第20号 1999年5月
最近、娘が寝る前に「ねえママ、〈むかしむかし〉して」と言う。つまり、なにかお話をしてくれということである。
桃太郎、浦島太郎、白雪姫、人魚姫、ちびくろサンボ、などなど、とにかく遠い昔の記憶を無理やり掘り起こして、話をする。
が、案外ネタが続かないことに最近気がついた(笑)。知ってるお話はもちろんたくさんあるのだが、うろ覚えのものが多くて、きちんと最初から最後まで語れるものって思ったより少ないのだ。「さるかに合戦の登場人物って誰と誰でどういう順番で出るんだっけ?かちかち山のうさぎは、おじいさんおばあさんに飼われてたんだっけ?」などなど、詳細がはっきりしない。まあ、私が単に物覚えが悪いだけかもしれないが。
今、『本当は恐ろしいグリム童話』がベストセラーになっている。この機会に、原本読み直すかなあ。
『エイジ』☆☆☆(重松清、朝日新聞社)
主人公は、中学2年生の男の子。オトナとコドモの中間の、一番ハンパな年頃である。なんだかモヤモヤしてて、いろんなことがうざったくて、カッコ悪いことは死んでもイヤという暗黙のルールの中で生きている。
そんな彼、エイジの平凡な生活に、ある日、衝撃的なことが起こる。ずいぶん前から、自分の町に出没していた通り魔が捕まる。が、それは、エイジのとても身近な人間だった。以来、彼の心や周囲のクラスメイト達はなんとなく浮き足立つ。
この年代特有のモヤモヤした感じはよく書けていると思う。ところどころ、とてもいい描写はある。ただ、この小説には、重松清独特の清々しさがないように思う。例えて言うなら、大喧嘩したり悲しいことがあったりして、思いっきり泣いた後のすっきり感のようなもの。あれがないのだ。なんだか、不完全燃焼のまま終ってしまった感じ。それを書きたかったというのであれば、まあ仕方ないけれど。ラストの方のセリフ「負けてらんねーよ」に、多少は救われるのだが。きれいごとで終らせないところに、著者の現代社会に対する憂いが潜んでいるのかもしれない。
『エンダーのゲーム』☆☆☆1/2(オースン・スコット・カード、ハヤカワ文庫)
地球は、バガーという異星人から2度にわたる攻撃を受けていた。3度目の攻撃に備えるべく、政府はバトル・スクールを設立し、ここで司令官にさせるための優秀な少年を育てていた。
エンダーは、選ばれてここに入れられる。そこは、ひたすら戦闘ゲームを繰り返す場所であった。彼は優秀であったがゆえに、あっという間に上のクラスに上がり、ゆえに過酷な日々を送る。
これが実に過酷なのだ。彼はまだ6歳だというのに!が、エンダーは本当に気性のやさしい、まっすぐな子で、こんな辛い目にあってるというのに、彼は決してひねくれない。そんなけなげな彼が、瞬く間に殺戮と戦闘のプロになってゆく。実に皮肉である。
この辺りのキャラクターの作り方は、やはりカードだなあと思う。どれを読んでも、彼の根本的なものの考え方は変わらない。それは、よく言及されるモルモン教の思想というのもあろう。が、私はそれよりは彼の人間としての暖かさを感じる。ひたすらに心清らかで、相手への愛情にあふれている。例えそれが敵でさえも。
ラストはショックであった。コミュニケーションの取れない異種同士の接触の怖さにうならされた。これは深い深いテーマである。
とても面白かったのだが、読後、はあっと溜息をついてしまうような話であった。それは「楽しかった〜」ではなく、どこか呆然とした重い溜息である。読後感は『消えた少年たち』によく似ている。
『王女マメーリア』☆☆☆1/2(ロアルド・ダール、ハヤカワ文庫)
ロアルド・ダールは、実に上質の短篇を書く作家である。例えるなら、ベルギーの老舗の高級ビターチョコレート。短篇のひとつひとつ、どれも実に深い味わいがあって、ほろ苦い。
この本には、9つの短篇が収められている。日本オリジナル短篇集だそう。どれもいいのだが、私の特に気に入ったのは「ヒッチハイカー」、「アンブレラ・マン」、「古本屋」。
「ヒッチ・ハイカー」は、ある作家がドライブ中にあるヒッチ・ハイカーの男を拾う。職業的興味から、作家は彼の職業を尋ねる。が、男は言わない。男にのせられた作家は、スピードオーバーでパトカーに捕まって違反キップを切られてしまう。が、男には驚くべき特技があったのだ…。
毒のあるオチのつけ方が、どれも絶妙。まさに短篇の職人芸。極上の一品、あなたもぜひご賞味を。
『星虫』☆☆☆1/2(岩本隆雄 新潮文庫)
発行は10年近く前。現在、品切れ重版未定。第1回ファンタジーノベル大賞の最終候補作品だそう。 感触としては、とてもスタンダードな青春SF。主人公は、密かに宇宙飛行士になることを夢見ている女子高生、友美。彼女は、6歳の頃に迷子になった自分を助けてくれたおじさんにその夢を実現する術を教えられ、それ以来、毎晩マラソンを続けている。ある晩、流星雨のように夜空から星のようなものが降ってきて、友美の額にくっついた。世界中をゆるがす大事件が、ここから始まった…。
これが、「星虫」だったのだ。世界中の人間の額にくっついたそれは、付着した人間の感覚を飛躍的に増加させる。いったんは世間は星虫をもてはやすが、だんだん大きく成長し始めるにつれて、星虫を拒絶し、迫害するようになる。が、友美はそれを憧れの宇宙から飛来したものだからと、いとおしむように扱う。そしてついに、星虫の所持者は彼女と、そのクラスメイトの寝太郎だけになり、ふたりは追われる身となる…。
まず、著者の設定した世界がとても魅力的。今の現実に限りなく近いのだが、大きく違うところがある。それは、人々が本当に宇宙へ行こうとしていて、その計画を具体的に練っているところ。今にも実現しそうで、読んでいると、わくわくしてくる。私も、この世界に生まれたかった!このあたりは、SF魂をくすぐられる。
もうひとつの魅力は、主人公達が真摯に夢を追いかけている姿。時にはぐらつくこともあるが、でもめげないそのまっすぐな姿勢はとてもさわやかで気持ちいい。彼女と寝太郎のやりとりも、いかにも青春もの、という感じ。
うん、どんなことでも無理だと思わずに夢を持ちつづけていれば、いつかはかなうかも、と思わせる爽快なお話であった。真っ正面から書かれた、ストレートで読みやすいSF。好感。
「書評マンガ集」という、かなり画期的な面白い本。前半は、『女にはむかない職業』の藤原センセ他のキャラが出てくる4コママンガ。後半は、見開きページの右側がこのマンガの登場人物たちによる書評、左が紹介本に関連した4コマギャグマンガという形式で構成されている。
例の愛すべきトボけた登場人物たちのギャグが笑える。しかし、マンガのキャラに書評をさせるとは、なんという発想!ちゃんと彼らそれぞれの性格が出た書評になっている。ベストセラーへの皮肉がチクリと入り、文章、マンガ共にいしいひさいち的ユーモアが溢れている。紹介されている本の種類は、ベストセラーからかなりのマニアック本までと幅広い。
あとがき座談会や、最後の著者略歴も面白い。藤原センセがなんと上智大学文学部卒だったとは!
軽く楽しく読める書評マンガである。いしいファンは必読!
安:今回はコミックにチャレンジしてみたんだけど、とにかくあの主人公の性格設定がすごい!今までの主人公っていい子ちゃんが多かったじゃない?それが実は作ってただけだよってのは強烈だった。
I:私とAさんの感想は「青春だねえ」の一言だったね(笑)。
E:私は単なる青春ものだとは思ってないな。恋愛はからんでるけど。
I:でもいわゆる学園ものじゃない?
E:これは壊れた家庭や見栄っ張りだのっていうコンプレックスをテーマにしたマンガじゃないかと。普通恋愛ものって、いろいろあって仲良くなって、その後はほとんど語られなかったけど、これはその後の心の動きを追ってる。
M:いわゆるマーガレットみたいな少女マンガとは違うよね。マーガレット系って、暗くてうじうじしたの多かったよね。横恋慕してた彼女がケガして責任取るとか、親の都合で転校とか(笑)。
E:仲良くなった後の、彼がどうしたとかじゃなく、それからの自分っていうものに視点が向いてる。だからバリバリの恋愛ものとは思ってないな。その辺が逆に今のマンガだっていう気がする。
H:つばさちゃんが出てきた時、ああここで三角関係になるかと思ってたら、あっさり終ったね。普通ならあそこでドロドロになるのが少女マンガの王道でしょ(笑)。
E:そういうのをことごとく外れてるよね。絶対にこう行くだろうなって方向に行かない。ある意味、シビアというかクールだよね。
I:それはわかるんだけど、でもやっぱり若かったら楽しめたかもしれないな。もうスレちゃってる年代だから(笑)。
安:もう自分の実年齢と離れ過ぎちゃってるからね。確かに「LaLA」でも私の年代の鑑賞に耐えうるマンガは減っていってるね。でも、「カレカノ」は大丈夫だよ、私。何といっても話の作りのうまさ、キャラのうまさだよね。これ、たまたま連載第1回を読んでハマったんだけど、そうでなかったらこの絵柄は読まなかったと思う。例えばカレンダーを買いたいマンガ家じゃないんだよね(笑)。
M:1、2回読んだらハマリますよね。「おっもしれー」って。
E:何気にすごい大胆なコマ割りのシーンとかありますよね。ページ開くと真っ黒で、独白一言だけとか。モノローグがうまいと思う、この人。
M:デートのシーンとかも面白かったよね。同じ事してるんだけど、雪野から見た有馬と、有馬から見た雪野が対照的で。そういや、雪野がいじめられた時、自分の頭を缶でガーンて打って、「よっしゃー!反省終わり!」ってスカッとしてたのに比べて、有馬はいつまでもうじうじしてるのが、現代的なカップルって感じがする。
安:男がいじいじしてて、女がサバサバしてるっていうカタチね。
H:あそこで、雪野が猫かぶってて悪かったなって反省するのはエライと思った。あれだけ本気になって猫かぶってたら誇れるよ。朝5時に起きてマラソンだよ(笑)。
E:ギャグの混ぜ方とかもうまいよね。コンプレックスがテーマなのに、暗くならない。
I:今、あまりどっぷり暗くマジメにしたら読者がついてこれないんじゃない?今の若い子って、いいとこばかり見て、イヤなところは全部なかったことにしちゃうから。
M:そういや、ひと昔前のスポ根みたいなマンガ、今ないですよね。ひたすら主人公が苦しんで成功する、みたいなの。
E:いじめられても、缶でガーンだし(笑)。マンガも時代と無縁ではいられないと。
M:小学館系でエロが流行ってんのも時代?(笑)
E:それは雑誌のカラーじゃない?「LaLa」はそんなことないよ。男同士ってのは忍び寄ってきたけどね(笑)。
安:同人誌でコソコソやってたのが、どんどん商業誌に入ってきてる。
I:今までは暗黙の規制みたいなのがあったけどね。今や男性誌より、女性誌の方が規制がなくてコワイ。
M:有馬が今暗くなってるけど、どんなになっても雪野には受け止めて欲しいですね。
E:彼は今、雪野ひとりに寄りかかってるから、危ういというか、脆いですよね。
H:有馬が立ち直ったら、もう描くことないんじゃない?
E:他の登場人物の「彼氏彼女の事情」が描けるよ。今もそうじゃん。
M:それまで有馬、暗いままなの?そんなのやだ!(笑)その前に、ぜひ浅葉くんディナーショーをやっていただかないと(笑)。
伝え聞く所によると、最近、大部な本が立て続けに出版されたため、嬉しい悲鳴を上げている者がいるという。その人物についての、誇張に満ちた噂の一つを信ずるならば、どうやら“D”という珍しいイニシャルを持つらしい…。
しかし、こんなこともあるんだね。『SF大百科事典』というSF図鑑の決定版的作品が出版されたと思ったら、今度は『幻想文学大事典』(ジャック・サリヴァン編、日本版監修 高山宏・風間賢二、国書刊行会1999年)という、非常にリッパな造本かつ美麗な装丁の本が登場した。内容もえらい大誤算である。いやなに、ぼくの期待以上に面白かったのだ。
本書は、「人名」「映画作品」及び「テーマ・エッセイ」の三つの項目全てを、渾然と50音順に配列した構成になっている。中でも注目したいのが、54ある「テーマ・エッセイ」項目である。試みに最初の「アーカム・ハウス」の項を繙いてみよう。すると、ぼくが98年8月号で特集した時点では解らなかった、限定出版専門のはずのアーカム・ハウスに重版のラヴクラフト本がある、という疑問を、鮮やかに解き明かしてくれるのだ。
但し、読者諸君よ、この題名に迂闊にダマサレてはいけない。“ENCYCLOPEDIA of HORROR and the SUPERNATURAL”という原題と、トールキンさえもが収録されていない事実から明らかなように、あくまでFANTASYではなく『(怪奇)幻想文学大事典』なのだ。OK?
収録作家数は300余りと若干少ない気もするが、その分個々の記述にはデータを交え十分なスペースを割き、多数収録された映画スチールやイラストレーションなどの、見る楽しみにも事欠かない。
だが本当に注目して頂きたい本領は、日本版だけの特別ボーナス、「怪奇幻想文学アンソロジー・リスト」と「怪奇幻想文学叢書・全集リスト」にある。これは戦前戦後を通じて、過去国内で紹介されたこの手の出版物をほとんど洩れなく網羅した、本書の秘めたる高いポテンシャルを窺わせる、資料性の高いリストである。
幻想文学の分野で本書に先立つ仕事としては、その「日本版への序」(高山宏)でも触れられている通り、『世界幻想作家事典』(荒俣宏著、国書刊行会1979年)がある。
こちらは、当時アジテーターとして、ほとんどあらゆる幻想文学関連企画に参画していた、荒俣宏入魂のマニフェストである。「編」や「編著」ではなく、「著」であることに注目せよ。それぞれの専門家に依頼した第一稿を、全体のトーンなどに矛盾が生じないよう留意して、荒俣が「すべて書き改めた」という強烈な書である。
収録作家数も『幻想文学大事典』の倍以上と網羅的だが、のっけから「〈引き読み〉をする限り少しも満足を得られぬ種類の出版物」と曰い、「はじめから〈通常の書物を読むように〉読んでいただくことを意図して記述」「本書を〈一冊のエッセイ〉として読みあげる作業を、読者諸賢にお願い」するという破格な構成の『世界幻想作家事典』より、実は『幻想文学大事典』の方が遥かにもてなしの良い仕上がりと言える。それはむしろ、『世界幻想作家事典』における荒俣宏の戦略が、現在も有効な刺激性を孕んでいる証明であろう。
それにしてもだ! ぼくは98年10月号において、『SF大百科事典』を1978年の『SF百科図鑑』と比較してみせた。そして今度は、79年の『世界幻想作家事典』である。どちらも比肩しうる対象がこれしか存在しない、という状況なのだが、この20年目の偶然は、一体何を暗示しているのだろうか。
まさに、歴史は繰り返す!?
このところ日が長くなったので、夕方会社を出てもまだ外が明るくてうれしい。考えたら夕焼けを見ながら歩けるのは、1年のうち半分もないのだなあ。(安田ママ)