『GO』と並んで、今年一番の注目作、と言ってしまっていいのではないだろうか。目黒考二、村上龍ほか書評家絶賛。とりあえず、今年中に読んでしまおう!と思ってトライ。
もう内容もだいぶあちこちで語られているので今更だが、テーマは「引きこもり」。著者の経験を元にした小説だそう。
40になる兄が引きこもりのあげく、自殺した。主人公のユキは、以来、街角や男の息に死臭を感じるようになる。不安になったユキは、昔大学で心理学を教わった恩師(>ちょっとワケアリ)にカウンセリングを受けにいく。兄の自殺には、「コンセント」というキーワードがあり、そのことがユキの頭を離れない…。
ストーリーを説明するのはちょっと難しい小説。といっても、筋がややこしいわけではなく、どこか茫漠とした感じ。なんというか、現象を主に話が進む、というより、主人公の「心」という目に見えない曖昧なものが主に話が展開していくせいだろうか。ユキが、じわりじわりと心の迷宮に迷い込んでいくさまは圧巻。よくこんなにうまく表現できるものだ、とうなってしまう。冷静に考えればかなり突飛なこと(電波系ってこういうのですか?)を書いていると思うのだが、なんだかすっと納得できるのだ。ユキのどんどん壊れていく気持ちの変化などが。
さっき書いたことと矛盾するが、この小説は兄の引きこもりがテーマではあるが、実は兄の死に対する疑問を解決することによって、ずっと心に抱えていた何かを乗り越えていく主人公ユキの心の軌跡の物語である。これはもちろん著者の「引きこもり」に対する解釈であって、これが正解とかそういう問題では全然ないのだが、少なくとも私には彼女の言うことはよくわかった、と思う。うん、うん、そうか、と相槌を打ちながら読んだ。「コンセント」の概念とか、この弱肉強食の世の中では、ひとの心の痛みがわかるナイーブな人間は「弱者」とみなされてしまうこと、とかいろいろ。ひきこもってしまう人たちは、そのやさしさゆえに、この現実に折り合いをつけることができず、傷つき、自分を守るために殻にこもってしまうのか。それはあまりにも悲しい。彼らにとってなんと生き難い世の中。
つらい話ではあるが、主人公の心の新しい目覚めによって、意外にも読後感はよかった。「現代」の持つ病のひとつを描いた傑作。
『紫の砂漠』☆☆☆1/2(村松栄子、ハルキ文庫)
十夜さんオススメの一冊。SFファンタジー。
紫の砂漠の端に位置する小さな村で生まれ育ち、なぜかその砂漠に強く惹かれる子供、シェプシが主人公。この世界では、子供に男女の性別はない。この世でただひとりの「真実の恋」の相手と出会った瞬間に、男女の性が決定する。しかもこの世界、7歳まで自分の子を育てたらその子を養子に出し、代わりに神の定めた「運命の子」を授かる、という掟がある。神々を深く信仰し、自然を敬い、掟にのっとって素朴につつましく暮らしているひとびとなのである。
何よりこの設定がファンタジック。紫の砂漠に覆われた世界、砂漠をさすらう詩人、〈聞く神〉〈見守る神〉〈告げる神〉の話、尖った耳の村人達。ファンタジー好きにはたまらない話だろう。そして「真実の恋」。これがまたなんともロマンティックではないか。
この世界の構築にあたり、著者はなにか徹底したこだわりを持っているように感じられる。倫理的、とでもいうのだろうか。柔らかなファンタジーの衣でくるまれた、思想的で硬質なもの。
7歳になったシェプシはいよいよ運命の親に出会うべく、詩人に連れられて旅に出る。が、どうしても砂漠への強い憧れを捨てきれないシェプシは、ある決心をする…。
後半、突然SFになったのには仰天。前半の伏線がここで大いに生きてくる。いやホント、こういう展開とは夢にも思わなかったので驚いた。ううむ、あれはそういうことだったのか!ファンタジックな世界観が、一気に宇宙規模に拡大する。こんなに壮大な物語だったとは!
ファンタジーがお好きな方はもちろん、SFファンにもオススメの一冊。
『NAGA 蛇神の巫』☆☆☆1/2(妹尾ゆふ子、ハルキ文庫)
「新世紀SF宣言!」という、強くSFをアピールした帯つきで登場した、ハルキ文庫のSF新シリーズ第一弾のうちの一冊。
本書は現代SFファンタジーである。ある旧家にまつわる蛇神の伝説に、今の高校生ふたりが家の都合でかかわらざるをえなくなる。正月に30年に一度の巫女役をやった涼子だが、なぜか蛇神は一緒にいた従兄弟の渉に憑依する。このままでは渉は…。
日本の昔の神話と、現代が見事にマッチし、なんの違和感もないという素晴らしさ。ひとに憑依する蛇神と、ケータイやパソコンが同時に登場してても、なぜかちっともおかしくない。このセンスは誰にも真似できない、著者独特のものであろう。実は著者の作品を読んだのは初めてだったのだが、これにはかなり驚いた。新宿の高層ビルにエネルギーが集中してる、といった解釈も現代的でマル。
文章はポップな感覚で非常に読みやすく、くいくい読ませる。なによりキャラが生き生きしてる。主人公の涼子はまさに今の女の子。渉も実にクールでカッコイイ(笑)。なのに、そこにもってきて巫女だの蛇神だの、という日本神話の世界である。日頃そのテの話は苦手というか予備知識も全くない私なのに、それが、どうしてこんなにすんなりカラダにはいってきてしまうのか。全く、著者の筆は魔法のごとくである。その魔法が、私の体の細胞ひとつひとつに遥か昔から刻印されていた、かつて古い神々を敬い奉っていた遠い記憶を呼び覚ましたのだろうか。
話の裏にほのかに流れる恋愛感情も、読者をくすぐる。唯一気になったのは時系列が入り組んでること。普通に書いても十分よかったのでは、と思うのだが。
日本神話をポップに2000年バージョンでアレンジした一曲、じゃなくて一冊。ぜひお試しを。
『GO』☆☆☆1/2(金城一紀、講談社)
なんてまっすぐなんだろう!そして、なんてしなやかでしたたかに強いんだろう!彼の瞳は、キツく鋭く、でも誰よりもキレイに澄んでいるに違いない。きっとそうだ。
彼は在日韓国人だ。そのちょっと前は在日朝鮮人だった。まあいろいろあって。要するに両親が朝鮮人だったというだけのことだ。で、朝鮮学校に通っていた彼だが、思い立って普通の日本の高校に進学した。そして、…ある日本の女の子に恋をした。
たったこれだけのことなのに、そのために彼が味わった差別はすさまじいものだった。それはもはや私の想像もつかないほど。全くもって彼に責任はなく、理由もない差別。普通なら歪むよ。歪んだほうがはるかにラクだ。が、彼はそうじゃなかった。あらゆる外的苦痛を全身でがしっと受け止め、なおかつ全力で跳ね返し、ぶっとばした。どりゃーっ、てな感じに。傷つきながらも、そうやっていちいち向かってくるあらゆるものと戦いつつ、生きてきたのだ。これがどれほど大変だったことか。いや、大変なんて言葉じゃ軽すぎるし甘すぎる。
全ての外敵をすっとかわして小利口に生きるわけでなく、背を向けしっぽをまいて逃げるわけでもなく、彼はあらゆるものにそれこそ全力で立ち向かって生きているのだ。なんという潔さ。めちゃめちゃカッコイイぞ、コイツ!!(でもお父さんにはかなわない、というところがまたいいのよ!この激烈親子のエピソードは、どれも実に傑作。)
というとすごく暗い話かとお思いだろう。が、国籍と、それにまつわる親や友人や彼女との確執、というアイデンティティをゆさぶる深刻なテーマにもかかわらず、タッチは驚くほどユーモラスでぽっかーんと明るい。それはもう、気持ちいいほど。この「彼女」が、少年漫画に出てくる女の子みたいに男性側に都合よすぎ、というだけのがちとひっかかったが、それもラストでまあ納得、かな。
とにかく、そんじょそこらの青春小説をぶっとばす、彼の強さとたくましさを読んでみてくださいな。背筋が思わずぴんとする一冊。そう、とりあえず「GO」だ!前へ進め!