12月 アメージング・ストーリーズ日本語版(後編)

 『アメージング・ストーリーズ日本語版』後編に突入!心臓の弱い方はご注意ください(ウソ)。
 で、繰り返すけどこれは半世紀前の叢書である。時の奔流に抗うことは困難だ。明白な事実も、一度時代に埋もれてしまえば謎めいた遺跡のように…。今回はそのひとつ、「帯」の謎に鋭く迫る!
 そもそもこの叢書に帯があること自体、知る人は少ない。が、事実、帯は存在する。本当だ。

 「1960年の怪奇!そしてスリル!!」というオドロ文字のコピーが、まさにレトロ・フューチャー。なんだかなあ。でも半世紀後のノストラダムス本は、もっと恥ずかしいに違いない(笑)。帯の裏面には

 香山滋氏評  専門の探偵小説叢書が続々刊行されて、探偵小説の鬼を喜ばせている中に、びつくりするような叢書が出現した。誠文堂新光社発行の、その名のとおり目をみはらせる“アメージング・ストーリーズ”である。図拔けてスケールが大きく、無茶苦茶に面白い。人間の頭腦が生産しうる極限のもののみで構成されている突拍子もない物語集である。読めば浮世の勞苦は立ちどころに吹き飛ぶこと請合い。−東京日日新聞より−

という引用記事の推薦文がある。横田順彌『日本SFこてん古典』にも登場する引用だが、竹内博の編による大労作『香山滋書誌』によれば、1950年5月11日の書評「アメージング・ストーリーズ」からの一部抜粋で、全巻の帯に掲載されたとある。でも待ってくれ、ちょっと変だと思わないか?書評の推薦文が「全巻」に??

 1〜3集の奥付は4月10日、実際の発売はそれより早いだろう。新聞より前なのだ。5月31日の4集も、スベリ込みで書評以前に出ていた可能性がある。まあ書評にも準備期間が必要だから、内容については3集までが対象と考えるのが妥当だけど、これを帯にするのって可能だろうか?ところがこの香山滋の推薦文を掲載した帯が、第1集こそ欠けてるけど現に手元にあるんだな。ウ〜ンやはり全巻というのは本当だったのだ。

 となればもう、「あと帯」だと考えるしかない。コノ帯ハ何時掛ケラレタノカ、という新たな謎が急浮上、問題の焦点がシフトする。第4集はキビシイが、第5集以降なら発売時から帯付きということも可能で、既刊分もその時に揃えた、と考えるのがまあ普通。

 だけど…。こればっかりはリアルタイムで知らない以上、どうにも調べようが無い。迷宮入り(笑)かとあきらめていたが、思わぬ所から解決の糸口を発見した。今回の特集のために本をパラパラッとしていたら、“?”なことに気が付いたのだ。やがて“??”が“!”に…ってこれじゃ何のコトだか分からん(笑)。いや、つまりはこうだ。背表紙を眺めていて“あれっ”と思った。第1集だけ背が高い。1ミリ半ほどに過ぎないが、他が揃っている中で確実にこの巻だけ背が高いのだ。

 もうお解りだろう。他の帯の付いているものは、一度返品され、小口を研磨した後に再出荷された商品なのである。おそらく第5〜7集の帯も、新刊時ではなく再出荷の際に掛けられたと見て、まず間違いないだろう。だとすれば当時次巻を待ち侘びていたような、読み捨てにしない熱心な読者たちは逆に帯付きを持っていないことになる。「あと帯」ならばその古書的な価値には疑問もあるが、ベテランの古書店主何人もが「ほとんど見たことがない」と言うほどの希少性に、これで納得がいく。

 あまりに売れず挫折した叢書ではあるが、当たり前でも販売拡大のための営業的努力もせず手をこまねいていた訳ではなかったのだ。その事実に、ぼくは胸を熱くする。

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11月 アメージング・ストーリーズ日本語版

 どうした、ダイジマン!?今回は格段にマニアックだぞ!!

 戦後初の海外SF叢書である『アメージング・ストーリーズ日本語版』は、1950年に誠文堂新光社から7冊刊行された。まだ日本にSFという言葉が定着していない時代ゆえに、このシリーズは「怪奇小説叢書」と銘打たれており、作品選定の悪さがポシャった原因として定説になっている。確かに、三流SF誌に転落していた〈アメージング〉からの選集なので、そのほとんどが知らない作家であり、翻訳陣も黒沼健、乾信一郎以外はまったく無名なのだが、「これにイカレて多くの日本の青少年が世を誤ることになる(笑)。
(インタビュー「ずっとSFを夢見ていた」〈未来趣味〉2号89年限定250部)と今日泊亜蘭が証言するように、多少の影響力はあったようである。

 …とまあ、いきなりマクシたててしまったが、「現代日本SF史の出発点」としての記念碑的書物であることを考慮に入れれば、それも当然と言うもの。実物は新書サイズのちゃちい本で、これがまた紙質が悪いと来てるので、それなりの状態の物には、それなりにお目にかかれません。

 奥付によると、このシリーズは1950年4月10日に1・2・3集が同時配本され、以後5月31日第4集、6月5日第5集、6月15日第6集、7月30日第7集と矢継ぎ早に刊行したが、残念ながら打ち切られてしまった。裏表紙には、

 Amazing Storiesはアメリカで一 般大衆の好評を博している月刊雜誌である。日本でいう推理小説とか科學小説とかに似ているが、これよりも更に假空的なものであり、異常な好奇的内容を盛つたものである。これに對して日本には適切な表現がないので、假に怪奇小説と譯した。今回、その發行所Ziff Davis會社の好意により本社が飜譯權を得たので、毎月出版されている同誌の中から、とくに面白いと思われるもののみを選定して、この叢書に纒めたものである。これにより讀者は目下アメリカで流行している新らしい分野のStoriesを愉しく讀まれることができると信じて、本叢書を發行した次第である。

との理念を掲げた文章が、全巻に掲載されている(同時発売の1〜3集は「假に怪奇小説と…」の所が「怪奈小説」という誤植に。どうでもいいけど)。

 それでこのシリーズ、造本がかなりおもしろいノダ。表紙画は本国版〈アメージング〉からの流用で、1〜3集では当然ながらカバーに印刷されている。中身の白い紙の本体は、なんか落書きみたいな絵の素っ気ないシロモノである。しかしシカシだ、4〜7集は本体に直接表紙画をプリントした、最初からカバーの存在しない裸本なのである。また、背表紙は黄色のバックに黒字が使用されているのだが、第4集のみ白地に黒なのである。

 どういうことか分かります?えっとですね、同時配本の3集までは、カバー付の黄背の本でした。それが、何らかの事情によって続巻分のカバーが省略されたんだけど、ウッカリ背表紙を今までの白い中身のままで出しちゃって、あ、しまったってんで慌てて次の分から黄背に戻した、というワケなのです。つまり第4集は、言ってみれば脱皮の最中(!)であり、変更の過渡期なのであります。

 『アメージング・ストーリーズ日本語版』によって、日本の戦後SF史は開幕した。その挫折は同時に、SFが迎える長い苦難の時代の始まりをも意味していた。
 全てを犠牲にし、ただ情熱だけでSF出版のジンクスに立ち向かった先駆者たちの勇気と努力は、決して忘れてはならないだろう。

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10月 嘘か真か!?SF夏の時代

 今、SFは燃えているか?
 おかしなこと聞くねえ、お客さん。ぼくの答えはもちろん「YES!」
 特に1998年の夏は、長く記憶に留められるべきかもしれない。

 理由は二つ。まず、以前も取り上げた「宇宙を空想してきた人々」の放送が完結したこと。「SF」で埋め尽くされた愉しいレクチャーを、教育テレビの人間大学という枠で、テキストも発売されて真っ正面から受ける、ということはかつて無かったワケで、これを画期的と言わずして何と言おうか。

 もちろん、改善すべき点が無いこともなかった。作家の名前を出版物の表記とは違った読み方をしていたり、最終回で特にお勧めと紹介された、ダニエル・キイス『アルジャーノンに花束を』が旧装丁版で、J・G・バラード『ヴァーミリオン・サンズ』はとうに絶版、など情報としての不備もあった。また、これまでSFとは縁の無かった視聴者もいるだろうから、言及される作家や作品名などには、クドイと思えるほどテロップを活用した方が理解の助けになったのではないだろうか。

 しかしながら内容は、毎回の放送時間が短く感じられるものであり、「ああ、ここでアシモフの話が出るゾ」なんて野田エッセイでお馴染みの部分も見られたが、そこは「一般教養課程、初級SF史概論(前期)」という設定通りであって、そんなことを批判するのは的外れっちゅうもんです。

 色々あるけど、オーソン・ウェルズが引き起こした、伝説的な“火星人騒動”のラジオテープが聞けたこと、そして筒井康隆本人熱演!の「お紺昇天」朗読が聞けた(観れた)ことが個人的収穫かな。完全録画成功再三鑑賞我歓喜万歳!

 じゃあ理由その2は?といえば、当然〈銀河通信〉が電脳SF界にデビューしたこと。ってのは出来の悪い冗談として、人間大学にも登場、あの巨大な『SF大百科事典』(ジョン・クルート編著95年)が8月の下旬にグラフィック社より邦訳刊行された事に他ならない(日本語版監修高橋良平)。

 ぼくが思うに、このテの資料本が出版されるかどうかというのは、いろんな要因があれど、最終的にはそのジャンルの勢いに左右され、その意味で活力を計る一種のバロメータになりうるんじゃないか、と考えています。まあ、それが正しいかどうかはさておき、グラフィック社の勇気と英断に、心からの快哉を叫ばずにはいられない。

 このような大判ヴィジュアル本は、《スター・ウォーズ》を代表とする空前のSFブームを迎える78年の、『SF百科図鑑』(サンリオ、ブライアン・アッシュ編、日本語版監修山野浩一)以来、実に20年振りのことである。

 『事典』の後に『図鑑』を見比べ、少なからず驚いた。「こんなに字ばっかりだったっけ…」そう思わせるまでに『事典』のヴィジュアルは充実しているのである。
 著名作家を多数動員し、テーマ別解説に重点を置いた『図鑑』、百十一人に上る作家紹介を、そのほとんどをサイン入りで収録し、年表を縦横に駆使する『事典』と、この2冊はそれぞれ異なる個性と特徴を持つ。雑誌についての記述が少々物足りないが、ページを開いた時の華やかさ、楽しさというグラフィカルな面は、もう文句無しに『事典』の方が上である。

 本体6500円はちょっと…とためらう気持ちも良く分かる。しかーし、内容考えりゃむしろ安い位だし(マジで)、上下巻5000円強の本なんてザラなんだから、SFショウケースの本書『SF大百科事典』はマニアは当然マストバイ、初心者の方にもオススメの、迷わずゲットの必須アイテムだ!

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