『ぬかるんでから』☆☆☆ 佐藤哲也 文芸春秋(01年、5月刊)
う〜ん、これはどう解釈すればいいのだろう?幻想小説?SF?ファンタジー?ワタクシ的には、「本の雑誌」8月号の「新刊めったくたガイド」で大森望氏が書いていた、「超常小説」という言い回しが一番近いだろうか。そう、椎名誠の『水域』とかの感覚に近い。
13の短篇が収録されている。はあ、なんというか、常識を超えている。むちゃくちゃ。ああ、そうだなあ、明け方にみた奇妙でイヤ〜な悪夢を小説に仕立てたような、といってもいいのかもしれない。とにかくブッ飛んでいる。「やもりのかば」なんてアナタ、でっかいかばが天井にやもりのように張り付いたまま住んでいるんですよ(笑)。なんともいえず怖い話も多い。人間大のキリギリスはとてつもなく怖いです…。
ただ、筆致は至って真面目。ふざけてない。非常に文章のうまい方という印象を受ける。センテンスが短いのも特徴。たたみかけるような、それでいて冷静な文体が、その異様な情景や主人公の不安感を際立たせる。
一番好きな話は「春の訪れ」。妻が出てくる短篇はどれもすごくいい味。愛がある。「ぬかるんでから」や「記念樹」も傑作。「とかげまいり」は…あれも愛、ですよね?(笑)
万人向けの、誰もが面白いと思ってくれる本とは言わないが、シーナ的超常小説がオッケーな方ならぜひ。
『9つの殺人メルヘン』☆☆☆1/2 鯨統一郎 光文社カッパノベルス(01年、6月刊)
グリム童話になぞらえて解かれる、9つの殺人事件。『邪馬台国はどこですか?』(創元推理文庫)をほうふつとさせる、軽妙なミステリ短篇集。やっぱ、こういう路線が鯨さんらしくていいと思うなあ。鯨さんというジャンルとして、確立させましょうよ!(と勝手なことを言ってみたり)
とある日本酒バーでの、客たちとマスターのたあいないおしゃべりが、客のひとりである美女にかかるといつのまにかグリム童話の新解釈を使った、あっと驚くアリバイ崩しに。有栖川有栖の裏表紙の解説によると、有栖川氏がある小説の中で、アリバイ・トリックを9つのパターンに分類したことがあり(なんていう本?ご存知の方はご一報を!)、鯨氏は本書でその全てのパターンを並べることに挑戦したそうな。なーるほど、そういう実験小説でもあったのね。
本筋には関係ないけど、なにげに挿入されたマニアックな懐かしアニメや映画やテレビ番組の話がまたおかしいのだ。30代後半〜40代くらいの方なら笑えること確実(私はほとんどわからなかったんだけど)。
肩の力を抜いて軽〜く読める、ミステリ短篇集。軽妙で飄々とした味わいの鯨ミステリをお楽しみください。そうねえ、呑んべえの方は傍らにお酒も用意して読むともっと楽しめるのではないでしょうか(笑)。
『異邦人』☆☆☆1/2 西澤保彦 集英社 ←未刊です。秋ごろに発売の予定。
集英社の方からゲラをいただいた。ありがとうございます。ちょっとパラパラっとめくるだけのつもりが止まらなくなり、気がついたら読了していたという、恐るべき小説(笑)。つまり非常に面白かった。
感触としては、トリッキーな時空SFミステリ。SFとミステリの混ざり具合が絶妙。でも主眼点はパズラーなのよね。未読なので確実なことはいえないが、いわゆる有名な彼の作品である『七回死んだ男』(講談社文庫)の路線といえばだいたいあってるのではなかろうか。時空を超えて、かつて父が殺された事件の犯人を探す、みたいな話。
だが、これが一筋縄じゃいかないんだな〜(笑)。もったいないからこれ以上言いませんが、いろいろとひねりがありまして(笑)。まずルールから説明、というふうにSFについて、ミステリについてのウンチクをとうとうと登場人物が述べ立てるところが、オタク魂炸裂(笑)。ニヤリとする読者は多いはず。とにかく、本書の世界のルール設定が読みどころ、といえるかな。
ジャンルで言うなら、間違いなく「西澤保彦」というジャンル。いかにも彼らしい1冊。面白いことはワタクシが保証いたします。発売日を首を長くして待ちましょう!
『本の業界 真空とびひざ蹴り』☆☆☆☆1/2 本の雑誌編集部 (本の雑誌社、01年6月刊)
「真空とびひざ蹴り」とは、ご存知の方も多いと思うが、ずっと長いこと「本の雑誌」の巻頭を飾っていた名物コラムである。2001年2月号をもって、目黒考二氏が発行人を降りることになり、この連載もついに幕を閉じることとなった。このコラムの長年のファンとしては非常に残念である。その連載をまとめたのが本書である。
改めてまとめて25年分を一気に読んだわけだが、なんというか非常に感動してしまった。いいこと書いてあるのよ、ホント。ここに書かれている業界への言葉は、どこをとっても実に深く、ずっしりと現実的重みがある。そして何より、あふれるまでの本(やその周辺の人間)への愛がある。この帯にあるように、「本を愛するすべての人へ!」あてて書かれている。出版界における問題点を、こんなにぐっさり書いた本は、いまだかつてないのではなかろうか。
書店について、お客について、編集者について、ベスト10について、さらには図書館、古本屋、サン・ジョルディの日までと、本当に本の周辺のありとあらゆることが、多岐にわたって俎上に乗せられている。「ああ、そんなこと昔あったねえ、懐かしいなあ」というネタもあれば、「これ、今でも全然変わってないなあ」というネタもある。「ああっ、すみませんすみません〜」と、本書に平謝りしたくなる、書店員叱咤の話もある。が、書店員支援のほうが圧倒的に多くとりあげられていて、感涙モノ。ああ、よくぞ言ってくださった!と快哉を叫びたい話も幾つかある(書店員に、業界に休みをもっとくれえ〜、とか、お客様のマナーとかね)。今更ながら、目からウロコの落ちることもいっぱいあった。
私達は、やはりこの時代の速度や出版洪水に流されて、何かとても大切なものを見失っている気がする。それを、はっと思い出させてくれるのがこの本だ。とにかくここに書かれてる意見の全てが、実に健全でまっとうなのだ。それは、本書がどこかエラソウに業界を見下した意見ではないからだ。そうではなく、逆に業界を支える底辺である読者側から、本を愛する一個人として、この業界への素朴で率直な疑問と、心からのエールが発信されているからだ。だからこそ、激しく強く共感を呼ぶのである。
あー、本書については、書き始めたら止まらなくなってしまう。もう、本当にひとつひとつのコラム全部にコメントをつけたいくらい。本を愛する一般読書人はもちろんのこと、全ての業界人に真摯な気持ちで読んで欲しい1冊。これを読まずに、ここ4半世紀の出版界を語るなかれ。もちろん、「本の雑誌」を一度も読んだことのない方でもオッケーですよ!
『鳥の歌いまは絶え』☆☆☆☆ ケイト・ウイルヘルム(サンリオSF文庫、82年7月刊)
例の如く、kashibaさん@猟奇の鉄人の感想(2000年10月5日)を読んで以来、ずっと気になっていた本。やっと人からお借りして、読むことができた。現在の入手はかなり困難で、古書価も高いらしい。が、それだけの価値に見合う名作、傑作といっていいと思う。
近未来。人間の環境破壊や放射能汚染により、地球上のあらゆる生物は滅びかけていた。人間もまたしかり。人口は減りつづけ、さらに加速度を増すばかり。ついに、デヴィッドの一族は、とある谷で病院を建設し、そこで禁断の実験を開始する…。
美しくも淡々とした描写は、穏やかにゆっくりと悲劇へ向かっていく。が、その中に描かれるのは男女の愛、親子の愛、そして何より他者への愛だ。自分と他人は違うということ。だからこそどの人間もいとおしい存在であるということ。この小説は他にも非常にいろんな問題を提示しているが、私にはこのアイデンティティの問題が最も印象的であった。それはつまり、著者自身の、人間への愛だといってもいいのではないだろうか。
環境の激変した地球で、残された人々が小さな谷でひっそりと暮らすという設定は、どこか「風の谷のナウシカ」を連想させる。どこか悲しい、ふうっと溜め息が出るような読後感も少し似ている。が、○○○○が出てくるところが、この物語をややSF色の強いものにしている(先に述べたアイデンティティの問題も、ここから発生している)。けれど、「SF」と身構えて読む必要は全くない。「ナウシカ」が多くの人にごく自然に受け入れられているように。
豊饒な文章と、深みのある物語に惹き込まれる。ここには、SFに限らずあらゆる小説の醍醐味が含まれている。「物語」を愛する人なら、誰もがこの壮大なスケールの物語には満足の溜め息をつくであろう。出版以来、こんなに長い時を経ていても、今なお全く色褪せていない、そしてこれからも色褪せることのないであろう傑作。
『椰子・椰子』☆☆☆1/2 川上弘美(新潮文庫、01.5月刊)
ひとことで言うと、「なんだかオトボケなヘンな話〜」(笑)。とある女性の日記といった形式で、彼女の春夏秋冬がつづられている。が、これがぜーんぶヘンテコでむちゃくちゃなのだ。淡々とした筆致のくせに、とんでもないことばかり書いてある。もぐらと写真を撮ったり、友人の会社のコピー機に4歳くらいの女の子が住み着いたり、殿様が町内副会長をつとめていたり、もうとにかく全編こんな調子なのだ。
現実からぽーんと飛んでむちゃくちゃなこと書いてるんだけど、その飛び方が実にいいカンジ。わざとらしさがなくて、肩の力が抜けている。飛ぶ方向、飛距離、着地点、どれもがなんだか心地よい。ふふっと笑いたくなる。そう、夜中や明け方にみる、なんともいえない奇妙な夢みたい。目覚めて、雰囲気やそのときの感情(すごく悲しいとか、なんだか切ないとか)ははっきり覚えてるのに、いざ言葉にしようとするとどうにもうまく説明できなくて、ただのヘンテコな話になっちゃう。あの感覚にいちばん近いかもしれない。
ちなみに、私のいちばん好きな話は「ぺたぺたさん」。
『学校に行かなければ死なずにすんだ子ども』☆☆☆1/2 石坂啓(幻冬舎、01.5月刊)
なんとも強烈なタイトルではないか。来年の春に、娘を小学校へ送り出す身としては、思わず不安にかられて本を手に取ってしまうにじゅうぶんな惹句だ。ここんとこのニュースだの新聞だのを見ていると、残念ながら学校に強い不安を持たざるをえない。もはや、学校がいったいどうなってしまっているのか、外の人間には想像すらつかない。そこへ、かの石坂啓が、学校にまつわるエッセイを書いたとなれば、これはもう読まなければ、である。私は『赤ちゃんが来た』を読んで以来、彼女の文章を非常に信頼しているのだ。えらぶらず、等身大の言葉で語っているし、何よりものの価値観がごくごくまっとうに思えるからだ。正しいものにはイエスと言い、世間にまかり通っていようが納得できないものにはきっぱりノーという、その態度の潔さがいい。本書もまさにその通りであった。
3章からなるこの本は、1章が学校の近くにいる子どもや大人へのメッセ―ジめいたもの、あとの2章が実際に自分の子供のことについての軽いエッセイ仕立てになっている。
1章はかなりマジな内容。これは、大いなる共感とともに、私の学校への不安をかなり軽くしてくれるものであった。たとえば、「学校は、軍隊ではない」という章。私も小・中学生の頃、やたら行進隊列にうるさい先生達を疑問に思っていたのだ。やっぱりあれは軍隊のまねっこだったのか。子供心にもなんだかイヤだったよ。他にも、「学校は子供に画一化を押しつけるくせに、同じ口で個性化を薦めるのはおかしい」とか。確かにそれじゃ子供はどうしていいかわかんないよなあ。などなど、どれも非常に納得・共感できる内容であった。特に一番の趣旨である「学校は、降りてもいい」というその主張は、今の学校に不安を抱いていた身を大いに勇気づけ、ほっと安心させてくれるものであった。
2章と3章は、彼女お得意の軽くて楽しい育児エッセイ。『赤ちゃんが来た』から読んでるせいか、もうすっかりリクオくんのことを知り合いの子供みたいに感じてしまっている(笑)。ああ、大きくなったねえ、みたいな。リクオくんは相変わらず元気で天真爛漫で、かわいい。
学校や子供に不安や疑問を持ってる方にはぜひオススメ。あなたの迷いを取り除く、心強い1冊。何が一番大事か、ってことがよくわかります。当たり前のことなんだけど、実際には意外と見失いがちだよね。
『きみにしか聞こえない』☆☆☆1/2 乙一(角川スニーカー文庫、01.6月刊)
ひとは誰でも、心の奥底に、大切なものを隠し持っている。それは、さながら桃の実のようにみずみずしく柔らかく、心無い他人に雑に扱われるとすぐに傷ついてしまう、そんな“ピュアな気持ち”なのかもしれない。それを、「あなたの隠してるのはこれでしょ?」とそっとやさしく手のひらに包んで見せてくれる。乙一はそんな作家だ。
ここには3つの中篇が収められている。相変わらず、彼らしいなんとも変わった設定のヘンな話だ(ホメ言葉です)。「Calling You」は、『失踪HOLIDAY』の「しあわせは子猫のかたち」がお好きな方ならジャストミートの一篇。ワタクシ的にはこれがイチオシ。いいです。誰もが少なからず、こういった周囲との疎外感を密かに抱えている、あるいは抱えていたはず。相手の言葉を真摯に受け取るゆえに傷つき、いつしか心を閉ざすようになってしまった主人公の、心の柔らかさとどうしようもない孤独感が胸にしみる。優しさと温かさに包まれた解決に、くっと切なさがこみあげてくる。
「傷―KIZ/KIDS」も、少年たちの無垢な魂が深い感動を呼ぶ。「華歌」は…ある意味、もっとも乙一らしい話といえるだろう。ものすごく奇妙な味わいの一篇。こういうのをさらりと書いちゃうから、乙一はあなどれない。びっくり箱だね。
『フロン』☆☆☆1/2 岡田斗司夫(海拓舎、01.6月刊)
「タイトルの「フロン」とは、婦論であり、夫論であり、父論です」とまえがきにある。読者対象は女性らしいが、男性にもぜひ一読をオススメしたい。いやもう、私が買ってあげてもいいぞ(笑)。
ここには、現代の悩める女性達(未婚も、妻も、母も含む)の心が的確に、明確に書いてある。日頃、心の中でもやもやっと感じている何か、違和感みたいなものを、ばきっと明確な言葉として表現してくれている。しかも男性側からこれを書いてくれたということがさらにすごい。
パート1からパート5までは、家庭論、結婚論、恋愛論、さらには子育て論までが、順を追って述べられている。読んでいくにつれて、ボロボロと目からウロコが落ちていった。要するに私達は、昔作られた既存の価値観にガチガチに縛られていた、というのだ。「家庭は安らぎの場」だとか、「結婚こそが女の幸福である」とか、恋愛に関しては「オンリーユー・フォーエバー症候群」だとかに。そして、それはもはや現代の感覚とは著しくズレているのに、なんとか無理やり自分の心をその古い器に押し込んで、良き女・良き妻・良き母であろうとするから苦しいのだ、と。
このあたりの論理は、実に納得がいく。私は女だから、女の立場のことしかわからないが、少なくともここに書かれているのは現代女性のホンネの一端をズバリと言い表していると思う。男性の皆様、女性にとって家庭は「安らぎの場」ではなく「もうひとつの職場」だと知っていましたか?(いやもちろん100%そうだとは言わないが)「結婚は女性にとってデメリットばかりだ」と私達が密かに考えてることに気がついていましたか?(これも100%じゃないけどね)そういったことがちゃんとわかってる男性は、本書を読む必要はないかもしれない。でも、まだまだまだまだ、古い概念の上にのうのうとしてる男性は多いと思う。そういった方々にこそ、ぜひこれを読んでいただきたい。そして、悩める女性の皆様にも。
著者は、ここまでのパートで現代の女性・男性心理を分析し、以後のパート6と7で、じゃあどうしたらいいのか、という実践論を展開している。が、これはいささか極論であると思わざるをえない。夫は使えなーい、じゃあ家庭からポイしちゃおう(著者の言葉でいうとリストラしちゃおう)、そんで目的別にパートナーを選ぼう、ってそんなに単純でいいのか?(笑)それは単に面倒からの逃げではないのか?まあ、これは彼なりの結論なので、あまり本気にせず、実例のひとつとして面白おかしくちょっとカナシク読んでおけばそれでいいのではないかと思う。これに賛同する人はさすがにあまりいないと思うのだが。
(私としては、そんな極論に走らんでも、単に本書前半で述べられている女性の気持ちを少し理解してもらうだけで、かなり女性側の心理的負担は軽くなると思う。実際、我が家で『フロン』論を述べたら、ダンナが皿洗いをしてくれるようになったぞ>これだけでもめっちゃ画期的(笑)。いつまで続くかが問題だが(笑)。)
とにかく、強調しておくが、本書の読みどころは、著者が結論付けた、いかにも冷え冷えとした「夫リストラ論」ではない。それはむしろどうでもよくて、何より読んで欲しいのは、前半に書かれている、既存の思想・幻想に苦しんでいる現代の女性心理分析だ。そう、本書は、自分の今の姿をさらし出す鏡といえるかもしれない。ここに書いたのはあくまで私の感想であって、人によってそれぞれ受け取り方は大きく異なるだろう。男女どちらにとってもかなりシビアな本だが、これを踏まえたうえで互いの幸福を探すことは、じゅうぶん可能であるはずだ。