3月 君は『キャプテンフューチャー』を見たか!?
いやはや正直驚いた。あのTVアニメ版『キャプテンフューチャー』が、20年以上の沈黙を破り、初の再放送だと言うからムリもない。
でも実を言うと、1978年から79年に渡ってNHKにて放映されたこのアニメシリーズについて、ぼくが語れることはなんにも無い。確かに観てはいた。でも毎回欠かさず…なんてありえないし、記憶の欠片が数パーツしか無いのだから。まして主題歌など、なおさらサッパリという始末である。
しかし、初めて買った文庫本が『挑戦!嵐の海底都市』(ハヤカワ文庫SF)であるぼくにとっては、《キャプテン・フューチャー》というものが、実に、実に大きな存在なことも、紛れもない事実なのだ。アニメ版にだって、マイ・ファースト・チャリンコ(補助輪着脱可)が《キャプテンフューチャー》ものだったという程度には、馴染みが無いワケでもない。
今回は衛星波ということで残念ながら視聴できる環境にないが、いやナニ、いずれ楽しむ機会も有るでしょう。これまで余りに待たされ続けたファンの間を、様々な憶測と情報の断片が錯綜したものだが、ぼく自身も「マスターテープの消失」という最悪のシナリオを半ば信じていたので、まずは一安心。喜びをもって迎えたい。
そういう次第なので、代わりに『SFロマン キャプテンフューチャー』(原作/E・ハミルトン、構成/辻真先、朝日ソノラマ1979年)を取り出し、思いを馳せてみよう。
ご覧の通り、アニメ版のノヴェライゼーション。でも、このシリーズは3冊しか出ていないようである。辻真先脚本のエピソードを、自らノヴェライズまで手掛けたものであるが、かと言って辻真先担当パートはまだ残ってるし、他の脚本家のストーリーはどうするつもりだったのかな? そもそも3冊以上出す予定が立っていたのかどうかも、現物からは読み取れない。
第1巻「恐怖の宇宙帝王」、第2巻「時のロストワールド/謎の宇宙船強奪団」、第3巻「暗黒星大接近」の刊行時期を奥付で見ると、それぞれ79年1月30日、3月10日、7月10日であり、年末まで続いた本放送がまだまだ放送半ばだったことから、ファンとしてはなにやらモッタイナイ気がしてしまう。
四六判ハードカバーにアニメのカラー口絵がふんだんに盛り込まれ(各巻共計32ページ!)、随分と楽しい造りに仕上がっている。ソノラマ文庫を既に有していた朝日ソノラマだが、ヴィジュアル指向であえて上製本としたのだろう。
1巻に「『キャプテン・フューチャー』シリーズの出発」、2巻には「四十年前の原作と現代」と題した、野田昌宏の短い解説、というかエッセイも付いている。
ここで野田昌宏が、「ただひとつ、なんとしてもさびしいのは、コメット号が涙滴型ではなく、まるで『ニ〇〇一年……』のディスカバリー号風であることだ。」と言わずにいられなかった様に、原作からの設定変更は映像化の常として、もちろんある。しかし、実際に読んで感じたのが、これほどまでに制約の中で原作の持ち味を活用し、再現しようとしていたのか、ということである。ノヴェライゼーションだけで判断するのが早計とは承知しているが、(おそらく)美化されているに違いない《キャプテン・フューチャー》というストーリーの記憶を、些かも矮小化させること無く、ぼくは大いに楽しんでいたのだ。こりゃ、映像も観なきゃ!って気にさせられますワ。
原作者エドモンド・ハミルトンがオンエアの前年に亡くなってしまわれ、日本のクリエーター達が立派にアニメ化したことを伝えられなかったことは、やはり残念でならない。けれども、その業績は世紀を超えてカムバックを遂げたのだ。時代に流されない魅力を、再確認させた復活劇であった。
さすがにアニメやコミックまで手を出そうとは思わないぼくだけど、ハミルトンに関する本は全部欲しい今日この頃(笑)。ま、ボチボチやって行きましょうか!
2月 『アメージング・ストーリーズ 日本語版』リスト
思い付きは、なるべくならやってみるものである。時にはそれが、なかなか楽しかったりする事もあるし。というワケで、当コラム1998年11〜12月号にて取り上げた、『アメージング・ストーリーズ 日本語版』の収録作一覧である。
まあ、書式については改良の余地が大きいと思われるし、今後新たに別のリストを追加していく可能性も考えられなくはない。その際は叢書ごとの一覧だけではなく、リアルタイム読者の追体験ができるような、出版された順という配列にも大いに興味があったりする。どうやるかはともかくとして…。
原題、原著者名は各作品の扉ページに付されているし、特に芸の無い思い付きリストなのだが、一点だけ付言しておく必要があるでしょう。「○○枚」というのは、実際の紙面におけるタテ×ヨコ(桁数×行数)とページ数から割り出した、400字詰め換算でのおおよその値である。ページの余白や挿絵部分の処理は、臨機応変で厳密には行っていない。ともあれイメージする際の一助とな…なるのか!? ちなみにこの叢書は、巻によって微妙に桁数が異なったりするから要注意だ(笑)。
1950年4月
怪奇小説叢書
『アメージング・ストーリーズ 日本語版 第1集』
誠文堂新光社/1950年4月5日印刷、4月10日発行/新書/カバー、帯(後帯※未見)/100円/256ページ
収録作品
「焔の女王」(The Flame Queen)
ガストン・ドルー(Gaston Derreaux) 著/乾 信一郎 訳/〈アメージング・ストーリーズ〉(Amazing Stories)1949年5月号(通巻238号)/170枚「征服の立方根」(The Cube Root Of Conquest)
ロッグ・フィリップス(Rog Phillips) 著/黒沼 健 訳/〈アメージング・ストーリーズ〉1948年10月号(通巻231号)/47枚「幽霊屋敷」(Twisted House)
ガイ・アーチェット(Guy Archette) 著/磯部 佑一郎 訳/〈アメージング・ストーリーズ〉1949年6月号(通巻239号)/75枚
※Chester S.Geierの別名義。「異顔―同脚」(New Face〜Same Heel)
サミュエル・レーカ(Samuel Roeca) 著/胡桃 正樹 訳/〈アメージング・ストーリーズ〉1948年9月号(通巻230号)/88枚「火星人の降霊術‐一千年後のお話‐」(Once Upon A Planet)
J・J・アラートン(J.J.Allerton) 著/中根 不覊雄 訳/〈アメージング・ストーリーズ〉1948年12月号(通巻233号)/45枚
怪奇小説叢書
『アメージング・ストーリーズ 日本語版 第2集』
誠文堂新光社/1950年4月5日印刷、4月10日発行/新書/カバー、帯(後帯)/100円/248ページ
収録作品
「恐怖城」(Castle Of Terror)
E・J・リストン(E.J.Liston) 著/黒沼 健 訳/〈アメージング・ストーリーズ〉1948年11月号(通巻232号)/54枚「ジョーンズ氏の永久カメラ」(Mr.Jones’ Eternal Camera)※扉では「Jone’s」と表記
バークレイ・リヴィングストン(Berkley Livingston) 著/磯部 佑一郎 訳/〈アメージング・ストーリーズ〉1949年11月号(通巻244号)/89枚「殺人光線」(The Murder Ray)
E・K・ジャーヴィス(E.K.Jarvis) 著※扉では「Jervis」と表記/坂本 登 訳/〈ファンタスティック・アドヴェンチャーズ〉(Fantastic Adventures)1949年4月(通巻82号)/163枚
※「E・K・ジャーヴィス」はハウスネーム(共同筆名)。作者不詳。「ティリー物語」(Tillie)
クライグ・ブラウニング(Craig Browning) 著/田口 統吾 訳/〈アメージング・ストーリーズ〉1948年12月号(通巻233号)45枚
※ロッグ・フィリップスの別名義。「死の二重奏」(Death’s Double)※扉では「Deaths」と表記
グローヴァー・ケント(Grover Kent) 著/磯部 佑一郎 訳/〈アメージング・ストーリーズ〉1949年6月号(通巻239号)/59枚
怪奇小説叢書
『アメージング・ストーリーズ 日本語版 第3集』
誠文堂新光社/1950年4月5日印刷、4月10日発行/新書/カバー、帯(後帯)/100円/283ページ
収録作品
「古代人の挑戦」(I Paint From Death)※原題は「“」「”」で括るのが正しい?
ロバート・F・フイッツパトリック(Robert F.Fitzpatrick) 著※「F.」は「Fleming」/坂本 登 訳/〈アメージング・ストーリーズ〉1949年8月号(通巻241号)/139枚「蚤のサーカス」(The Flea Circus)
オーガスト・マイスナー(August Meissner) 著/胡桃 正樹 訳/〈アメージング・ストーリーズ〉1949年1月号(通巻234号)/58枚「世界計画」(Project)
ジャック・ヘス(Jack Hess) 著/磯部 佑一郎 訳/〈アメージング・ストーリーズ〉1949年10月号(通巻243号)/46枚「緑の血」(The Green Splotches)
T・S・ストリブリング(T.S.Stribling) 著/黒沼 健 訳/〈アメージング・ストーリーズ〉1927年3月号(通巻12号)※〈アドヴェンチャー〉(Adventure)1920年1月3日号初出/225枚
1950年5月
怪奇小説叢書
『アメージング・ストーリーズ 日本語版 第4集』
誠文堂新光社/1950年5月20日印刷、5月31日発行/新書/裸本(カバー無し)、帯(後帯?)/100円/248ページ
収録作品
「怪物」(The Monster)
S・M・テンネショウ(S.M.Tenneshaw) 著/雨貝 正直 訳/〈アメージング・ストーリーズ〉1949年4月号(通巻237号)/132枚
※「S・M・テンネショウ」はハウスネーム。作者不詳。「最後の男性」(The Last Man)
ウオーレス・G・ウエスト(Wallace G.West) 著/黒沼 健 訳/〈アメージング・ストーリーズ〉1929年2月号(通巻35号)/84枚「マウントミード事件」(Midgets And Mighty Men)
リー・フランシス(Lee Francis) 著/坂本 登 訳/〈ファンタスティック・アドヴェンチャーズ〉1949年5月号(通巻83号)/128枚「人間塔」(The Column Of Life)
レスター・バークレイ(Lester Barclay) 著/千葉 浦一 訳/〈ファンタスティック・アドヴェンチャーズ〉1949年12月号(通巻90号)/74枚
1950年6月
怪奇小説叢書
『アメージング・ストーリーズ 日本語版 第5集』
誠文堂新光社/1950年5月30日印刷、6月5日発行/新書/裸本(カバー無し)、帯(後帯?)/100円/259ページ
収録作品
「ウィルバー・ムークの眼」(The Eye Of Wilbur Mook)
H・B・ヒッキー(H.B.Hickey) 著/黒沼 健 訳/〈アメージング・ストーリーズ〉1948年11月号(通巻232号)/84枚「ビン」(The Bottle)
ガイ・アーチェット 著/磯部 佑一郎 訳/〈ファンタスティック・アドヴェンチャーズ〉1949年12月号(通巻90号)/52枚
※Chester S.Geierの別名義。「森の英雄」(Pattern For Destiny)
チェスター・スミス(Chester Smith) 著/田口 統吾 訳/〈アメージング・ストーリーズ〉1949年1月号(234号)/54枚「光なきランプ‐アラディンの洋燈後日譚‐」(Lamp With No Light)
アレキサンダー・ブレイド(Alexander Blade) 著/坂本 登 訳/〈ファンタスティック・アドヴェンチャーズ〉1949年5月号(通巻83号)/51枚
※「アレキサンダー・ブレイド」はハウスネーム。作者不詳。「雷鳴の彼方」(Beyond The Thunder)
H・B・ヒッキー 著/田口 統吾 訳/〈アメージング・ストーリーズ〉1948年12月号(通巻233号)/89枚「氷原の女王」(Queen Of The Ice Men)
S・M・テンネショウ 著/緒方 周三 訳/〈ファンタスティック・アドヴェンチャーズ〉1949年11月号(通巻89号)/96枚
※「S・M・テンネショウ」はハウスネーム。作者不詳。
怪奇小説叢書
『アメージング・ストーリーズ 日本語版 第6集』
誠文堂新光社/1950年6月10日印刷、6月15日発行/新書/裸本(カバー無し)、帯(後帯?)/100円/257ページ
収録作品
「エジプトの妖魔」(The Avenger)
ノーマ・エル・イーストン(Norma Lazell Easton) 著/磯部 佑一郎 訳/〈アメージング・ストーリーズ〉1949年11月号(通巻244号)/127枚「埃になつた新妻」(All Else Is Dust)
E・K・ジャーヴィ 著/五島 十三雄 訳/〈アメージング・ストーリーズ〉1950年3月号(通巻248号)/108枚
※「E・K・ジャーヴィス」はハウスネーム。実作者はロバート・ブロック。「アガーチの黄金仮面」(The Golden Mask Of Agharti)
ジョーン・アンド・ドロシー・デカーシー(John&Dorothy De Courcy) 著/千葉 浦一 訳/〈ファンタスティック・アドヴェンチャーズ〉1950年1月号(通巻91号)/155枚「火星から來た女」(Girl From Mars)
ロバート・ブロック(Robert Block) 著/田口 統吾 訳/〈ファンタスティック・アドヴェンチャーズ〉1950年3月号(通巻93号)/26枚
※後にブロックの短篇集に収録された際、「The Girl From Mars」と原題に「The」が付くようになるが、雑誌掲載時は付かない。「二度だけ生きる」(You Only Live Twice)
H・B・ヒッキー 著/五島 十三雄 訳/〈アメージング・ストーリーズ〉1950年3月号(通巻248号)/46枚
1950年7月
怪奇小説叢書
『アメージング・ストーリーズ 日本語版 第7集』
誠文堂新光社/1950年7月20日印刷、7月30日発行/新書/裸本(カバー無し)、帯(後帯?)/100円/261ページ
収録作品
「リス人」(The Squirrel People)
ジョン・C・ロス(John C.Ross) 著/胡桃 正樹 訳/〈アメージング・ストーリーズ〉1948年9月号(通巻230号)/142枚「夢マリー」(The Exteroceptor Deceptor)※扉では「Exterocepter」と表記
クレイグ・ブラウニング 著※第2集「ティリー物語」と表記違い/緒方 周三 訳/〈ファンタスティック・アドヴェンチャーズ〉1950年1月号(通巻91号)/50枚
※ロッグ・フィリップスの別名義
※解説「クレイグ・ブラウニングのこと」(緒方 周三)併録「星團の侵入者」(The Galaxy Raiders)
W・P・マッギヴァン(William P.McGivern) 著/砧 一郎 訳/〈アメージング・ストーリーズ〉1950年2月号(通巻247号)/163枚「未來よりの抜道」(Detour From Tomorrow)
ロッグ・フィリップス 著/田口 統吾 訳/〈ファンタスティック・アドヴェンチャーズ〉1950年3月号(通巻93号)/46枚
※「解説 ロッグ・フィリップスのこと」(H N S)併録「アービュタスから來た男」(The Man From Arbutus)
H・B・ヒッキー 著/五島 十三雄 訳/〈アメージング・ストーリーズ〉1950年3月号(通巻248号)/63枚
※第6集「二度だけ生きる」と同時掲載
#収録作全てが〈アメージング・ストーリーズ〉掲載作品ではない。但し〈ファンタスティック・アドヴェンチャーズ〉は、〈アメージング〉と同じジフ・デイヴィス(Ziff Davis)発行の姉妹誌である。誠文堂新光社がジフ・デイヴィスと契約を交わし、その刊行雑誌の翻訳権をまとめて獲得したことに由来すると思われる。
#収録作品は1948年9月号から1950年3月号の、短い期間に集中している。1950年4月10日付で刊行開始したことを考えると、「日本語版」の名の通り「傑作選アンソロジー」ではなく、リアルタイムで翻訳紹介した「書籍形態の雑誌」にむしろ近いと認識するのが正しいだろう。
#第3集「緑の血」と第4集「最後の男性」のみが、1920年代〈アメージング〉最初期作と異例である。たとえ掲載誌を入手できたとしても、わざわざこの作品を選出したことに疑問が残る。ドナルド・A・ウォルハイム編『The Pocket Book Of Science‐Fiction』(1943年)に上記両篇が共に収められていることから、このアンソロジーより引っ張ってきたとも考えられる。しかし、「最後の男性」の〈アメージング〉掲載時は「Wallace G.West」名義だったが、このアンソロジーでは「Wallace West」という、ミドルネームの「G.」が付かない筆名になっている。1920年代〈アメージング〉本誌から選定収録した、という可能性も否定できない。
#第7集のクレイグ・ブラウニング「夢マリー」、ロッグ・フィリップス「未來よりの抜道」の2篇のみ、1ページの解説が併録されている。しかし皮肉にも、著者は別名義の同一人物である。紹介される経歴は全く異なり、クレイグ・ブラウニングが「当年二十七才という若手作家」とあるのに対し、ロッグ・フィリップスは「本年四十才になる」とのことである。クレイグ・ブラウニングに対し「ロッグ・フィリップスなどと肩を並べて…」とも記述しているのが、予期せぬ事とは言え微笑ましい。
#各作品の初出に関して、調べの至らなかった部分を牧眞司氏よりご教示頂きました。ここに記し、感謝申し上げます。
1月 新世紀から世紀をまたいで
ウ〜ム、21世紀である。そしてぼくは、おもむろに「自分の持っている本が、前世紀のものばかり」なことに気が付いた。記憶の大半も前世紀のものなので、だからどうって訳でもないけどネ。とは言え、「世紀が変わった所で、実際なーんも変わらないジャン」という感慨とは裏腹に、つい最近までタイヘンな意味を有していた左様な言葉(でしょ!?)が、一夜にしてありふれた事象を示すに過ぎない、価値無き発言に堕するのだ。世紀の進展は知らぬ間に、コペルニクス的転回を我々の意識に与えているらしい。…そうか! 劇的に変貌した21世紀への第一歩は、コレなのか〜!!<違います。
さてさて、それならばいっそのこと、前々世紀の本を取り上げてみよう、と天啓の如くひらめいた。我ながら名案と申すほかあるまい。
…えーと、どの本がいいかな…?
いやはや、考えることは誠にもって自由であり、勝手ですらある。しかし戦前の本でさえ、ぼくなどがおいそれと持ってる訳ないという、動かし難い現実に辿り着くまで、そう時間は掛からないのだった。
何しろ20世紀は偉大である。世界初のSF雑誌〈アメージング・ストーリーズ〉創刊が1926年。E・R・バローズの作家デビューが、1911年のこと。テーマ/アイデアをほとんど網羅した現代SFの父、H・G・ウエルズ『タイム・マシン』が1895年でギリギリ脱出、という時の厚みが20世紀なのだ。日本なら、大正時代さえ全てが20世紀に内包され、明治33年がようやっと1900年という始末。こりゃホントーに古典SFの時代ですな。
それでもなんとか出て来たのが、『拍案驚奇 地底旅行』という本。
明治18年2月の出版というから、1885年ですか。ご存知ジュール・ヴェルヌの『地底旅行』が原作で、その本邦初単行本であり、ついでに言えば初版本。翻訳は三木愛華と高須墨浦の共訳で、発行元が九春堂。ただし奥付では、訳者名がそれぞれ三木貞一、高須治助と表記されている。書影では分からないだろうけど、植物をあしらった図案(唐草模様にあらず)で少し凹凸のある表紙に、金押しの題字。函やカバーが存在したかは不明だが、それにしても時代を感じさせる本である(当たり前か)。
なにせ奥付の訳者名で、三木に「千葉縣平民」、高須に「東京府平民」という、身分が併記されていたりするのである! しかも「府」だし。まだまだあるぞ。見慣れぬ活字は多々あれど、本文は総ルビなので、根気さえ有れば(!)勘で読めないことはない。しかし序文が全くの漢字の羅列で、「レ」だとか「上・下」とかが盛んに振られているのはどうよ?(笑)
つまりは完璧な漢文なのである。訳者による“地の文章”であるはずの所の序文が、なぜこうなのかはナゾ。まさか日常語? こんなの教科書でしか見たこと無いや。
それにしても、当時の読者はスラスラ読みこなせたんでしょうか。今でこそ、ヴェルヌ作品は良質のジュヴナイルとして広く親しまれているが、明治期においては科学啓蒙の手段として輸入された経緯もあり、かなりのインテリ層が主要読者だったのかもしれない。
さて本書は、舞台や登場人物に大胆に手を加える「翻案」が珍しくなかった時代にしては、真面目な翻訳と言える。それは「凡例」として、7項目に渡り訳出に際しての但し書きを寄せていることからも伺える。大体、オリジナルなのか原著があるのかすら、不明なことの多い時代ですから。でもまあ、扉ページで「英國ジユルスウヱル子原著」(本文では「英國 ジユールス、ウヱル子著」と表記)とあるのはご愛敬。英語版からの重訳だったのだろうか。ところで「ウヱル子」ってダレ?(笑)
出せない活字がいくつもあるので直接引用できないが、この凡例自体が実に興味深いので、全項目の大意を紹介してみよう。
「一、この書を翻訳するに当たり大いに心を用いたのは、文体と詳略の度合である。原書のまま直訳すると複雑になってしまうが、我国の小説を読むものは甚だ直訳体を好まず、複雑だと簡単に放り出してしまう。複雑になるのはしょうがないのに、これを訳者の技量が足りないせいにされてしまう。故に略すべきは略した。」
「一、末段に至っては、学術上最も有益のものと思われるので詳細に訳出した。但し前段は遊戯の文に近く、これの為に大部になることを憚ると言えども、後段はこれに異なる。」
「一、毎回題目を付して、一目で大意が分かるようにした。」
「一、動植物名の多くは原語のままを用いた。従来の翻訳書はこじつけの訳名が多く、却って人を誤らせる恐れあり。しかし強いて訳名を付けようとすると、これを免れないので、適切な訳語が無いものには造語を当てずに、むしろ原語にした。しかし、時には注釈を下してその意を説いた。」
「一、原語と言えどもコンパス(磁石)、チョッキ(衣類)のように、既に一般に流通している言葉は、ことさら原語にしなかった。」
「一、図画は原書と毫髪を差ず」
「一、前段、地底の旅行は、主にして賓なり(つまり、旅行が主だけど、実は客/添え物)。後段、地質学と動植物学は、賓にして主なり。作者が書に題せしは旅行にあれど、その意図は後段にあり。故に、前段は影なり。読者が影を好んで形をなおざりにすることは、作者の意にあらざる也。」
さあ、どうです。色々とオモシロイじゃないですか!?
「前段」「末段/後段」とあるのは、いわゆる『地底旅行』の翻訳に加え、「地球の出生及び沿革」に始まる科学解説が併録されているから。本文235ページ中、この科学解説パートが3分の1を越すのだから、かなりのもの。しかし、肝心の小説部分が「遊戯」で「賓」で「影」とは、相当な言われよう(笑)。ヴェルヌに託された役割から分かるけど、にしても最初に断言しなくても(笑)。
物語パートは省略部分あれども、かなり忠実。地底に旅立つ一行は、アクセルが「アクセリ」、ハンスは「ガンス」と訳されており、リデンブロック教授は「叔父」で名は登場せず、というところ。
また、恐竜や動植物はど原始生態を細密に描き込んだ、銅版画(?)が本文を飾っていることも、本書の大きな魅力である。これはどう見ても日本の画風ではないと思ったけど、凡例の第6項「図画は原書と毫髪を差ず(ごうはつをたがえず)」とあったので解決した。「ほんのわずかも/いささかも違わない」というコトですな。いやナニ、辞書引かなきゃ当然知りませんでしたともさ(笑)。
ともあれ、全8ページの挿絵は、翻訳底本にも使用されていたものであるらしい。こうして見ると、研究が進んだ現代の恐竜像と比較しても、パッと見のディテールだけでは大差無いですね。でもイグアノドンとかはいいとして、マンモスを「マモンツ」と紹介するのはどうかと思うぞ(笑)。
本編では登場しないと思われるマンモスなども挿絵入りで紹介されているから、やはり科学解説パートも原書に収録されていたものなのだろうか。これがヴェルヌ自身の筆になるものかはともかく、少なくとも翻訳底本を突き止める手掛かりにはなりそうである。
それにしても昔の本って、広告とかがまた面白かったりするんだよねえ。「漢文躰」「譯書文躰」「訓傍及び平かな文」と、わざわざ明記分類された九春堂の巻末既刊案内も、味があって結構なシロモノですよン。間違っても探そうなんて、とてもとても思いもしないけど。いや、ホント。
明治時代はワンダーランド。されど俗人(オレだオレ)、危うく近づくなかれ!なのね〜。なんでこんな本、持ってたんだろ…(笑)。