第15号                                        1998年12月

Merry christmas!

書店員はスリップの夢を見るか?

 先日、うちの店の近く(といってもふた駅離れてるが)に大きな書店がオープンした。できる前からだいぶ噂になっていて、近隣の書店の不安をあおっていたのだが、予想通り開店するや周りの書店はいっせいに影響を受けた。

 そもそも、その駅の周辺は、ざっと数えただけでもそこそこの大きさの書店が5つもあるのだ。なのに、そこに更に進出するのに一体なんの利点があるのだろうか。ただでさえ今厳しいこの業界に乱入してきても、パイを食い合うだけで何のメリットもないような気がするのだが。

 それに比べて、地方の書店の少なさには愕然としてしまう。経営にいきづまって店をたたむ書店が後をたたないと聞く。本が欲しいのに近くに売ってないという読者の嘆きの声をネットでよく耳にする。首都圏への本の一極集中には、なにか理不尽なものを感じてしまう。

今月の乱読めった斬り!

『クロスファイア』☆☆☆☆☆(宮部みゆき、光文社)

 文句なしに、今年の私のベスト2!これぞエンターテイメントである!
 これは、以前に刊行された『鳩笛草』の中の「燔祭」という作品の続編である。この作品に登場した、青木淳子という、強力な念力放火能力を持った若く美しいOLが主人公である。超能力ものサスペンスといったストーリーなのである。

 ある日、彼女は凶悪な殺人を犯した若者たちに偶然遭遇し、彼らを自らの能力を使って処刑≠キる。やがて彼女は、「正義」という大義名分のもとにより、処刑を繰り返してゆく。

 彼女は悩む。私は本当に正しいことをしているのか?確かに、彼女が死に追いやった彼等は、世の中のためには抹殺すべき極悪人だ。だが、私の標的選びに間違いはないのだろうか?彼女の持つ力は一個の人間が持つには大きすぎて、だんだん暴走してゆく。やがて、彼女の能力を知った「ガーディアン」という必殺仕事人のような組織が、彼女を勧誘しはじめる。そして物語は一気に悲劇へと向かってゆく。

 正義ゆえの殺戮を繰り返した彼女は、はたして正しかったのか?「ガーディアン」のしていることは正しいのか?宮部みゆきは、読者に大きな疑問を投げかける。これは読者それぞれに判断の分かれるところであろう。ぜひ、あなた自身で考えて頂きたい。(著者は物語の最後にいかにも彼女らしい答えを明かしている。)

 大きな力を持ったがゆえにあちこちを転々とし、友人も恋人もつくらず、ひたすら目立たないようにひっそりと一人で生きていた、ヒロインが悲しすぎて泣ける。彼女の人生こそが、一瞬にして燃えた炎のようであった。

『ビフォア・ラン』☆☆☆☆(重松清、幻冬舎文庫)

 『ナイフ』で一躍有名になった、重松清の幻のデビュー作。

 主人公、優は余りにも自分が平凡過ぎる高校生だと思い、自分でトラウマを作ることを思いつく。友人をまきこんで、ノイローゼで休学していたまゆみという同級生が、自分達のせいで自殺したというトラウマを作ってしまうのだ。

 そこまではよかったのだが、そのまゆみが別人のように明るい女の子となって突然彼らの目の前に現れたところから、話はややこしくなっていく。まゆみは、かつて暗い女の子だった現実を、自分が明るく、友人も恋人もいたという妄想とすりかえていたのだ。

 嘘と現実が交差する。現実から逃げ、嘘に飲みこまれようとする者。逃げないで現実に向き合わなければだめだという者。不器用だが真剣な彼らの葛藤がじんとくる。

 青春というちょっと照れくさいものを、作者は真っ正面からとらえていて好感が持てる。悩みや苦しみを、優しい筆致でユーモラスに描いている。暖かな涙を誘う、すがすがしい小説だった。

『月曜日の水玉模様』☆☆☆(加納朋子、集英社)

 どこの会社にでもいそうな、中堅どころの一般事務職OL、陶子が探偵役。彼女を主人公に、月曜から日曜までの7本の連作になっている。

 陶子はひょんな事件から、決まって月曜日には水玉模様のネクタイを締めているサラリーマンと顔見知りになる。陶子を気に入った彼は、以来なにかと彼女の周りに出没する。彼女に恋するワトソン役。

 いかにも「日常の謎」派らしい、ミステリである。何気ない日常の中にある、気がつかなければそれきりになってしまうような、小さな謎。陶子は、そんな謎を見つけ、考え、思いもかけない解答を導き出してゆく。

  軽く読めてそれなりに面白いのだが、うーん、人物がどれもちょっと薄いかな。「ああ、この気持ちわかる!」といった、痛切に共感できるところがなかった気がする。もう少し人物を掘り下げたら、もっと面白いものになったかも。

『不安な童話』☆☆☆1/2(恩田陸、祥伝社)

 これは彼女の作品の中では、だいぶ本格ミステリの色合いの濃いものである。ミステリなのに、ほとんど感性で書いてるとこが、いかにも彼女の作風。

 25年前に殺された、若く美しい才能あふれる女性画家、高槻倫子。
 彼女の遺作展で、主人公万由子は強烈なデジャヴに襲われ、倒れる。翌日、彼女と先生のところに、倫子の息子である秒が訪れ、あなたは母の生まれ変わりだと告げる。そして、母の死んだ時の状況を思い出してほしいと懇願する。

 倫子の遺言で、秒と万由子と先生は、倫子の4人の知人に彼女の絵を渡すことになる。どうも、殺人犯はこの中にいるようなのだ。万由子には昔から、他人の頭の中の引出しを開けてみることができる能力があり、彼女は途中、頭の中にさまざまな光景を見る。(文中に、唐突にゴシック体の太文字で書かれた光景が、けっこうこわい。)やがて、少しずつ真実が見え始める…。

 生まれ変わり、超能力など、けっこういろいろなモチーフが入っているのに、破綻なくうまくまとめてある。物語の設定のうまさ、人をぐいぐいストーリーに引きこむ力はさすが。謎解きの仕掛けもきちんとしていて、ミステリ的にも及第点。

 が、やはり恩田陸らしいなと思うのは、最後の余韻の残し方。万由子は本当に生まれ変わりだったのか、それとも?という答えを明瞭にしないまま、終わってるところに彼女らしさがうかがえる。

このコミックがいい!

 『ののちゃん』@〜D(いしいひさいち、チャンネルゼロ)

 ご存知、朝日新聞朝刊連載中の4コママンガ。私はこの前の「フジ三太郎」がとても好きだったので、いしいひさいちのどことなく関西系のノリには最初は非常に違和感があった。

 が、人間慣れれば慣れるものである。今やすっかり、ののちゃんの大ファン。もう、出てくる登場人物全員大好き!この、限りなく怠惰でいいかげんな人々の、あっけらかんとした明るさを見よ!
 家事、宿題、その他もろもろやらねばならない面倒な事どもを、いかにかわしてラクして過ごすかということに全精力を傾け、でも失敗する彼ら。この極端さがたまらなくおかしい。読んでいると、肩の力がふっと抜ける。

 とりわけ傑作なキャラクターが、ののちゃんの担任の藤原先生。彼女を主人公にした『女には向かない職業』(東京創元社)も超オススメ!人間、こんなに自堕落でもいいのね、という格好の見本。といっても、ホントにこの通りにしたら友人なくすかも。でも彼女、ケッコンしたのよね、この間。

今月の特集

大島弓子 Part1

 中学2年の時だったと思う。友人に、「きっとこれ、好きだと思うよ」とすすめられて読んだ『綿の国星』。見事にハマりました!以来、大島弓子の作品はほとんど読んだ。どれも、あんまり繰り返し何度も読んだので、本の痛みが激しく、将来が不安なほどである。

 細い線でふわふわと描かれた、現実と空想の間を自由に飛びかう登場人物達。ふとしたセリフの美しさ、鋭さ。それは、同じく現実より空想に侵食されている繊細な10代の少女に見事にシンクロした。

 今はもうだいぶあの頃の感受性とは違ってしまっているが、85年までの作品の中で特に好きだったものを紹介しようと思う。
 どの話もみな良いので、絞るのはとても苦しいのだが、読み返した頻度の多いものから書いて見よう。

☆『バナナブレッドのプティング』(集英社ほか)

 押しも押されぬ、大島弓子の代表作。純な子供の心を持ち続けているため、どこか周りとズレている女子高生、衣良。石けりに負けたため、親友の兄、峠と擬似結婚することになる。面食らう峠だが、衣良の純粋さに触れ、やがて二人は自らの想いに気付く…。

 人物それぞれの、誰かを思う切ない気持ちが交差する。さまざまな人間心理が入っていて、読めば読むほど味が出る、とても深い作品。
 個人的には、ばらのしげみのエピソードが印象的で、今でもなにかにつけ思い出す。

☆『F式蘭丸』(小学館文庫ほか)

 母の再婚話から、現実の男性に嫌悪感を感じるよき子。彼女は、空想の恋人蘭丸を創り出し、彼との一人遊びにふけるが…。

 思春期の女の子にありがちの男性嫌悪と、それが自然に消えてゆくまでの少女の成長を描いた傑作。大人と子供の間を揺れ動く、多感な少女の気持ちが実によく描けていて、共感できた。
 空想と現実をミックスした手法が非常に独特で素晴らしい。この味は、彼女にしか出せないと思う。

☆『10月はふたつある』(同右)

 酒場で泥酔した長子は、ある男性のアパートで目覚める。彼は、新しく赴任した教師だった。鏡の中や逆立ちした風景の、もうひとつの世界に憧れる長子に、彼は言う。「きみが望むなら、光り輝くもうひとつの10月に連れて行こう」。が、彼女は結局この教師ではなく、ボーイフレンドを選んだのだった。

 「違う世界に行ってしまいたい」誰もが、一度はこう思ったことがあるのではないだろうか。現実と夢、作者は主人公と読者に選択を迫る。だが、作者はやっぱり現実の方がいいよ、と語りかける。それはこの話に限らず、すべての彼女の作品の中に含まれるテーマである。(「金髪の草原」など)

☆「パスカルの群れ」(朝日ソノラマ)

 高校生公平は、年下の男子生徒を好きになってしまう。それに気付いた父は、なんとか息子をまっとうにしようと、親友の女の子を同居させるが…。

 公平の恋心がとにかくけなげ。決してゲイというわけではなく、彼も自分の気持ちが何なのか悩む。
 著者は恋をするのに相手の男女の区別はない、と表現している(これも彼女の繰り返し出されるテーマ。「いたい棘いたくない棘」もそう)。恋の本質をストレートに描いた作品。「なんであこがれるんだろう」に続くセリフは傑作。

☆「夏のおわりのト短調」(白泉社)

 古い洋館に住む、理想的な叔母の家庭。そこに下宿することになった受験生の主人公、袂のひと夏のエピソードである。
 しばらく暮すうちに、彼女はこの家の住人がみなうわべだけ幸福な家庭を装っていることを見ぬく。彼女の出現により、やがて一家は崩壊してゆく…。

 恋愛ものではない、大島弓子らしさの味わえる作品。これも名セリフ、名シーン多し。

ダイジマンのSF出たトコ勝負!

 『アメージング・ストーリーズ日本語版』後編に突入!心臓の弱い方はご注意ください(ウソ)。
 で、繰り返すけどこれは半世紀前の叢書である。時の奔流に抗うことは困難だ。明白な事実も、一度時代に埋もれてしまえば謎めいた遺跡のように…。今回はそのひとつ、「帯」の謎に鋭く迫る!
 そもそもこの叢書に帯があること自体、知る人は少ない。が、事実、帯は存在する。本当だ。

 「1960年の怪奇!そしてスリル!!」というオドロ文字のコピーが、まさにレトロ・フューチャー。なんだかなあ。でも半世紀後のノストラダムス本は、もっと恥ずかしいに違いない(笑)。帯の裏面には

 香山滋氏評  専門の探偵小説叢書が続々刊行されて、探偵小説の鬼を喜ばせている中に、びつくりするような叢書が出現した。誠文堂新光社発行の、その名のとおり目をみはらせる“アメージング・ストーリーズ”である。図拔けてスケールが大きく、無茶苦茶に面白い。人間の頭腦が生産しうる極限のもののみで構成されている突拍子もない物語集である。読めば浮世の勞苦は立ちどころに吹き飛ぶこと請合い。−東京日日新聞より−

という引用記事の推薦文がある。横田順彌『日本SFこてん古典』にも登場する引用だが、竹内博の編による大労作『香山滋書誌』によれば、1950年5月11日の書評「アメージング・ストーリーズ」からの一部抜粋で、全巻の帯に掲載されたとある。でも待ってくれ、ちょっと変だと思わないか?書評の推薦文が「全巻」に??

 1〜3集の奥付は4月10日、実際の発売はそれより早いだろう。新聞より前なのだ。5月31日の4集も、スベリ込みで書評以前に出ていた可能性がある。まあ書評にも準備期間が必要だから、内容については3集までが対象と考えるのが妥当だけど、これを帯にするのって可能だろうか?ところがこの香山滋の推薦文を掲載した帯が、第1集こそ欠けてるけど現に手元にあるんだな。ウ〜ンやはり全巻というのは本当だったのだ。

 となればもう、「あと帯」だと考えるしかない。コノ帯ハ何時掛ケラレタノカ、という新たな謎が急浮上、問題の焦点がシフトする。第4集はキビシイが、第5集以降なら発売時から帯付きということも可能で、既刊分もその時に揃えた、と考えるのがまあ普通。

 だけど…。こればっかりはリアルタイムで知らない以上、どうにも調べようが無い。迷宮入り(笑)かとあきらめていたが、思わぬ所から解決の糸口を発見した。今回の特集のために本をパラパラッとしていたら、“?”なことに気が付いたのだ。やがて“??”が“!”に…ってこれじゃ何のコトだか分からん(笑)。いや、つまりはこうだ。背表紙を眺めていて“あれっ”と思った。第1集だけ背が高い。1ミリ半ほどに過ぎないが、他が揃っている中で確実にこの巻だけ背が高いのだ。

 もうお解りだろう。他の帯の付いているものは、一度返品され、小口を研磨した後に再出荷された商品なのである。おそらく第5〜7集の帯も、新刊時ではなく再出荷の際に掛けられたと見て、まず間違いないだろう。だとすれば当時次巻を待ち侘びていたような、読み捨てにしない熱心な読者たちは逆に帯付きを持っていないことになる。「あと帯」ならばその古書的な価値には疑問もあるが、ベテランの古書店主何人もが「ほとんど見たことがない」と言うほどの希少性に、これで納得がいく。

 あまりに売れず挫折した叢書ではあるが、当たり前でも販売拡大のための営業的努力もせず手をこまねいていた訳ではなかったのだ。その事実に、ぼくは胸を熱くする。

あとがき

  11月に引っ越しをしました。本に埋もれまくった部屋から、やっと少し空間のある部屋に。でも、またいつのまにか増殖しそう。気をつけなくちゃ。(安田ママ)