読了後、直ちに決定した。これは今年半期の、いやもしかしたら今年1年を通しての、ワタクシ的ベスト1である。
…まさに『慟哭』。このタイトルが、すべてを語っている。なんと、なんと辛い物語だろう。これはもはや、悲しみなどというレベルではない。血を吐くほどの魂の叫び、心に空いた深く大きな暗い穴。この「穴」を目の当たりにしたとき、あなたはどうするだろう。私はラストの一行を読み終え、涙が止まらなかった。これは子供を持つ人間には痛過ぎる。本当に。
ある幼女誘拐殺人事件が発生する。その捜査の担当責任者である捜査一課長、佐伯の章と、もうひとりの男の章が交互に語られる、という形式で物語は進行する。佐伯らの必死の捜査は遅々として進まず、やがて第2、第3の殺人が起きてしまう…。
著者はこれがデビュー作とか。実に驚くべきことである。すでに全てが見事に完成されているのだ。危なげなところが全くない。まず文章が非常にうまい。洗練された落ち着いた大人の文章といった印象。派手さはないが、読んでいて安心感がある。情景描写もさることながら、人間の心理描写がまた実に巧みで説得力があるのだ。登場人物それぞれの心の痛み、微妙な心の揺れがよく描けている。
ミステリとしての出来も文句なしに素晴らしい。この手法には深く感嘆させられた。賞賛の溜息をつくのみである。
トリック構成の見事さと、そして何より読む者の心をえぐらずにはおれない、淡々としながらも心の奥底まで深く突き刺さる心理描写の筆力に、文字通り打ちのめされてしまった。最後にもう一度だけ。「慟哭」。
『エンジン・サマー』☆☆☆☆(ジョン・クロウリー、福武書店)
実に美しく不思議で、難しい物語だった。文章自体は平易なのだが、すべてが象徴や寓話に満ちていて、意味深なのである。さまざまなキーワードが登場するのだが、著者はあえて説明をしない。おのおの、読者の好きなように解釈せよ、とのことであろう。
これは、あるインディアン系の少年「灯心草」によって語られる、彼の物語だ。と同時に、彼の住む世界の物語だ。今の文明が「嵐」によってすべて滅亡し、その後のはるか未来、かつての失われた文明の残骸があちこちに残る中、細々と生き残った人々が集落を作り暮らしている時代の物語だ。
という設定に何かピンときませんか?私は「これは『風の谷のナウシカ』か、はたまた『天空の城ラピュタ』か?」と思ったのだが。
「灯心草」は、天使と呼ばれる少女に、「真実の語り」を語る。この語りが実に深みがあって素晴らしい。「物語を読む」という喜びに浸れるとはまさしくこのことであろう。それも、子供の頃に大人に聞かせてもらったおとぎ話のような物語だ。しみじみと美しく、牧歌的で、穏やかなインディアンたちの暮らしがとっぷり味わえる物語だ。静かで暖かな気持ちになれる物語だ。いつまでもこの本の中に浸っていたいような物語だ。さらに、これはひとりの少年の成長譚でもある。今の文明への皮肉、警告でもある。それら全てが、宝石のように美しい言葉で語られているのだ。
と思っていたら、ラストでいっきにSFになったのには驚き。なんともいえない切なさに、じんと心が震えた。世にも美しいSF。
『新生の街』☆☆☆☆(S・J・ローザン、創元推理文庫)
リディアというニューヨークのチャイナタウンに暮らす中国人の女性探偵と、その相棒である白人中年男性のビルのコンビが活躍するシリーズ第3弾。このシリーズは、一編ごとに主人公が交代するという、なかなかユニークな趣向を凝らしている。今回はリディアが主人公。彼女の請け負った、デビュー目前のデザイナーのスケッチ盗難事件が発端。が、ずるずると芋づる式に厄介事が持ち上がる。
いわゆる探偵小説。謎解き、というより、探偵であるリディアの活躍がなんといってもメインなのだ。これが実にいい。どんなに危険な目にあっても、母親達から猛反対されようとも、めげることなく探偵という仕事を心から愛し、誇りを持ち、全力をかけて取り組む。この頑張りには、心から応援のエールを送らずにはいられない。
相棒のビルの、公私共々のさりげないサポートと優しさがまたいい。実はリディアを愛していて、ことあるごとに冗談めかして彼女を口説いてるのだが、決してゴリ押しはしない。彼女はそのアタックに対し、今、心情的に非常に微妙なところにいるのだが、そこをよくわかっていて、すっと引く。この性急にガツガツしないあたりが、オトナの余裕。紳士。実に素敵ではないか。
また文章が非常にうまい。会話のあとのちょっとした一文などが、心憎いほどにカッコイイのだ。極力抑えたクールな筆致のセンスの良さにほれぼれする。上質な文章を読む幸福に浸れる。
『放課後』☆☆☆(東野圭吾、講談社文庫)
ほぼ10年ほど前の乱歩賞受賞作。
舞台はある女子高。主人公は、成り行きでこの職についたという、男性教師。彼は、ここ何度か命を狙われる目にあう。そしてある日、校内の更衣室で、生徒指導の教師が毒殺されるという事件が起きる。やがて、第2の殺人が…。
著者が、密室トリックというミステリのお約束に、誠心誠意取り組んでいる姿勢に好感が持てる。文章の細部にも気を使い、非常に用意周到に、隙なく計算された緻密な構成は見事。これぞまさしく、推理小説といえるであろう。
しかし、彼の作品は、どうしてどれもこう読後感が重いのか。心にずしんとくる。故意や純然たる悪意などでなく(それもあるといえばあるが)、人間としてのどうしようもない感情から起きる悲劇。誰が悪いわけでもない。だから、なおさらやりきれない。そんな話が多いように思う。