9月 隠れた実力派〈ソヴェート文学〉

  Zero‐CONの古本即売会で売り捌かれたオソロシイ量の各種雑誌の所に、「雑誌は情報の宝庫」というキャッチコピーが貼り出されてたの、参加された方気付きました? これはもう、正にその通り!で、ぼくも雑誌の類いは、なるべく入手するよう心掛けている。まあそうは言っても、500冊以上ある〈SFマガジン〉を全て揃えようという、人として誰もが当然持つべき意気込みに(今はまだ)欠けていたりするのはナンだけど、物理的な迫力はそーとー脅威なので(今はまだ)致し方あるまい。

 でも、専門誌以外によるSF特集号の場合は、ピンポイントで探さねばならないため、チャンスは逃さずゲットするようにしている。ま、中にはガッカリするような薄味の物もあったりするけど、SFのバラエティに富んだ切り口や遊びが味わえるのが魅力だ。

 通常、レギュラーページとの兼ね合いあっての特集が、SFにフルページの完全特集。しかもブームにあやかったお手軽な内容などと無縁の、飛び抜けた充実度を示した異色の雑誌が存在した。そう、〈ソヴェート文学〉に注目だ!

 早速22号(1968年11‐12月号)を見てみよう。アレクサンドル・ベリャーエフ「ワグナー教授の発明」、イワン・エフレーモフ「ギリシャの謎」ほか、エムツォフ&パルノフ、イリヤ・ワルシャーフスキイら全7篇を収録。エフレーモフの「『アンドロメダ星雲』への道」や、ストゥルガーツキイ兄弟との対話「科学的予言の道」など、未だ紹介の機会少ないロシア・ソビエトSFの、貴重な4本のエッセイの部「作家は語る」も併録。意外とも言える豪華さに、あなたはきっと目を見張るだろう。そしてこの特集号は、幸運にも、ほんの前触れに過ぎなかったのだ。

 〈ソヴェート文学〉はSF特集を、27号(69年10月号)で第2回目、第3回目は34号(71年1月号)と、快調なペースで送り出していく。

 27号は5篇収録。34号には短篇7篇のほか、エフレーモフ・インタビュー「SF文学を考える」を揃える。だが何と言っても興味を惹くのが、国際SFシンポジウム(1970年)に来日した旧ソ連代表団の一員、ワシーリイ・ザハールチェンコおよびエレメイ・パルノフによる報告だろう。

 代表団メンバーは帰国後、作家同盟において報告演説を行い、〈文学新聞〉紙上に全部の基本的報告を掲載。さらに、ザハールチェンコが編集を務める雑誌〈技術青年〉(発行部数180万)の71年第1号は、全号あげて国際SFシンポジウムを特集(!)したという。

 第4回目は、45号(73年夏号)で。

 この号は262ページと、以前の特集号の倍はある大冊となっている。原因はひとえに、ストルガーツキイ兄弟の長編『リットル・マン』(深見弾訳)400枚一挙掲載ゆえであり、過半を占める。

 それにしても、このパッと見ウサン臭げ(笑)な〈ソヴェート文学〉とは、一体全体どんな雑誌なのか? 誌名や作家名の表記は、原音主義からなのだろうか。「本誌ソヴェート文学は、多民族ソヴェート文学の、多様で豊かな稔りを広くわが国読者に紹介することを目ざしています。」(27号「編集部から」)の言葉通り、毎回特集主義を貫き、旧ソ連邦のありとあらゆる文学の諸相を取り上げている。

 なにしろ、志が違う。最初のSF特集である22号の編集後記に、「つねにソヴェート文学の最新の成果の紹介を心がけてきた本誌では、この新しいゆたかな未来をもつ文学のジャンルへのアプローチのいみで、このソヴェートSF特集を企画した。」「もとよりこの初めてのささやかな特集でソヴェートSF全体を紹介しえたとうぬぼれるつもりはないが、(中略)独自の世界をきずきつつあるこの国のSFの現状の、一端なりとお伝えできたものと思う。」と述べられている通り、ある種の使命感に似たものさえ感じられる。

 また、4号全てに翻訳で登場の深見弾より、絶大な援助があった旨記されているのも見逃せない。

 〈ソヴェート文学〉自体は、ぼくのような細切れでしか見ていない者には、謎な部分も多い。やたらと発行元が変わった雑誌で、22・27号は創刊以来の理想社から。34号はソヴェート文学日本発行所からで、45号は東宣出版に移行している。但し、この両社は実質同じ系列である。でも35号(71年3‐4月号)を見ると、印刷所に過ぎなかった東銀座印刷出版が発行元も兼ねる旨お知らせしていたり、もうワケが分からない。

 また、創刊は64年11月(季刊でスタート)なのだが、それ以前に少なくとも5冊、ほとんど同体裁(帯が付く)の〈ソヴェート文学〉が刊行されているのもナゾだ。一貫して編集を担ったソヴェート文学研究会(代表/黒田辰男)が、初期には早稲田大学文学部内に設置されていたことから、この創刊以前号は研究室の機関誌として、発表の場となっていたとも考えられる。しかし、こちらもやはり理想社が発行所となってるのだった。

 終刊は確か、ぴったり100号。その間際の98号(1987年1月、群像社)を〈ソヴェート文学〉は5度目のSF特集に充て、再び大輪の華を咲かせ飾ったのだった。

 ストルガーツキイ兄弟の中篇「火星人第二の来襲」を始め、全6篇。SF画の紹介や対論もあり、現代的な編集では随一の出来。ぼくはこの号を、群像社に注文して取り寄せた。5〜6年前の話だけどネ。

 そこはかとないイデオロギー的感触も皆無ではないが、以上5冊のSF特集号は、ロシアSFというマイナーさに加え、媒体の入手困難さともあいまち、ファン必携の即買いオススメ品なのだ!!

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8月 Zero−CONに20世紀SFを見よ

  今年の第39回日本SF大会「Zero―CON」は、ぼくにとって関東で開催される初の大会である。しかも節目の年とくれば、これが行かずにいられるもんか! いざ、横浜!!

 電車で普通に行けちゃうんだから、やっぱ近いのはラクチン。予算をその分オークションに投入できるしね(笑)。ということで、ちょっと早めに会場のパシフィコ横浜に出向き、オープニングは二の次とばかり、早速牧眞司さんらの即売&オークション設営のお手伝いにディーラーズへ急行。紀子さんや北原尚彦さんが作業してるのは予想通りだが、なぜ桐山芳男さんまで(笑)。ホント人が良いんだからァ。ぼくも即売用の雑誌をワシワシ並べ始めるが、作業の途中もミステリ雑誌掲載SFについて、桐山さんから教えて戴くことしきり。タメになります感謝です。

 オークションは5日の初日終了までの入札制だから、行きたい企画の合間に覗けば大丈夫。出品もサンリオ文庫の珍しい所や各種雑誌・単行本のみならず、いわゆる黒っぽい本″もノミネートされてる、さすがの品揃えでしたね。

 さていよいよ第1企画、「SFの日本上陸‐日本SFの芽生え‐」にGo! これは『SFの20世紀』と銘打たれた、リレー座談会の連続企画1コマ目である。パネラーが横田順彌、長山靖生、牧眞司と来れば、書影スライドを見ながら本の紹介や説明を加える、ライブ版『日本SFこてん古典』の趣。

 照明を落とし、最初のスライドが投影されるまで若干の間が。するとすかさず、「えー、これがいわゆるSFの空白時代でして…」と説明を始める横田さん(笑)。SF前史の、いわゆる一連の「奇想小説」の系譜紹介がメインであったが、なに分にも明治・大正と扱う範囲が広いため、要点をフォローした所で時間切れ。最後にザザザッと見せたスライドにだって、幾つもオッ!?てな本があったのになー。「日本上陸」ならば、例えば翻訳に絞ってSF移入史をまとめた方がスッキリしたのかも。

 そのまま『SFの20世紀』2コマ目、「SFというジャンルの確立」へ。疑心暗鬼で半信半疑、人に聞いては一喜一憂、ホントに矢野さん来るのかな?と淡い期待を抱いていただけに、パネル直前にキャンセルの知らせを受けガックシ。矢野さんに会うという、同時代を生きる者なら当然の義務を果たしたいだけなのだが、大会はおろか、宇宙塵40周年パーティーに会員でもないのに飛び込んだり、「ホシヅルの日」に行ってみたりしても肩すかしの日々。それがまたしても…。オノレ矢野徹許スマジ。

 ということで、柴野拓美、野田昌宏、伊藤典夫の3氏によって、各人のSF体験から日本SF黎明期が語られた。聞き手が伊藤さんとはゼイタクな。野田‐伊藤コンビを同時に見るのも初めてですね。

 アメリカ仕込みの日本のSFファン第1号″である矢野徹。星新一らの賛同を得、矢野徹に参画を願い〈宇宙塵〉を創刊した柴野拓美。その器に、学生だった野田昌宏や伊藤典夫を始め、多数の才能が続々と集結する様は驚異の1大スペクタクル! こりゃ昔語りがおもしろいワケだ。日本SFの売り込みに渡米した福島正実が、〈アナログ〉のジョン・W・キャンベル・Jr相手に苦労した話などは、これまで聞いたことがなく興味深かった。

 さらに続けて3コマ目、「初期の日本SF作家‐SFマガジンが生んだ作家達‐」に。小松左京、石川喬司、森優、森下一仁、高橋良平に加え、当初予定された眉村卓に代わり豊田有恒が登壇。初めて拝見した森さんが、エネルギッシュで印象的。第1世代作家(小松、豊田)と、同時代の裏方(評論家・石川、編集者・森)、それらを読んで育った世代(森下、高橋)というメンバー構成である。

 「日本SF作家クラブ」設立のための発起人会(1963年3月5日、新宿の台湾料理屋「山珍居」)に於ける録音テープなどという、歴史的モニュメントが披露された。議事進行は福島正実。なんとなく(ぼくの勝手な)イメージと異なっていたが、やはり精力的なその肉声に、豊田有恒は「今聞いても怖い」と言うんだから相当な物だ。

 小松左京のSF歴など、やはり第1世代作家中心の話題で進んだが、テープが予想以上に長く、他のパネラーにも十分な時間が割けなかったことが惜しまれる。

 この後はお休み。武部本一郎原画展で、あの名画が小さいのにびっくりしたり、オークション会場でのんびりと。突発的に即売用の〈SFマガジン〉を整理したりしつつ、人様が競っているのを眺めるのは実に楽しいものである(笑)。

 終了後はみんなで食事。横田さん、北原さん、長山さん、牧さん夫妻、喜多哲士さん夫妻、天野護堂さん、SF乱学講座の宮坂収一さんに、u‐ki総統、掲示板常連のπRさんで、安田ママにぼくという大所帯。料理がぐるぐる廻ってました。おや、廻っているのはテーブルだ。なぜならここは中華街!

 和やかに会食が終わり、「また明日」と解散した後は、u‐ki総統、πRさん、安田ママに、加藤隆史さんを加えた5人で、大会の夜を語り楽しむ。汲めど尽きせぬ泉かな。

 8月6日、大会2日目。1コマ目はやっぱりリレー座談会その5番目、「SF雑誌の創刊ラッシュ」へ向かう。森下一仁を聞き手に、パネラーは山田正紀、谷甲州、川又千秋、神林長平、新井素子が登場。主に70年代から80年代前半にかけての、デビュー当時の逸話などが語られたが…。注目は新井さんが三村美衣さんにソックリなこと(笑)。「ホシヅルの日」で拝見した時は、なるほど著者近影の通りの新井素子であったが、今日のパネルに登壇したのは、どこから見ても三村美衣その人であった。裏企画の「ミニファンタジーコン3 日本編」には誰が出演しているのかと疑念が生じたが、演技とは思えない位ぬいぐるみをかわいがっていたので、多分本物なのだろう。

 昨日のオークション結果をあれこれ見てまわり、会計を済ませる。いつまで経っても入札が無いことに業を煮やして(笑)札を入れた、〈宝石〉1955年2月、60年12月、〈別冊宝石〉122号(63年9月)の3冊のSF特集号は、そのまま無競争の底値で落札。それぞれ400円也。未所持本だったりするが、他に欲しがる人はいないのか!

 次の企画は、「ジャンル対抗「最強」決定戦:SF・ホラー・ミステリ・ファンタジー史上最大の決戦」に行く。おお、初めてリレーパネル以外だぞ。大森望を司会に、要は〈本の雑誌〉最強決定座談会ライブ版。SF/山田正紀&野尻抱介、ホラー/倉阪鬼一郎&牧野修、ミステリ/我孫子武丸&田中啓文、ファンタジー/高野史緒&菅浩江という代表作家陣による、ジャンルの誇りを賭けた熾烈な戦い(!?)が期待された。

 ジャンルの誇りと言えば、倉阪さんのホラー愛が会場を激震。沸騰するような熱き魂の叫びは、勝敗などに捕われていた世俗のぼくらを超越していた。「双葉山の殺人鬼」@綾辻行人『殺人鬼』で登場の田中啓文さんは、「最強対決なんだから、実際に戦ったらどっちが強いかですよ」という勝負の原点を提起したが、概ね人型の登場人物には有効な論法も、対戦相手が「アラハバキ神」@梅原克文『カムナビ』の野尻さんでは逆効果かと危ぶまれた。だが我孫子さんの冷徹な批判による力添えや、田中さんの期待通りの一発ギャグ攻勢により、優勝候補の一角「アラハバキ神」は破れ去ったのだった。「やってみたら、案外勝つんちゃう?」という田中発言が秀逸。

 しかし何と言っても、並み居る強豪および聴衆を驚倒せしめたのが、山田正紀である。「あれほど小説の登場人物だよ、って言ったのに」と大森さんが苦笑した通り、「リプリー」@『エイリアン』をエントリーした山田さんは、当初は企画意図を十分に掴み切れていないのでは?とさえ危惧された。だが、大胆な仮説と緻密な計算で構築し尽くした「リプリー完全犯罪説」を続々と繰り出し、対戦相手の戦意を喪失させるに十分な破壊力を発揮。密室ミステリの謎解きに、センス・オブ・ワンダーを併せ持った力技をナマで堪能しなかった山田正紀ファンは、残酷だが一生後悔すべきである。勝ちにこだわる飽くなき執着心も、エクセレント&ブラボー!!ぼくは事前予想で1位山田、2位菅浩江と、会心の冴えで的中させてみせたが、正解者の抽選に外れ景品ゲットならず。時々に強権を発動する、特別審査員仙台エリの活躍も見逃せない。

 かくしてリレー座談会『SFの20世紀』により、「Zero―CON」は一本スジの通った大会として、充実した満足感を与えてくれた。スタッフの労を最大限にねぎらいたい。

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7月 早過ぎたNW論者を追え! 後編

 さてさて、注目の謎の行方は、果たして如何なる結末を迎えるか?とは言えぼく自身、〈悪魔運動〉はもちろん、その後のSF界と接触していないような雰囲気の小堀生の正体に、まさか辿り着ける日が来ようとは思わなかった。SFセミナーで紹介した時でさえ。

 だが真実は、えてして思いがけなく訪れる。あれは、そう「ホシヅルの日」だ。ロビーで出会った牧眞司さんは、ぼくの顔を見るなり、コーラを飲みながらコトも無げに仰った。「ああ、前にセミナーで言ってた同人誌のアレね。調べ物探してたら、たまたま見つけてね」と来たもんだ! どっひゃ〜と驚くと同時に、何かの折に引っかかるべく立てられた、牧さんのアンテナの片鱗を垣間見たような気がした。こう在りたいものである。

 それで〈悪魔運動〉に言及している文献だが、ナント、これがジャパニーズ・ニューウェーヴの総本山、〈季刊NW‐SF〉らしいのだ! それも日本における「スペキュレイティヴ・フィクション」を構築するため、評論の紹介で理論武装に邁進していた、ある意味最もNWらしかった第2号(1970年11月)だなんて、全くの不覚っ!

 ニューウェーヴに関してなら、〈季刊NW‐SF〉の殊に初期ナンバーは、基本中のキホンの基礎資料と言っていいだろう。うーむ、〈悪魔運動〉入手以前には読んだはずでも、ぼくのアンテナじゃちっとも引っかからなかったちゅうことですかい? 帰宅後、早速第2号をめくる。どこだ、どこだ!? おおっ、これだ18ページ。その1ページのコラム「NW・NW・NW」に、ぼくの求めた全てがあった。

 「10年近くも昔の62年に、すでにSFを「スペキュレイティヴ・フィクション」と考えようとする論文を発表していた人がいる。丁度バラードの「内宇宙への道はどれか」と同じ年である。/「悪魔運動」というリトルマガジンに発表された「SF論序」がそれで、著者は小堀生という人である。」

 「むろん、スペキュレイティヴ・フィクションという用語が発明されたのはハインラインによってであるが、それが現在の「ニューウェーヴ」のような作品となって登場したのはバラードによってである。しかしバラードと同時に日本に於いて、同じような意味でSFをスペキュレイティヴ・フィクションと考えたいといっていたのは、一つの発見」

 ああ〜(涙)、つまりナンですか、ぼくは四半世紀ぶりに同じ「発見」を、極めて個人的にしただけなのね。しかも紹介の文脈まで近い気がするし、〈悪魔運動〉からの引用も同じ箇所だし(笑)。気を取り直して続けよう。「さて、この小堀生という耳慣れない名の著者は誰か?」「捜しあてたところ、大久保そりや氏のもう一つのペンネームであることが判った。」って、大久保そりやですか〜〜!!

 SF界に関わりある人物が浮かび上がったので逆に驚いたけど、皆さんはどう? とりあえず「ほんとひみつ」では、三村美衣さんほか数人の方(だけ)は反応があったので一安心。後で〈悪魔運動〉第2号を見直したら、おおくぼそりや名義で「ウツツからサシダシへ」というのも掲載されてるじゃん。

 しかし確かに、言われてみると何から何まで当てはまる。文章がえらく読みにくい所が特に(笑)。ホント言うと「SF論序」には、引用という抜き書きの状態で“使える”文脈は、ぼくが(そして〈季刊NW‐SF〉が)使用した箇所以外に見当たらない。引用が重複するのはむしろ必然であるのだ。

 「次号では当然この「NW‐SF」の先駆者に登場願うつもりであるが、当人の都合さえつけば、おそらく氏の難解な文に接することができることと思う。ともかく、ここではひと昔前の氏のエッセイに敬意を表しておきたい。」と「NW・NW・NW」を結んでいる通り、大久保そりやは第3号(1971年3月)に「共産主義的SF論〈上〉」を引っ提げ、SF界へカムバックを果たす。ヤルな!

 しからば当然、第4号(71年8月)が中か下になるはずかと思えば、さにあらず。「連載評論第2回」と銘打たれ、後記にて「次号第3回で終了予定の、大久保そりや氏「共産主義的SF論」は、予定を変更して長期連載になりました。」という報告がなされる。そこでは同時に、「私(編集人佐藤昇)が氏を訪ねた時、SFに於いてその思弁の方法が問題である、というようなことを言っておられましたが、この評論は、当然今までのSF界には無い、氏独特の厳密さをもったSF論であり、さらに氏の一連の芸術論の集大成とでもいうべきものになりそうです。」とも付記され、著者・編集部双方の思わくの一端が伺われる。

 これがまた、長期も長期の大連載へ発展することになるのだ。第9回(74年9月)掲載の連載第7回末尾には、「今回にて序論が終り、次号からはいよいよ本論に入ります。御期待下さい。(編集部)」なんぞという衝撃の追記(笑)を発見したり、第16号(80年9月)掲載の連載第14回からは、新たに「―ゆかげ・むつろま」という聞き慣れない副題(3段組1ページの「副題について」あり)が加わったり、全く収束する気配がない。そしてついに、〈季刊NW‐SF〉の休刊第18号(82年12月)まで一度も途切れることなく、11年以上に渡る16回の連載を続け、なお未完のままである。※註、既にお気付きかと思うが、〈季刊NW‐SF〉が年に4回出ると思われた方は〈季刊NW‐SF〉を甘く見過ぎている。猛省を望む<ってオイ!

 大久保そりやはその後、『内側の世界』(ロバート・シルヴァーバーグ著、サンリオSF文庫86年)の翻訳(妻の小川みよと共訳)を物すが、表舞台から姿を消す。身近な〈季刊NW‐SF〉関係者の、SFセミナー実行委員長、永田弘太郎さん(NW‐SFワークショップ常連、80年2月第15号に「囚われの時間」発表)に伺ったところ、「山野浩一の友達らしいけど、ぼくは面識ないね」とのことでした。

 「NW・NW・NW」から察するに、どうやら〈悪魔運動〉は、ぼくの所有する第3号までの発行と見てよさそうだ。それから〈季刊NW‐SF〉休刊まで20年。この長い時を費やし、大久保そりやは何を主張しようとしたのか? 「読み切った奴はいない」「いや、3人だけいる」などと、ディレイニーの未訳の大作『Dhalgren』を凌ぐ(笑)噂がまことしやかに囁かれる「共産主義的SF論」だけに、読んでも読んでも分からないどころか、読むことさえ絶対的に拒絶させる難解さに満ちている。テキストあれど、永遠の謎なのだ。 

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