『海のふた』☆☆☆☆☆ (よしもとばなな ロッキング・オン 04.6月刊)

  大傑作。でも本当は、「傑作」なんていう大仰な言い方はしたくない。そういう褒め言葉が似合う話じゃない。ごくごく普通の、ささやかで、つつましい話だから。だけど、すんごく感動した。読みながら、100回くらい「うん、そうだよね、ばななちゃん!」と心で深く深くうなずいてた。彼女の愛しているもの、大切にしているもの、日々何を思いながら暮らしているのか、そんな全てが全編ににじみ出ている話だった。悲しいわけでもないのに、何度も涙がじんわりと出そうになった。それは、あえていうなら、例えば赤ん坊の小さな手を見たときに浮かぶような涙。小さな小さな幸せ。

 東京の大学を出て、故郷のさびれた海辺で、小さなかき氷屋を始めた女の子が主人公。彼女の家で、祖母を亡くしたばかりの知り合いの女の子、はじめちゃんをひと夏だけ預かることになる。そのふたりの、かけがえのない、ただ一度の夏の物語。

 最近のばななちゃん(すいません、どうしても私はこの人をこう呼んでしまう)は、こういう傷ついた女の子が徐々に立ち直っていくような話が多く、今回もとてもいい感じに書けている。でも、本書はこのはじめちゃんの癒しがメインというわけではない。あくまでも主人公がメインで、彼女が南の島でとても素敵なかき氷屋さんに出会った経験から、自分の大好きなかき氷屋を開こうと思い立ち、本当にささやかな店だけれど夢を実現させ、故郷の海やさびれた町へのノスタルジーを感じつつ、自分のできる範囲でできることをつつましくやっていこうとする話なのだ。このふたりが、徐々に相手のことを知り、自分とは違う相手のよさに気がついてそれを認め、少しずつ深い友人になっていく。その会話や、一緒にいる感じがまた実にいい。読んでいるこちらまで、心地よくそのふたりの間の空気や、潮風や、夕暮れの空に包まれるようだ。

 私はわりと女性の書いた小説を読むことが多いのだけど、本書を読んでその理由がよくわかった。たとえばこんな文章。

 「しくみって思ったことはある。男の人はどんどん暗くて淋しいほうへ行って、女の人は毎日の中で小さい光を作るものなのかなあって。どっちもあってはじめて人類の車輪が回っていくのかも。」

 「ただ生まれて死んでいくまでの間を、気持ちよく、おてんとうさまに恥ずかしくなく、石の裏にも、木の陰にも宿っている精霊たちの言葉を聞くことができるような自分でいること。この世が作った美しいものを、まっすぐな目で見つめたまま、目をそらすようなことに手を染めず、死ぬことができるように暮らすだけのこと。」

 ああ、まさにそのとおりだ。どうして私の常日頃考えてることがわかったの、ばななちゃん。そう、女性は自分の居場所を探し、作り、小さな善き灯をともし、そこにあるささやかな幸福を大切にして、日々生きていく。それは、裏返せばいつだって幸せであろうとする女性の貪欲なしたたかさ、たくましさかもしれない。でも、その平和さ、穏やかさ、それこそが人生における幸福なのではないだろうか。

 あとがきにもあるように、本書は彼女の愛する西伊豆の土肥へのラブレター、もしくは感謝状でもある。全編に、そのかつては賑やかだったのに今はさびれてしまった町への郷愁と愛がこめられていて、ここにもじいんとしてしまう。お金や、時代の流れによって失われてしまった、やさしいものたち…。

 著者の、故郷と人と日々の生活への愛がたっぷりこめられた、とても心癒される物語。陳腐な言い方だけど、疲れてる人に読んで欲しい1冊。今すぐに、海に行きたくなります。そして、かき氷が食べたくなります(笑)。

購入はこちら amazon/bk1

〔乱読トップへ〕


『人面町四丁目』☆☆☆☆1/2 (北野勇作 角川ホラー文庫 04.7月刊)

 妻の話では、このあたりにはかつて人面の工場がたくさんあって、毎日たくさんの人面が作られ出荷されていたのだという。それで人面町。

 もうこのタイトルだけで勝ったも同然でしょう(笑)。「人面町」。なんというアヤシゲなタイトル。そしてそのネーミングにたがわず、なんというアヤシゲな町。「いっしょに来る?」という言葉をかけられ、そのままずるずるとその女とこの町で暮らし始めた小説家の、奇妙な日常を描いた連作短編集。

 いつもの北野勇作テイストたっぷりの、とぼけた味のある、SFというかホラーというかファンタジーというか夢物語というか、そのどれでもあり、どれでもないような不思議な話。今までごく普通の町を歩いていたのに、ふっと気がつくと非日常に迷い込んでいる、その「ふっ」とした瞬間の境界を書くのが相変わらず抜群にうまい。坂道をぐんぐん自転車で下っていく話など、実に秀逸。ぐるぐると左巻きの螺旋を下っていくと、今まで道に人なんていなかったのに坂下の境内にお祭りのように人がたくさんいて、亀がいて…。輪郭をはっきり書かないで、もわもわっと雲のように曖昧なままに書く、その絶妙さもいつものごとく。またこの妻がのほほんとしたいい味を出しているのだ。

 北野さんの書く町は、いつもそうだけど、どこか懐かしい匂いがする。こんなイヤそうな町でさえ(笑)。最近の町って、「この細い路地を入るとそこは…」みたいな謎めいたところがなくなってきてる気がする。みんな白日の元にさらされてて、影がない。北野さんの小説には、その今や失われた、影を持ったままの町がある。だから懐かしいのかもしれない。

 北野ファン、SFファンは当然というか必読ですが、天沢退二郎のような超日常ファンタジーがお好きな方にもぜひぜひオススメ。しかし北野さんの奥さんって、ホントにこんな感じなんだろうか?(笑)

購入はこちら amazon/bk1

〔乱読トップへ〕


『スペース』☆☆☆☆1/2 (加納朋子 東京創元社 04.5月刊)

 『ななつのこ』『魔法飛行』(ともに創元推理文庫)に続く、駒子シリーズ3作目。4作目も予定してるとのことなので、これは「起承転結」の「転」にあたる話。「スペース」と「バック・スペース」の2編が収められている。「スペース」もよかったけど、特に「バック・スペース」が!!!イイ!!!ああ、もう読み終わっちゃったのがもったいないと思えるほど。読後、こんなに幸せな気持ちになれるミステリなんて、そうそうない。

 しかし本書は、何の予備知識もなしに読むほうがゼッタイにいい!ので、ここからはネタバレというほどでもないけれど、未読の方は読まないほうが吉ですよ!

  大晦日に瀬尾さんに再会した駒子。彼女は、瀬尾さんに「また、読んでいただきたい手紙があるんです」と言う…。

 タイトルの「スペース」はどういう意味なんだろう?と思っていたところ、話の中にいろいろな「スペース」が出てきた。余白、宇宙、そして「場所」。もっと言うと〈あるべき場所〉。

 人にはそれぞれ〈あるべき場所〉っていうのがあるのよね。正しい居場所。自分が最も幸福になれる場所。もし〈間違った場所〉に居続けなければならないとしたら…それは間違いなく悲劇だわ。

 これは、自分の〈あるべき場所〉を探している人々が、それぞれの悩みや苦しみと向き合い、それを乗り越え、たったひとつだけの自分の居場所を見つける話だ。登場人物たちが皆、おさまるべきところにおさまってくれたのが、何より本当にうれしかった。出てきたキャラ全員に、にっこり笑って「うんうん、よかったね」と言ってあげたくなるような美しい締め方。加納さんの作品は、物語の作りがすごく丁寧で繊細だ。非常に構成が巧みできちんとラストが決まるので、いつでも安心して読める。読者を裏切らない、美しいパズル。最後に浮かび上がるのは、描かれた人物誰もが微笑んでいる、とても幸せな絵。

 または本書は「世にも幸福な小さな奇跡の物語」、といってもいいかもしれない。でも、ただじっとうずくまって奇跡を待ってるだけではダメなのだ。自分が動かなければ幸福はつかめない。この話に出てくる彼ら・彼女らは、勇気を持って行動を起こしたからこそ、その幸福をつかむことができたのだ。「スペース」では手紙の謎、「バック・スペース」では見事な伏線というミステリの手法を使って、著者が描いたのは、やさしさあふれる幸福な〈あるべき場所〉。いつもの加納さんらしい、素敵な物語だった。

 無数の物語が、ギリギリのところですれ違ったり、ときに交錯したりしている。それは誰の身にも、きっと起きる。もちろん、私自身にだって。大切なのは、それに気づくかどうかということ。

 どんなささやかな人生にも、物語はちゃんとある。そう、あなたの人生にも。加納さんらしい、温かくやさしい言葉である。

 装丁をてがけた菊池健さんのイラストで、今度『ななつのこ』の絵本が出るそうなので、これも楽しみ。刊行はまだ先とのことですが。

購入はこちら amazon/bk1

〔乱読トップへ〕


ホーム ボタン