30号                                                           2000年3月

 

 

書店員はスリップの夢を見るか?

 先日、ネットしていてふと思いつき、「オトナのための児童文学フェア」というのを文芸書のコーナーで展開してみた。

 最近「これは児童書の棚にだけ置いておくのはもったいなさすぎる!」と思うような傑作が多々出ている。が、出版社が児童書専門のところだったり、装丁が子供向けだったりすると、自動的に児童書の棚に入れられる。すると、普段児童書の棚なんぞ覗かないお客様は、そんな傑作に出会う機会すら逸してしまうわけである。

 実はこのフェア、売上が心配だったのだが、思いのほか好調だったのでほっとした。今、『ハリー・ポッターと賢者の石』などで児童書が見直されているせいもあろう。が、何より、お客様に「へえ、こんな本もあったんだ!」と思っていただけたからではなかろうか。

 本との出会いを作る、これが書店員の使命&醍醐味でもあるのだ。

 

今月の乱読めった斬り!

『quarter mo@n』☆☆☆☆1/2(中井拓志 角川ホラー文庫)

 非常にツボ。これはネット者のあなたにはぜひ読んでほしい一冊。なぜなら、これはあなたと私の小説だから。ネットの怖さをよく表現した、実にいろいろ考えさせられた話であった。

 すべての中・高校生の家庭のコンピュータがオンラインでつながっている町。この町で、中学生達の謎の自殺が立て続けにおきる。彼らは皆、現場に「わたしのHuckleberry friend」という走り書きを残していた。いったい、彼らの身に何が起こっているのか?

 やがて、中学生達が、彼らだけの秘密のホームページで、チャットにより情報交換をしている事実を突き止める。そして、そこでかつて起きた恐ろしい事実が浮かび上がってくる…。

 私自身、ネットにどっぷり首まで浸かっている身なので(笑)、彼らの気持ちは感覚的にとてもよくわかる。心が、現実よりもネットの中に本拠地をかまえてしまうという感覚。多感な中学生ならなおさらだ。でも、彼らは過ちを犯してしまった。ネットの中で始まったささいな中傷や言葉の暴力。それがやがて蔓延してゆき、現実を侵蝕していったのだ。「あいつなんか殺しちゃえ」「あいつはルール違反だ、死ね」などという軽い気持ちの書き込みによって、実際に自殺や殺人が起きてしまう。中学生達の心の危うさが、凶器となるのだ。

 現実はコンピュータの外にあるのだということを忘れた少年少女達の悲劇。彼らは、命の重ささえわからなくなってしまっていた。そう、彼らはネットの悪意に取り込まれてしまったのだ。

 ネットの中も現実も虚しいとしか思えない子供達。彼らのどうしようもない空虚感とネットの手触りを、著者はよく描いていると思う。

『老人と犬』☆☆☆☆(ケッチャム、扶桑社海外文庫)

 実にむちゃくちゃな話でツッコミどころ満載なのだが、とにかく文句なく面白い!一気読み!理屈抜きに物語を楽しみたい人向き。

 これはある老人の、愛と暴力と復讐の感動ヒーロー小説である。といってもこれは楽しい話ではない。むしろ非常に暗く重い話である。

 過去に肉親のことで心に深い傷を負った、ひとりの老人。彼はある日、いきなり不良少年たちに飼い犬を惨殺される。老人は、このあまりに理不尽な暴力の謝罪を要求するが、少年たちもその親も、事実を否定し、それどころか逆に老人に制裁を加える有様。この無慈悲なやり方に、老人はついに怒りを爆発させる。彼の静かで深い周囲への愛情が心に染みるゆえになおさら、この理不尽な悪意には激しい怒りを覚えずにはいられない。

 後半の彼の活躍は、ダイハード老人バージョン、みたいな頑強ぶり(笑)。強すぎるよ、おじいちゃん!思わずこぶしを握り締めて「がんばって!」と応援したくなるカッコよさ。そう、これはヒーロー小説なのだ。とある美女にモテるのも納得いきます。ちょっとこのロマンスには驚いたが(彼は67歳)、ヒーローだからモテて当然なのだ。

 ラストのエピソードには涙を誘われた。いやあ、ケッチャムってすごすぎ。私はファンですね。

『あなたが欲しい』☆☆☆(唯川恵、新潮文庫)

 題名からして、ベタ甘の恋愛小説かと思っていたら、驚くほどビターな話だった。登場人物5人のドロドロ!ここまで壮絶な話だったか!

 しかし、なにかスッキリしない。というのは、登場人物全員が、自分の気持ちに素直じゃないから。

 誰でも、心に暗い部分はある。ライバル心、嫉妬、ねたみ、横恋慕、裏切り。著者は、残酷にも彼ら5人の心の最も醜い部分を白日のもとにさらけ出す。自分の醜さに驚き、戸惑う彼ら。そして、相手に傷つけられたことより、自分自身の罪に傷ついてしまう。

 そう、もしかしたらこの世でもっとも始末に負えないのは、自分の思うとおりにならない自分の心なのかもしれない。人間は、きれいごとだけでは生きていけないのだ。清濁併せ持つ、複雑な生き物なのだ。あなたも、私も。

 これでラストまで思い切ってどん底まで持っていくと山本文緒になるのだが(笑)、唯川恵はわりとさらりとキレイにまとめている。

 一見甘くやさしいタッチに見えて、実は人間の弱く醜いところをずばりと書く、唯川恵。おそるべし。

『新人賞の獲り方おしえます』☆☆☆1/2(久美沙織、徳間文庫)

 久美沙織が、とあるカルチャースクールにおいて講師を務めた「本の学校『作文術』」という講座をまとめたもの。小説家になるための登竜門新人賞″を獲るための、いってみれば予備校の特別講座のライヴみたいなもんである。

 私は作家になるつもりなど毛頭ないが、それでもこの本、実に面白かった。なぜか?それは、物語を創作する作家の側のことがよくわかるからだ。そう、作家の裏話としても読める本なのだ。小説を書くにあたり、作家が何に気を使い、苦しみ、悩んでいるかが一目瞭然。文章の書き方など、私にも参考になること多し。

 また逆に、私たちが小説を読むにあたり、どこをどう読んでいるのか、という事まであぶり出しにされる。著者は、読者というものを非常に冷静に分析している。どこをどう突けば、読者を楽しませることができるのか。そこまで彼女は把握してるのだ。さすがプロ。

 小説家を志す人も、そうでないフツーの本読みの方も楽しめる本。

 

特集 MYSCONレポート

  ださこん(ネットSF者オフ会)の元気ぶりを眺めていたミステリファン達が、我らも負けじと「MYSCON」(ネットミステリ者コンベンション)を立ち上げました。ミーハーな私は早速潜入してまいりましたのでそのご報告を。

 MYSCONは、3月11日(土)の夕方から12日(日)の朝にかけて、東京の鳳明館・森川別館において開催されました。以下、行われた企画を項目別にご紹介。

☆「井上夢人さん、e‐NOVELSを語る」

私は仕事で遅れて到着したため、この講演は聞き逃してしまいました。残念。くわしくは、ネットのMYSCONページにアップしてありますのでぜひそちらを。非常に盛り上がり、だいぶ時間をオーバーしたそう。ちなみに私は後で井上氏にサインを戴きました。

☆「持参本の交換会&歓談」

 参加者107名+ゲスト2名を10班に分け、その班のなかで、持ち寄ったオススメミステリ本の交換をしようという試み。おのおのの趣味がモロに出て、非常に面白かったです。私の持っていった布教本は『時計を忘れて森へ行こう』光原百合。これを出した時、どよどよと歓声が上がったのがうれしかったです。さすがミステリファン、皆様良くご存知で。ふふふ。未読の方はぜひ読んでくださいね!

☆「MYSCON大クイズ大会」

 司会者の出した問題に、班ごとに正解を話し合って解答するという企画。クイズのお題は、
「ある男が、お昼頃、ある古本屋の店先の100円均一ワゴンから古本を20冊買ってる男性をみかけました。が、翌日もまた翌日も、7日間連続でその男性は同じ古本屋のワゴンで古本をきっちり20冊買っていたのです。これはなぜ?」

 それぞれの班の代表者が前にでて発表したのですが、これがどれも爆笑モノ!解答のファンキーさもさることながら、代表者の皆様が芸達者なことに驚きました。いやあ、ミステリ者は明るいです。

☆「若ミス・リベンジ」

 これは前に行われたプレMYSCONのリベンジ。若手のミステリファンが5人壇上に上がり、お題の10冊ほどのミステリについてあーだこーだと語るというもの。楽志くんが、早口の関西弁でスパスパと豪快にミステリを斬って斬って切りまくっておりました(笑)。

 私の読んだことのない本がほとんどでしたが、それでも非常に面白く聞けました。そもそも、人が本について熱く語ってるのを聞くのが好きなのです、私。ああそんなふうに言われたら、みんな読みたくなってしまうではないですか!

☆「海外ミステリを読もう!」

 フクさん、ジョニィさんを司会に、森英俊さんと藤原義也さんの選んだ初心者向け海外ミステリのプリントをもとに話が弾みました。

 そもそもの目的は、若い人達にもっと海外ミステリを啓蒙しようという試みだったのですが、集まったメンバーは通の海外ミステリファンがほとんどみたいでした。

 こちらもタイトルはよく知ってても実際読んだことがない本が多く、あれも読まねばこれも読まねば!と冷や汗をかきつつ拝聴しました。

☆「古本オークション」

 時刻は既に深夜1時。が、ここからが皆様お待ちかねのオークションタイム!眠そうだったkashiba@猟奇の鉄人さんがいきなりハイテンションに豹変、うわさの名オークショニアぶりにほれぼれ。彼の古本に関する膨大な知識と書物への愛にはただただ敬服。

 彼のページに集う濃い古本の方々が続々登場し、彼らにお会いできただけでも収穫でした。

☆「古本朝市」

 延々3時間半も続いてようやくオークションが終わったと思ったら、休むまもなく朝市タイム。大広間のテーブルに、おのおのの持ち寄った古本を出すやいなや、たちまち人垣。砂糖に群がるアリのごとき!(笑)いやあ、皆様、本当に本がお好きなのですねえ。といいつつ私も超安値であれこれゲット。

☆「閉会式」

 楽しい時間はあっという間に過ぎ、朝8時に閉会。「クイズ大会」の受賞班の発表と賞品授与が行われました。

 スタッフ間で準備にモメたりと大変そうでしたが、実際蓋を開けてみたら大成功だったといっていいのではないでしょうか。ミステリの濃い方々にもたくさんお会いできたし、とても楽しい一夜でした。ああ、また徹夜しちゃったよ!

 

ダイジマンのSF出たトコ勝負!

    ヤァ、今きみのお財布に、五千円札は入っているかい?いや、本当は3780円でいいんだ。もし、これ引くと家賃が…っていうなら、まあしょうがない。いずれまた。それ以下しか無くても…くじけちゃダメだ。だけど昼メシが喰えないって位だったら、ドぉりャ〜、ガマンせい!(笑)。だってこんだけで、『SF万国博覧会』『思考する物語』の2冊が読めるんだよ。税込みだからポッキリ安心、買いに走らにゃソンするぜ!

 この両書の共通点は、どちらも当時から話題を蒔いた〈SFマガジン〉連載の、待望の単行本化だということ。こういった仕事がまとまることは、素直に喜ばしい。

 『SF万国博覧会』(北原尚彦著、寺子屋ブックス11、青弓社2000年)は、「空想科学小説叢書列伝」(1994年2月号〜1995年12月号、95年1月号は休載)と「バベルの塔から世界を眺めて」(1997年1月号〜1999年12月号)両連載に、加筆訂正を加えた2部構成からなる。

 「叢書列伝」はその名の通り、翻訳SFシリーズを巡る解説&ウラ話なんだけど、考えてみれば、海外SFの安定した供給源としては、いまじゃハヤカワ文庫SFと創元SF文庫の両老舗ぐらいなもの。あとは各社文庫から、まるで編集者が会社をダマしたかのように(笑)たまに出るのを待つばかり。いやもちろん、ハードカバーの早川書房〈海外SFノヴェルズ〉は出版され続けているし、アスキー/アスペクトやソニー・マガジンズなど、意欲を見せる出版社も存在する。が、残念なことに、今のところそれらはあくまで単発に過ぎない。〈海外SFノヴェルズ〉だって統一装幀をやめてから、シリーズとしての意味合いは弱い。

 しかし『スター・ウォーズ』フィーバーに象徴される、“SFブーム”に沸き立った1970年代後半〜80年代前半は、数々のSF叢書が妍を競う群雄割拠の時代であった!

 その、時代を彩ったSF叢書を追ったのが、第1章「空想科学小説叢書列伝」であり、世界の翻訳SFを順に紹介したのが、第2章「バベルの塔から世界を眺めて」である。こちらは“英米以外の翻訳SF”というコンセプトで、古くは明治元年(1868年)に訳されたジヲス・コリデス『新未来記』や、明治16年(1883年)のアルベール・ロビダー『第二十世紀未来誌』から始まり(古すぎるっちゅうねん!笑)、時間軸も縦横に多彩な作品を取り上げている労作。

 特筆すべきは、ジュヴナイルにも目配りが行き届いていること。正直な話、これが無けりゃ本書の魅力は半減だ、とさえ思えるほどである。言うなれば、過去に例を見ない、画期的な本なのであ〜る。

 それだけに、リストや索引が装備されていないことは、惜しんでも惜しんでも惜しみ切れない位、実に残念で惜しいことである(しつこい)。だって、いざ“使う”段になったら、該当ページを探さなくちゃいけなくて不便なんだよね。ともあれ、SF求めて古本の大海原にまで乗り出す/出した諸氏にとって、必携の羅針盤となろう。

 お次は『思考する物語』(森下一仁著、キイ・ライブラリー、東京創元社2000年)の登場だ。めるへんめーかーの表紙にダマされてはいけない。〈SFマガジン〉連載時(1995年5月号〜1997年1月号)の、吾妻ひでおのイラストにもだ。

 ジャンルを語ることが困難なこの時代に、森下一仁は「SF」に真っ向から勝負を挑む。あるいは不器用と言い換えてもいいその姿勢に、ぼくは驚きと喜びと、ある種の目眩を感じる。このSF論は骨太だ。

 本書における一貫した探求テーマは、「SFとはなにか?」という根源的な命題である。繰り広げられる作業は、気の遠くなるようなものだ。「センス・オブ・ワンダー」の考察からスタートすると聞けば、頷いて戴けるだろう。

 これまでのSF論は、程度の差こそあれ、論旨に見合わない作品に目をつぶってしまうことで、理論の整合性を補強してきた点があったと思う。『乱れ殺法SF控‐SFという暴力‐』(水鏡子著、青心社文庫SFシリーズ1991年)に共感したのは、それらの矛盾を「いいかげんさ」に託し、全てを許容してみせた所が新鮮だったから。しかし森下一仁は、それらをひとつひとつ丹念に掬い出し、多数の引用を織り交ぜ検証する。ここが目眩の源だ。その生真面目さは、執筆の動機が、なにより「自らを納得させるSF論をまとめよう」という、妥協の許されない目的にあったからではないかと思われる。

 その分、理論のアクロバティックな斬新さとは、若干の距離がある。「ワイドスクリーン・バロックこそ、十億年の宴のクライマックスだ」とか、「SFの上にSFが築かれる」や「探求すべきは内宇宙だ」といった、派手なアジテーションは存在しないからである。そこにあるのは、「SFとはセンス・オブ・ワンダーの文学である」という確信であり、長年の疑問に答えるための地道な歩みなのだ。

 「一SFファンとしては、距離をおいて波(註.ニュー・ウェーヴ)が通り過ぎるのを観測している、という立場もあっただろう。だが、私の場合、運の悪い(?)ことに、すぐそばにニュー・ウェーヴに巻き込まれて(飛び込んで?)悪戦苦闘している人がいた。学生時代、毎週のようにその人と会い、話をするという生活をしていると、いやでも自分の身と引き比べざるを得ない。SFが生き方であることを、身をもって教えられたわけだ(その人――伊藤典夫は、当時からの課題であったサミュエル・R・ディレイニーの『アインシュタイン交点』を二十数年かけて翻訳した)。/おそらくそれが決定的影響となった。」(235ページ)

 森下一仁は、作家的資質と評論家的資質を併せ持つ才能である。連載と同時進行した社会情勢(オウム事件)をヴィヴィッドに反映しつつ、評論家″森下一仁により結実昇華されたSF観の集大成が、『思考する物語』として目の前にある。その活動に、完成は無いかもしれない。でも読者は知っている。森下一仁が第2期〈奇想天外〉1979年6月号(39号)以来、20年以上に渡る最長不倒レビュアーであり、SFへの静かなる情熱が限りなくアツイことを…。圧倒的蓄積による超ド級書評集、『現代SF最前線』(双葉社1998年)でさえ捉えきれない未踏の歩みを進める著者は、これからもSFに正面から向き合い続けると信頼させる。

 胸に迫るSFへの真摯な姿勢、継続する行動力において、森下一仁もまた「SFが生き方である」ことを、身をもって教えているに違いない。そしてぼくは、思わず自分の身と引き比べて…、アァ!

 しかし不思議でならないのは、ナゼ早川書房は自社で単行本化しないんだろ?ということだ。『SF万国博覧会』は、北原さんの本が過去に青弓社から出ていた関係ってコトで、何とか分かる。評論の器もキイ・ライブラリーしか無いしな。いやそれにしたって…と思っていた矢先、やっぱり〈SFマガジン〉に連載された科学エッセイ『われ思うゆえに思考実験あり』(橋元淳一郎著)が、早川書房から単行本化されたので驚いた。さらに続けて、唐沢俊一の『とても変なまんが』も出るじゃない。

 ならばナゼ手放した、早川書房よ!とでも言っておきたいところだけど、ここはむしろ、連載のみで埋もれてしまいかねない作品を、他社からこうやって見出すシステムと余裕が、今のSF界に出てきた事実を噛み締めるべきであろう。

 

あとがき

  日頃の遊びすぎがたたって、ださこん3には参加できなくなってしまいました。とほほ。でもSFセミナーは行くぞ!(コンベンションを渡り歩く母>おい) (安田ママ)


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