『月のしずく100%ジュース』☆☆☆1/2 岡崎弘明 新潮文庫(H2.7月刊)

 第1回日本ファンタジーノベル大賞の最終候補作(に加筆したもの)。溝口@書物の帝国さんのリストによると、現在入手困難。昔の新潮文庫には、ファンタジーノベルシリーズなんてものがあったんですね。復刊してくれないかなあ。けっこう名作が多いのに。で、単行本で絶版になったものも一挙にシリーズ化してくれるとうれしいんだけど。

 で、この作品であるが、とにかくハチャメチャで面白い!雰囲気的には日本版『不思議の国のアリス』か。あれよりももっと軽くてドタバタしてるけど。あっという間の一気読みだった。

 売れないシナリオ・ライターのひろしと同棲中の春子。ある晩、けんかしてアパートを飛び出した春子は、どういうわけかひろしの書きかけのミュージカル・シナリオに入りこんでしまう。そのシナリオがまたむちゃくちゃ!歌と踊りと夢あふれると言えば聞こえはいいが、もっとずっとハチャメチャでわけわかんない設定で、世界はまるでハリボテ的だし、ゴジやダツジという怪獣はでるわ、赤インクで撃たれると溶けちゃうわ、シナリオどおりに動かないと助監督に怒られるわ、まさにあの場面がどんどん変わっていくアリスのよう!この妙ちきりんな世界が実になんともおかしいのだ。

 春子はなんとかこの世界から脱出すべく、大冒険を繰り広げるハメになる。そしてついにはこれを書いたひろし本人までもこの世界に入りこみ、彼女を救いにゆく。

 現実と架空の世界が微妙に入り乱れるというファンタジーが、あくまで軽〜く、おちゃらけ的に、作り物の舞台っぽく書かれている。でもストーリーはあくまできちんとおさまるところにおさまっているので、読後感はすっきり爽快。著者のギャグセンスがいたるところにあふれていて、最後のおまけなんてもう爆笑!とても楽しく読めたファンタジーだった。

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『ノスタルギガンテス』☆☆☆☆1/2 寮美千子 パロル舎(93.7月刊)

 書評というか、感想の書きにくい本というのが時々ある。それ自体があまりにいいので、何を語っても、陳腐で饒舌で下らないものになってしまう気がするのだ。もう何も言わない、言いようがない、とにかく読んで下さい!としか説明できない本。これは、そんな本の一冊である。

 主人公、櫂の独白から物語は始まる。冒頭からいきなり、イメージの洪水!こんなに鮮やかで美しい書き出しにはそうそうお目にはかかれない。目の前に、いきなり青いガラスの破片の海が広がった。以後、最後までさまざまなイメージが頭の中で炸裂しまくる。たくさんの映像が、脳の中で一気に拡大し、高い虚空まで広がってゆく。いったい何なのだろう、これは?この本は!ひとつひとつの文章はなんてことないのに、それが集まるとたちまち今私達のいるこの世界をガラリと変えてしまうのだ。この本に貫かれている世界のイメージは、廃墟、滅亡、破滅といったネガティブなものばかりである。読み進むうち、じわじわと読者はそれに浸されてゆくのだ。

 櫂は、空き缶で作った恐竜「メカザウルス」を、森の公園にある「隠れ家の木」のずっと上に結びつけて隠した。するとその後、どういうわけかガラクタである「役にたたなくてもとてもすてきな物たち〜キップル」がその木に続々と集まってきたのだ。やがて、木は漂流物のようなキップルでいっぱいになる。集まるゴミに手を焼いた公園管理局は、木を切り倒そうとする。そんな時、櫂の前に、写真を撮りたがる男と、その木に名前をつけようとする芸術家が現れる…。

 ここに書かれているのは、子供の繊細な感性と大人の鈍さの対比ではないだろうか。無垢な感性だけで世界を把握している子供。名前をつけることによって、写真を撮ることによって存在を把握しようとする愚かな大人たち。それは、昔は確かに子供だった、そして今は大人の側になってしまった私達のなけなしの感性に電撃ショックを与える。思い出せ、あの頃の自分を、と。

 これは、子供のための本というより、かつて子供だった大人に読んで欲しい本である。もちろん、今更どうあがいてもあの感性は戻っては来ない。ただ、「ああ、自分はかつてこういうものだったのだ」とほんの少しだけ思い出すことはできるだろう。あなたも私も、確かにキップルを持っていたはずなのだから。

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『時計を忘れて森へ行こう』☆☆☆☆☆ 光原百合 東京創元社(98.4月刊)

 いわゆる、日常の謎派ミステリといえるだろうか。だが、あまりそういったジャンルを気にしないで読んでいただきたい本。なぜなら、ミステリ色はかなり薄めだから。それよりも、この本の中にあふれる、森の空気に思う存分浸っていただきたい。書店のカバーは外して読むこと。この装丁こそ、本の雰囲気にピッタリだから。

 主人公は、若杉翠という16歳の女子高生。彼女が、父の都合で清海という土地に引っ越してきたところから物語は始まる。校外学習で出かけた森の中で迷子になった彼女は、自然解説指導員(レンジャー)である深森護という男性に出会い、助けられる。素朴で温かな彼の魅力に惹きつけられた彼女は、以後しょっちゅう彼のいる森に通うことになる…。

 話は3つの章に分かれていて、それぞれ翠が謎を提示し、護さんが名探偵役を勤める。彼は自分が動くわけではなく、話を聞くだけで謎を解いてしまうというタイプである。いや、彼は謎を解く(もつれた糸をほどく)というより、むしろ、事実という名のさまざまな糸たちを集めて、真実という名の布を織り上げてしまうのだ。(蛇足だが、私は第二話の謎解きにはやられましたよ!あっと思わず声をあげそうになったほど。)

 まず、この本の魅力その1。全篇を貫く、森の描写。自分が今、深い森の中にいて、その冷たくしっとりした空気を深呼吸しているような気持ちになる。真っ暗な夜の森で、じっと静かに耳を澄ましているような気がする。と同時に、いかに現実の自分が自然から遠ざかっていて、いかにそれに飢えているのかを思い知らされる。かさかさした心にしみとおる、柔らかな雨のよう。

 魅力その2。登場人物。まずは、深森護。彼は、まさに森の人。森の一部として暮らしてるといっても過言ではないだろう。動物、植物、人間、そういったすべての生命を心から慈しんで生きている、穏やかで深い心を持った人。
 それから、主人公の若杉翠。おっとりのんびりしてて、純真。護さんを子犬のように慕っていて、抱きしめたいくらい可愛い!北村薫の「私」シリーズの主人公のような、男性から見た理想の女性像みたいなのとはちょっと違い、もっと等身大で好感が持てる。
 この二人の清々しさが、前述の森の描写とあいまって、独特の世界を作り上げている。

 魅力その3。日常のさりげない幸福。著者の筆というフィルターをかけると、世界はこんなに美しいものに満ちているのか、と驚かされる。実に繊細なまなざしで、著者は世界を見つめ、美しいものを発見し、それだけでたとえようもない幸福を感じているのだ。たとえば朝食のブルーベリージャムの色にさえも。
 そして、最も著者の描きたかった美しいものは、人と人との心の結びつきではないだろうか。たいていの人は、ひとりでは生きていない。でも、周りの人々との心のつながりにどれだけ支えられているかということに、日々、鈍くなってはいないだろうか。肉親、友人、教師と生徒、恋人。また、そういった言葉でくくれないつながりだってある。そんな人と人との何気ない心の交流が、実はどれほど幸福なものであるかを著者は描いているのだ。
 私は、これをあとがきにあるような「愛」などという大仰な言葉では表現したくない。もっとさりげなくて素朴な気持ちなのだ。うーん、うまい言葉が見つからない。

 読んでいて、涙がにじみ出て止まらなかった。悲しかったからではない。幸福のあまり涙が出てしまうのだ。私達の世界は、こんなにも小さな輝きにあふれている。人間と自然の美しさをどっぷり堪能できる一冊。

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『心とろかすような』☆☆☆☆ 宮部みゆき 東京創元社(97.11月刊)

 宮部みゆきのデビュー長編『パーフェクト・ブルー』の続編。主人公は、なんと犬!元警察犬の、マサというジャーマン・シェパードである。彼は現在、蓮見探偵事務所という、家族ぐるみで探偵をしてるようなアットホームな事務所で飼われている。ここでおきた5つの事件がマサの目を通して語られるという、なかなかの異色短篇集である。初出は1990年前後なので、かなり前なのだが、ちっとも古さを感じさせない。宮部みゆきらしさがよく出ている、ほのぼのミステリである。

 事件は、どれも最初はささいなことから始まる。ああ、この路線なら日常の謎的なお話かな、と思ったら、意外や意外。事件は殺人や動物虐待などけっこう深刻で、温かで家庭的な雰囲気の舞台でありながら、その奥に病んだ現代社会が見える。著者の、人間への暖かいまなざしと、悪や犯罪に対するやりきれない悲しみ、怒りが伝わってくる。ほろ苦い人情ミステリ、いや、犬情ミステリとでもいおうか。これはまさに著者お得意の路線である。

 サクサクと軽く楽しく読めるけど、その中に隠されたメッセージには深く考えさせられるという、1粒で2度おいしい(?)ミステリ。宮部ファンは必読!(ってファンならもうとっくに読んでるか。失礼!)

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『奇蹟の輝き』☆☆☆ リチャード・マシスン 創元推理文庫(99.4月刊)

 溝口@書物の帝国さんからの御指名による、宿題本(笑)。これは、夫婦の純愛ラブストーリーとも言えるから、一応結婚している身である私にお鉢が回ってきた模様。

 主人公のクリスは、突然の交通事故で死んでしまう。彼は、「常夏の国(サマーランド)」と呼ばれる死後の世界に行く。が、最愛の妻を残してきたことが心配で仕方ない。彼女は精神的に少々不安定なところがあったので、クリスは自分亡き後彼女がどうしているかと気になって夢まで見てしまう。が、その不安は的中し、彼女は自殺してしまう。彼女の迷える魂を救いに、彼は地獄の世界に向かう…。

 設定はちょっと、こと座のオルフェウスの話を思い出させる。黄泉の世界に落ちた妻を助けにいく夫という形が。ほかにも、神話や古典などが下敷きになっている気がする。このあたり、基礎知識がないので詳しくは言及できないのだが。

 死後の世界のことも、やはり知識がないのでなんともいえないのだが、著者は前書きに、膨大な参考資料を使い、調査に基づいて書いたと述べている。だから、この世界観は著者の考えたものではなく、他のいろいろな本に書かれているものを混ぜて書いたもののようだ。それによると、死後の世界はちゃんと実在して、肉体もあるし、今の現世となんら変わるものはないらしい。もちろん、苦しみや悲しみはなく、皆心安らかに平和に暮しているようだが。

 詳しい記述は本書を読んでいただくとして、もしここで展開されている死後の世界を信じていいのなら、死というものはそう恐れることはないのかもしれない。少なくとも、私はずいぶん気持ちが軽くなった。なあんだ、次の世界に行くだけなのね。なんて、これはちょっと安直すぎるけど。とにかく、このあたりは私には論じられないので、感覚的意見。

 それよりも、この本のテーマは最初にも述べた通り、夫婦の愛の絆だろう。クリスの、妻への愛の深さには、ただただ脱帽するばかりである。地獄に落ち、目の前にいるクリスがかつての夫だと理解できない妻に、彼が妻への感謝を述べるセリフがあるのだが、これは泣ける。これほどまでに深く暖かく、人は人を愛することができるものなのか?この境地はあまりに遠く遥かで崇高で、まだまだ私なんぞには到底たどり着けそうもない。

 愛というものが何なのか迷った方は、ぜひ一度この本を読んでみることをお薦めする。恋と愛がいかに違うものなのかも、よくおわかりいただけるのではないかと思う。(このあたりも一度語ってみたいものだが、うーむ、照れるな)

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『ハードボイルド/ハードラック』☆☆☆1/2 吉本ばなな 
ロッキング・オン(99.4月刊)

 吉本ばなな、2年ぶりの書き下ろし。中篇が2作入っている。

 「ハードボイルド」は、主人公の女性がひとり旅をしている途中に起きた、ある一晩の出来事を書いたものである。彼女は、以前ある女性とつきあっていたことがあり、その女性との思い出をからめつつ、物語が進行する。

 「ハードラック」は、主人公の女性に、脳出血で植物人間になってしまった姉がいる。この姉にまつわる思い出話や、彼女の婚約者だった人の兄とのあれこれで話が展開する。

 ふたつの話は全く別なのだが、共通するのは吉本ばななの小説に繰り返し出てくる「死」である。彼女の小説は、必ずといっていいほど、誰か人が死ぬ。しかも、それがいつも主人公の最も大切な存在である。恋人や、友人や、兄弟などの、かけがえのない大事な人。そういった愛する人を失った時のどうしようもない喪失感。その深い傷を主人公がいかに癒し、乗り越えてゆくか。それが、彼女の普遍的なテーマなのではないだろうか。

 そして彼女の小説にもうひとつ共通するのは、主人公の生きる姿勢がいつも前向きで明るいということだ。どんな苦しみにあっても、そこから逃げたり挫折したりしない。が、決して無理をして明るくしてるわけでもない。食べて眠ってという日常の中で、少しずつ少しずつ、悲しみという心の傷を治しながら、また再び歩いてゆこうとするのだ。そのひたむきさには、いつも励まされる。自分も、つらいことがあっても明日もがんばって生きていこう!という気にさせられるのだ。

 切なく、悲しく、静かな愛に満ちた小説であった。

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『スプートニクの恋人』☆☆☆☆ 村上春樹 講談社(99.4月刊)

 村上春樹、待望の最新刊。最初、「22歳と39歳の女性同士の恋愛もの」と聞いていたので、「そんなの想像つかないな〜」(自分に照らし合わせてみて)と思っていたが、考えていたのと全然違っていた。これはあくまでこの物語の要素のひとつであって、テーマではなかったのだ。春樹テイスト溢れる、彼らしい感触の小説であった。

 主人公は、小学校の教師をしている「ぼく」。彼が語るという形式で、物語は進行する。彼は大学在学中に、2つ年下のすみれと知り合った。すみれは、ただただ小説家になりたくて、そのために大学すら辞めてひたすら本を読み、文を書いて暮している、かなりエキセントリックな女性である。本をよく読む彼はそんなすみれと妙にウマがあい、親しくなる。

 彼はすみれに恋をしてるのだが、すみれは彼を友人としか思っていない。すみれは、性欲というものがわからないとさえ言う。そんなすみれがある日、激しい恋に落ちる。相手は、「ミュウ」と呼ばれる39歳の美しく知的な女性であった。たまたま、恋した相手が女性だっただけ、とすみれは言う。

 物語はこの3人の関係を軸に展開する。ぼくとすみれ、すみれとミュウ、ぼくとミュウ。それは、どうにもならない袋小路の行き止まりである。皆、どうやっても欲しいものが得られない。読み進むうち、心の中に彼らの孤独がひたひた押し寄せてくる。後半の展開は、まさに春樹ワールド。彼の、以前書いた話をいろいろ思い出させる。

 恋愛が入ってはいるが、これはあくまで彼の小説に一貫して書かれている「孤独」がテーマの小説であると思う。心にぽっかり空いた空洞や、果てしない荒野にたったひとりで立っている、そんな絶望的な淋しさを感じる。彼の小説を読んでいると、結局人間はひとりなんだろうか、といつも考えてしまう。すみれのように、誰かに夜中の3時に電話をかけたくなってしまう、そんなやるせない小説であった。

 (蛇足だが、最後の4ページの展開があまりに唐突な気がした。あれはなくてもよかったのではないか。そうすると、話がさらに絶望的になってしまうのだが。) 

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『ほんの1冊』☆☆☆1/2 いしいひさいち 朝日新聞社(99.2月刊)

 「書評マンガ集」という、かなり画期的な面白い本。前半52ページまでは、『女にはむかない職業』の藤原センセ他のキャラが出てくる4コママンガ。後半は、見開きページの右側がこのマンガの登場人物である藤原センセ、タブチコースケ、広岡達三、いしいひさいちによる書評、左が紹介本に関連した4コマギャグマンガという形式で構成されている。

 例の愛すべきトボけた登場人物たちのギャグが笑える。しかし、マンガのキャラに書評をさせるとは、なんという発想!ちゃんと彼らそれぞれの性格が出た書評になってるし。ベストセラーへの皮肉がチクリと入ってたりして、文章、マンガ共にいしいひさいち的ユーモアが溢れている。紹介されている本の種類は、シドニィ・シェルダンから宮部みゆき、島田荘司にコミックまで実に幅広い。ベストセラーからかなりのマニアック本までと、著者はかなり乱読の方のようだ。

 あとがき座談会も傑作。書評をした4人の座談会である。最後の著者略歴も面白い。藤原センセはなんと上智大学文学部卒だったのだ!(笑)

 軽く楽しく読める書評マンガである。藤原センセのファンは必読!この本には、彼女の結婚話は収録されてなかったのが残念。続きが読みたい!

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『鍋が笑う』☆☆☆☆ 岡本賢一 朝日ソノラマ(98.12月刊)

 著者略歴に“94年に「宇宙塵」に掲載の「鍋が笑う」で第13回SFファンジン大賞を受賞し、「ディアスの少女」にてデビュー”とある。そうだったのか、全然知らなかった。これは溝口@書物の帝国さんがだいぶ前に日記で「面白かった」と書いていたので、気になっていた本である。イラストがまたとてもキュートで、それに惹かれたせいもある。

 3つの中篇が収録されている。表題の「鍋が笑う」は、心温まるほのぼのSF。舞台は未来の地球であろう。ある営業のサラリーマンが、自社の鍋が欠陥品であるとのクレーム(鍋が笑うというクレーム!)のため、会社から回収を命じられ、とある人工惑星コロニーへ行く。そこに待ちうけていたものは、あくせくした人工的な地球とは打って変わった、のどかな世界であった…。

 風刺が効いた寓話であるともいえる。が、どう見たってSFでしょ、これ。が、笑えるのは、あとがきにゼッタイ「SF」という文字が表記されてないこと。すべて「××」と書かれてるのだ。往生際が悪いなあ。かわいいイラストとストーリーがマッチしていて、童話みたいな感触のとてもいいお話であった。あとの2篇はシリアスもの。「背中の女」は、篠田節子絶賛だそう。「リアの森」はラブストーリー。でも、どれも鋭い風刺がこめられている。著者は、未来の地球の姿を憂えているのではなかろうか。

 著者のホームページアドレスが最後に載っていたので、挙げておく。「猫丸の国」というページである。著作の紹介などあり。

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『もてない男』☆☆☆ 小谷野 敦 ちくま新書(99.1月刊)

 自称「もてない男」である著者が、童貞、恋愛、嫉妬、愛人、強姦などを、「もてない男」の視点でさまざまな文学作品やマンガから読み解いたもの。といっても堅苦しいものではなく、どちらかというと言いたい放題に書きまくってるエッセイに近い。または、恋愛の観点からのお勧め本のブックレビューともいえるか。

 はっきり言うと、この1冊、全篇ひたすら「もてない男」の愚痴である(笑)。著者のいじけぶり、嫉妬ぶりが笑える。女性が読んでも楽しめること請け合い。意外な男性心理がわかってなかなか興味深い。なるほどね、とうなずけるところも多い。が、あまりうのみにして読んではいけないだろう。これは、あくまで著者ひとりの考え方だから、男性すべてがこう考えてると思っては危険かも。「そうかあ?」と思うところもあるし。フェミニスト論とか、私は全然読んでないのでわからないしなあ。

 恋愛至上主義の今の世の中を「もてない男」の視点から見る、という目のつけどころは非常に良かったと思う。ただ、ちょっと考え方が片寄りすぎてるきらいがあるかな。誰かとの対談とかが入ってたら、もう少し視野が広いものになったかも。実際、「じゃあ、もてない男はいったいどうしたらいいのだ?」という疑問は解けないままなので、後味もなんとなくすっきりしないし。理論で煙にまかれた感じ。まあ、「こういう考え方もあるのね」という程度に読むには面白いと思う。いろいろと考えさせられる1冊ではある。

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