『掌の中の小鳥』☆☆☆☆ 加納朋子 東京創元社(95.7月刊)
5つの中篇からなる、連作短篇集。テイスト的には『ななつのこ』あたりのミステリ色が濃いめの作品。が、同時にとある男性(主人公)と、とびきり魅力的なある女性が出会い、徐々に惹かれあってゆく、という恋愛小説の色も濃い。いつもながら、このミステリとそれ以外の要素のからめ方は絶妙である。
彼女の作品を読んでいつも感じるのは、ミステリとは殺人やその犯人探しばかりじゃないんだな、ということだ。たとえば展覧会に出すはずの絵が、ぐちゃぐちゃになっていたのは何故か?(「掌の中の小鳥」)、女子高生が、主人公の古ぼけた男ものの傘と自分の赤い傘をすりかえていったのは何故か?(「自転車泥棒」)など、ごく些細なことではあるが、はてその真相はいったい?と考え込んでしまうような。
そして、謎が解けた瞬間に、すべてのパズルのピースが組みあがった「かちん」という音がすると共に(このあたり実に精巧で、いつも感心してしまう)、その謎に隠された、さまざまな人間の思いが堰を切ったように溢れ出す。それは夢をあきらめるほろ苦さであったり、なんともいえぬ温かさであったり、ちくりと刺さる痛みであったり、片恋の切なさであったり。それらが読者の心にひたひたと満ちてゆくのだ。ああまたしても著者にしてやられた、と思う。しかし、これこそが加納朋子を読む快感なのだ。
一方、これは恋愛小説として読んでも全く差し支えないであろう。ふたりの距離がだんだんと縮まってゆく様は、なかなかに微笑ましい。オトナのくせに、ピュアなんだよなあ。もう。読んでるこちらが気恥ずかしくなるほどに。とてもロマンティックな恋愛小説。
甘さとほろ苦さの加減がなんともいい感じの一冊。
『いちばん初めにあった海』☆☆☆☆☆ 加納朋子 角川文庫(00.5月刊)
絶品である。まさに珠玉の1冊。数ある加納作品の中でも、最もワタクシ的好みかもしれない。ああ、私がもし作家だったら、こういう話を書いてみたかったと心から思う。まったくもって、著者のたぐいまれな才能がうらやましい。こんな物語を読みたかったのだ。ずっと。
彼女の作品『ななつのこ』『魔法飛行』あたりはどちらかというとミステリ色が色濃く出ていて、著者が「謎」というものに徹底したこだわりを見せているのがうかがえた。が、本書や『ガラスの麒麟』路線は、ミステリ手法を用いてはいるが、「謎」はあくまで話の重要な“鍵”というだけで、話の“主役”ではない。この作品の主役は、「謎」ではなく、ずばり「感動」である。著者はその感動を盛り上げるために、実に効果的に「謎」を用いているのだ。非常に綿密に練られた作品である。
本書は「いちばん初めにあった海」と、「化石の樹」という2つの中篇からなっている。全く違う話なのだが、どちらも読後感は驚くほど似ている。前者は「女性どうしの友情」、後者は「愛情」(とひと言でくくってしまうのははばかられるほど、いろんな人間のさまざまな愛が入っている)がテーマなのだが、上記の手法が同じなために、まるで双子の男女のような話になっている。
「いちばん初め〜」の主人公は、千波という20代の女性である。安アパートの一人暮らしをする彼女だが、周りの住人のあまりのうるささに耐えかねて引越しを決意する。その荷造りの最中に、彼女は読んだ記憶のない本と、そこに挟まれた未開封の手紙を見つける。いったいこの手紙は?差出人の「YUKI」とは誰なのか?
読み進むうちに、徐々に潮が満ちてくるように、謎がひとつひとつ解けてゆく。そして最後の謎が解けた瞬間、堰を切ったように、大きな感動の波が心に打ち寄せてくるのだ。最後の一行の、「ええねん」という言葉のなんという温かさ。関西弁が、こんなに優しい言葉だったなんて知らなかった。というか、読者にそう思わせてしまうこと自体が、この著者の腕なのだ。ガラスのように脆く繊細な女子高生の心情とその友情を描き出す手腕も、彼女ならではである。
「化石〜」は、ある青年の独白である。植木屋のバイトをしていた「ぼく」は、ある時そのバイト先で自分を使ってくれていた、不器用な愛すべき親父さん、といった感じのサカタさんから1冊の古いノートを託される。そこには、ある保育園での、だいぶ昔らしき謎の出来事が記されていた…。
児童虐待モノの、暗く救いのない話かと思いきや、謎が解けた瞬間に、物語はがらりと変貌し、深い感動が押し寄せる。ここにも、著者の大きく包み込むような愛を感じる。
この手の話がお好きな方には、ゼッタイツボにはまること請け合い。まさに『いちばん初めにあった海』に深く抱かれるような、優しく温かい物語である。
『夏と花火と私の死体』☆☆☆☆ 乙一(おついち) 集英社文庫(00.5月刊)
2つの中篇が収められている。タイトルと同じ名前のものと、「優子」という一篇。第6回ジャンプ小説・ノンフィクション大賞を、なんと17歳で受賞した方だそう。
「夏と花火と私の死体」の最後の最後になってやっと気がついた。これ、ホラーだったんですね!てっきりミステリと信じて読んでました。やー、お見事!非常に上質のホラー。申し分ない。描写の美しさと鮮やかさ!誰もが経験したことのある、夏の光景。行間から蝉の声が聞こえ、夏草の匂いがあふれ出てくるようだ。じっとりと汗にぬれた肌の感覚など、描かれた五感すべてがはっきり伝わってくる。
びっくりしたのはまずその設定だ。コロンブスの卵的発想!この叙述の視点がなんとも画期的。驚いた。こういう手があったのか。決して幽霊からの視点ではなく、まさに「私の死体」なのだ。
そして何より、サスペンス調のストーリーだろう。読者は登場人物とともに、次々訪れる危機に汗握り、ど、どうなるのどうなるの?と次のページをめくらずにはいられない。この読者をぐいぐいひっぱる展開のうまさもマル。
読後、なんともぞわぞわっとした気持ちにさせられる、この快感!実はホラーの苦手な私だが、単に気持ち悪い、グロテスクというのでなく、こういう心臓の裏側をひんやりとなでられるような心理的ホラーはいいね。世間の常識とどっかひとつずれてる、この妙な居心地の悪さがなんとも魅力。
「優子」は、ラストが曖昧で余韻を残す。うう、これはどっちの言い分が正しいのか?これはおそらく誰にもわからない。どちらにしても、どこか奇妙に世間とずれてしまった人間の哀しさが、読者をうならせる。こちらもいい出来。
著者のほかの作品をもっと読みたいものだ。と思ったら、もうすぐ新刊が集英社から出るそうなので、楽しみである。
『猫の地球儀 焔の章』『猫の地球儀その2 幽の章』☆☆☆ 秋山瑞人 電撃文庫(2000.1月・4月刊)
「本の雑誌」7月号で大森望氏が絶賛。ほかネットでも評判がよかったので読んでみたが…惜しい!非常に惜しい!SF的設定は非常に優れているし(この装丁からは想像もつかないほど、といっては失礼か?とにかく驚くほど立派に構築されたSF世界である)、筆力はあるし、ひとつひとつのエピソードはぐっとくるのだが、…心に響くものに欠けるのだ。敗因としては、構成がいまひとつ散漫だったのではないかと思う。いろいろテーマを詰め込みすぎて、結局どれが言いたかったのか?がぼやけてしまっており、強くガツン、と胸を押すパワーが弱くなってしまっているのだ。構成さえうまく組み立てて盛り上げれば、大傑作になったと思うのだが。実に惜しい。
もう人間は滅びている(おそらく)未来。舞台は地球の周りをまわる宇宙ステーション、トルク。ここは猫とその連れ歩くロボットだけの世界である。 戦って最強の猫になることだけを目指すスパイラルダイバーの猫、焔と、密かに彼のファンである小さな牝猫、楽と、37番目のスカイウォーカーである幽。この猫の社会で彼等3匹の繰り広げる孤独、夢、ぶきっちょな友情などが描かれている。
エピソードはどれも印象的で切ないのだ。焔のひたすら戦いに挑む一匹狼の寂しさ、幽の「円と出会わなければ自分が一人だったということさえ気がつかなかった」という絶対的孤独、楽のひたむきな慕情と献身。さみしい同士のどこか似た魂の、それゆえのぶつかり合いと、そこから芽生えるほのかな友情。幽の、何を犠牲にしても地球に行きたい!という強い夢と憧れ。
なのに、時系列があいまいだったり、盛り上がったところに突然出てくるほかのエピソードに気持ちをそがれたりして、どうも読者のテンションとしては盛り上がりに欠けるのだ。「きたきたきたあ〜っ!」というところに、すかっと肩透し、みたいな。本当にもったいない。残念。
非常に力のある、まぎれもない日本SF作家のおひとりだと思うので、ぜひ次回作に期待したいところ。将来大化けする可能性大。楽しみに待ってます。
『プリズム』☆☆☆1/2貫井徳郎 実業之日本社(99.10月刊)
帯にある「究極の推理ゲーム」という言葉がぴったりの1冊。ご本人がおっしゃるには「アンチ本格ミステリ」だそう。
生徒に絶大な人気を持つ、若くて美人の小学校教師が、ある晩死んでいるのが発見される。これは事故か他殺か?もし他殺ならば、犯人はいったい誰?この謎をめぐり、4つの章でそれぞれ別の人物が推理をめぐらす、という構成になっている。
この構成が実にお見事。推理が、謎が、オクラホマミキサーを踊っているようだ。順繰りにパートナーを交代しながら、それぞれの手に渡っていく。その新しい登場人物の出現によって、次々に新しい局面が出てきて、謎はくるくると回転してゆく。著者はきっちりと、緻密に物語を構成して伏線を張っており、その手腕にはさすがという他ない。著者が本当に「ミステリ」というものを愛し、推理そのものにこだわっているのがよくわかる。が、同時に人間描写もやはりうまくて、うならされる。
面白いのは、この被害者が、見る側によって大きく姿を変えることである。生徒から見れば自分達のことをよくわかってくれたいい先生、が、同僚の女性教師から見れば、昔交際していた男性から見れば…。まさに見る方向によって色を変える「プリズム」である。そして、「謎」自体も見る側によってどんどん色を変えてゆくのだ。
純粋な推理の醍醐味が楽しめる1冊。なのだが、私にはこのラストは…。思いっきりネタバレなので、ここには触れられないのがツライところ。性格的に好みが分かれるかな。オッケーなひとはオッケーだろうけど。ワタクシ的には○○だったら☆4つだったのにな、とだけ書くにとどめておこう。
『殺竜事件』☆☆☆ 上遠野浩平 講談社ノベルス(00.6月刊)
あの『ブギーポップは笑わない』シリーズが大好評の著者の、新路線。「ミステリとファンタジーの二重奏」というふれこみ。
舞台は、ファンタジーにお決まりの、竜や魔法の出てくる異世界。その世界では、合計7匹の竜が住んでいる。ロミアザルスという独立都市では、町のすぐそばに竜が住んでおり、町の人々の管理によって、その竜に会うこともできるのだ。さて、この町で停戦協定が結ばれることになったのだが、そのために集まったレーゼ大尉、“風の騎士”ヒースロゥ・クリストフ少佐、戦地調停士EDの3人は、なんとその竜が刺殺されているのを発見してしまった。かくして、彼らはその謎を解く為に、1ヶ月という期限付きで旅をすることとなる…。
というわけで、3人の珍道中が始まる。このどこかポップなノリのよさは、いかにも著者らしい。つるつるっと軽く読めて、そこそこ楽しめる。キャラもそれぞれ魅力的で、ヒースはカッコイイし、EDは破天荒だがどこか影を秘めた存在で、興味をひく。レーゼは紅一点の美女だが、彼女はどちらかというと語り手役。
私は日頃ほとんどこういったファンタジーを読んでいないので、この路線についていろいろ言及できないのだが、私のような初心者には読みやすく入りやすく、それなりに面白い。が、読みなれた玄人のファンタジー読みの方々には、うーん、どうなのだろう。食い足りないかもしれない。
ミステリテイストについては、やりたいことはわかるのだが、ん〜、ちょっと苦しいかな。その竜の死因には、いまひとつ納得がいかないなあ、私は。だって、何千年も生きてて、不死身で、絶大な魔力を持った竜でしょお?それだけで死ぬかな?もう少し、説得力のある理由が欲しかった気が。
何かちょっと軽く読めて楽しいものを読みたい、という方にはオススメだが、残念ながら深みにはやや欠けるかもしれない、という印象。
『慟哭』☆☆☆☆☆ 貫井徳郎 創元推理文庫(99.3月刊)
読了後、直ちに決定した。これは今年半期の、いやもしかしたら今年1年を通しての、ワタクシ的ベスト1である。文句なしの☆5つ。満点。貫井徳郎が、今年出会えて最も幸福だった作家のひとりであることは間違いない。(ああ、MYSCONまでに読んでおかなかった自分を心底呪う…。)
…まさに『慟哭』。このタイトルが、すべてを語っている。なんと、なんと辛い物語だろう。これはもはや、悲しみなどというレベルではない。血を吐くほどの魂の叫び、心に空いた深く大きな暗い穴。そして決して二度と埋めることのできない穴。たとえ神にも。この「穴」を目の当たりにしたとき、あなたはどうするだろう。私はラストの一行を読み終えたとき、あまりの痛さに涙が止まらなかった。これは子供を持つ人間には痛過ぎる。本当に。(蛇足だが、私の個人的事情がシンクロするためにここまで採点が高いわけでは決してないことは、この本を一読して下さればおわかりかと思う。)
ある幼女誘拐殺人事件が発生する。その捜査の担当責任者である捜査一課長、佐伯の章と、もうひとりの男の章が交互に語られる、という形式で物語は進行する。佐伯らの必死の捜査は遅々として進まず、やがて第2、第3の殺人が起きてしまう…。
著者はこれがデビュー作とか。実に驚くべきことである。すでに全てが見事に完成されているのだ。危なげなところが全くない。まず文章が非常にうまいのだ。かっちりと安定していて、読みやすくクセもなく、かといって軽くもなく、洗練された落ち着いた大人の文章といった印象を受ける。派手さはないが、読んでいて安心感のある文章、といったらわかっていただけるだろうか。これを書いたとき、著者はおそらく20代前半のはず(このあたり詳しい方がいらっしゃいましたらご教授ください)。年齢は関係ないのかもしれないが、思わず舌をまくうまさである。情景描写もさることながら、人間の心理描写がまた実に巧みで説得力があるのだ。登場人物それぞれの心の痛み、微妙な心の揺れが、すっと自分の心に入ってくるのがわかる。
ミステリとしての出来も文句なしに素晴らしい。私はミステリ論には疎いので、論理的にどうというのは説明できず、なんとも恐縮だが、この手法には深く感嘆させられた。まいったの一言。ただただ賞賛の溜息をつくのみである。これについては一切の説明は無用である。これから読むあなたは、実に幸福であるとだけ申し添えておこう。
トリック構成の見事さと、そして何より読む者の心をえぐらずにはおれない、淡々としながらも心の奥底まで深く突き刺さる心理描写の筆力に、文字通り打ちのめされてしまった。最後にもう一度だけ。「慟哭」。
『エンジン・サマー』☆☆☆☆ ジョン・クロウリー(90.12月刊)
ニムさんを始め、星間宇宙船に集う方々、皆絶賛の一冊。私にはクロウリー初体験。
実に美しく不思議で、難しい物語だった。書いてあることが難解でよくわからない、というのとは少々違う。文章自体は平易で、難しい言葉を使ってるというわけではないのだが、すべてが象徴や寓話に満ちていて、意味深なのである。たとえば、「明るいと暗い」という言葉。これはいったい、どういう意味を持って使われているのだろう?わかるような、わからないような…。さまざまなキーワードが登場するのだが、著者はあえて説明をしない。寓話だから。おのおの、読者の好きなように解釈せよ、とのことであろう。(これは大森望氏、翻訳に苦労したことであろう)
これは、あるインディアン系(おそらく)の少年、「灯心草」によって語られる、彼の物語だ。と同時に、彼の住む世界の物語だ。おそらく、今の文明が「嵐」(戦争?天変地異?)によってすべて滅亡し、その後のはるか未来、かつての失われた文明の残骸があちこちに残る中、細々と生き残った人々が集落を作り暮らしている時代の物語だ。
という設定に何かピンときませんか?私は「これは『風の谷のナウシカ』か、はたまた『天空の城ラピュタ』か?」と思ったのだが、果たしてそれは…。
「灯心草」は、天使と呼ばれる少女に、「真実の語り」を語る。7歳の頃、〈一日一度〉という名の少女と出会ったこと、その少女と別れたこと、聖人になるために旅立ったこと…。
この語りが実に深みがあって素晴らしい。「物語を読む」という喜びに浸れるとはまさしくこのことであろう。それも、子供の頃に大人に聞かせてもらったおとぎ話のような物語だ。寓話と謎に満ちていて、およそ一度読んだくらいではすべてを理解することなど到底できない、深い深い意味を秘めた物語だ。しかも、しみじみと美しく、牧歌的で、穏やかなインディアンたちの暮らしがとっぷり味わえる物語だ。読んでいると、静かで暖かな気持ちになれる物語だ。早く先が知りたくてたまらない、というのではなく、この少年の語りが終わってしまうのが惜しく、いつまでもこの本の中に浸っていたいような物語だ。さらに、これはひとりの少年の成長譚でもある。今の文明への皮肉、警告でもある。それら全てが、宝石のように美しい言葉で語られているのだ。
と思っていたら、ラストでいっきにSFになったのには驚き。そうか、「灯心草」はこれからも無数の生涯を生きるのか。ラストの2ページを繰り返し繰り返し読み、なんともいえない切なさに、じんと心が震えた。そして今も、「灯心草」は…。ああ。
私のつたないSF読書歴の中で、最も美しい物語であった、とだけは断言しよう。
ラストに、私にしては非常に珍しい(というか初めて?)ことだが、ここに書影をアップしておく。装丁も本当に美しい本なので。つくづく、この本の発行元である、ベネッセの書籍出版撤退が悔やまれる。