26号 1999年11月
書店員はスリップの夢を見るか?ネットでは今、メールマガジンが花盛りである。皆様の中にも、さまざまなメルマガを定期購読してらっしゃる方は多いだろう。ほとんどが無料だし、一度申し込んでおけば、ほっといても定期的にどんどんメールで送られてくるし、とても便利な情報源である。その種類も実に豊富である。 しかし察するに、あれをきちんと定期的に発行するのは並大抵の苦労ではないだろう。と思うのは、当銀河通信が「月刊」という看板を掲げながらも、あまりに不定期発行なせいか?(笑)いやいやまことに申し訳ない。 「人になにかを伝えたい、思っていることを発信したい」という彼らのエネルギーには心底脱帽する。今ネットには、こういった熱いパワーが炸裂しまくっている。人と人の関係が希薄になったというが、やっぱり人間はコミュニケーションなしではいられない生物なのだ。 |
今月の乱読めった斬り!『ななつのこ』☆☆☆☆1/2(加納朋子、創元推理文庫) 第3回鮎川哲也賞受賞作。いわゆる「日常の謎」派ミステリを書かせたらピカイチの方。女性らしいやさしさと繊細さにあふれているが、その底に光る現実への冷静な目がぴしりと物語をひきしめていて、甘ったるさがない。 これは7つの連作短篇集だが、話の作りがなかなか凝っている。主人公が感銘を受けた「ななつのこ」という本の著者にファンレターを送るのだが、その手紙にちょろっと近況(小さな謎)を書くと、その謎の解答が送られてくるというしくみなのだ。かくして、顔を知らないもの同士の謎と解答の文通が続く。 ちょっとややこしいのだが、この劇中劇ならぬ物語中物語の「ななつのこ」という本の内容と、主人公の現実の謎とその解答という3つの要素の混ぜ方が絶妙。この破綻のないまとめ方、そしてそれぞれの章のラストのあっといわせる結末、さらに…これはネタバレなので黙っておきましょう。 そして何よりこのミステリが味わい深いのは、著者が描いているのが、どんな謎にしろ「人の心のひだ」をテーマにしているからである。小さな謎から、著者はこんなにも人間くさく、やりきれない人の心の複雑さを暴いてしまう。が、それを温かなまなざしで受けとめ、大きく包み込むように描いている。加納朋子入門には最適。 『ジョナサンと宇宙クジラ』☆☆☆☆(ロバート・F・ヤング、ハヤカワ文庫) 著者は「たんぽぽ娘」などの甘くロマンティックなSFで知られる作家。これは珠玉の作品集である。 ノスタルジックなのは当たり前。なぜなら、これ、書かれたのがとても古いのだ。日本に初めて発表されたのが1966年というのだから、遥か30年前である。だから、「九月は三十日あった」などは、セピア色の古い外国の家族の写真に、同じくセピア色のロボットが一緒に写っているような、そんな感触を受ける。昔の話なのに、ロボットという未来的なものが違和感なく一緒にいるのだ。この感覚がとても不思議。 著者は、SFという形式を使って、愛というものを実にストレートに照れもなく描いている。そう、カジシンとテイストが似てるかな。カジシンはSF的手法で、いつの時代も変わらぬ恋″というものを描いているが、ヤングはこれがもっと広くて大きな愛″なのだ。 どれも話の締めがお約束に過ぎるかもしれないが、やはり、おとぎ話の結末は「めでたしめでたし」がいい。私はね。すとんと、落ちつくべきところに落ちつくところが、なんとも心地よい。オススメ。 『落下流水』☆☆☆(山本文緒、集英社) これは、数奇な運命をたどったひとりの女性の一生である。7歳(1967年)、17歳、27歳と10年ごとの章に分かれて物語が綴られている。しかも、章ごとに語り手が違う。本人のみならず、その娘、幼なじみの男の子など、それぞれの立場が語るのだが、それが見事にくっきりと主人公の女性を浮かび上がらせている。 この作品の内容については、この題名が全てを言い表している。『落花流水』。そう、主人公自身が水に落ちた花である。そして、彼女の人生は川の水に流されるがごとく、どこまでも運命のなすがままに流されてゆくのである。 とにかくその彼女の遭遇する運命が波乱万丈で、ここまでいくとちょっとやりすぎかな、という気もしないでもない。あまりに現実離れしてしまうと、既存の読者の共感を呼びにくくなるのではなかろうか。今までの著者の作風は、どこにでもいそうな人間が主人公で、それがいつ遭遇してもおかしくないような、まさに自分のすぐ隣に存在していそうな物語、であったから。それに比べるといささか突飛な設定か。もちろん、これはこれで非常に面白く、ぐいぐい読ませるが。ただ、今までの彼女の小説のように「近く」はない。わりと、「ひとごと」として読める話。 肉親の血、親子の確執、男と女、夫と妻、などなどの深いテーマが盛り沢山の、思わずうーむとうなって腕組みしてしまうような小説。あなたは、彼女の生き方をどう思うだろうか? 『月の砂漠をさばさばと』☆☆☆☆(北村薫、新潮社) ミステリ作家北村薫と、あったかいコミックやイラストを描くおーなり由子がコンビを組んだ、実に素敵な1冊。このふたりの組み合わせは絶妙!ほのぼのした雰囲気がとてもいい感じ。装丁もグー。 作家のお母さんと、小学生の娘のさきちゃんのふたりのささやかな生活が、流れる季節をからめて連作短篇として綴られている。とにかく北村さんのユーモア溢れる言葉のセンスの良さ(これは題名からもわかりますね)、なにげない日常から、ちょっとしたキラキラしたものを発見する感覚が実にいい。さすが、あの「私」シリーズを書いた方だけのことはある。 子供に「おはなしして〜」といわれて、こんなにしゃれた素敵なお話を作れるお母さんだったら、どんなにいいだろう!思わず羨望のため息が出てしまう。 さきちゃんのかわいらしさ、お母さんの茶目っ気に、こちらの心までほわっとぬくもる、そんな1冊。プレゼントにもおすすめ。 『盤上の敵』☆☆☆☆(北村薫、講談社) 最初、装丁と目次から、てっきりチェスにまつわるミステリだと思っていた。が、全然違った。というと語弊があるかな。一部、チェスがからんでいるといえばいえるのだが。ある事件を、チェスのゲームに例えて追い詰めて行くといった話なので。 息もつかせぬ展開に、あっという間の一気読み。仰天。今までの北村薫像を覆された。すごい野心作!とにかく、作風が今までと全く違う。 「これホントに北村さん?」と、表紙を見直したくなったほど。 主人公やヒロインの感情の繊細さは、いつもの彼らしい、文学的ともいえる描写である。が、その善良さに対峙する絶対的悪、といったものを描いたのはおそらく彼の作品の中で初めてではないだろうか。彼は、今までは性善説を唱えていたように思う。が、ここにきて、ついに彼は、その全く裏側を書いたのだ。情け容赦ない、理由も説明もできない、底のないブラックホールのような、絶対的な悪。なんの罪もないというのに、その悪によって壊れてゆく、無垢な魂。 ああ、もうこれ以上は書けない!とにかく、ストーリーにまつわることは一切書けない。とにかく読んで!としか言えない。彼の初めての毒を味わってみて欲しい。それをどう感じるかは、あなた次第。 |
特集 大島弓子Part211月初旬、めでたくほぼ4年ぶりに(!)、大島弓子の新刊『雑草物語』が発売された。それを祝って、今回は15号から保留にしていた大島弓子特集、パート2だ! 現在彼女は、角川書店のPR誌『本の旅人』にエッセイコミック「グーグーだって猫である」を連載中である。ほんの4ページだけだが、彼女の近況がわかって、ファンにはとても嬉しい贈り物である。 どうもこれによると、大島さん病気をなさってて、入退院を繰り返していらっしゃったようだ。道理で、これじゃ新刊が出ないハズだ。 彼女の新作が読めないのはとても寂しいが、ゆっくり気力と体力を養って、また一日も早くあの魅力的なマンガを私達読者に届けて欲しいと切に願っている。 非常におおざっぱな分類&独断と偏見で恐縮だが、大島弓子の作品を前期・後期で分けると、前期にはかなり恋愛的要素を盛り込んだ作品が多かったように思う。もちろん、家族・親子の愛情をテーマにした作品(「雨の音がきこえる」)なども存在するが。 が、『綿の国星』発表以後から、徐々に彼女の取り上げるテーマは拡大していったように思える。もっと広く、人間″そのものを取り上げているといえようか。主人公の性別、年齢、境遇、すべててんでばらばら。ただ、その登場人物たちの繊細な心の、かすかなちりちりとした痛み、そんなものを大島弓子は追い続けている、そんな気がしてならない。そして、その痛みは読者の心に、なんともいえぬ切なさを残すのである。 彼女の描く人々には、一種の傾向がある。それはあまりに繊細であるがゆえに、社会の枠からはみ出してしまった人間たちだ。8歳なのに大学生に恋してしまった小学生(「恋はニュートンのリンゴ」)、心の傷ゆえに過食とダイエットを繰り返す女子高生(「ダイエット」)、予知夢を見てしまう女の子(「水の中のティッシュペーパー」)などなど。彼らは何も悪いことなどしていないのに、周りから受け入れられず、奇異な目で見られてしまう。これは心の奥底に、どこか社会とうまく折り合いをつけられないと感じている私達自身である(誰もが密かにそう思ってる、というのは私の憶測でしかないが)。 しかし、そんな彼らがささやかなハッピーエンドを迎えるとき、私達の心もふんわりやさしく、この現実世界と融合するのだ。 彼女の作品の中でも特に好きなものを具体的に取り上げて紹介する。
☆「夏の夜の獏」(『つるばらつるばら』収録、角川書店) 主人公は小学3年生の男の子。だが、彼は「精神年齢のみ異常発達をとげて成人になってしまった」。ゆえに登場人物はすべて、彼から見た「精神年齢」の姿で描かれるという、実にユニークな試みのマンガである。まあ、猫を人間の姿で描いた『綿の国星』の作者ならさもあらんという感じだが。 ボケたおじいちゃんは赤ん坊、父母は子供、好意を持っているお手伝いさんの女性と自分のみがオトナという外見で描かれるのは、ひとつの家族が静かに崩壊する様である。彼は一生懸命背伸びをして周りの人々を見下ろしているのだが、ラストで道端で座り込んで号泣する姿がいじらしくて泣かせる。 ☆「秋日子かく語りき」(『秋日子かく語りき』収録、角川書店) 突然の事故で死んでしまった54歳の主婦が、たった一週間だけという約束で、秋日子という女子高生の体に入って巻き起こす珍騒動。 おばさんが体験する、つかの間の青春(彼女は精神的には現役女子高生よりずっと熱いハートを持っているのだ)に、あったかな気持ちにさせられる。少々の切なさと共に。 ☆「ロングロングケーキ」(『秋日子かく語りき』収録、角川書店) これは、大島弓子の書いたSF作品である(笑)。彼女の考える、時間・永遠″という概念、宇宙人″という存在、夢″というもうひとつの世界、それらを堪能することができる。でもテイストはいたっていつものほのぼの&ちょっと切ない系。世界はいくつもあるのだ、という彼女の考えには確かにSFマインドを感じる。 ☆「夢虫・未草」(『大島弓子選集』10巻収録、朝日ソノラマ) 小学生の林子の父が、ある朝突然離婚宣言。しかも、父の相手は同級生の男の子(悪ガキ)の母親だった…。揺れる子供心を描いた作品。 初めて読んだときは林子に肩入れして読んだが、今読むと母親ふたりの気持ちがわかってやるせない。ラストシーンの、全員そろってお茶を飲む光景(夢なのだが)は、実は私の理想だったりする。 ☆「水枕羽枕」(『大島弓子選集』10巻収録、朝日ソノラマ) これは姉と妹の、フクザツでへそ曲がりの姉妹愛を描いたもの。姉妹なんてこんなものよね。ケンカばっかりなんだけど、本当は誰よりもお互いの本音をわかっていて、さりげなく優しい。照れくさいから表には出さないけどね。よくわかるなあ、このイジワルで屈折した姉の気持ち(笑)。私も姉の立場だから。 ☆「固い青い渋い」(『ロストハウス』収録、角川書店) これは私にはかなりショッキングな問題作であった。なぜなら、私も主人公たちと似たようなことを考えてた時期もあったから。 大学の時に、カントリーライフに憧れ、過疎地で自給自足を始めたカップルの物語。ユートピアへの夢といやおうなしの現実、そして挫折。でも救いはたった一つの言葉だったのだ。いろいろと考えさせられる話。 ☆『雑草物語』(角川書店) お久しぶりの新刊は、短編小説やインタビューなどが入った、かなりお得な一冊。ちゃんとしたマンガはこれ一作だけだが。 雑草のようにたくましく、ビンボー生活をしているカップル。が、彼女のほうがいきなり二千億円(!)を相続することになる。周囲の豹変ぶりに翻弄されるふたり…。 心暖まる結末がいかにも大島弓子らしくて、ホッとさせられる。彼女は豪邸で暮らす生活より、豆を煮たり、野生の木苺でジャムを作ったりする生活を選んだのだ。 そのイキイキした表情は、人間にとって大切なものは何か?人はなんのために生きるのか?という問いへの大島さんなりの答えを示しているように思う。
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このコミックがいい!『ヒカルの碁@〜』(ほったゆみ・小畑健、集英社) 今、「週刊少年ジャンプ」で爆発的人気を誇っている作品なので、私が紹介するまでもなくご存知の方も多いだろう。 しかし、今のご時世に囲碁とはねえ。よくこんな地味なものを取り上げたよなあ(ジャンプ編集部がオッケーを出したのがすごい)。しかも、その地味なアイテムをこれほどまでにドラマティックな物語に仕立て上げるとは!只者ではないな、原作者&漫画家! ふとしたことから、小学生のヒカルの心の中に、平安時代の碁の天才貴族「佐為」が住み着く。佐為の頼みで碁を始めたヒカルは、いつしか碁の魅力に惹かれてゆく…。 この作品の成功要因はいくつかあると思うが、まず第一に、なんといっても絵がキレイ。やはりマンガは絵が命!これは『あやつり左近』という連載を前に描いてた漫画家なのだが、あれもとてもよい出来で、私は愛読していたものだ。 もうひとつは、前述のとおり、ドラマ仕立てがうまいということ。魅力的なライバルとの闘いの熱さ!ヒカルがだんだん碁にハマっていく様は、私たちの心に眠っている情熱にも火をつける。それは全力を投じた真剣勝負の闘いというものへの憧憬だろうか。読んでるこちらまで熱くなるマンガだ! |
ダイジマンのSF出たトコ勝負!その行動は、場当たり的なイキオイに過ぎない。我ながら「よく行ったなあ」と、驚きを禁じ得ない程。1999年10月17日、ぼくはひとり旅立った。目指すは、柴野拓美講演会「日本SFを築いた人たち―SF同人誌『宇宙塵』・40年の軌跡―」。四国徳島日帰り強行軍!! そう、歴史の証言に立ち会うために! 講演会を行うそもそものキッカケは、徳島出身作家・海野十三(うんの じゅうざ)生誕百年記念出版の『JU通信◎復刻版』(1998年、発行 海野十三の会、発売 先鋭疾風社)に、柴野氏が資料提供したことに始まる(〈JU通信〉とは、1962年に結成された「海野十三氏の碑を建てる会」機関誌)。 お昼頃に到着した徳島空港から、会場の北島町立図書館・創世ホールへ直行。しばらくして、小浜徹也&三村美衣ご夫妻と合流する。四国行きを思い立ち、真っ先にアドバイスを乞うたのが、もちろんこのお二人。小浜さんは地元の藍住町出身なので、ご両親もいらっしゃってました。後に小西さんから、その裏で心暖まる逸話があったことを伺うが、それはまた別の話だ。そうそう、紹介が遅れたけど、小西さんこと小西昌幸こそ、『JU通信◎復刻版』から今度の講演会までをプロデュースした方である。お忙しい中、いろいろとお世話になってしまいました。その他にも、後援の古典SF研究会から藤元直樹さん(〈未来趣味〉編集発行人)や、セミナーなどでご一緒させていただく桐山芳男さんというおなじみの方々に加え、青心社社長の青木治道さんも来場。 北島町長および海野十三の会事務局長による講師紹介の後、講演会が始まる。以下箇条書きにて。 ☆徳島へは3回目。2年前の広島での「あきこん」後と、37年前に筒井康隆・豊田有恒ら5人で、海野の記念碑建立時に来た。 ★ここ数年、SFに関する思い出話をしろという要請が多い。星新一・小松左京についてや、アニメ(タツノコプロ)のSF考証時代についての話など。 ☆SFとはどんなものか。皆さんの中に、『スター・ウォーズ』とか『インデペンデンス・デイ』をご覧になったことが無い方はいらっしゃいますか? SFとは、ああいったものです。 ★『2001年宇宙の旅』の結末がわからないというファンも多いが、私に言わせれば、あれ程わかりやすい映画はない。 ☆「SFの浸透と拡散」(筒井康隆)から、SFの状況論。 ★東海村臨界事故から、SFは科学啓蒙に役立つのか。 ☆SF界でのファンの役割。 ★SFを築いた人たち。暦史を追って、まずはメアリー・シェリー。 ☆2人の巨人、ヴェルヌの科学文明謳歌もウェルズの文明批評も、共に何か、今のSFの本質というものにぶち当たっていない気がする。これ、遊離しているのです。怪奇幻想の機械の怖さみたいな恐怖文学みたいなものと、そういう融合がまだ成されていない気がする。本物のSFを掴んでいないという点で「SF前期」と言いたい。 ★ガーンズバックと同時代のE・R・バローズあたりから、スペース・オペラの時代が始まる。安っぽい西部劇をそのまま宇宙に持ち出したようなもので、悪く言えばミソクソ一緒の冒険活劇でありましたが、ここで古来の恐怖・冒険・怪奇といったものと、科学文明に対する態度というものが見事に混ぜ合わさって、そこで現代のSFが誕生する。50年代を代表する、クラーク、アジモフ、ブラッドベリ、それからハインラインといった作家たちの本物のSF″というものは、そこから生まれて来たのです。 ☆どうもSFというものは、アメリカ・イギリス的なものらしい。 ★押川春浪から海野十三へ。本物のSFを日本で一番最初に書いたのは、海野十三さんでしたね。 ☆1950年に誠文堂新光社から『アメ―ジング・ストーリーズ日本語版』が出たが、惨憺たる失敗に終わり、やがて〈星雲〉という雑誌が1954年に生まれるんですが、なんか1号でおしまい。1955年頃に元々社シリーズが出まして(注:元々社は1956年)、これはある程度売れるんですが、親会社が潰れたとかでツブレました。こうしてSFは、ひとつの暗黒時代に入るんですねえ。 ★私、実はその頃SFを書き始めたんです。大下宇陀児さんとか北村小松さんに原稿見て頂いて、みんな褒めて下さって、雨後のタケノコの如く次々に出た薄っぺらな雑誌に推薦して頂くんですが、その会社が潰れるんですよね。それでとうとうデビューし損ないまして、自分の作品が活字になる前にスランプに陥ったみたいで(笑)、自分では創作は断念してしまったような所がございました。 ☆1956年に「日本空飛ぶ円盤研究会」というものがあるのを知りまして、会合に出てみたら、そこが好事家の集まりだったのです。 ★そこでSFの同人誌を出してみようと、みんなで集まればなんか出来るんじゃないかと、声を掛けてみると、真っ先に名乗り出てくれたのが星新一さんでした。そして円盤の会や、文通で知り合った人たち20人位で〈宇宙塵〉が始まるのです。… その後、場内は暗くなり、柴野さん秘蔵のスライドと共に、会員たちの紹介が始まる。星、光瀬、矢野、小松、筒井…と続く、総勢30人を超えるスライド上映。柴野さんがそれぞれに関するコメントを加えていくんだけど、その間に何度か「この人は〈宇宙塵〉には書いていません」とか挟まるのが、妙にオカシイ(笑)。 海外編として、1968年のサン・フランシスコで開催された、世界SF大会「ベイコン」に招待された時の写真も公開。こちらも著名作家・ファンが十数名登場したが、個人的に「おおっ」と思ったのが、キャンベルにハミルトン&ブラケット、ウォルハイムあたりかな。ヴァン・ヴォクトの紹介で会場が湧いたことは口外無用だ(笑)。 そのほか、世界SF大会での日本SF紹介企画の模様や、大会の華マスカレード(仮装)、及び日本SF大会の数々の写真がズラリ。第1回大会「メグコン」唯一のカラー写真などなど。「日本ではどうもアメリカと違って、マスカレードはあんまり盛んじゃないけど、代わりにアメリカには無いクイズの伝統がある」とのご指摘。おお、ナルホド確かに! 1977年の「宇宙塵20周年を祝う会」(コズミコン)のスライドでは、柴野さん思わず「ああ、これは最近の写真ですね」。…えっと、決してそうとばかりも言えないのではないかと…(笑)。 柴野さんが常に自問しておられる、「SFファン活動は、ホビーかウェイ・オブ・ライフか?」という命題など話は全く尽きないのだが、時間が押し迫ってここらで終了。 ロビーで柴野幸子さん、小浜さん、三村さん、桐山さん、藤元さんらと談笑する途中、ちょっと抜けて、柴野さんのサイン会にそっと本を差し出す。それを見た柴野さん曰く、「これは、ぼくがこの世から抹殺したい本です(笑)。」…!! 知るはずもないとはいえ冷汗ものだが、にこやかにサインをして頂く。ちなみにこの『Junior宇宙塵』は、15号別冊付録として1958年8月に発行されたもの。柴野さん(小隅黎)の「ボールのなぞ」と、川野京輔「ロケットの怪紳士」の2篇を収録。長篇『北極シティーの反乱』の最初期バージョンである、中篇版「北極市の叛乱(上・下)」掲載の〈宇宙塵〉1959年11、12月号(26、27号)では表紙にお願いした所、「表紙にするのは忍びない」とのことで、裏表紙にサインを頂きました。 この『北極シティーの反乱』は、徳間文庫版に加筆修正を加えた決定版が、ファン出版ながらも1999年7月に星海企業より発売されてます。入手はお早めにどうぞ。 おじゃました控室で、感想のアンケートに目を通していた柴野さん、好評にホッとされたようで満足そう。と、いきなり嬉しそうに読み上げ始めたのが、ぼくの書いた感想(笑)。勝因は、要望もキッチリ付け加えた点か? 時と闘い空駆け巡り、滞在時間わずかに6時間半。しかし、徳島よ。素晴らしい体験をありがとう! |
あとがき2000年まで、いよいよあと50日弱。ノストラダムスの大予言を密かに恐れていた私には、にわかに信じがたい気持ちです。新世紀を自分が迎えるとは!(安田ママ) |