『本の業界 真空とびひざ蹴り』☆☆☆☆1/2 本の雑誌編集部 (本の雑誌社、01年6月刊)
「真空とびひざ蹴り」とは、ご存知の方も多いと思うが、ずっと長いこと「本の雑誌」の巻頭を飾っていた名物コラムである。2001年2月号をもって、目黒考二氏が発行人を降りることになり、この連載もついに幕を閉じることとなった。このコラムの長年のファンとしては非常に残念である。その連載をまとめたのが本書である。
改めてまとめて25年分を一気に読んだわけだが、なんというか非常に感動してしまった。いいこと書いてあるのよ、ホント。ここに書かれている業界への言葉は、どこをとっても実に深く、ずっしりと現実的重みがある。そして何より、あふれるまでの本(やその周辺の人間)への愛がある。この帯にあるように、「本を愛するすべての人へ!」あてて書かれている。出版界における問題点を、こんなにぐっさり書いた本は、いまだかつてないのではなかろうか。
書店について、お客について、編集者について、ベスト10について、さらには図書館、古本屋、サン・ジョルディの日までと、本当に本の周辺のありとあらゆることが、多岐にわたって俎上に乗せられている。「ああ、そんなこと昔あったねえ、懐かしいなあ」というネタもあれば、「これ、今でも全然変わってないなあ」というネタもある。「ああっ、すみませんすみません〜」と、本書に平謝りしたくなる、書店員叱咤の話もある。が、書店員支援のほうが圧倒的に多くとりあげられていて、感涙モノ。ああ、よくぞ言ってくださった!と快哉を叫びたい話も幾つかある。今更ながら、目からウロコの落ちることもいっぱいあった。
私達は、やはりこの時代の速度や出版洪水に流されて、何かとても大切なものを見失っている気がする。それを、はっと思い出させてくれるのがこの本だ。とにかくここに書かれてる意見の全てが、実に健全でまっとうなのだ。それは、本書がどこかエラソウに業界を見下した意見ではないからだ。そうではなく、逆に業界を支える底辺である読者側から、本を愛する一個人として、この業界への素朴で率直な疑問と、心からのエールが発信されているからだ。だからこそ、激しく強く共感を呼ぶのである。
本を愛する一般読書人はもちろんのこと、全ての業界人に真摯な気持ちで読んで欲しい1冊。これを読まずに、ここ4半世紀の出版界を語るなかれ。もちろん、「本の雑誌」を一度も読んだことのない方でもオッケーですよ!
『鳥の歌いまは絶え』☆☆☆☆ ケイト・ウイルヘルム(サンリオSF文庫、82年7月刊)
kashibaさん@猟奇の鉄人の感想(2000年10月5日)を読んで以来、ずっと気になっていた本。やっと人からお借りして、読むことができた。現在の入手はかなり困難で、古書価も高いらしい。が、それだけの価値に見合う名作、傑作といっていいと思う。
近未来。人間の環境破壊や放射能汚染により、地球上のあらゆる生物は滅びかけていた。人間もまたしかり。人口は減りつづけ、さらに加速度を増すばかり。ついに、デヴィッドの一族は、とある谷で病院を建設し、そこで禁断の実験を開始する…。
美しくも淡々とした描写は、穏やかにゆっくりと悲劇へ向かっていく。が、その中に描かれるのは男女の愛、親子の愛、そして何より他者への愛だ。自分と他人は違うということ。だからこそどの人間もいとおしい存在であるということ。この小説は他にも非常にいろんな問題を提示しているが、私にはこのアイデンティティの問題が最も印象的であった。それはつまり、著者自身の、人間への愛だといってもいいのではないだろうか。
環境の激変した地球で、残された人々が小さな谷でひっそりと暮らすという設定は、どこか「風の谷のナウシカ」を連想させる。どこか悲しい、ふうっと溜め息が出るような読後感も少し似ている。が、○○○○が出てくるところが、この物語をややSF色の強いものにしている(先に述べたアイデンティティの問題も、ここから発生している)。けれど、「SF」と身構えて読む必要は全くない。「ナウシカ」が多くの人にごく自然に受け入れられているように。
豊饒な文章と、深みのある物語に惹き込まれる。ここには、SFに限らずあらゆる小説の醍醐味が含まれている。「物語」を愛する人なら、誰もがこの壮大なスケールの物語には満足の溜め息をつくであろう。出版以来、こんなに長い時を経ていても、今なお全く色褪せていない、そしてこれからも色褪せることのないであろう傑作。
『9つの殺人メルヘン』☆☆☆1/2 鯨統一郎 光文社カッパノベルス(01年、6月刊)
グリム童話になぞらえて解かれる、9つの殺人事件。『邪馬台国はどこですか?』(創元推理文庫)をほうふつとさせる、軽妙なミステリ短篇集。やっぱ、こういう路線が鯨さんらしくていいと思うなあ。鯨さんというジャンルとして、確立させましょうよ!(と勝手なことを言ってみたり)
とある日本酒バーでの、客たちとマスターのたあいないおしゃべりが、客のひとりである美女にかかるといつのまにかグリム童話の新解釈を使った、あっと驚くアリバイ崩しに。有栖川有栖の裏表紙の解説によると、有栖川氏がある小説の中で、アリバイ・トリックを9つのパターンに分類したことがあり(なんていう本?ご存知の方はご一報を!)、鯨氏は本書でその全てのパターンを並べることに挑戦したそうな。なーるほど、そういう実験小説でもあったのね。
本筋には関係ないけど、なにげに挿入されたマニアックな懐かしアニメや映画やテレビ番組の話がまたおかしいのだ。30代後半〜40代くらいの方なら笑えること確実(私はほとんどわからなかったんだけど)。
肩の力を抜いて軽〜く読める、ミステリ短篇集。軽妙で飄々とした味わいの鯨ミステリをお楽しみください。そうねえ、呑んべえの方は傍らにお酒も用意して読むともっと楽しめるのではないでしょうか(笑)。
『ぬかるんでから』☆☆☆ 佐藤哲也 文芸春秋(01年、5月刊)
う〜ん、これはどう解釈すればいいのだろう?幻想小説?SF?ファンタジー?ワタクシ的には、「本の雑誌」8月号の「新刊めったくたガイド」で大森望氏が書いていた、「超常小説」という言い回しが一番近いだろうか。そう、椎名誠の『水域』とかの感覚に近い。
13の短篇が収録されている。はあ、なんというか、常識を超えている。むちゃくちゃ。ああ、そうだなあ、明け方にみた奇妙でイヤ〜な悪夢を小説に仕立てたような、といってもいいのかもしれない。とにかくブッ飛んでいる。「やもりのかば」なんてアナタ、でっかいかばが天井にやもりのように張り付いたまま住んでいるんですよ(笑)。なんともいえず怖い話も多い。人間大のキリギリスはとてつもなく怖いです…。
ただ、筆致は至って真面目。ふざけてない。非常に文章のうまい方という印象を受ける。センテンスが短いのも特徴。たたみかけるような、それでいて冷静な文体が、その異様な情景や主人公の不安感を際立たせる。
一番好きな話は「春の訪れ」。妻が出てくる短篇はどれもすごくいい味。愛がある。「ぬかるんでから」や「記念樹」も傑作。「とかげまいり」は…あれも愛、ですよね?(笑)
万人向けの、誰もが面白いと思ってくれる本とは言わないが、シーナ的超常小説がオッケーな方ならぜひ。
『インターネット的』☆☆☆☆ 糸井重里(PHP新書、01.7月刊)
糸井重里といえば、あの「ほぼ日刊イトイ新聞」で驚異的なアクセス数(1日35万!)を誇るお方。今、ネットについて最も的確な意見を述べられる人といったら彼しかいないだろう!と思ってたら、どんぴしゃ。ネット者には、この本、大いに共感できること間違いナシ。なぜなら、これはあのうさんくさいeビジネスだとかIT関連みたいなインターネットの本ではなく、ずばりそのコンテンツについて書かれているからだ。そうなの、私たちがやってるのはそういうことなのよね、イトイさん!世の中のネットの何たるかを介さない人々に、この面白さを理解できない人々に、もうどんどん言ってやってクダサイ!(笑)
ここには、「インターネットってつまるところナニ?」ってことが書かれている。今までは、インターネットってのは、コンピュータとかデジタルとかとごっちゃになった切り口で語られていた、と著者は言う。でも、ネットってのは単なる通信の道具、商売の道具じゃないのだ。人と人をつなぐもの、「人の思いが楽々と自由に無限に開放されてゆく空間」なのだ。これを著者は「インターネット的」と表現しており、もはや、こういった情報社会に生きている私達の考え方や生き方までもが「インターネット的」になってきていると述べている。
著者は、「インターネット的」という言葉を、3つのキーワードで説明している。「リンク」と「フラット」と「シェア」。これもネット者としては、実にわかりやすく納得できる考え方だ。「リンク」はいうまでもなく、「フラット」はハンドルネームなどで肩書きをはずし、誰もが平らな位置で語れるということ。「シェア」は無償で情報を交換しあうことにより、楽しいことを共有しましょう、ということ。おいしいものは皆で一緒に食べたほうが楽しいよね、と。
著者はインターネットの登場により、社会そのものが変革していってると述べる。更には思考法、表現法、マーケティングや消費についてまで。彼は、インターネットから発生した「インターネット的」なものの考え方いっさいがっさいを曖昧で未完成なまま、全部ひっくるめて前向きに肯定している。そこにとても好感を持った。ネットには確かに悪意も存在するけれど、それを大きく上回る、無償の善意や好意といったものが存在するということを、「ほぼ日」によって彼はいやというほどよくわかっているのだ。
器(情報を載せて届けるお皿>ネットのしくみ)のことについての本はいっぱいあるけど、料理(人間の生み出す情報そのもの>コンテンツ)についての本はあまりない、と著者は言う。そのとおりだと思う。その意味で、この本は画期的である。ネット者の方にも、そうでない方にも、多くの方に読まれて欲しい本だ。
『ほぼ日刊イトイ新聞の本』☆☆☆☆ 糸井重里(講談社、01.4月刊)
上記の『インターネット的』とだいぶネタがかぶってるが、こちらも非常に面白い。まさに「ほぼ日」ができるまでとその後の話なのだが、サイトを立ち上げる時のわくわく感が実によく書けている。ああ、その気持ちよくわかるよくわかる!さすがにやることのスケールは違うけど、そのサイトにかける熱い思いは、私たちと全く同じだ。毎日更新を継続するしんどさも(やっぱり彼もひどい睡眠不足に悩まされている。おお、同志よ!^^)。こんなに大変な苦労をしてるのに、1銭も儲かっていないことも。そして、そんなにキツいのに、楽しくて楽しくて仕方ない、というところも。
『インターネット的』と違い、時系列で書かれているので、彼の気持ちや考え方の変化もよくわかって興味深い。これはまさに「ほぼ日」誕生記&成長記なので、こういう本を書いておくことは、後でとても意義あることではないか、とちょっと思った。さあ、今後、「ほぼ日」がどこに行くのか。それがとても楽しみだ。「ほぼ日」に一度もアクセスしてない方でも、じゅうぶん楽しめる1冊。