26号 1999年11月
![]() |
|
|
|
☆『雑草物語』(角川書店)
お久しぶりの新刊は、短編小説やインタビューなどが入った、かなりお得な一冊。ちゃんとしたマンガはこれ一作だけだが。
雑草のようにたくましく、ビンボー生活をしているカップル。が、彼女のほうがいきなり二千億円(!)を相続することになる。周囲の豹変ぶりに翻弄されるふたり…。
心暖まる結末がいかにも大島弓子らしくて、ホッとさせられる。彼女は豪邸で暮らす生活より、豆を煮たり、野生の木苺でジャムを作ったりする生活を選んだのだ。
そのイキイキした表情は、人間にとって大切なものは何か?人はなんのために生きるのか?という問いへの大島さんなりの答えを示しているように思う。
|
|
お昼頃に到着した徳島空港から、会場の北島町立図書館・創世ホールへ直行。しばらくして、小浜徹也&三村美衣ご夫妻と合流する。四国行きを思い立ち、真っ先にアドバイスを乞うたのが、もちろんこのお二人。小浜さんは地元の藍住町出身なので、ご両親もいらっしゃってました。後に小西さんから、その裏で心暖まる逸話があったことを伺うが、それはまた別の話だ。そうそう、紹介が遅れたけど、小西さんこと小西昌幸こそ、『JU通信◎復刻版』から今度の講演会までをプロデュースした方である。お忙しい中、いろいろとお世話になってしまいました。その他にも、後援の古典SF研究会から藤元直樹さん(〈未来趣味〉編集発行人)や、セミナーなどでご一緒させていただく桐山芳男さんというおなじみの方々に加え、青心社社長の青木治道さんも来場。
北島町長および海野十三の会事務局長による講師紹介の後、講演会が始まる。以下箇条書きにて。
☆徳島へは3回目。2年前の広島での「あきこん」後と、37年前に筒井康隆・豊田有恒ら5人で、海野の記念碑建立時に来た。
★ここ数年、SFに関する思い出話をしろという要請が多い。星新一・小松左京についてや、アニメ(タツノコプロ)のSF考証時代についての話など。
☆SFとはどんなものか。皆さんの中に、『スター・ウォーズ』とか『インデペンデンス・デイ』をご覧になったことが無い方はいらっしゃいますか? SFとは、ああいったものです。
★『2001年宇宙の旅』の結末がわからないというファンも多いが、私に言わせれば、あれ程わかりやすい映画はない。
☆「SFの浸透と拡散」(筒井康隆)から、SFの状況論。
★東海村臨界事故から、SFは科学啓蒙に役立つのか。
☆SF界でのファンの役割。
★SFを築いた人たち。暦史を追って、まずはメアリー・シェリー。
☆2人の巨人、ヴェルヌの科学文明謳歌もウェルズの文明批評も、共に何か、今のSFの本質というものにぶち当たっていない気がする。これ、遊離しているのです。怪奇幻想の機械の怖さみたいな恐怖文学みたいなものと、そういう融合がまだ成されていない気がする。本物のSFを掴んでいないという点で「SF前期」と言いたい。
★ガーンズバックと同時代のE・R・バローズあたりから、スペース・オペラの時代が始まる。安っぽい西部劇をそのまま宇宙に持ち出したようなもので、悪く言えばミソクソ一緒の冒険活劇でありましたが、ここで古来の恐怖・冒険・怪奇といったものと、科学文明に対する態度というものが見事に混ぜ合わさって、そこで現代のSFが誕生する。50年代を代表する、クラーク、アジモフ、ブラッドベリ、それからハインラインといった作家たちの本物のSF″というものは、そこから生まれて来たのです。
☆どうもSFというものは、アメリカ・イギリス的なものらしい。
★押川春浪から海野十三へ。本物のSFを日本で一番最初に書いたのは、海野十三さんでしたね。
☆1950年に誠文堂新光社から『アメ―ジング・ストーリーズ日本語版』が出たが、惨憺たる失敗に終わり、やがて〈星雲〉という雑誌が1954年に生まれるんですが、なんか1号でおしまい。1955年頃に元々社シリーズが出まして(注:元々社は1956年)、これはある程度売れるんですが、親会社が潰れたとかでツブレました。こうしてSFは、ひとつの暗黒時代に入るんですねえ。
★私、実はその頃SFを書き始めたんです。大下宇陀児さんとか北村小松さんに原稿見て頂いて、みんな褒めて下さって、雨後のタケノコの如く次々に出た薄っぺらな雑誌に推薦して頂くんですが、その会社が潰れるんですよね。それでとうとうデビューし損ないまして、自分の作品が活字になる前にスランプに陥ったみたいで(笑)、自分では創作は断念してしまったような所がございました。
☆1956年に「日本空飛ぶ円盤研究会」というものがあるのを知りまして、会合に出てみたら、そこが好事家の集まりだったのです。
★そこでSFの同人誌を出してみようと、みんなで集まればなんか出来るんじゃないかと、声を掛けてみると、真っ先に名乗り出てくれたのが星新一さんでした。そして円盤の会や、文通で知り合った人たち20人位で〈宇宙塵〉が始まるのです。…
その後、場内は暗くなり、柴野さん秘蔵のスライドと共に、会員たちの紹介が始まる。星、光瀬、矢野、小松、筒井…と続く、総勢30人を超えるスライド上映。柴野さんがそれぞれに関するコメントを加えていくんだけど、その間に何度か「この人は〈宇宙塵〉には書いていません」とか挟まるのが、妙にオカシイ(笑)。
海外編として、1968年のサン・フランシスコで開催された、世界SF大会「ベイコン」に招待された時の写真も公開。こちらも著名作家・ファンが十数名登場したが、個人的に「おおっ」と思ったのが、キャンベルにハミルトン&ブラケット、ウォルハイムあたりかな。ヴァン・ヴォクトの紹介で会場が湧いたことは口外無用だ(笑)。
そのほか、世界SF大会での日本SF紹介企画の模様や、大会の華マスカレード(仮装)、及び日本SF大会の数々の写真がズラリ。第1回大会「メグコン」唯一のカラー写真などなど。「日本ではどうもアメリカと違って、マスカレードはあんまり盛んじゃないけど、代わりにアメリカには無いクイズの伝統がある」とのご指摘。おお、ナルホド確かに!
1977年の「宇宙塵20周年を祝う会」(コズミコン)のスライドでは、柴野さん思わず「ああ、これは最近の写真ですね」。…えっと、決してそうとばかりも言えないのではないかと…(笑)。
柴野さんが常に自問しておられる、「SFファン活動は、ホビーかウェイ・オブ・ライフか?」という命題など話は全く尽きないのだが、時間が押し迫ってここらで終了。
ロビーで柴野幸子さん、小浜さん、三村さん、桐山さん、藤元さんらと談笑する途中、ちょっと抜けて、柴野さんのサイン会にそっと本を差し出す。それを見た柴野さん曰く、「これは、ぼくがこの世から抹殺したい本です(笑)。」…!!
知るはずもないとはいえ冷汗ものだが、にこやかにサインをして頂く。ちなみにこの『Junior宇宙塵』は、15号別冊付録として1958年8月に発行されたもの。柴野さん(小隅黎)の「ボールのなぞ」と、川野京輔「ロケットの怪紳士」の2篇を収録。長篇『北極シティーの反乱』の最初期バージョンである、中篇版「北極市の叛乱(上・下)」掲載の〈宇宙塵〉1959年11、12月号(26、27号)では表紙にお願いした所、「表紙にするのは忍びない」とのことで、裏表紙にサインを頂きました。
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
この『北極シティーの反乱』は、徳間文庫版に加筆修正を加えた決定版が、ファン出版ながらも1999年7月に星海企業より発売されてます。入手はお早めにどうぞ。
おじゃました控室で、感想のアンケートに目を通していた柴野さん、好評にホッとされたようで満足そう。と、いきなり嬉しそうに読み上げ始めたのが、ぼくの書いた感想(笑)。勝因は、要望もキッチリ付け加えた点か?
時と闘い空駆け巡り、滞在時間わずかに6時間半。しかし、徳島よ。素晴らしい体験をありがとう!
あとがき2000年まで、いよいよあと50日弱。ノストラダムスの大予言を密かに恐れていた私には、にわかに信じがたい気持ちです。新世紀を自分が迎えるとは!(安田ママ) |