪くて実用的ではなかった。フロントエンドを更新してメーカー品より高感度のチューナーでFM東京を受信しようと計画を考え(当時地方には民放FM局が無かった)ハイグレードなフロントエンドに大金5千数百円を投じたのでした。しかし周波数のドリフトが大きく、同調をしょっちゅう取り直さなくてはならないほどでした。AFCを使えばそれほどではないと思いますが、当時高級機はAFCはないものでした。なまじメーカー品の回路を見過ぎるとこのようなこともあるのです。今度はフロントエンドをメーカー品並みにしようとでた手段(3度めの正直)は、セットメーカーにに向けて部品やユニットを供給しているメーカーに特注することでした。それも仕様をあらかじめ指定 して、そうしたらなんのことはない、実用にならなかった、フロントエンドの半値以下で特注品が買えたのでした。このようにして私のチューナーは試作評価の末、FM東京を宮城県で受信出来るくらい高感度で安定に動作するものが完成したのでしたもちろんアンテナは教科書通り、12mH、5素子八木アンテナ(8素子は買えなかった)そのときすでに’77年そして自分の装置はすべて自分で作ろうと次の目標に向かうのでした。部品は余裕のあるものを選んで使ったからと確信しています。その時の経験から部品はよい物を余裕をもって使うことに心がけています。好きな言葉は長期安定動作です。その後電波科学誌のモニター抽選でIFとマルチプレックスICが当たり、それで作り替えました。ソニーからICが直送されてきたのには驚きました。今、考えてみるとフロントエンドを3台も評価したり、IFアンプの評価キットを貰ったりメーカーの設計の真似事をしたような気分でいたのです。・・・・・・・・・・・・・・・多分。       尚現在でも現役で動作しています。