36号                                                           2000年9月

 

 

書店員はスリップの夢を見るか?

 先日いらしたサラリーマン風のお客様。「『チボー家の人々』はありますか?僕が学生時代に読んで感動したんだけど、今子供がイジメにあって悩んでるらしいんで、この本でも読め!って渇を入れてやろうと思ってね」。おお、なかなか素敵なお父様ではないか!

 親が子供に本を薦めるというのは、意外に難しい。子供はある年齢になると、親の言うことなんてかったるくて聞いてられないし、親のほうは「本を読むとカシコくなれる」という不純な動機があるから、どうもお勉強目的の本を薦めがちである。

 でも、読書の一番の醍醐味って何だろう。それは、やっぱり「楽しさ」ではないだろうか。この現実世界より遥かに広大な空想の翼。ここではあらゆる体験をすることができるのだ。

 子供には、もっともっと、本を読む純粋な喜びを教えてあげたい。

 

今月の乱読めった斬り!

『麦の海に沈む果実』☆☆☆☆(恩田陸、講談社)

   この、なんともミステリアスで魅力的な物語をいったいどう説明したらいいのだろう。いや、説明するなんてする必要などなく、ただ「読んでみて!」と言えばいいだけかもしれない。なぜなら、この物語を読むことによって、読者がこの世界にすっぽり入り込む―この恍惚感に酔うことこそが、この本の醍醐味だと思うからだ。著者の筆によって、読者はいつのまにかずるずると本の中に引きずり込まれてゆく、そんな感覚。

 これは『三月は深き紅の淵を』の中のひとつの設定を更に膨らませた話である。ある北の湿原にぽつんとたった「青の丘」。そこにある全寮制の学園で起こる連続殺人がいちおう話の核である。出だしから、とにかく全てがミステリアス。2月の終わりにやってきた(それは学園に破滅をもたらすという噂あり)主人公の美少女、周りのファミリーと称される学友たち、男の格好をしたり女の格好をしたりする校長、学園の規則、そして殺人。なにからなにまで謎めいていて妖しげで、この現実離れした物語の雰囲気にすっかり虜にされてしまう。この設定にハマる方にはまさにツボ。犯人探しが目的のミステリとは全然違う。いつまでもこの本を読み終えたくないと願ってしまうほど。こういう独自の雰囲気をもった世界を作り出すことにかけては、いつもながら恩田陸は実に長けていると思う。

『朗読者』☆☆☆☆(ベルンハルト・シュリンク、新潮社)(ネタバレ注意!)

 ある男性の独白によるこの物語は、3章で構成されている。1章で書かれているのは、彼が15歳のときに出会った、36歳の女性との恋。彼女が全てだった青春の日々とその別れ。文学の香り漂う、感情を抑えた静かで淡々とした文章は、どこか読者の郷愁を誘う。 ここで終ればただの恋愛小説だった。が、2章でいきなり話は全く違う方向に向かう。数年後、主人公が彼女に再会したのは、法廷だったのだ。彼女はナチ時代の戦犯の被告人としてそこに立っていた。

 「戦争の際に犯した罪はどうすべきか?」私にはとても軽々しくコメントはできない。おそらくドイツの人々が読んだら、私よりはるかに衝撃を受けたであろう。まだまだ戦争の傷跡は消えない。人々の心から。この問いは、もしかすると永遠に誰も答えることはできないかもしれない。

 3章は、あまりにも切なくて、もはや何も書けない。彼の人生、彼女の人生。彼が彼女にしたこと、彼女が最後に選んだ道。それを思うと、深い感動と悲しみに言葉も出ない。表現を極力抑えた文章が、いっそう読者の感情を増幅させる。

 どうか色眼鏡なしに読んで欲しい。これは青春小説であり、戦争とは何かを読者に問う問題作であり、同時に人生を考えさせる小説である。長く読まれるべき傑作。

『まどろみ消去』☆☆☆☆(森博嗣、講談社文庫)

 やー、驚いた!森博嗣が短編ミステリの名手だったとは!(などと言っては失礼か。)こう申してはなんだが、あの犀川&萌絵シリーズより遥かにミステリしてる気が。11の短編が収められているのだが、テイストがみんな違う。あのコンビの話もあるが、そうでない短編が断然光っている。著者の力量とセンスを改めて見直してしまった。厳密にはミステリと言い切れない話もあるが、それもまたよし。

 好みでいうと、「彼女の迷宮」(これ傑作!この中ではワタクシ的ベスト1)、「真夜中の悲鳴」(ラストの一文がいい。本題にちょこっとだけ恋愛がからんでるタイプの話って好き)、「やさしい恋人へ僕から」(このオチにはやられた!ベスト2)、「キシマ先生の静かな生活」(このキシマ先生は森博嗣そのものでしょうそうでしょう!これベスト3。ミステリじゃないけど。いや、人生そのものがミステリであるという意味か?)。

 全体を通して、森博嗣が、萌絵シリーズと自分自身を皮肉ってるというか揶揄してるような雰囲気がうかがえる。彼の他の作品を読んでる読者なら、思わずくすりと笑ってしまうネタ満載。著者の新しい顔を発見したようなヨロコビ。

『天使の屍』☆☆☆1/2(貫井徳郎、角川文庫)

 おとなしく賢かった中学2年生の息子が、ある晩突然飛び降り自殺した。理由がどうしてもわからない父親は独自に調査を始めるが、同級生たちも次々と自殺を…。そして父親の前に驚愕の事実が!

 子供を持つ親としては、かなりショッキングな話。フィクションとは思えない説得力。それは社会の情勢をよく理解把握し、それを物語として組み立てることができる著者の筆力であろう。

 主人公の父親の子供に対する愛情、いまどきの中学生の冷めた感覚と自分達のみのルールを守る閉塞さ、オトナとの距離感などは実にうまく描写されている。さすがというほかない。人物を描く、という点がとにかく非常に達者なのだ、貫井徳郎は。心理描写に違和感がない。

 息子の死の真相を追い求める父の迫力に、思わずひきこまれる。彼が不屈のヒーローでなく、等身大で、人間くさいところも好感。

 ずしりと重たい読後感の一冊。

 

特集 新文庫の日本SFに注目!

  …などという特集を組むほど、私はSF通ではない。残念ながら。が、そんな薄い私でも、このところの新文庫の日本SFの元気さには目を見張るばかりである。いったい、文庫界に何が起きているのか?蓄積された知識はなくとも、新刊に出会うスタートラインは皆一緒。というわけで、大胆にも一筆書いてみようかと思う。

 出版界は、昨年あたりから、新書の新レーベルラッシュが起きている。さらに、今年に入って、文庫の新創刊も続々と続いている。ハルキホラー文庫、学研M文庫、新潮OH!文庫、などなどである。

 そんな中、今年の8月31日に、記念すべき「徳間デュアル文庫」が創刊された。「SF」という文字はついてないにしろ、この路線はどう見てもSFそのもの。本のサイズは普通の文庫より縦1センチ、幅5ミリほど大きく、イラストが豊富で字も大きく、活字離れの激しい若い読者をターゲットに作られたと思われる装丁である。

 しかもうれしいのは、上遠野浩平や三雲岳斗などの、今注目されている若手SF作家の新作を出すのみならず、今や絶版となってしまっているかつてのSF名作を、全くの新装丁で復刊させてくれていることである!

 ああ、まさか梶尾真治の不朽の名作『おもいでエマノン』が新しい文庫で再び読めることになろうとは!ここに、確かに新しい風が吹いているのを感じるのである。

 それにしても、いったい何故今、SF文庫が出てきたのであろう?前述の通り、文庫創刊ラッシュのタマのひとつということもあろう。新しいジャンルの開拓という意味で。が、文庫だけにとどまらず、徳間書店はムック「SFJAPAN」を発行したり、日本SF新人賞を創設したりと、SFに対して妙に意欲的である(笑)。これは、やはり今年の「SFセミナー2000」で、角川春樹氏が予言したとおり、「これからはSFブームが来る」という表れなのだろうか?

 さてその角川春樹氏だが、かねてよりハルキ文庫で日本SFの旧名作を続々と復刊させていたが、この9月より、書き下ろしSFの新シリーズがスタートした。こちらも高瀬彼方、妹尾ゆふ子などの若手SF作家たちである。

 このシリーズも装丁に気を配っていて、ビジュアルから手に取ってもらおうという出版社の作戦がうかがえる。徳間と同じく、やはり若い読者を狙っているようである。

 電撃文庫や、富士見ファンタジア文庫の読者を、もっと本格SFに引き込もうという目論見なのだろうか。この目のつけどころはとてもいいと思う。

 さてさて、それで、実際のところ、これらの文庫を買ってくれている読者の年齢層はどうなんだろうか。正直なところ、私はここが最も気になっている。若い人に読んでもらおうという、出版社の試みは果たして成功しているのだろうか?

 今までSFを読み続けていた、いわゆるSF大会などに参加するような年代のSFファンには、大いに歓迎され、受けているようである。もはや、書いてる著者たちも同じ世代(あるいはそれ以下!)であることだし。昔好きだったが、既に絶版になっていた本が復刊されればそれだけでもうれしいし。なにせ夢物語であったのが、現実になってしまったんだから!このあたりの、かつて日本SFが熱かった頃を知っている年代が懐かしがって、あるいはその当時のような新作ラッシュぶりを喜んで買うのはまあ予想通りと言えるであろう。

 が、私よりひとつふたつ下の世代の読者達に、この志はきちんと届いているんだろうか?願わくば「ああ、活字SFって結構面白いじゃん!」と思ってくれる読者が一人でも増えますように。次の世代に、バトンをきっちり渡すことができますように。その中から、私たちを楽しませてくれる新たな日本SF作家が現れますように!
  

 

ダイジマンのSF出たトコ勝負!

  Zero‐CONの古本即売会で売り捌かれたオソロシイ量の各種雑誌の所に、「雑誌は情報の宝庫」というキャッチコピーが貼り出されてたの、参加された方気付きました? これはもう、正にその通り!で、ぼくも雑誌の類いは、なるべく入手するよう心掛けている。まあそうは言っても、500冊以上ある〈SFマガジン〉を全て揃えようという、人として誰もが当然持つべき意気込みに(今はまだ)欠けていたりするのはナンだけど、物理的な迫力はそーとー脅威なので(今はまだ)致し方あるまい。

 でも、専門誌以外によるSF特集号の場合は、ピンポイントで探さねばならないため、チャンスは逃さずゲットするようにしている。ま、中にはガッカリするような薄味の物もあったりするけど、SFのバラエティに富んだ切り口や遊びが味わえるのが魅力だ。

 通常、レギュラーページとの兼ね合いあっての特集が、SFにフルページの完全特集。しかもブームにあやかったお手軽な内容などと無縁の、飛び抜けた充実度を示した異色の雑誌が存在した。そう、〈ソヴェート文学〉に注目だ!

 早速22号(1968年11‐12月号)を見てみよう。アレクサンドル・ベリャーエフ「ワグナー教授の発明」、イワン・エフレーモフ「ギリシャの謎」ほか、エムツォフ&パルノフ、イリヤ・ワルシャーフスキイら全7篇を収録。エフレーモフの「『アンドロメダ星雲』への道」や、ストゥルガーツキイ兄弟との対話「科学的予言の道」など、未だ紹介の機会少ないロシア・ソビエトSFの、貴重な4本のエッセイの部「作家は語る」も併録。意外とも言える豪華さに、あなたはきっと目を見張るだろう。そしてこの特集号は、幸運にも、ほんの前触れに過ぎなかったのだ。

 〈ソヴェート文学〉はSF特集を、27号(69年10月号)で第2回目、第3回目は34号(71年1月号)と、快調なペースで送り出していく。

 27号は5篇収録。34号には短篇7篇のほか、エフレーモフ・インタビュー「SF文学を考える」を揃える。だが何と言っても興味を惹くのが、国際SFシンポジウム(1970年)に来日した旧ソ連代表団の一員、ワシーリイ・ザハールチェンコおよびエレメイ・パルノフによる報告だろう。

 代表団メンバーは帰国後、作家同盟において報告演説を行い、〈文学新聞〉紙上に全部の基本的報告を掲載。さらに、ザハールチェンコが編集を務める雑誌〈技術青年〉(発行部数180万)の71年第1号は、全号あげて国際SFシンポジウムを特集(!)したという。

 第4回目は、45号(73年夏号)で。

 この号は262ページと、以前の特集号の倍はある大冊となっている。原因はひとえに、ストルガーツキイ兄弟の長編『リットル・マン』(深見弾訳)400枚一挙掲載ゆえであり、過半を占める。

 それにしても、このパッと見ウサン臭げ(笑)な〈ソヴェート文学〉とは、一体全体どんな雑誌なのか? 誌名や作家名の表記は、原音主義からなのだろうか。「本誌ソヴェート文学は、多民族ソヴェート文学の、多様で豊かな稔りを広くわが国読者に紹介することを目ざしています。」(27号「編集部から」)の言葉通り、毎回特集主義を貫き、旧ソ連邦のありとあらゆる文学の諸相を取り上げている。

 なにしろ、志が違う。最初のSF特集である22号の編集後記に、「つねにソヴェート文学の最新の成果の紹介を心がけてきた本誌では、この新しいゆたかな未来をもつ文学のジャンルへのアプローチのいみで、このソヴェートSF特集を企画した。」「もとよりこの初めてのささやかな特集でソヴェートSF全体を紹介しえたとうぬぼれるつもりはないが、(中略)独自の世界をきずきつつあるこの国のSFの現状の、一端なりとお伝えできたものと思う。」と述べられている通り、ある種の使命感に似たものさえ感じられる。

 また、4号全てに翻訳で登場の深見弾より、絶大な援助があった旨記されているのも見逃せない。

 〈ソヴェート文学〉自体は、ぼくのような細切れでしか見ていない者には、謎な部分も多い。やたらと発行元が変わった雑誌で、22・27号は創刊以来の理想社から。34号はソヴェート文学日本発行所からで、45号は東宣出版に移行している。但し、この両社は実質同じ系列である。でも35号(71年3‐4月号)を見ると、印刷所に過ぎなかった東銀座印刷出版が発行元も兼ねる旨お知らせしていたり、もうワケが分からない。

 また、創刊は64年11月(季刊でスタート)なのだが、それ以前に少なくとも5冊、ほとんど同体裁(帯が付く)の〈ソヴェート文学〉が刊行されているのもナゾだ。一貫して編集を担ったソヴェート文学研究会(代表/黒田辰男)が、初期には早稲田大学文学部内に設置されていたことから、この創刊以前号は研究室の機関誌として、発表の場となっていたとも考えられる。しかし、こちらもやはり理想社が発行所となってるのだった。

 終刊は確か、ぴったり100号。その間際の98号(1987年1月、群像社)を〈ソヴェート文学〉は5度目のSF特集に充て、再び大輪の華を咲かせ飾ったのだった。

 ストルガーツキイ兄弟の中篇「火星人第二の来襲」を始め、全6篇。SF画の紹介や対論もあり、現代的な編集では随一の出来。ぼくはこの号を、群像社に注文して取り寄せた。5〜6年前の話だけどネ。

 そこはかとないイデオロギー的感触も皆無ではないが、以上5冊のSF特集号は、ロシアSFというマイナーさに加え、媒体の入手困難さともあいまち、ファン必携の即買いオススメ品なのだ!!

 

あとがき

 9月初旬はあんなに暑かったのに、もうすっかり秋らしくなりました。一番気温の差が激しい月。虫の声が涼しさを奏でます。読書には最高の季節ですね。(安田ママ)


バックナンバーを読む