SFファンジン列伝 其之一 第1期〈アステロイド〉

  日本のSFファンジンは、19575月、〈宇宙塵〉創刊に始まる。筒井一家による第2のファンジン〈NULL〉創刊が606月であり、第1回日本SF大会「メグコン」開催が625月であった。〈宇宙塵〉を発行する「科学創作クラブ」結成以前にも、渡辺啓助を筆頭に、矢野徹、今日泊亜蘭らによる「おめがくらぶ」こそあったものの、機関誌〈科学小説〉の創刊自体は5711月であり、60年1月の第2号をもって終刊とその活動は散発的。プロジンの世界においても、5412月という〈星雲〉(森の道社)の早過ぎた挑戦が創刊と同時に潰え去り、5912月(602月号)の〈SFマガジン〉(早川書房)創刊までの空白期を考え合わせれば、月刊で畳み掛け続けた〈宇宙塵〉の功績は自ずと明らかである。1950年代のファンジンとは、ファンダムとは、日本SF界とは、まぎれもなく「イコール〈宇宙塵〉」であった。

 それだけではない。予想を上回る盛会だった「メグコン」も、ファンジン史的には「SFマガジン同好会」旗揚げの舞台として〈宇宙気流〉(626月創刊)へと繋がるのだが、そもそもは〈宇宙塵〉5周年記念として催された「日本SF大会」であった。60年代においても〈宇宙塵〉が依然としてファンダムの太陽だったが、SF界の成長にともない、新たなファングループが各地に誕生し始める。

そんな中、ワセダミステリクラブ内のSFアディクトたちが、〈アステロイド〉を創刊した。

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アステロイド創刊号〔不定期刊〕

1961524日 発行
発行 ワセダミステリクラブ内 アステロイドの会
編集 西田恒久
印刷 大野成明 曽根忠穂

【目次】

創刊挨拶《アステロイド登場!》・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2
 祝辞・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・酒井康満 村岡正之 4

Fiction

特集  =虹3篇=

 虹のジプシー 連載第一回《Πの哲学》・・・・・・・・・・・・・・・・間羊太郎 6
  虹の浮橋・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・倉持功 13
  四次元の空の虹(Short-Short Story)・・・・・・・・・・・・・・・・来栖晃之 18

ある精神病者の手記・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・安井修一郎 31

Foreign Stories

フェニックス星雲よ!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・Arthur C. Clarke 40

最後の抵抗・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・Alfred Bester 35

Articles

Lunar Observatory《海外雑誌展望》・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・24

 りばいばる《涙香の破天荒》・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・青山友哉 27

 SF漫画論《手塚治虫万才!》・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・西田恒久 30

Readers’ Departments

 新刊評《人造美人》・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・安井修一郎 26

 SFマガジン評(4,5,6月号)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・青山友哉 20

 映画評(光る眼 他)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・28

 アンケートの結果・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・47

 次号予告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・50

 To the Editor・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・48

 The Editor’s Page・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3

(註 本文では「編集前期 Editor’s Room」。他にも「SFりばいばる」だったり、目次と本文で表記に細かな異同のある章題も当然ある。上記は目次による。)

 現在も多数の業界人を輩出し続ける学生ミステリサークルの雄、ワセダミステリクラブ(以下、ワセミス)の〈アステロイド〉が、日本における学内SFファンジンの嚆矢であるというのは、ある意味興味深い。当時SF研を有する大学が未だ存在しなかったということもあるが、その最初が今に至るも遂に永続的なSF研を持ち得なかった早稲田大学であったところは、当のワセミスにSFであろうが内包してしまう気風があったからなのだろうか。また、ミステリ(探偵小説)の分派として紹介移入されたSFらしいとも言える。

 それにしてもミステリの歴史の厚みはスゴイものである。江戸川乱歩命名になる「ワセダミステリクラブ」の創立が1957年末ということは、〈宇宙塵〉に遅れることたったの半年。しかもワセミスに先立つことさらに4年、木々高太郎を会長とする「慶應大学推理小説同好会」という先輩に至っては、「SF」を名乗った出版物の登場以前(1950年の『アメージング・ストーリーズ日本語版』は「怪奇小説叢書」と謳っていた)というのだから恐れ入ってしまう。

 〈アステロイド〉編集長西田恒久は、3ヶ月に1冊程度のペースでの発刊を計画していたようであるが(第2号「《総解説》 編集後記に代えて」より)、その第2号が刊行されたのは約1年後のことであった。

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アステロイド2号(不定期)

196241日 発行

発行 ワセダミステリクラブ・アステロイドの会

編集人 西田恒久

印刷 ブリッジ印刷社

最低頒価 100

 

【目次】

Verse

 《アステロイド》・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・間羊太郎 21

Fiction

 小惑星Z31号・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・倉持功 26

 カムパニィ ストア(連載第1回)・・・・・・・R・シルバーバーグ(野上敦雄訳) 13

 虹のジプシー(連載第2回)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・間羊太郎 32

Short-Short Stories

 ジエイシー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・F・ブラウン(西田恒久訳) 19

 宇宙人襲來・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・幅和弘 31

 人を殺した者は

 ませた子   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・安井修一郎 22

Article

 りばいばる(2)《山椒魚戦争》・・・・・・・・・・・・・・・・・・岡野ゆき子 11

 SF漫画論(2)《初期の手塚治虫》・・・・・・・・・・・・・・・・・・鈴木哲夫 8

Readers Departments

 映画評・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・25

 編集長殿・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・星新一他 2

 次号予告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・42

お便りアリガトウ!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・7

編集後記・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・42

 

 創作・翻訳に加え各種評論・紹介を取り揃えた、なかなかバランスの取れた誌面構成と言えるだろう。創刊号の新刊評が、ナント星新一の第一作品集『人造美人』であるのは時代を感じさせる。また星新一の方も、創刊に先立ち事前の予備調査アンケートに回答し(創刊号)、祝辞を寄せる(第2号)など、〈アステロイド〉に対する格別な助力の様子が見て取れる。1962年の早稲田祭でも星新一は講演を行っており、当時のワセミスと頻繁に交流があったようである。

そして注目すべきはやはり、間羊太郎「虹のジプシー」連載だろう。

  SF作家としては「式貴士」の名で知られる間羊太郎であるが、その才能は多岐にわたる為ここで触れる余裕もなければ、とても全貌を捉えきれるものでもない。「作家」の側面だけでも、幾多のペンネームを駆使してSF・ミステリはもとよりポルノにおいても一家を成した。ちなみに「間羊太郎」もペンネームのひとつ。その人物像は相当に変わった人だったらしく、多くの逸話に彩られ謎に包まれている。

 1933年生まれなので、当時の学部生にとってOB的な存在だったのではないかと想像するが、ワセミスに対し協力を惜しまなかったようだ。その精神的、物質的な多大の援助のお陰でどうにか発行できたのみならず、印刷・製本でもお世話になった旨の感謝の念が、第2号で編集者により述べられている。また〈アステロイド〉の命名者でもある。

 〈アステロイド〉休刊により、第2回で中断してしまった「虹のジプシー」の完成までには、多くの年月が必要とされた。「話題の作家初の長篇二回分載」のキャッチコピーで第2期〈奇想天外〉198010月号(通巻55号)、11月号(56号)に前後編掲載されたのが、一般への「虹のジプシー」初登場ということになる。実に18年の歳月が流れていた。

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 「この『虹のジプシー』は1015日、CBSソニー出版より単行本として出版されるが、それには最後にもう一章半つけ加えられ、結末もまったく違ったものになっている。本誌に掲載したものは、これはこれで完全に完結している。」という、分載末尾に付された著者の言葉通り、すぐさま単行本版が出版された。

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 『虹のジプシー』誕生にまつわる経緯が、著者自身により単行本版「ほどほどに長いあとがき」に記されている。興味深い内容なので、少々長くなるが引用してみよう。

 「二十年ほど前、早大のワセダ・ミステリ・クラブから「アステロイド」というSF同人誌が創刊された。これは現在も何年かに一度、思いだしたように復刊し、最近は豪華版で「筒井康隆特集」「小松左京特集」などが出て好評を得ている。だが創刊号はガリ版刷の、表紙もないお粗末(失礼!)なものだった。その創刊号の巻頭に「虹のジプシー 第一部Πの哲学」というのが五頁ばかりのっている。その欄外に、この雑誌を創刊した西田恒久氏(「シチョウ報告」にも登場)が、編集長の立場で、原稿の催促をしている。
 「……とにかく、この第一部の『Πの哲学』を読んだ人(例えばカッティングした曽根氏)皆が、このツヅキを読みたがっています。その期待をかなえてやるためにも、第二部『クラインの壺』、第三部『虹のジプシー』の原稿頼みます。キットですよ。ハヤク!」
 この原稿依頼に二十年後のいま、やっと応じることができたわけである。西田クン、ほんとにお待たせしました!」

  「この作品は本になる前に、SF専門誌「奇想天外」(5510月号、11月号)に前篇、後篇の形で掲載された。そして、この雑誌の編集長こそ誰あろう、二十年前にこの作品の原型の「虹のジプシー」をカッティングしてくれた学生、曽根忠穂氏なのだ。ドラマチックやなァ!」

  「『カンタン刑』でぼくのファンになった人は、この長編にはきっと失望するにちがいない。(中略)だが『虹のジプシー』のテーマは、ぼくの心の中で二十年以上も育まれ、発酵し、歌い続けてきたテーマだ。言いかえれば、ぼくはこれを書くためにのみ、SF作家になったともいえる。だから、ファンが何と言おうと、ぼくはこれだけは書いておきたかったし、これを書き上げない限り、次の長編に進めないのである。大袈裟に言えば、これは、ぼくの『ウィルヘルム・マイスター』であり、『詩と真実』であり、『若き日の想い出』でもあるのだ。小説の中に出てくるストーリーではない。心の遍歴が、だ。」

 そう、創刊号の印刷にクレジットされていた曽根忠穂こそ、後の〈奇想天外〉編集長だったのだ。そして何より、式貴士にとって特別な意味を持つ作品ということが良く判る一文である。事実、著者の残した長編SFは、『虹のジプシー』が唯一の作品であった。

1983年に文庫化されたが、その角川文庫版では、式貴士の「ほどほどに長いあとがき」は割愛されてしまっている(土屋裕解説)。

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 〈アステロイド〉創刊号上には前記引用文とは別のルーブリックがあり、そこでこの作品の掲載動機が披露されている。

 「「この作品は、早川書房主催『SFコンテスト』用に書き下されたものであるが、審査員にこの作品の偉大さが分らぬ者が万に一人でもいる時の危険性を考慮し、闇に葬むられるのを恐れるの余り(ママ)、WMCのSF機関誌に特別に発表されることになったものである。この大作に接することの出来る本誌愛読者は、真に、日本一の幸せ者であるといえよう」というのが作者自身による解説でした。ハイ。」

 ちなみにこの『SFコンテスト』とは、時期からして第1回「空想科学小説コンテスト」のことだと思われる。〈SFマガジン〉1961年8月号にて発表。東宝と共同主催。入選該当作なし、佳作第1席『地球エゴイズム』山田好夫、第2席『下級アイデアマン』眉村卓、第3席『時間砲』豊田有恒、努力賞『地には平和を』小松左京、ほかSF奨励賞に、平井和正、小隅黎、小野耕世、宮崎惇、加納一朗、光瀬龍ほか。

では〈アステロイド〉本誌に目を向け、その評判をいくつか辿ってみよう。創刊の61年当時は、〈宇宙塵〉の名物コーナー「FANZINE REVIEW」もまだ存在していなかったが(ファンジン自体がほとんど無かった)、1961年7月号(通巻46号)「宇宙塵さろん」にて紹介されている。

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 「早稲田大学のSF愛好者が集ってSF同人誌「アステロイド」が誕生した。素人印刷で読みずらい(ママ)のと、40冊限定版で手に入りにくいのが難だが、異色ある創作と翻訳、それに学生らしい評論を加えて好感のもてる創刊号である。今後の発展を大いに期待したい。」

  この点について〈宇宙塵〉の柴野拓美は〈アステロイド〉第2号に寄せた祝辞の中でも、〈宇宙塵〉会員の希望者に配布したいが何とかならないものだろうかと付記している。創刊号巻頭の編集者挨拶に(つまり創刊前の段階で)「現在のところ、本誌の購読を申し込まれた方は三十一名」とあるので、献本もあっただろうし余部は殆ど無かったのではないかと思われる。ちなみに書影に掲げたものは、シリアルナンバーが「限定番号第2号」とある。つまり、日本初の学生サークルによるSFファンジンの2冊目ということであり、うーん、ちょっとオシイ(笑)。

  続いて第2号は、〈宇宙塵〉1962年5月号(55号)の「宇宙塵さろん」で紹介された。

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 「早稲田大学のSF誌「アステロイド」第2号が出た。第1号からおよそ一年ぶり。まずは健在を喜びたい。B5判42頁、創作四篇、翻訳二篇。巻頭にお便り欄がある。印刷も前よりずっときれいになり楽しめる。編集発行人・東京都○○・西田恒久。前号は限定出版だったが今号は「最低頒価一〇〇円」とあるので、希望者は直接お問合わせ下さい。」

  余談になるが同ページには、宇宙塵5周年記念大会(第一回日本SF大会)のお知らせも掲載されている。

 また第2号刊行直後のワセミス正会誌〈フェニックス〉27号(1962年5月)には、広告と共に「SF入門」を新会員歓迎特集の一本としてアステロイド同人名義で掲載した。

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 同号巻末の「WMCニュース」では、「アステロイド2号がやっと発行された。執筆者をゴッソリ引きぬかれたフェニックス編集部もその内容のすばらしさには驚嘆している。」と身内からながら好評を持って迎えられた。

  ここまで見てきた通り、SF草創期の学生によるファンジンながらも高い水準を示した〈アステロイド〉であるが、2冊にしてその短命な第1期の幕を閉じた。ワセミスの場合は〈アステロイド〉の発行が活動の目的ではないとは言え、学生ゆえに活動期間が限られる点が、以後の他校SF研・サークル含め、根本的に学内ファンジンの長期的活動を困難にしているのは事実であろう(まあ大抵はその他モロモロの事情による場合が大半なのでしょうが…)。しかしながらグループそのものさえ存続すれば、その名を受け継ぐ者が、いつか現れることもあろう。

 〈アステロイド〉を一読驚嘆、「W・M・Cに籍をおくSFファンのはしくれとして、何とか復刊させることはできないものだろうか」(「編集後記−復刊の辞にかえて−」)との使命感に燃えた「「アステロイド」誌中興の祖」(式貴士)の米内孝夫が、第3号(復刊第1号)を刊行したのは6年後、1968年6月のことであった。でもそれは、また別の話…。

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