総 目 次
歌物語
↓ 伊勢物語 大和物語 平中物語 篁物語 多武峰少将物語
作り物語(伝奇物語)
↓ 竹取物語 宇津保物語 落窪物語
源氏物語
↓ 源氏物語巻名目次
作り物語(源氏以降)
↓ 堤中納言物語 浜松中納言物語 夜半の寝覚 狭衣物語 とりかへばや物語
  松浦宮物語 住吉物語 石清水物語 苔の衣 風につれなき物語
日記(中古)
↓ 土佐日記 蜻蛉日記 和泉式部日記 紫式部日記 更級日記 讃岐典侍日記
  成尋阿闍梨母集
日記(中世)
↓ 建礼門院右京大夫集 十六夜日記 とはずがたり
  建春門院中納言日記 海道記 東関紀行 弁内侍日記 中務内侍日記
  源家長日記
随筆・評論
↓ 枕草子 方丈記 徒然草 無名抄 無名草子
歴史物語
↓ 栄花物語 大鏡 今鏡 水鏡 増鏡 
説話(中古)
説話(中世)
軍記
↓ 将門記 陸奥話記 保元物語 平治物語 平家物語 源平盛衰記
  太平記 曾我物語 義経記
八代集
 

  伊 勢 物 語
最古の歌物語。古今集成立(九〇五)前後。1巻
在原業平がモデル。作者未詳。
「昔、男」ではじまる。「みやび」を描く。
「在五が物語」(源氏)・「在中将」(更級)・「在五中将日記」(狭衣) 
・男と女の恋愛が中心
・「て」の前後で主語が変わったりすることが多いので注意
・「あるじのはらからなる」とか、漠然とした人物が出てきたら業平と思え
・在原業平(825〜880)
 
 
 
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  大 和 物 語
 歌物語。二巻(または一巻)。一〇世紀半ばに成立。流布本では一七三段に別れ、約三〇〇首の和歌を中心に展開する「歌語り」を元とする。前半は当代、後半は昔語り的要素が強い。
 作者未詳。十世紀半ばに成立。『伊勢物語』の系統を引く歌物語。一七三段から成るが、主として前半は宮廷を舞台とする贈答歌中心の物語、後半は姥捨山などの民間伝承を集成後者は、平安末期の『今昔物語集』以降隆盛する説話集の先駆としての意味がある。作品自体文学的に『伊勢物語』に及ばないものの、後世、『伊勢物語』『源氏物語』とともに歌道の教養書として重視された。
 歌物語。作者未詳。二巻。天暦五年(九五一)ごろ原型が成立し、のち増補された。統一的な主人公はなく、当代歌人の贈答歌を中心とする世間話が集められている。亭子院(宇多天皇)の周辺で語り伝えられた歌物語をもとに、その情趣的生活への回顧をこめてまとめられたらしい。後半には、生田川伝説・蘆刈伝説など古伝承に取材した物語が収められている。
 『後撰集』時代の歌人の逸話や菟原処女・・・・
(成立)天暦五年(九五一)に原本ができて、その後付加された。
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  平 中 物 語
一巻。作者成立未詳。平貞文に関する恋愛生活を描いた歌物語。三九段からなる。
 
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  篁 物 語
鎌倉初期までに成立。篁と異母妹との恋愛、妹の悶死、亡霊の出現、やがて右大臣の三君の婿になることを取り上げた話。『小野篁集』。
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  多 武 峯 少 将 物 語
一巻。平安前期。作者未詳。九六一年、藤原師輔の八男高光が出家して比叡山に上り、さらに多武峯に映って草庵を結ぶまでの始末を、歌を中心に記した物。一名『高光日記』。
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  竹 取 物 語
 
(作者)男性(源順・源融・僧正遍昭などの説がある)
・『源氏物語』の中で、「物語の出で来はじめの祖」と称される
・九世紀末頃成立。1巻
 
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 T かぐや姫の生い立ち
 U 五人の貴公子の求婚
  @ 石作皇子     天竺の仏の御石の鉢
  A 車持皇子     蓬莱島にある、白銀の根と黄金の茎をもって白玉の実を結ぶ木
  B 右大臣阿部御主人 唐土の火鼠の裘
  C 大納言大伴御行  龍の首の五色の玉
  D 中納言石上麿   燕の持つという子安貝
 V 帝の求婚
 W かぐや姫昇天
 
T かぐや姫の生い立ち
・さぬきのみやつこ(翁)が、発見。「我あさごと夕ごとに見る竹の中におはするにて、知りぬ。子となり給ふべき人なめり。・・・・いとをさなければ籠(こ)に入れて養ふ。」(わしゃ竹「籠(こ)」にする仕事じゃ。竹の中で見つけたら、わしの「子(こ)」になる道理じゃわぃ。フォフォフォ)
・その後「この子を見つけて後に竹とるに、節(ふし)を隔ててよごとに金ある竹を見つくる事重なりぬ。」
・三寸だったのが三月で成長(スゴイ成長率!)。髪上げ、裳着して、三室戸斎部に「なよ竹のかぐや姫」と名付けてもらう。
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U 五人の貴公子の求婚
皆、かぐや姫の要求に応えられずに終わる。歌には必ず掛詞がある。
・「世界の男、あてなるもいやしきも、いかでこのかぐや姫を得てしがな、見てしがなと、音に聞きめでまどふ。」姫の家の周辺をうろつくが、家人さえ相手にしてくれない。次第にアホらしいと思ってか、求婚者たちは牛蒡抜きにいなくなる。
・五人のプレイボーイだけ残る(今の世に言うストーカーですな)。
・翁「いかに変化の者でも、育てた私の言うことは聞いてくれるね」といって、五人の内の一人と結婚を迫る。姫は、連中を諦めさせるために、五人のうち自分の「ゆかしき物を見せ給へらんに、御心ざしまさりたりとてつかうまつらん」と言って法外な貢ぎ物を要求するのであった。(その気もないのに気を持たせないでほしいね)
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@ 石作皇子
 要求された貢ぎ物 <天竺の仏の御石の鉢>
・天竺へ行ったフリをしてアリバイ工作をして、三年ばかりしてから、古寺から、古びたもっともらしい鉢を見つけてきて、しれっとしてかぐや姫の前に現れる。
・「海山の道に心をつくし果てはいしのはちの涙ながれき」
 つくし(尽くし・筑紫)、ないしのはちの涙(無い石の鉢・泣い−血の涙)
・しかし、本物の鉢なら持っているはずの光がないのでニセモノとばれる。
・姫「おく露の光をだにぞやどさましをぐら山にて何もとめけん」
・皇子「しら山にあへば光のうるるかとはちを捨ててもたのまるるかな」
・これ以降「おもなきことをば、はぢを捨つとは言ひける」
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A 車持皇子
 要求された貢ぎ物 <蓬莱島にある、白銀の根と黄金の茎をもって白玉の実を結ぶ木>
・鍛冶匠にフェイクを作らせる。姫、あ、このやろう、本当にもってきやがった、チクショー、乙女の危機だ!と思い諦めモード。
・皇子が調子にのってでっちあげた旅の苦労を延々滔々と話しているところに、フェイクを作った匠らが来て禄(ほうび、つまり代金だな)をもらっていないと訴えに来た。おかげで皇子の犯行が露顕する。姫、ほっとして、
・「まことかと聞きて見つれば言の葉を飾れる玉の枝にぞありける」
・料金未払いの皇子は、債権者の匠らにリンチを受け、山の中に失踪。
・「これをなむ玉さかるとは言ひはじめける。」
(借金は早めに清算しましょう。また、悪事が成功したらとっとと退散しましょう。)
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B 右大臣阿部御主人
 要求された貢ぎ物 <唐土の火鼠の裘>
・小野のふさもりと中国商人・王卿を通じ、金五十両で買い求める。本物なら火で焼けないはず(ハンティングワールドの製品みたい)。ところが火を付けてみるとめらめら焼けた。右大臣はニセモノを掴まされたのだった。
・右大臣「なごりなく燃ゆとしりせば皮衣思ひの外におきて見ましを」
・人が「皮は火にくべて焼きたりしかば、めらめらと焼けにしかば、かぐや姫あひ給はず」と言ったので「とげなき物をば、あへなしと言ひける。」
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C 大納言大伴御行
 要求された貢ぎ物 <龍の首の五色の玉>
・部下たちに資金を与えて探しに行かせるが、部下たちは命惜しさに持ち逃げ。
・それも知らず、新居を用意し、前からいる妻たちを処分する。
・部下たちがいつまでたっても誰も戻って来ないので、自分で龍を探しに船を出す。
・大嵐に遭い、目を李を二つつけたように腫らして帰ってくる。
・大納言が失敗したと聞いて、部下たちが戻ってきて「かぐや姫てふ大盗人の奴が、人を殺さむとするなりけり。家のあたりだに、いまはとほらじ。男ども、なありきそ」と言う。
・世間の人が、大納言は龍の首の玉ではなく「御眼二つに、李のやうなる玉をぞ添へていましたる」「あな食べがた」と言い、それ以降「世にあはぬ事をば、あなたへがたとは言ひはじめける。」
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D 中納言石上麿
 要求された貢ぎ物 <燕の持つという子安貝>
・燕の巣に上がって自ら貝を探す中納言(世界最古のエレベーター)。
・籠を釣った綱が切れて、鼎の上に仰向けに落下。
・握っていたのは貝ではなく糞。「あな、かひなのわざや」と言ったもんで、「思ふにたがふ事をば、かひなしとは言ひける。」
・重態になったのを聞いたかぐや姫、
・「年をへて浪たちよらぬ住江の松かひなしときくはまことか」
・中納言「かひはかくありけるものをわびはてて死ぬる命をすくひやはせぬ」
と言って死んだ。
・「これを聞きて、かぐや姫すこしあはれと思しけり。それよりなん、すこしうれしき事をば、かひあるとは言ひける。」
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V 帝の求婚
・帝、かぐや姫の噂を聞き、内侍中臣ふさ子に面接させに行く。
・帝、翁の加冠と引き替えにかぐや入内を迫る。
・翁が頼むが、かぐや姫、死んでもいやよ、と断る。
・帝、翁と謀って、行幸のフリしてかぐや姫訪問。襲いかかろうとするが、かぐや姫、透明人間になって姿を隠す。帝、なぜかぞっこんになる。
・まず、お友達からはじまましょう、と、文通を始める。そのまま三年が立った。
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W かぐや姫昇天
・三年後、かぐや姫春から七月十五日まで月を見ては物思い。理由は告げず。
・八月十五日(中秋の名月の日)直前、月からの迎えが来ることを告白
・十五日、地球防衛軍が結成される。司令官は少将高野大国(あるいは中将)。隊員二千人。
・子の刻、月から現れた、空中浮遊する人々の念力で、地球防衛軍は金縛りにあい、戦意喪失。
・王とおぼしき人が、翁にかぐや姫を流罪にしていたことを告げる。
・翁が、このかぐや姫は二十年前からうちにいるから、人違いだ、と空しい主張をする。
・翁の発言を黙殺した王の一言で、ドアはすべて自動ドアと化してかぐや姫のところまで開く(翁、無駄な抵抗でした)。
・かぐや姫は、帝と翁にそれぞれ手紙と衣、そして不死の薬とを残す。
・翁はショックで病気になる。不死の薬も服用拒否。
・天の羽衣を来て、かぐや姫洗脳されて記憶喪失。昇天。
・頭中将(少将)が帝に敗戦報告。帝はショックで食欲をなくし、観月の宴も中止。帝も不死の薬飲用を拒否。
・首脳部に、天にもっとも近い山を諮問し、「つきのいはがさ」を使いに送る。
・「つはものどもあまた(士を富)」添えて、不死の薬と手紙を燃やさせる。その煙はかぐや姫へのメッセージ。
・「士に富む山」で、不死の薬を燃やしたおかげで、火山として「不死の山」になったので「富士山」と名が付いたのよ。
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  宇 津 保 物 語
・一〇世紀後半成立。20巻。
・俊蔭−俊蔭女−仲忠−犬宮の名琴秘曲伝承譚を中心とする音楽礼賛の物語
・前半は貴宮という美女をめぐる求婚物語
・後半は政権をめぐる貴族たちの争い
 
(第T部)
01 清原俊蔭は遣唐副使として渡唐の途上、暴風に遭って波斯国に漂着した。
02 阿修羅から南風・波斯風他の霊琴を得、音楽の徳で子孫繁栄を仏が約束。
 ※ 俊蔭は十六歳から三十九歳まで異国にいた。
03 帰国して時の帝の寵を得、一世源氏を娶り娘を産む。娘に秘曲を授けて死ぬ。
04 荒れた家に住む俊蔭女、太政大臣の子の藤原兼雅と一夜の契り、仲忠を生む。
 ※ 兼雅も俊蔭女も十五歳。六月六日仲忠生。
05 聡明で孝行な仲忠、貧しさのあまり母とともに北山の大木のうつぼに移住。
 ※ 仲忠は、狩猟採集生活。熊と遭遇、孝行の徳で熊からうつぼを譲り受ける。
06 母から琴を習う。その妙音は獣をも感動させ、猿が貢ぎ物をくれる始末。
07 十数年後、北野行幸に従った兼雅、南風の音から仲忠母子と再会。三条へ。
 ※ 兼雅、一条にいる嵯峨院の女三の宮のもとへは訪れなくなる。
08 仲忠は元服し侍従となり、帝や東宮の寵愛をうける。容貌は輝くほど美しく、才能もすぐれていたが、とりわけ音楽が巧みでその琴の音は瓦を花と散らせ、天地神明を感動させ、真夏に雪を降らせるほどだった。
09 絶世の美女、左大将源正頼九女・貴宮の求婚者たち(従兄実忠、上野宮、三春高基、滋野真菅、同母兄仲澄、少将仲頼、高僧忠こそ)は、東宮の所望でパニック。泰然たる仲忠に、貴宮もほのかな恋心。
10 外祖父神奈備種松の財力を担う一世源氏涼、苦学生藤英登場。
11 嵯峨院御前で、仲忠と源涼との琴の秘曲競演。天人降臨。帝感動して、涼に貴宮、仲忠に女一の宮を与える宣旨。
12 東宮の強引な求婚で貴宮は東宮妃。
13 俊蔭女参内して琴演奏。尚侍に。
14 八月十五夜、仲忠は女一の宮と、涼は貴宮妹さま宮と結婚。
15 仲頼出家。実忠廃人。
(第U部)
01 俊蔭京極廃邸で典籍発見。仲忠学問没頭。犬宮(女だよ)誕生。
02 藤壷(貴宮)寵愛と妃らの嫉妬を受けるが、女一の宮をうらやむ。
03 東宮は、仲忠への配慮から妹梨壷も召す。藤壷・梨壷懐妊。
04 父に勧めて、梨壷生母嵯峨院女三の宮を三条へ仲忠引き取る。
05 父兼雅、正頼の権勢に押されて不幸と不満。
05 調停者であった、正頼兄、太政大臣季明没。
06 梨壷皇子生。正頼長女朱雀院の仁寿殿女御の宿敵、兼雅妹今上の中宮大喜び。
07 正頼側パニック。加持祈祷。正頼のプッシュで季明息実忠中納言復活。
08 藤壷皇子生。東宮妃嵯峨院小宮の妊娠?正頼危機。藤壷東宮にストライキ。
09 中宮、兄太政大臣忠雅、次兄兼雅、仲忠を召して梨壷皇子立太子画策。
10 男達はしぶる。東宮も藤壷配慮を優先。中宮の陰謀時機を逸して失敗。
11 平穏な譲位。藤壷・梨壷とも女御。
12 中宮、娘女三の宮を忠雅に入れて味方につけようとするも失敗。
13 忠雅妻、父正頼のもとに帰り、忠雅は狼狽して即位式も欠席。
14 仲忠トンズラして仲頼入道の基で静養。
15 梨壷皇子立太子の噂。兼雅隆盛、正頼悲嘆。ところが・・・・
16 藤壷皇子立太子。大逆転。仲忠東宮大夫。
(第V部)
01 犬宮に琴の奥義伝授のため、俊蔭旧邸に高楼を造り、篭もる。
02 四季と響き合い上達著しく、七夕の星空に奇跡。
03 八月十五夜の伝授完了披露には、嵯峨院・朱雀院・藤壷も出席。
04 俊蔭女の波斯風演奏に天地感応。犬宮もスゴイ。俊蔭中納言追贈。
 
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  落 窪 物 語
 
 ・落窪物語の関係系図
 ・落窪物語のあらすじ
 
 
・継子いじめの話だが、神仏によって姫君が救われる霊効譚ではない。
・継母は最後まで屈服せず、常套的な「継母」の枠に収まらない。
・女君は抑制のきいた性格のよさで幸せを掴む。
・結局、権勢によってすべてが決まる、という、現実味のある作品。
・先行の「竹取」「宇津保」と異なる、現実性・写実性が「源氏」に大影響。
・敬語の使い方は不統一が見られる。
 
落窪物語の関係系図
落窪物語のあらすじ
〈巻一〉
01 老中納言(忠頼)には北の方(諸大夫女)との間に三男四女がいて、大君・中の君はすでに婿取りしている。
02 中納言には故女王との間に女君がいて、中納言邸に引き取られている。
03 北の方は、床の落ち窪んだ部屋に住まわせ、人々に「落窪の君」と呼ばせる
04 北の方は、顔の良くない娘は取り柄がなければならないと言って、裁縫仕事を押しつける(三の君の婿・蔵人少将の衣類など)。
05 女君の後見である侍女・阿漕も、三の君付きに配置換えされる。
06 阿漕に通っていた帯刀から、左大将の子・独身の右近の少将(道頼)は、「皇族の娘」との恋に憧れ、帯刀の手引きと阿漕の協力を得て、通い始める。気まぐれが愛に変わる。
07 好青年が通うと知った北の方は、女君を塗籠に閉じ込め、六十余りの老人・典薬助の自由にさせようとする。
08 阿漕が典薬助をなだめたりすかしたりして危機回避するも、いつまでも引き延ばせない。
〈巻二〉
09 中納言一家の外出の隙に、阿漕の手引きで道頼は女君を救出し、左大将別邸・二条殿に住まわせる。
10 女君、道頼母と対面して、男児二人を出産するめでたしめでたし。その間・・・・
11 [道頼の復讐]
 @[結婚詐欺]中納言の四の君の婿として、自分が入ると称して、身代りに「面白の駒」と呼ばれる愚者・兵部少輔と結婚させる。
 A[幅寄せ・投石]清水詣でをする北の方母子の車を後ろから煽り立てた上、投石して道路脇に押しつける。
 B[婿奪略]中納言の三の君の婿でもある、蔵人少将を自分の妹の婿に迎え、彼の関心が中納言家から離れるようにしむけた。
 C[助の冠打擲リンチ、車両転覆]賀茂祭で、北の方や典薬助をこらしめる。
〈巻三〉
 D[地上げ]女君が、故女王から伝領した三条邸へ、中納言が引っ越すと聞いて、造作  完了と同時に乗り込んで乗っ取る。
12 [和解]中納言はすべてを聞かされ、和解が始まる。
 @ 老中納言のために八講を営む。
 A 老中納言の七十の参賀を行う。
〈巻四〉
 B 道頼(大将)、自分の大納言を譲り、老中納言、念願の大納言昇進。
13 大納言(もと中納言)死去。遺産はすべて道頼夫妻へ・・・・
14 しかし道頼夫妻、遺産を再分配。北の方は中納言邸相続。
15 四の君を帥と結婚させてやる。
16 道頼は栄達を極め、姫君は三男二女の母。一夫一妻で仲良し。
17 阿漕は典侍となり、二百歳まで生きましたとさ
 
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  浜 松 中 納 言 物 語
 
・一〇世紀半ばすぎ成立。6巻。菅原孝標女作か
 
 ・浜松中納言物語関係系図
 ・浜松中納言物語のあらすじ
 
 
浜松中納言物語関係系図
 
 
 
浜松中納言物語のあらすじ
 
(首巻)
01 元服して、源氏となる。父宮の死。出家を願うが、母のために断念。
02 左大将が母に通うのを憎むが、左大将の大君に恋。
03 中納言に昇進。
04 亡父が唐土の第三皇子に転生しているとの噂&夢のお告げ。渡唐を決意。
05 大君が帝の皇子式部卿宮と結納。大君と契りを結び遣唐使として渡唐。
06 大君懐妊。父左大将、中の君を式部卿宮へ。
07 大君、中納言の母邸で剃髪、児姫君出産。
(巻一)
08 第三皇子(父)と再会。親子だったもんで心を通わせる(当時七、八歳)。
09 皇子の母后に恋。
10 一の大臣が五の君と結ばせようとするが、母后を恋しているので拒否。
11 后の父大臣は一の大臣との政争を避け、蜀山に篭もっている。
12 夢のお告げで、母后と知らずに交わり、若君出産。
13 中納言、例の女(実は母后)を探しまくって三年後、期限切れで帰朝。
14 后に夢のお告げがあり、若君を中納言に渡せとのこと。
15 后、すべてを告白。若君を託し、生母への伝言も託す。
(巻二)
16 筑紫に中将の乳母を呼び出し、若君を預ける。
17 大君の出家を知り、ショック。
18 大弐が娘と添わせようとするが、手を出さない。
19 母・尼大君・児姫君と対面。尼大君とは清浄を誓う。
20 后の手紙によると、異父妹がいる。それを教えてくれた僧が吉野にいる。
(巻三)
21 吉野の后の母尼君に手紙を届け、僧(吉野の聖)から姫君の所在を聞く。
22 上京した大弐の娘が衛門督と結婚するのだが......
23 彼女と交わり、懐妊。
24 尼大君とは同衾しているので危険な日々が....でも、中納言は同衾に固執。
25 后への思いを忘れられない。
26 帝から承香殿女宮降嫁の話があるが、驚いて退出しちゃった。
27 尼大君は二人の関係を苦悩しまくり。
28 吉野尼君から姫君のことを託され、姫君と文通。心ときめく。
(巻四)
29 帝、降嫁の話が波紋を呼びすぎたとして断念。
30 吉野尼君の夢を見て吉野に行くと死んでいた。
31 姫君は后にそっくり。中将の乳母の里に迎えようとするが、
32 聖が「姫君が二十歳になるまえに交わると不幸になる」と予言。
33 姫君をようやく懐柔する、が、夜は尼大君のもとへ。優柔不断だね。
34 夢のお告げ。后昇天。
35 千日の精進。
36 瘧病の姫君清水参篭すると
37 好色式部卿宮強奪
(巻五)
38 中納言ショック。
39 大弐の娘出産間近。でも、会って一発交わる。
40 母后夢に現れ、姫君の娘に転生します(自分で自分の姪になるのね)
41 東宮が死に、式部卿宮東宮になることに。
42 姫君を梅壷に置くが、茫然としたままヘンになっている。
43 式部卿宮、しかたなく姫君を中納言に返すが、通ってくる。
44 姫君懐妊。複雑な気持ちの中納言。
45 姫君を自邸に引き取るが、結局は一緒になれない宿世を嘆く。
46 唐より消息。后の死と、第三皇子の立太子、五の君剃髪を告げる。落胆。
 
 →総目次へ
 
 
  夜 半 の 寝 覚
 
  内容
 
 →総目次へ
 
  狭 衣 物 語
 
・十一世紀後半。4巻。源頼国女の作か
 
 ・狭衣物語関係系図
 ・狭衣物語のあらすじ
 
狭衣物語関係系図
 
 
 
狭衣物語のあらすじ
 
巻一
01 狭衣は共に育った源氏の宮を恋い慕う。
02 帝の命で狭衣が横笛を奏でると天稚御子が狭衣を迎えに降臨。
03 帝の命で迎えを断り、女二の宮を降嫁させられるが、辞退。
04 源氏の宮に告白。でも、拒否。
05 ある黄昏時、法師に拉致されそうになっていた飛鳥井君を救出。
06 結ばれて懐妊。
07 しかし、彼女は狭衣の乳母子に筑紫に拉致られ、途中入水。
巻二
08 ある夜、結婚を避けていた女二の宮と思いがけなく契る。
09 若君誕生。父親不明。皇太后は世間体のため、自分の子とする。
10 心労から皇太后病没。女二の宮出家。帝退位、女二の宮とともに嵯峨へ。
11 源氏宮、新帝の女御代として入内するはずが、賀茂神社の託宣で斎宮に。
12 失意の狭衣、粉河で飛鳥井君の兄に会い、兄が彼女を助けたと知る。
巻三
13 飛鳥井君を訪ねるがすでに死亡。女児は一品の宮の養女に。
14 一品の宮方に忍び込んだのを、二人の噂を立てられ、結婚するはめに。
15 もともとよそよそしい関係。女児との関係を一品の宮知り、いっそう大変。
16 源氏の宮、女二の宮を慕うが、冷たくされて出家でもしようか。
巻四
17 賀茂神社のお告げで、父、狭衣の出家の意志を知らされ、阻止する。
18 出家中止の狭衣、またも源氏の宮、女二の宮に言い寄るが、またも拒否。
19 有明の君が源氏の宮に似ていると知り、言い寄り手に入れる。
20 帝退位。天照大神のお告げで狭衣が新帝に。
21 一品の宮を后に迎えようとするが、拒否され、有明の君を后に。
22 一品の宮出家して、死。狭衣は有明の君と幸せに。
23 嵯峨院病気と聞き、見舞いがてら女二の宮を訪ねるが、拒否。憂鬱。
 
 →総目次へ
 
  と り か へ ば や 物 語
 
 ・とりかへばや物語関係系図
 ・とりかへばや物語のあらすじ
 
とりかへばや物語関係系図
 
 
 
とりかへばや物語のあらすじ
 
@ 男女入れ替えて育てられる
A 男は尚侍、女は中納言。男尚侍、女東宮を犯す。女中納言、四の君と結婚。
B 宰相中将、四の君と不倫。女中納言、妻の浮気に厭世感。
C 女中納言、吉野の宮に相談。「何とかなるさ」と予言。
D 宰相中将、男尚侍に言い寄る。失敗。中納言女と発覚。似ているので襲う。
E 妊娠した女中納言、宇治へ失踪。男尚侍探索、発見。男女入れ替え作戦。
F 右大将になった男、吉野の宮の二人の姫君を引き取る。
G 女尚侍、帝にすべてを話す。帝、許す。
H 男右大将は大君、元宰相中将の中納言は中の君を娶る。
I みんな出世してめでたしめでたし。吉野の宮の予言的中。
 
 →総目次へ
 
  源 氏 物 語
 
《文学史》作者は、中宮彰子に仕えた紫式部。平安中期(一〇一〇ごろ)成立。一〇〇二頃から書き始め一〇〇八頃には完成していたらしい。
 
系図
源氏の家族
源氏との年齢差
源氏物語のあらすじ
→総目次へ
 
 源氏物語系図
 
 
 
源氏の家族
@ 源氏の家族
 ・父は桐壷帝、母は桐壷更衣
 ・異母兄は朱雀(右大臣家出身の弘徽殿女御の子)
 ・頭中将(左大臣の息子)は源氏の親友
A 源氏のオンナたち
 ・藤壷 桐壷帝の妻。マザコン源氏と不倫。後の冷泉を生む。
 ・葵上 正妻だが不仲。左大臣の娘。六条御息所の生き霊にヤラレル。気丈。
 ・紫上 ロリコン源氏の最愛の女性。死が分かつまで同居した。
 ・夕顔 頭中将との間に玉鬘を生む。物の怪にヤラレル。貧乏。
 ・明石上 明石流謫中の愛人。単身赴任中の相手(?)
 ・六条御息所 秋好中宮(冷泉帝の后)の母。嫉妬深い女。七つ年上。
 ・女三の宮 朱雀院の子。幼稚。柏木(頭中将の子)と不倫して薫を生む。
 ・玉鬘 源氏が親子ドンブリを狙うが失敗。髭黒の妻となる。
B 源氏の子
 ・夕霧 葵上との子。紫上に惹かれる。
 ・明石姫君 明石上との子。
 ・薫 柏木と女三の宮との不倫の子。大君にフラれ、浮舟に恋慕。
C 宇治十帖
 ・八の宮の娘、大君・中の君・浮舟を、薫と匂宮(朱雀の孫)とで奪い合う。
 ・<薫−大君><匂宮−中の君>の組み合わせを狙うが、薫が失敗。
 ・薫、中の君を狙うが、失敗。中の君は、浮舟に話をふる。
 ・薫、浮舟と性交、いや成功。匂宮が浮舟をだまし討ち。浮舟失踪。
 
源氏との年齢差
 源氏 0  朱雀帝 +3  東宮(朱雀の子・明石姫君の夫) -26
 葵上 +4  夕霧 +2  髭黒 -5
 雲居雁 -19 柏木 -16  弘徽殿女御(頭中将娘・冷泉妻) -17
 夕顔 +2  玉鬘 -14
 藤壺中宮 +5  冷泉帝 -18
 紫上 -8
 六条御息所 +7  秋好中宮 -9
 明石上 -9  明石姫君 -28
 女三宮 -26  薫 -47  匂宮 -46
 
 薫 0  女二宮 -10(薫妻)
 匂宮 +1  六の君(匂妻、夕霧娘) -4
 大君 +2  中の君 0  浮舟 -5
 
源氏物語のあらすじ
  第一部
 01 桐壷  02 帚木  03 空蝉  04 夕顔  05 若紫  06 末摘花
 07 紅葉賀 08 花宴  09    10 賢木  11 花散里 12 須磨
 13 明石  14 澪標  15 蓬生  16 関屋  17 絵合  18 松風
 19 薄雲  20 朝顔  21 乙女  22 玉鬘  23 初音  24 胡蝶
 25    26 常夏  27 篝火  28 野分  29 行幸  30 藤袴
 31 真木柱 32 梅枝  33 藤裏葉
  第二部
 34 若菜上 35 若菜下 36 柏木  37 横笛  38 鈴虫  39 夕霧
 40 御法  41
  第三部
 42 匂宮  43 紅梅  44 竹河
  宇治十帖
       45 橋姫  46 椎本  47 総角  48 早蕨  49 宿木
       50 東屋  51 浮舟  52 蜻蛉  53 手習  54 夢浮橋
 
1[桐壷]  源12・葵16・藤壷17
・桐壷帝に寵愛された桐壷更衣は、高貴な人々、特に第一皇子(後の朱雀帝)を生んだ弘徽殿女御らの妬みをうけて病死した。
・帝は、皇子光君の将来を考え、元服の日に源姓を賜って臣下とし、左大臣の姫君の葵上と結婚させた。
・しかし源氏は葵上となじめず、母に生き写しの藤壷女御を秘かに慕う。
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2[帚木]  源17・夕顔19・空蝉?・柏木1
・五月雨の夜、源氏の宿直所に頭中将たちが集まって女性論を行う(雨夜の品定め。この時、頭中将が逃した女性・常夏の女が、夕顔)。
・翌日方違えのために泊まった紀伊守の邸で、空蝉(紀伊守の父・伊予介の後妻)と契る。
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3[空蝉]  源17
・空蝉の弟小君の手引きで源氏はときどき紀伊守の邸を訪れ、ある夜空蝉のもとに忍び入るが、空蝉はこっそり抜け出す。
・源氏は間違えて、空蝉の継娘・軒端萩と契る。
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4[夕顔]  源17・六条24・秋好8・夕顔19・玉鬘3
・源氏は、故東宮(前坊)の妃・六条御息所に通う中宿りとして、五条に住む大弐乳母を見舞った。
・乳母の隣家に住む女(夕顔)に、乳母子の惟光を通じて通いそめた。
・八月十五日夜、女の家で関係を持つが、翌日、荒れた某院へ、女とその侍女・右近とを連れ出す。
・その夜女は夢枕に現れた故東宮妃六条御息所の生霊あるいはそれと関係のある自縛霊におびやかされて死ぬ。この女・夕顔は頭中将が品定めのおりに語った女で、頭中将との間に玉鬘という娘があった。
・死体は惟光が処理する。
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5[若紫]  源18・紫10・藤壷23
・瘧病に罹った源氏は、加持のため北山の名僧を訪れる。
・その山中の草庵にかねて慕っている藤壷女御によく似た少女(紫)を見つける(実は藤壺の姪)。
・彼女を養っていた母方の祖母の死後、少女をその父・兵部卿(藤壷の兄)に引き取られぬうちにと自邸の二条院に連れ出してしまった。
・またこの頃里に下っていた藤壷のもとに忍んで一夜を明かし、藤壷は懐妊する。
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6[末摘花]  源18〜9・末摘花?
・故常陸宮の末娘で、独り淋しく暮らしている姫君の噂を聞いて早速訪れてゲットした源氏は、翌朝その姫君が色の青白い、おでこで、しかも鼻が赤く長く垂れ下がった醜女であることを発見した。源氏は落胆したが、彼女の誠実な人柄をあわれんで、以後生活の面倒を見てやろうと思った。
・源氏は二条院で幼い紫上と雛遊びなどをして遊び、鼻の赤い女の絵をかいたりした。
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7[紅葉賀]  源18〜9・源内侍57〜8・冷泉1
・桐壺帝の朱雀院行幸の試楽に藤壷の前で源氏は青海波を舞った。
・翌年藤壷は源氏に生き写しの皇子(後の冷泉帝)を生み、何も知らぬ帝に対して心安まらない。
・その頃源氏は六十近い源内侍という多情な老女と戯れたりする。
・紫上は美しく成長する。
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8[花宴]  源20・朱雀23・朧?
・花見の御宴が開かれた夜、弘徽殿で「朧月夜に似るものぞなき」と口ずさんでくる若い女(朧月夜)と逢い、翌朝扇をとりかわして別れた。
・朧月夜が、弘徽殿女御の妹であり、春宮(後の朱雀帝)の女御に決まっていたことを、三月、右大臣邸の藤の宴のおりに知る。
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9[]  源22〜3・葵没26・夕霧0・冷泉即位
・桐壷帝は源氏の兄である東宮に御譲位(朱雀帝)になり、六条御息所と前の東宮との姫君(後の秋好中宮)が新しく斎宮になられた。
・賀茂の禊の式の見物に葵上の車と六条御息所の車の場所争いがあり、御息所は葵上に深い恨みをもつ。
・うらみの一念から御息所の生霊は、産褥に臥す葵上を悩まし、葵上は御子(夕霧)の誕生の後間もなく生霊のために死ぬ。
・源氏は紫上と結ばれる。
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10[賢木]  源23〜25・桐壷没
・六条御息所は、無意識ながら自らのした行為におののき、これ以上源氏を苦しめないため、新斎宮と決まった娘(後の秋好中宮)に添って伊勢に下る。
・桐壷先帝が崩御され、藤壷は里へ下る。源氏がなおも慕って訪れるので藤壷は思いあまって尼になる。
・今上(朱雀帝)の外戚である右大臣の一門が勢力を得て源氏一門は圧迫され、失意状態にある。
・里に下っていた朧月夜尚侍に忍んで通っていた源氏は、父右大臣に見咎められる。
・弘徽殿の怒りは一通りでなく、この機会に源氏をのぞこうと画策する。
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11[花散里]  源25・花散里?
・その頃昔を思い出して、源氏は桐壷帝の麗景殿女御の妹の花散里を訪ねる。
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12須磨]  源26〜7
・弘徽殿の怒りを避けて、源氏は須磨に侘住居することになり、親しい人々に別れを告げる。
・須磨での生活は淋しく、わずかに文通に心を慰めるだけであるが、それすら弘徽殿を憚って少なく、わずかに頭中将だけが訪ねてくれる。
・三月上巳の祓をしていると暴風雨になる。
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13[明石]  源27〜8・明石上18〜9・今上0
・おりから来た紫上の使は都でもただならぬ雷雨だという。
・源氏は亡父の夢のお告げによって明石に移り、その地の豪族明石入道の娘(明石上)と契る。
・都では雷雨の後に眼を患われた帝は、源氏を苦しめた報いだと考え、源氏召還の宣旨が出る。
・源氏は妊娠中の明石上を残して帰京した。
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14[澪標]  源28〜9・朱雀退位32・冷泉即位11・明石姫1・六条没36・秋好20
・朱雀帝は冷泉帝に御譲位になり、葵上の父前左大臣は摂政兼太政大臣に、源氏は内大臣になり、源氏一門は時めく。
・明石上は姫君を生む。住吉に参詣した源氏は、おりから来合わせた明石上が自分の身分を遠慮して引き返したのを憐れみ歌を送る。
・御代が代わったので斎宮も代わり六条御息所は上京したが、病気にかかり、斎宮(後の秋好中宮)のことを源氏に頼んで死ぬ。
・源氏は前斎宮を帝に奉ろうと思う。
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15[蓬生]  源28〜9
・源氏が須磨にいる間、源氏を信じて荒れ果てた邸に待っていた末摘花は源氏の二条院の東院に迎えられた。
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16[関屋]  源29
・石山に詣でるため逢坂関を通った源氏は、任期が満ちて上京する常陸守と夫人の空蝉に逢う。
・その後常陸守は死に空蝉は尼になる。
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17[絵合]  源31・冷泉12・秋好23
・前斎宮は入内し、梅壷女御(秋好中宮)と呼ばれた。
・絵の好きな帝の寵愛が絵の上手な梅壷に傾くのを残念に思った弘徽殿の父権中納言(前の頭中将)は、絵の名人に絵物語を書かせる。
・源氏も立派な絵を梅壷に差し上げる。
・それである日二方に別れて絵合せが行われたが優劣がつかず、最後に源氏の須磨の絵日記が出て梅壷方が勝つ。
・この頃から源氏は出家入道の志が動いてくるが、行く末長い子達を思うと決心できぬ。
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18[松風]  源31・明石上22・明石姫君3・紫23
・二条の東院が造営され、花散里を西殿に迎えた。
・東殿に明石上を迎えようと思ったが明石上は容易に上京しない。
・しかし明石上は幼い姫君の将来を考え、母方の曾祖父の持つ大堰の別邸に母尼と住むことになる。
・源氏は紫上に遠慮しながら明石上を訪ね、一切を紫上にうち明けて姫を引き取りたいと相談する。
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19[薄雲]  源31〜2・藤壷没37・冷泉13
・明石上は二条院に移る決心がつかないで迷っている。せめて姫だけでもと懇望されて仕方なく従う。
・子供好きの紫上は姫を愛し、姫も紫上になじむ。
・翌春藤壷女院が崩ずる。源氏は持仏堂に籠もって泣き暮らす。
・ある夜、冷泉帝は、源氏と藤壷の秘密を聞いて驚き、譲位を考える。
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20[槿]  源32
・桐壷帝の弟桃園式部卿宮の娘・槿にかねて心をひかれていた源氏は父の喪に服して里に帰っている槿を訪ねるが、槿は源氏の愛を受け入れない。
・紫上は、明石上の場合とちがって、槿が身分の高い女なのでひそかに深い悲しみに沈む。
・源氏は藤壷のことなどを紫上に打ち明ける。
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21[乙女]  源33〜35・明石上24〜6・紫25〜7秋好24〜6・式部卿宮49〜51・雲井雁14〜6・夕霧12〜4
・梅壷は中宮(秋好中宮)になり、源氏は太政大臣になり頭中将は内大臣になる。
・その頃元服した夕霧は、同じく大宮(葵上の母)に育てられた、内大臣(頭中将)の娘・雲井雁と相思の仲となる。
・かねて東宮妃にと考えていた内大臣は驚いて雲井雁を引き取り、源氏も夕霧を花散里の子として世話させる。
・六条院が落成し、春の御殿に源氏と紫上、夏の御殿に花散里、秋の御殿に秋好中宮、冬の御殿に明石上が住み、栄華を尽くした源氏の理想が実現する。(あさひ銀行試算によると、このころ年収二〇億)
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22[玉鬘]  源34〜6・玉20〜22
・夕顔の遺児(内大臣の子)の玉鬘は九州に住んでいたが、大夫監の求婚を避け、乳母に伴われて上京し、夕顔の侍女で源氏に仕えている右近とめぐり逢って互いに驚喜する。
・源氏は喜んで、玉鬘の実父の内大臣(頭中将)には知らせず、六条院に迎えた。
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23[初音]  源36
・新年の六条院のうるわしさはとりわけである。源氏は六条院・二条院に住む人々を訪れる。
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24[胡蝶]  源36・玉22・柏木20
・紫上の住む、春の御殿はひときわ美しく舟遊びや管弦の遊びが催される。
・その頃玉鬘に思いをよせる人の中に、兵部卿宮(源氏の弟)、髭黒右大将、自分の妹としらないでいる柏木(元の頭中将の子)などがいたが、源氏自身も、恋しい夕顔そっくりの玉鬘に心を動かされる。
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25[]  源36
・兵部卿宮が玉鬘を訪れた夜、源氏は用意していた沢山の螢を放った。兵部卿宮は玉鬘の美しさに一層心をひかれる。
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26[常夏]  源36
・夕顔の遺児を探していた内大臣(元の頭中将)は娘と名乗る近江君を引き取った。
・美しいが、下品で早口でおしゃべりな女で、そのはしたなさに閉口している。
・源氏は玉鬘と夕涼みを楽しむ。
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27[篝火]  源36
・秋、源氏はしばしば玉鬘を訪れる。庭に篝火を焚かせ琴などを教えていると、玉鬘がひときわ美しく見えて源氏はまたも心を動かす。
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28[野分]  源36・紫28・玉22・夕霧15
・野分の日、嵐の見舞いに来た夕霧は簾のすきまから紫上のこの上なく美しい姿を見て激しい思慕の情に悩む。
・父の源氏が玉鬘に恋人のような態度を見せるのを覗き見してあさましく思う。
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29行幸]  源36〜7・冷泉18〜9
・大原野の行列を見に出かけた玉鬘は、帝・父の内大臣・兵部卿宮・髭黒右大将などを見て、源氏の勧めるように尚侍として帝に仕えてもよいと思う。
・源氏は内大臣に一切を話して玉鬘の裳着の式をあげる。
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30[藤袴]  源37・夕霧16・玉鬘23
・夕霧は今まで妹だと思っていた玉鬘に、今更に思いをよせるが玉鬘は逢わない。
・玉鬘が最も嫌っていた髭黒右大将が求婚。
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31[真木柱]  源37〜8・玉23〜4・髭黒32〜33・真木柱12〜13
・髭黒右大将はついに玉鬘を手に入れる。
・北の方はそれを知って狂乱し、北の方の父も立腹して北の方と子供を引き取る。娘の真木柱は父との別れを悲しんで歌をのこす。
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32[梅枝]  源39・明石姫君11・今上13・夕霧18
・東宮(朱雀院の子)の元服につづいて明石姫君が東宮へ入内することになり、その用意に忙しい頃六条院で香合が催される。
・その夜管絃の遊びがあり、右大臣の子・弁少将は梅ヶ枝を歌った。
・源氏が勧める、中務宮娘を夕霧は肯じない。
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33[藤裏葉]  源39・冷泉20・夕霧26・明石上30
・内大臣は夕霧と雲井雁との仲をさいたことを後悔し、藤見の宴に夕霧を招いて雲井雁と逢わせる。
・明石の姫君は紫上に伴われて入内し、三日目から実母の明石上が代わり、親子で暮らすことになる。
・夕霧は祖母大宮の旧邸に雲井雁と住む。
・源氏は太上天皇に准ぜられ、内大臣は太政大臣になり源氏の一門は栄華を極める。
・冷泉帝、六条院行幸。
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34[若菜上]  源39〜41・朱雀42〜4・女三の宮12〜14・柏木23〜5
・御病気で出家の志の強い朱雀院は、最愛の女三の宮を源氏に託す。源氏はお受けしたが気が重い。
・翌年源氏の四十の賀が盛大に行われ、玉鬘も若菜を贈って祝う。
・女三の宮は六条院に移るが、紫上はさすがに淋しそうである。
・桐壷女御となった明石姫君は懐妊して六条院に退出する。
・蹴鞠の遊びの折り、ふとしたことで女三の宮を垣間見た柏木は思いを深める。
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35[若菜下]  源41〜47・柏木25〜31・女三の宮15〜21・匂宮1
・朱雀院の賀の音楽の練習の行われたあと、紫上は重い病気になる。
・二条院に移し源氏もつきっきりで介抱する。
・一方、柏木は女二の宮(落葉宮)を得たが妹の女三の宮が忘れられず、六条院の人が少ないのを幸いに忍んで逢い、女三の宮は懐妊する。
・源氏は女三の宮の懐妊を不思議に思うが、その部屋で柏木の手紙を見つける。
・柏木は自分の罪を源氏に知られ煩悶のあまり重い病気になる。
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36[柏木]  源48・女三の宮21・柏木没32・薫1・夕霧27
・女三の宮は男子(薫)を生むが、源氏はうとうとしい。
・女三の宮は罪の報いを思って尼になる。
・それを知った柏木は病が重り、夕霧に自分の秘密を打ち明けて、源氏への取りなしや落葉宮のことを頼んで死ぬ。
・夕霧は遺言に従って落葉宮を訪れているうちに恋がめばえてくる。
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37[横笛]  源49・匂宮3・薫2
・夕霧は落葉宮を訪れて柏木の遺愛の横笛を贈られたが夢のお告げでそれを薫のもとへ置く。
・源氏に柏木の遺言を話すが源氏は話をそらしてしまう。
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38[鈴虫]  源50
・蓮の花の頃、女三の宮の持仏供養が行われた。
・秋には宮の罪を許す心になった源氏は鈴虫を放して宮と語り合う。
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39[夕霧]  源50・夕霧29
・夕霧は、母御息所と小野に移った落葉宮を度々訪れる。
・御息所も仕方なく二人の仲を許そうと手紙を届けたが、夕霧は雲井雁の嫉妬が激しくて手紙を出せない。
・御息所は心配して死んでしまう。
・夕霧は落葉宮を一条邸に引き取ったので雲井雁は怒って実家に帰った。
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40[御法]  源51・紫没43
・病弱になった紫上は出家を願うが源氏は許さない。
・法華経の供養などするが病は重くなって、八月十四日、風すごく吹く夕暮れに亡くなる。
・源氏の嘆きは一通りではなく出家を志す。
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41[]  源52・明石上43・女三の宮26・夕霧31・薫5
・紫上を失った源氏の心は淋しさに閉ざされる。出家を決意して身のまわりを整理し思い出の手紙などを焼く。
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欠番[雲隠源没
 
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42[匂宮]  薫14〜20・匂宮15〜21・冷泉43〜49
・源氏の没後、源氏ほど優れた人はいなかったが、今上帝(朱雀の子)と明石中宮(元の明石姫君)との間の子匂宮と、女三の宮の若君薫(実は柏木の子)とが世の評判の的となっていた。
・薫は容貌が美しい上に、芳香を身にそなえていた。しかし自分の出生についての秘密をおぼろげに感じて早くから仏道に志すほどであったから、恋に深入りする気にはなれなかった。
・匂宮は薫の芳香が羨ましく、色々の香を集めた。
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43[紅梅]  薫24・大君26・中君24
・柏木の弟の按察使大納言(紅梅大納言)は、夫螢兵部卿宮に死別した真木柱を後添えにする。
・大納言には先妻との間に二人の姫君があり、姉君は東宮の女御に奉り、妹を匂宮にと思って、紅梅に託してその意をほのめかすが、匂宮は真木柱と螢兵部卿宮の間の姫君に心をひかれている。
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44[竹河]  薫14〜23
・髭黒大臣と玉鬘との間には三男二女があった。
・姉君は帝からも冷泉院からも夕霧の子の蔵人の少将からも想いをよせられるが、冷泉院に奉った。
・妹君は尚侍となって入内する。
・姉君は皇子皇女を生んだが、中宮女御方のねたみに堪えかねて里へ下った。
・蔵人少将(夕霧の子)は宰相となり、竹河左大臣の娘を娶る。
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45[橋姫]  薫20〜2・匂21〜23・大君22〜24・中君20〜22
・桐壷帝の末子で源氏の弟にあたる八の宮は二人の姫君と宇治にすみ、明け暮れ仏道に精進している。このことを阿闍梨が冷泉院に話すのを聞いた薫は、心をひかれて度々宇治を訪れる。
・八の宮が寺に籠もっている留守に訪れた薫は琵琶と琴の音にひかれて姫君たちと語り合い、その時見た大君に心ひかれる。
・その後八の宮は出家の志を語り姫君たちを薫に頼む。
・薫はもと柏木の乳母の娘で姫の侍女になっている弁の尼から出生の秘密を明かされ、柏木と女三の宮との間の手紙や形見の袋をわたされる。
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46[椎本]  薫23〜4
・薫は匂宮を宇治へ誘った。
・帰京の後も匂宮は度々姫君たちに手紙を書いた。
・八の宮は法願のため山へ籠もり、姫たちを薫にたのんで亡くなる。
・薫は姫君たちの世話をする。薫は大君を、匂宮は中君を慕う。
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47[総角]  薫24・大君没26
・薫は大君に恋を打ち明けるが、中君を薫にすすめようと思っている大君は取り合わない。
・匂宮を訪ねると、匂宮は宇治の姫君との間の取り持ちを頼む。薫は中君を匂宮と結ばせて、大君の意図を諦めさせようと匂宮を中君にあわせる。しかし大君は従わない。
・一方匂宮は身分柄思うように宇治へ通えない。
・大君は心労が重なって病気となって死ぬ。
・薫は悲しみにくれて宇治にひきこもる。
・やがて明石中宮が二人の仲を許したので、匂宮は中君を二条院へ迎え入れる準備をする。
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48[早蕨]  薫25
・翌春、阿闍梨から中君へ蕨などを送ってくる。それにつけても中君は悲しみにくれる。やがて二条院に移るが、薫は今更ながら中君を匂宮のものにしてしまったことが悔いられた。
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49[宿木]  薫24〜6・六君22〜24・女二の宮14〜16
・匂宮は夕霧の六君との結婚を強いられる。
・懐妊している中君を哀れに思って訪れた薫は、中君を恋するようになる。
・中君は匂宮に薫との仲を疑われ、薫の心を逸らそうと異腹の妹(浮舟)の話をする。
・その後宇治へ行ったおり、薫は浮舟を垣間見て、大君によく似ているのにすっかり心をひかれ、弁の尼を通じて歌を贈る。
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50東屋]  薫26・浮舟21
・常陸守の妻浮舟の母中将は、薫の執心を聞いたが、身分が違いすぎるのを危ぶんで、左近少将に添わせようと思うが、常陸守の財産が目当ての左近少将は、浮舟が実子でないのを知ると破約して、実子と結婚する。
・中将は浮舟を哀れに思って、中君の許に預けるが、匂宮が浮舟を見つけて近づく。
・中将はそれを聞き驚いて三条の家に移した。
・薫はそこを訪ね、翌年浮舟を連れて宇治へ行き、しばらくここに住まわせようと思う。
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51[浮舟]  薫27・匂28・浮舟22
・浮舟から中君へ来た手紙で薫と浮舟との間を知った匂宮はねたましく思い、ある夜宇治を訪れた闇に紛れて浮舟と契る。
・浮舟は匂宮と知って悔やむが、しだいに宮の情熱にひかれてゆく。
・薫はそのような浮舟に思いを深め、京に迎えようとする。
・これを聞いて匂宮も薫をだしぬいて連れだそうと考えていた。
・だが二人の使いが落ち合ったことなどから、薫は浮舟と宮との関係に気づき、浮舟に手紙を書く。
・浮舟は秘密を知られたことに一人思い悩む。
・浮舟を連れだそうと宇治を訪ねた匂宮は、薫方の見張りが厳しく空しく帰る。
・浮舟は思いあまって死を決し手紙などを整理する。
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52[蜻蛉]  薫27
・翌朝、浮舟の不在に宇治では大騒ぎになる。
・侍女から宇治川に投身したらしいことを聞き、母中将の嘆きは大きく、自らも後を追わんばかりである。
・匂宮も悲しみに泣き暮れる。
・薫は大君といい浮舟といい儚かった契りを思い、憂いに沈み七七忌の法要を宇治で行う。
・匂宮はやがて故式部卿の姫君に思いを寄せてゆく。
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53[手習]  薫27〜8
・その頃比叡山の横川に高僧がいた。母と妹の尼を伴って初瀬詣での帰途、荒れ果てた院の木陰に女の死体を見つける。
・蘇生した浮舟は、自分を横川に流してくれという。尼君たちに小野の草庵に連れられた浮舟は尼の婿が言い寄るので、ある日尼の留守に来あわせた僧都に頼んで剃髪してしまう。
・僧都がそのようなことを中宮に話したので、中宮は或いはそれが薫が失って嘆いている女ではないかと思う。
・薫はそのことを聞き、驚いて浮舟の異父弟の小君をつれて比叡山に出かける。
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54[夢の浮橋]  薫28・浮舟23
・薫は僧都の話からその女が浮舟であることを知り、僧都は薫の愛する人を尼にした軽率さを悔やむ。
・薫は小野への案内を頼むが、さすがに僧都は承知しない。
・しかたなく僧都の手紙に自分の手紙を添えて小君を小野へやるが、浮舟は手紙を受け取っただけで、小君にも逢おうとせず、昔のことは夢のようで何も思い出せない、と浮舟は尼君に語るのだった。
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  堤 中 納 言 物 語
 
堤中納言物語のあらすじ →総目次へ
花桜折る少将       花桜が姥桜に?
このついで        籠にまつわるオムニバス
虫めづる姫君       ピーターパン症候群の虫オタク
ほどほどの懸想      恋は身分相応に
逢坂越えぬ権中納言    優柔不断なオクテ男
貝合           平安京の足長おじさん
思はぬ方にとまりする少将 叔父・甥、兄弟仁義スワッピングパーティ
はなだの女御       ミッション・インポシブル
はいずみ         ふだんのおこないが大切なのね
10 よしなしごと       もらえるもんならなんでもいいや
 
花桜折る少将 花桜が姥桜に?
・恋人のところから帰る中将がフラフラ歩いていると荒れた家がある。人けがあるので忍び込むと、夜明け前からその家の姫君一行が参詣にでるところ。月経の女童は同行できない。翌日、たまたまその女童と部下の光季がねんごろで、例の姫が源中納言の娘で入内しようとしていると知る。で、女童の手引きで姫君を拉致するが、間違えて、姫君の部屋で張っていた姫君の祖母を連れだしたのだった。
 
このついで 籠にまつわるオムニバス
・帝の出御を待つ間、中宮の前で火取(香炉)の「(伏(ふせ))籠(こ)」の連想から、三人の女房が話をする。
@[恋]本妻の嫉妬で女と別れた男が子に会いに通う。子を連れ帰ろうとすると、女が「子(籠)が出て行くと私一人(火取)になるのね」と歌ったので感動してよりを戻した。
A[厭世]清水に籠っていると屏風越しに隣の女が「世を厭う私は木の葉」と口ずさんだのが身に迫ったが、返歌も遠慮された。
B[出家]東山に籠っていると隣で姫君が出家を望んでいるようす。僧はためらうが強いて髪を切る。女房たちも泣いている。思わず「誰だか知らないが気がかりです」と歌を送ると、妹らしい人が気圧されるくらいの返歌をくれ、つまらない歌を送ったのを後悔する。
 
虫めづる姫君 ピーターパン症候群の虫オタク
・按察使中納言の姫君は、成人女性の化粧である眉抜きもお歯黒もせずに、虫の観察に没頭している。女房どもがこわがるので、男童をパシリに使って虫を集める。きれいな蝶の本体は毛虫であり、物事の本質を追究するのは仏教の教えに合っている、という論理で親をけむにまく。物好きな上達部の子がリアルな蛇の模型と歌を贈る。姫はびくつきながらも、物事を見かけで判断してはならないと説く。父が促すので片仮名で「あの世で逢おうよ」という内容の返歌。変な返歌に感動した男達が垣間見に忍び込む。毛虫を採集している姫に出くわす。さすがに姫は逃げる。化粧さえすれば美人だろう、が、やっぱあの趣味ではね。「毛虫のような眉を見てから鳥もちみたいにとりつかれた」とからかいの歌。女房が代作で「名を知りたい」と返歌するが、「あなたの毛虫眉にふさわしい男はいない」と詠んで笑って去る。
 
ほどほどの懸想 恋は身分相応に
・賀茂祭で小舎人童が女童をゲット! 女童は故式部卿宮の姫君に仕えている。女童の主人はチョー美人、という話を聞いた小舎人童は、自分の主人頭中将と番わせようと企てる。だって主人同士がくっついたら、女童とデートしやすくなるもん。頭中将の部下の若い男が小舎人童にだれか紹介しろよぉと頼み「心の底からあなたを愛している気持ちを風よ伝えておくれ」と(相手も決まっていないのに)託す。一人の女房がそれに反応。その返歌を頭中将が見つけ、姫君に興味を持つ。でも結ばれた後、後悔したとか。
 
逢坂越えぬ権中納言 優柔不断なオクテ男
・自分を受け入れてくれそうもない姫宮のもとを訪問しようかどうしよう、と考えている優柔不断な中納言のところへ、蔵人少将が内裏での遊びに誘いに来る。遊びの後、中宮の局を訪れると、根合せに誘われる。どちらでも誘われた側に、とクールで無気力に言う中納言は左方、ホットでノリノリの三位中将は右方。当日、無気力なくせにわざわざ安積の沼のチョー根の長い菖蒲を持ってきた中納言のおかげで左方勝利。その後歌合。帝も現れ遊び。漢詩を歌いながら退出する中納言に女房たちはもうメロメロ。中納言の心をよぎるのは例の姫宮。歌を贈るが返事なし。
・五月も過ぎた。月の夜、姫宮を訪問。取り次ぎの女房にこっそりついて姫宮の邸に侵入。姫宮に取り次ぎを拒否された女房が、玄関に戻ると中将の姿が見えない。中納言は帰ったのかしら、気の毒に、と思っている間に、中納言は姫宮の部屋に乱入。夜明けまで結局手が出せない。どうせ今出ていっても評判が立つから同じだよん、と口説いても姫宮は落ちない。最後の一線を越えられないのはなぜ、という歌で終わり。
・あやめ(菖蒲・文目)、こひぢ(泥・恋路)
 
貝合 平安京の足長おじさん
・蔵人少将が小舎人童を連れて九月有明の散策。琴の音の聞こえる家に、私を引き/弾き留める琴の音だね、と歌っても返事はなく、拍子抜け。と、女童や小舎人童・召使いなどが出入りする家がある。忍び込んで見ていると、女童に発見される。ちょっとここに用があって、とごまかし、事情を聞き出す。ここの姫君と北の方の姫君の貝合があるのだが、先方と違って弟君しか頼りになる人がいないのでヤバイとのこと。勝たせてやるから覗き見させろ、と脅迫。畳んだ屏風の後ろに隠してもらう。かわいい姫君十三くらい、弟君十くらい。かぁさんが生きていればなんとかなったのに、と敗色が濃いようす。そこへ北の方の姫君登場。年上のブス。得意そうな顔で「私の負けですわ、お宅の貝を少し分けて」などと皮肉をぬかして帰る。こちらの姫君の女童らが、少将の隠れている観音の方に向いて祈るので、「味方はいるゼ」と歌を口ずさむと、女童らは、観音様がしゃべったぁーと逃げる。姫君、観音様がしゃべるなんて本当かしらと半信半疑。夜になって脱出した少将(一日中いたのネ)は、洲浜(箱庭)を作って昨日の女童に渡し、こっそり置かせて少将は再び例のところに隠れる。女童らが見つけて喜び騒ぐ、「観音様のおかげよ!」ああおかしい。
 
思はぬ方にとまりする少将 叔父・甥、兄弟仁義スワッピングパーティ
・大納言に娘が二人いた。父母とも亡くなりしっかりした乳母もいない。右大将の子息の少将がアタック。取り次ぎの女房が姫君たちの意向も聞かず、いきなり二人の部屋へ案内したので、少将は姉君を抱いて御帳へ連れ込む。少将の父右大将が、後身のない姫君と一緒になることに難色を示すので、少将はあまり通えない。姫君が「人心秋のしるし」などと歌を書いて泣き寝入り。少将が見て「こいつゥ」なんて言って過ごす。
・ところで妹姫。故乳母の娘の左衛門尉の妻が夫に妹姫のことを話す。夫が上司の右大臣家の権少将(やっぱ少将と呼ばれる。ここ、ポイント。彼の北の方は、右大将の北の方の妹。彼は北の方と不仲)に勧める。妹姫も乗り気でないし、姉姫も、北の方でないとねぇ、と反対。姉姫のお籠りの隙を縫って権少将侵入。姉・妹そろってきちんとした結婚ができない不運を二人して嘆く。権少将の父はとてつもなく難色を示す(権少将の舅の按察使大納言に遠慮して)。叔父・甥とも親に反対されるので、姉妹を右大将家に連れ込んで逢う。私たちそんな女じゃないのに....。
・ある日、姉である右大将の北の方の病気にかこつけて宿泊しているのをいいことに、妹姫を呼びつける。使いがただ「少将から」というので、勘違いして姉姫が行く。叔父・甥そっくりなので、気付いたときにはもう遅い。権少将はこのシチュエーションに燃えまくる。叔父・甥が兄弟に! ところで、少将も姉姫を迎えにやる。これも勘違いした妹姫が行く。これは車を降りるときに気付くが、やはりこのシチュエーションに燃えまくる少将に拉致されて、あぁ!叔父・甥とも、後朝の便りに「これも前世からの宿命さ」。
 
はなだの女御 ミッション・インポシブル
・自分の女が里に帰っていると聞いたプレイボーイ。そこに忍び込む。十人もの女房が、それぞれ自分の仕える主人を花に例えてほめあげている。男は、花々のように美しいお嬢さん方よ、などと歌うが、男だと気付いていながら鵺よなどと言っている。シカトされたまま夜が明ける。実は、彼女らは姉妹で、なぜだか親が、それぞれ姉妹だと知らせず、すべて違う主人に仕えさせている。例の男を無視したが、別にみな男を知らないわけでもない。暇だから人から聞いたこんな話を書いたが、この男は誰だろう。本当にそんな家があるのだろうか。誰か教えて。
 
はいずみ ふだんのおこないが大切なのね
・身分の賎しくない男、身寄りのない女を本妻として同居していた。外に別の女ができ、新鮮さから通ってばかり。新妻の親も、男を居続けさせる。本妻は身を引く覚悟。でも天涯孤独な彼女は、どこも出て行くあてがない。新妻の親が「うちの娘は未婚の男にやるつもりだった。もはや仕方ないが、世間の人が、結局は本妻をかわいがるはず、お宅の娘は捨てられる、などと言うんですよ」と言って男の誠意を見ようとする。男は「では娘さんを我が家にきちんと引き取ります」と宣言。すかさず後悔するが、言ってしまったことは仕方がない。本妻に「いやぁ、ぼかぁ君への愛はかわらない。ところで、あの女を物忌みのためしばらくうちにいさせなければならなくなった。なに、お前は出て行かなくても良い。どっか片隅にでもいてくれたまえ」。女のカンは鋭い。本妻は家を見苦しくないよう掃除して、新妻の来る前夜に車を所望する。牛の都合がつかない。出て行く先は近くですから、といって男に馬を借り、昔の侍女と思われる女のいる大原へ。送りの小舎人童に居場所を口止めして「涙川で溺れている」と言わせる。男は後悔して迎えに行って連れ帰る。新妻の家には、うちのが病気になったので、と言ってやる。
・その後、新妻に通わないでいた、が、そんなある日いきなり新妻を訪問。油断してすっぴんでいた新妻は、大慌てして化粧。白粉と掃墨を間違えて塗る(すると顔は真っ黒で、眉が真っ白になる)。男は不気味さにしどろもどろで立ち去る。病気にでも罹ったかと思って父母も卒倒。鏡を見て本人も泣き騒ぐ。陰陽師まで呼ぶが、涙で墨が落ちてよかったよかった。
 
10 よしなしごと もらえるもんならなんでもいいや
・由緒ありげな僧が隠し妻にお籠りの用具を所望したところ、女は調達してくれた。それを聞いた、女の師の僧も、自分の女にもう何から何まで所望する、その手紙。ある物を所望するのに、まず、できれば最高級のものを、だめなら次善のものを、という調子で望みを下げ、とうとうぼろぼろのものでも、という調子で連綿と所望する、という話。
 
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  土 佐 日 記
 
・承平五年(935)以降成立。1巻
 
目次
紀貫之の生涯
土佐日記の特徴
土佐日記のあらすじ
 
紀貫之の生涯
 
西暦 和 暦 年齢 記 事 西暦 和 暦 年齢 記 事
905 延喜5 38 御書所頭
古今和歌集成立
929 延長7 62 右京亮
906 延喜6 39 越前権少掾 930 延長8 63 土佐守
醍醐上皇没
907 延喜7 40 内膳典膳 934 承平4 67 12/21 土佐出発
910 延喜10 43 少内記 935 承平5 68 2/16 京都到着
土佐日記成立
913 延喜13 46 大内記 940 天慶3 73 玄蕃頭
917 延喜17 50 従五位下・加賀介 943 天慶6 76 従五位上
918 延喜18 51 美濃介 945 天慶8 78 木工権頭
923 延長元 56 大監物        
 
土佐日記の特徴
                      男性の作品
@ トカゲイズムラサラサヌキの中で、唯一 
                      一日も欠かさず書いてある
A 五十五日間の旅程が、五十数首の歌とともに書かれてある
B 貫之の妻に仕える侍女の筆に仮託して書いてある(時に混乱)
  ・貫之自身は「ある人」「前(さき)の守」「舟君」「翁人」「舟のをさしける翁」
C 風刺や滑稽を交えた、諧謔的な表現も多い
D 天候不調で帰京できない不満、海賊の恐怖、現金な人々への不満、京に近づ  く喜び、亡女児の追憶、などなど
E 特徴的な言葉
  敬語 いでませり 出でたうびし日 詠んたび 楫とりして幣たいまつらする     怨じもこそしたべ 舟酔ひしたうべりし御顔 ものしたばで おもほゆ
  撥音便 あらなり 見えなるを 来なり なぐひにぞなる せなり
  べしべき   数はたらでぞかへるべらなる
  その他 海にざりける  おそり  がいひけらく
 
土佐日記のあらすじ
 12/21 門出
 12/222324 大津
 12/2526 国府で新任国司と宴会
 12/27 浦戸。亡娘を思う
 12/2829 大湊。国司の子と宴会
 1/ 1 新年
 1/ 23456 大湊
 1/ 7 白馬の節会
 1/ 8 山の端逃げて
 1/ 9 松原
 1/10 奈半
 1/11 羽根
 1/1213141516 室津
 1/17 棹は穿つ
 1/1819 室津
 1/20 青海原
 1/21 出航。黒鳥のもとに
 1/22232425262728 次の泊り
 1/29 土佐の泊り。京の子の日
 1/30 和泉の国
 2/ 123 進まぬ船旅
 2/ 4 人忘れ貝
 2/ 5 住吉
 2/ 6 淀川
 2/ 7 船酔い
 2/ 8 鳥飼
 2/ 9 渚の院
 2/10 停滞
 2/11 石清水
 2/1213 山崎
 2/14 車を取りにやる
 2/15 上陸
 2/16 帰京
 
門出。国府から大津へ  →土佐日記のあらすじ目次へ戻る
12/21 戌の時「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとて、するなり。」
むまのはなむけ     →土佐日記のあらすじ目次へ戻る
  22 「上中下、酔ひあきて、いとあやしく塩海のほとりにてあざれあへり。」
  23 「この人、国にかならずしもいひつかふものにもあらざなり。これぞたたはしきやうにて馬のはなむけしたる。守がらにやあらむ、国人の心の常として、今はとて見えざなるを、心あるものは、恥ぢずになむ来ける。これは物によりてほむるにしもあらず。」
  24 みな酔って「一文字をだに知らぬもの、しが足は十文字に踏みてぞ遊ぶ。」
新任国司との送別。国府へ  →土佐日記のあらすじ目次へ戻る
  25 新任国司よりお招き
  26 新任国司「都いでて君に逢はむと来しものを来しかひもなく別れぬるかな」
   前国司貫之「白桍(しろたへ)の波路を遠くゆきかひてわれに似べきはたれならなくに」
大津より浦戸着  →土佐日記のあらすじ目次へ戻る
  27 「都へと思ふをものの悲しきはかへらぬ人のあればなりけり」
   「かくうたふに、『舟屋形の塵も散り、空ゆく雲も漂(ただよひ)ぬ』とぞいふなる。」
浦戸より大湊着  →土佐日記のあらすじ目次へ戻る
  28 舟中で貫之の前の国司の子と宴会
  29 「くすし、ふりはへて、屠蘇(とうそ)、白散(びやくさん)、酒くはへて持て来たり。」
1/ 1 正月らしいことができないことを嘆く。「小家(こへ)の門のしりくべなはの鯔(なよし)の頭、ひひらぎいかにぞとぞいひあへなる。」
  2 「なほ大湊に泊れり。」
  3 「おなじところなり。」
  4 「風ふけば、え出でたたず。」
  5 「風波やまねば、なほ同じ所にあり。人々たえずとぶらひにく。」
  6 「きのふのごとし」
  7 「今日は白馬(あをむま)をおもへど、かひなし。ただ波の白きのみぞ見ゆる。」
   池というところから、若菜がわりに魚を進上してきた。
   「浅茅生(あさぢふ)の野辺にしあれば水もなき池に摘みたる若菜なりけり」
   「わりご持たせて来たる人」が下手な歌を歌い、誰も返歌をしない。童がすばらしい返歌を作ったが、「歌主」は消えていた。
  8 「今宵、月は海にぞ入る。これを見て、業平の君の『山の端にげて入れずもあらなむ』といふ歌なむおもほゆる。もし海辺にてよまましかば、   『波立ちさへて入れずもあらなむ』とよみてましや。」
大湊より松原を経て奈半の泊着  →土佐日記のあらすじ目次へ戻る
  9 ずっと付き添って来た人々との別れ。「この人々の深きこころざしは、この海にも劣らざるべし。」
   船酔い「翁人ひとり・・心地悪しみして、物もものしたばで、ひそまりぬ」
  10 「今日はこの奈半の泊りにとまりぬ。」
奈半より、羽根、奈良志津を経て室津着   →土佐日記のあらすじ目次へ戻る
  11 「まことにて名に聞くところ羽根ならば飛ぶがごとくに都へもがな」
   「この羽根といふ所問ふ童のついでにぞ、また昔へ人をおもひ出でて、いづれの時にか忘る。今日はまして、母の悲しがらるることは。」
  12 後れていた船団も室津到着。
  13 「さて、十日あまりなれば、月おもしろし。」
  14 「舟君、節忌みす。」
  15 出航後二十日以上経たのに天候のせいで進まないのでみなじりじり
  16 「霜だにもおかぬ方ぞといふなれど波のなかには雪ぞふりける」
  17 「くもれる雲なくなりて、あかつき月夜いとおもしろければ、舟を出だして漕ぎゆく。このあひだに、雲の上も海の底も、おなじごとくになむありける。むべも昔の男は『棹は穿つ、波の上の月を。舟はおそふ、海のうちの空を』とはいひけむ。聞きざれに聞けるなり。」
   「水底の月の上より漕ぐ舟の棹にさはるは桂なるらし」
   「影見れば波の底なるひさかたの空漕ぎわたるわれぞわびしき」
  18 みなで歌を作るが、三十七文字のを作って笑われた人がいる。収録不能。
  19 「日あしければ、舟出ださず。」
  20 舟が出ないのでみな嘆く。「ただ日の経ぬる数を、今日いくか、二十日、三十日と数ふれば、およびもそこなはれぬべし。」
   阿倍仲麻呂「青海原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」
  21 「卯の時ばかりに舟出だす。みな人々の舟出づ。これを見れば、春の海に秋の木の葉しも散れるやうにぞありける。」
   「なほこそ国の方は見やらるれ わが父母ありとし思へば かへらや」
   楫取りの「黒鳥のもとに白き波をよす」が文学的に聞こえる。
   海賊横行、海の恐ろしさで、海のみならず「頭もみな白けぬ。七十ぢ八十ぢは海にあるものなりけり。」
   「わが髪の雪と磯べの白波といづれまされり沖つ島守」
次の泊り着    →土佐日記のあらすじ目次へ戻る
  22 「今日海荒げにて、磯に雪ふり、波の花咲けり。」
次の泊り着    →土佐日記のあらすじ目次へ戻る
  23 「このわたり海賊のおそりありといへば、神仏を祈る。」
  24 「昨日のおなじところなり。」
  25 「楫とりらの、北風あしといへば、舟出ださず。海賊おひ来といふこと絶えず聞ゆ。」
次の泊り着    →土佐日記のあらすじ目次へ戻る
  26 海賊が来るというので、夜中に出航している途中に「手向け」場所で楫とりが「御舟すみやかに漕がしめ給へ」と祈るのを聞いて、ある女の童、
   「わだつみのちぶりの神に手向けするぬさの追い風やまず吹かなむ」
  27 「風吹き波荒れば、舟出ださず。これかれ、かしこく嘆く。」
   「日をだにも天雲近く見るものを都へとおもふ道のはるけさ」
   「吹く風の絶えぬ限りしたち来れば波路はいとどはるけかりけり」
  28 「よもすがら雨やまず。今朝も。」
土佐の泊着    →土佐日記のあらすじ目次へ戻る
  29 「むつきなれば、京の子(ね)の日のこといひ出でて、『小松もがな』といへど、海なかなれば、難(かた)しかし。」
   「おぼつかな今日は子の日か海人ならば海松をだにひかましものを」
   「今日なれど若菜も摘まず春日野のわが漕ぎわたる浦になければ」
   「年ごろを住みしところの名にしおへば来よる波をもあはれとぞ見る」
土佐の泊より、阿波の水門を経て和泉の灘着 →土佐日記のあらすじ目次へ戻る
  30 海賊を避けて夜中ごろ出航。「今は和泉の国に来ぬれば、海賊ものならず。」
和泉の灘より、くろさきの松原を経て箱の浦あたり着 →土佐日記のあらすじ目次へ戻る
2/ 1 「舟君のいはく『この月までなりぬること』となげきて・・心やりにいへる、
    曳く舟の綱手のながき春の日を四十日(よそか)五十日(いそか)までわれは経にけり」
  2 「雨風やまず。日一日、夜もすがら、神仏を祈る。」
  3 「海の上昨日のやうなれば、舟出ださず。」
  4 「昔の人をのみ恋ひつつ、舟なる人のよめる、
    よする波うちもよせなむわが恋ふる人忘れ貝おりて拾はむ
   といへれば、ある人のたへずして、舟のこころやりによめる、
    忘れ貝拾しもせじ白珠(しらたま)を恋ふるをだにもかたみとおもはむ
   となむいへる。をんなごのためには親幼くなりぬべし。『珠ならずもありけむを』と人いはむや。されども、『死し子、顔よかりき』といふやうもあり。」
小津の泊から住吉を経て、澪標着  →土佐日記のあらすじ目次へ戻る
  5 都が近づく喜び。「昔へ人の母、一日片時もわすれねばよめる、
    住の江に舟さし寄せよ忘れ草しるしありやと摘みてゆくべく
   となむ。うつたへに忘れなむとにはあらで、恋しき心ちしばしやすめて、またも恋ふる力にせむとなるべし。」
   急に風が吹くのは貢物を要求する住吉明神のせいだ、と楫とりがいうのは、「今めくものか。」幣(ぬさ)では風がやまないので、「眼もこそ二つあれ、ただ一つある鏡をたいまつる」と放り込むと、海は鏡の面のよう。
   「ちはやぶる神の心を荒るる海に鏡を入れてかつ見つるかな」
   「楫とりの心は、神の御心なりけり。」
難波から淀川へ入る。川尻着  →土佐日記のあらすじ目次へ戻る
  6 大喜び「いつしかといぶせがりつる難波がた葦こぎそけて御舟来にけり」
どこかへ泊          →土佐日記のあらすじ目次へ戻る
  7 舟が上りなやむ。舟酔いした「舟君の病者・・・・あやしき歌ひねりいだせり」、
   「来(き)と来ては河上り路の水を浅み舟もわが身もなづむ今日かな」
   「とくとおもふ舟悩ますはわがために水の心の浅きなりけり」
鳥飼着            →土佐日記のあらすじ目次へ戻る
  8 上りなやんで、鳥飼の御牧にとまる。
鵜殿着            →土佐日記のあらすじ目次へ戻る
  9 渚の院。業平の「世の中にたえて桜の咲かざらば春の心はのどけからまし」          →土佐日記のあらすじ目次へ戻る
   人々が土佐で生まれた子を抱いて舟を乗り降りするのを見て、「昔の子の母、悲しきにたへずして、
     なかりしもありつつかへる人の子をありしもなくて来るが悲しさ
   といひてぞ泣きける。父もこれを聞きて、いかがあらむ。」
  10 「さはることありて、のぼらず。」
山崎へ           →土佐日記のあらすじ目次へ戻る
  11 石清水八幡宮、山崎の橋が見える。「うれしきことかぎりなし。」
  12 「山崎にとまれり。」
  13 「なほ山崎に。」
  14 「雨降る。今日、くるま今日へとりにやる。」
  15 「舟のむつかしさに、舟より人の家にうつる。」お礼目当ての主人不快。
入京            →土佐日記のあらすじ目次へ戻る
  16 夜になって京に向けて出発。「桂河、月のあかきにぞわたる。・・・・この河、飛鳥川にあらねば、淵瀬さらにかはらざりけり。」
   「久方の月に生ひたる桂河底なる影もかはらざりけり」
   自宅の荒れ方は聞いていた以上。「家にあづけたりつる人の心も、荒れたるなりけり。中垣こそあれ、一つ家のやうなれば、のぞみてあづかれるなり。」しかし国司は従者の不平を抑える。
   松が枯れている。「五年六年のうちに、千年や過ぎにけむ、かたへはなくなりにけり。いま生ひたるぞまじれる。」「この家にて生まれし女子」は死んだのに、みな子とともに帰京を喜んでいる。「悲しにたへずして、ひそかに心知れる人といへりける歌、
   生まれしもかへらむものをわが宿に小松のあるを見るが悲しさ」
   「見し人の松の千年に見ましかば遠く悲しき別れせましや
   忘れがたく、口惜しきことおほかれど、え尽くさず。とまれかうまれ、とく破りてむ。」
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  蜻 蛉 日 記
 
 関係系図
 蜻蛉日記のあらすじ
 
 作者 藤原道綱母(倫寧(ともやす)女・兼家の妻)
 成立 天延二年(974)以降成立
 ・最古の女性の日記。満たされない愛が道綱への親バカ、物詣でを通じて    克服されてゆくが、とにかく作者がすねてみたり泣いてみたり、兼家が    浮気したりでもう大変。しかし不平の裏にある愛を見抜こう。二〇年間    の話。
 ・地の文で、夫へは無敬語。「人」とあったら夫か侍女
 
関係系図
 
蜻蛉日記のあらすじ
 天暦 (953〜956)18歳〜21歳
 天徳 (957〜960)22歳〜25歳
 応和   (961〜963)26歳〜28歳
 康保 (964〜967)29歳〜32歳
 安和     (968・969)33歳・34歳
 天禄   (970〜972)35歳〜37歳
 天延     (974〜975)38歳・39歳



 
953天暦七18 ※ 道隆誕生
954天暦八19 夏 兼家(929〜990)求婚。消息往来。
       秋 結婚成立
       I 倫寧 陸奥守赴任
955  九20 G 道綱誕生
       I 町の小路の女の存在発覚、作者激怒、来訪拒否
956  十21 B 町の小路の女と兼家との公然の交際を嘆く
       C 同居していた姉、夫為雅とともに転出
       D 時姫と贈答
       秋以降、兼家の来訪遠のく
       H 兼家少納言。このころ時姫と贈答
957天徳元22 春 兼家、置き忘れた書物を取りによこす
       夏 町の小路の女、男子出産、怒
       秋冬 兼家と和解、再び来訪。唱和
       ※ 超子誕生
958  二23 町の小路の女、兼家に捨てられる。男子死亡、ざまァ見ろ
959  三24 兼家と宰相源兼忠女に女子誕生
960  四25
961応和元26 ※ 道兼誕生
962  二27 @ 兼家従四位下。
       D 兼家兵部大輔。暇なので作者邸に
       初秋 兼家と加持祈祷のため山寺参篭
       ※ 詮子誕生
963  三28 @ 兼家還昇。倫寧河内守。
964康保元29 夏 兼家来訪遠のく
       秋 山寺で母死去。兼家も来てくれる。山寺で服喪
965  二30 秋 山寺で亡母一周忌。
       H 姉、夫の任国下向
966  三31 B 兼家作者邸で発病、自邸護送。作者お見舞いに行く
       C 祭見物で時姫と連歌贈答
       秋 兼家訪れず
       H 稲荷神社・賀茂神社参詣
       ※ 道長誕生
967  四32 A 兼家東宮亮
       B 九条女御に雁の卵(かりのこ)の歌贈答
       D 村上帝崩御。冷泉帝即位。
       E 兼家蔵人頭。貞観殿登子(とうし)と贈答。
       I 兼家左近衛中将
       J 作者を兼家邸近くに移す
968安和元33 F 貞観殿登子(とうし)(兼家妹)夢違えで兼家邸へ。作者と贈答。
       H 初瀬参詣。宇治川で兼家出迎える。
       I 大嘗会の御禊。
       J 大嘗会。兼家従三位。兄兼通を越える。
969  二34 @ 作者と時姫の従者の間に乱闘。作者一時転居。
       B 源高明大宰権帥左遷。
       閏D 作者発病。遺書を書く。東三条院新造中。
         山寺にいる兼家から蓮の実届く。
       E 高明の北の方愛宮と贈答。一条旧宅に戻る。
        兼家、道綱と御嶽詣。
       G 道綱、童殿上
       H 兼家正三位
970天禄元35 B 宮中の賭弓で道綱活躍。
       D 兼家の夜離れに出家決意。道綱、鷹を放つ。
       F 石山参篭。
       G 兼家右近衛大将。道綱元服。
       J 道綱従五位下。
       晩冬 兼家の来訪途絶えがちで、過去を懐かしむ。
971  二36 元旦 兼家、作者邸門前を素通り。夫婦仲険悪。
       A 兼家の女(近江)の噂。
       C 道綱と長精進に入る。尼になる夢。胎内の蛇が肝を食む夢。
       E 鳴滝参篭。兼家迎えに来るが、下山せず。
        三週間後、兼家の強引な迎えで下山。
       F 初瀬参詣。帰京後兼家一週間ごと来訪。
       J二十以降 また兼家途絶えがち。
       K十六 雨中訪問、翌朝、今宵を約して帰るが、訪れない「雨蛙」
972  三37 @ 兼家権大納言。道綱参賀。
       A 夢のお告げで兼忠女の産んだ子を養女に。兼家とも対面。
       閏A 兼家大納言
       B 清水参篭。留守中隣家焼亡。
       C 大和の女と道綱の文通。
973天延元38 A 近江の家全焼。
       B 道綱、院の賭弓で活躍。
       D 兼家から旅立つ人に贈る歌の代作依頼。
       F二十余日 兼家来訪。以降訪れなし。近江へ通うか。
       G 作者転居。父出産。
974  二39 @ 道綱右馬助。
       A 右馬頭遠度より養女に求婚の申し出。兼家内諾。
       F 遠度の悪評により破談。
       G 疱瘡流行。道綱罹患、重体に。H全快
       I 近江、女児出産(綏子)。道通作者に懸想。
       J 道綱賀茂臨時祭試楽で舞。
         兼家昨年秋以来訪れず悲しむが、父や道綱への厚情けを喜ぶ
         大晦 過去の苦悩を思う
 
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  和 泉 式 部 日 記
 
 関係系図
 和泉式部年譜
 和泉式部日記のあらすじ
 
作者 和泉式部
 成立 一〇〇七年以後
 ・作者は「女」という形で示される三人称体。いうまでもなくSナシ。一方、  親王はSS待遇。
 ・つまり、SSなら主語は親王、謙譲語があれば主語は「女」。
 ・日記でありながら、超越的視点で描かれる。作者には知り得ないはずの、親  王の側の動きや心情が親王の立場から叙述されている。
 ・御かへり めづらか くち惜しう
 

関係系図

和泉式部年譜
 
 976貞元元 居貞親王(三条天皇)誕生。
 977  二 為尊親王(故宮)誕生。
 978天元元01和泉式部誕生。
 981  四04敦道親王(帥宮)誕生。
 984永観二07円融天皇譲位。花山天皇即位。
 986寛和二09花山天皇退位。兼家摂政。一条天皇即位。居貞皇太子。
 990正暦元13道隆摂政関白。兼家没。定子中宮。
 995長徳元18道隆没。道兼没。道長内覧の宣旨。
 996  二19橘道貞と結婚か。伊周・隆家配流。
 997  三20小式部出生か。
1001長保三24為尊親王との恋。十月より親王病気。
1002  四25 6/13為尊親王没(26歳)
1003  五26 和泉式部日記の舞台
1004寛元元27 C賀茂祭に宮と同じ車で目立ちまくり。
1005  二28 宮の子を産むか? 紫式部、中宮彰子に出仕?
1007  四30 宮、没。享年二七歳。
1009寛弘五32 中宮彰子に出仕。道長に「浮かれ女」とからかわれる。
1010  七33 父、越前守。藤原保昌(五三歳)と結婚?ともに丹後へ?
1011  八34 I 保昌、道長家司として在京。和泉も。
1016長和五39 4/16 全陸奥守橘道貞没。
1036長元九59 H 保昌没。和泉消息不明。
 
 
和泉式部のあらすじ
 故宮の一周忌
 帥宮の強引な来訪
 北の方にばれるのを恐れる宮
 五月一日、開き直りを決意した宮
 すっかりはまった宮
 じらす女
 男の影におびえる宮
 宮の誤解を解く
 折過ぐし給はぬ宮1(雨の日)
 五月五日、侍従の乳母の妨害
 女をさらって独りで帰す宮
 女をさらって送ってやる宮
 女を浮気だとなじる宮
 すねる宮
 月の夜の仲直り
 またもやすねる宮
 七夕、時過ぐし給はぬ宮2
 うじうじする宮
 八月、石山参廊を期にやっと仲直り
 九月二〇日有明の月、折過ぐし給はぬ宮3
 調子に乗って愛人に贈る歌を女に代作させる宮
 手枕の涙を見て完璧に宮ははまってしまう
 小舎人童殺人未遂
 なかなかなれば月をしも見ず
 宮、女車に乗って昼間に女を訪問
 十月紅葉狩り
 女の男に関する噂を聞いてまたも激昂する宮
 当然仲直り
 十二月、宮、女を強引に召人として連れ帰る
 正月、上の家出
 
 四月十余日 故宮の思い出に耽っていると、故宮に仕えていた小舎人童が遊びに来た。今や帥宮に仕えていて、橘の花を託されて来たのだ(さつきまつ花たちばなの香をかげばむかしの人の袖の香ぞする)。「かをる香によそふるよりはほととぎす聞かおなじ声やしたると」と返すところから文通が始まる。
 数日後、月の夜 宮は右近の尉に命じて、突如、女のもとを訪問する。強引に和泉のもとに「やをらすべり入りぬ。いとわりなきことどもをのたまひ契りて」帰った。
 翌朝 後朝(きぬぎぬ)の文。宮は、毎晩の外出を北の方にバレるのを恐れる。
 四月三十日 時鳥(宮)の忍び音(お忍びの訪れ)を促す歌。
 五月一日 宮から、吹っ切って訪問宣言をする内容の返し。
 二、三日後 宮の訪問。お寺参りの精進を口実にシカト。
 翌朝 いさやまだかかる道をば知らぬかな逢ひても逢はで明かすものとは(宮)よとともに物思ふ人は夜とてもうちとけてめのあふ時もなし
 翌日 宮が和泉のお寺参りを心配するので、宮ゆえに出かけたくなくなるので六日のあやめにならぬよう、五月雨をおかして、出かけます、の歌。
 三日ばかり後 帰って宮と贈答。電撃訪問するも、祈り疲れで寝ていて気づかず。宮は、他の男がいるんだな、と思ってすごすご帰る。
 翌朝 宮からの歌で昨夜の訪問を知る。返しを受け、再訪を企つが、人々の制止に会い、挫折。
 かなりたって雨の日 自分に言い寄って来る男は多いが、宮との仲はどうなるか、と思っていると、歌。「折を過ぐし給はぬををかしと思ふ」。和泉の、つらいわ、入水しようかしら、宮の、やめなはれ、わてもつらいんや。
 五月五日 降り続く雨をネタに贈答。大水のように広い心といいながら、訪問する気もないくせに、と言われて宮は訪問を企つが、侍従の乳母に「あんな身分の低い女は召人とすべきです。故宮の時も右近の尉が手引きしたけど。大殿に言いつけますわよ」「なぁに、ほんのお遊びさ」と言っときながら、ホンマはエエ女や、召人にしたいが、それも外聞が・・・悩む内に疎遠になる。
 ある日 宮が自宅に強引にラチって行く。
 翌朝 見送りを妻にバレるとヤバイから、と独りで返す。こんな形の早起きを宮にさせたくない、つまりもうこんな形の逢瀬はイヤ、という女の歌に、再びラチりにやってくる。
 翌朝 今度は送ってくる。これからはこうして送るゼと約束してすぐ帰るが、ニワトリのせいで二人の逢瀬が邪魔される、ニワトリのバカーの歌。
 二三日して月の夜 逢瀬の夜と同じ月を見てる、という贈答歌
 翌夜 宮来訪。女は気づかず。妹の所へ来た車を、宮は女の浮気相手と勘違い。
 翌朝雨 君が浮気性と聞いていたが、こんなにオレが苦しむなんて、の宮の歌。宮こそ浮気と聞いていたワ、私の件は誤解です、の女の歌。
 先日のことでイジケてだいぶたって つらい恋しい板挟み、の宮の歌。誤解を解くため逢ってみたら、の女の歌。しかし宮は訪れない。
 月の明るい夜 私独りでお月見よ、の歌を樋洗童から右近の尉を通じて宮に。宮、着の身着のままダーッシュ!「いやァ、使いが返事を持ってかなかったから届けにきたのサ」と扇を。女自分で受け取る。前栽の中をデート。「明日は物忌みだから帰るよ」というのに「雨降れ、月を、宮を止めてくれ」の歌に、「あが君や」と言って部屋へ入る。残念ながら帰ります、の歌。さっきの返事は、僕を思って月を見てるというのが本当か確認に来た、の歌。
 ある日 人が女の浮いた噂を吹き込む。宮、影響される。ダメな奴。
 小舎人童が来て、樋洗童といちゃつく。「宮からの手紙は?」「ない。先日家の前に車があって以来、男がいると思って大将すねちゃってね」樋洗童のチクリ。私、宮から連絡がなくても何も言わずにいて、特に宮をあてにしたわけではないケド、時折思い出してくれればいいと思っていたのに、あろうことかそんな誤解を受けてたなんて・・・・。突如宮から手紙。「僕仮病でした。あ、違う、病気でした。それでもこの前来た時、お宅、都合が悪そうで、帰ったのだよ。もういいヤ、オレから離れて行く君のことは恨むまい」女、弁解もなんだが、私の袖は涙でグシャグシャ、あなたの気持ちを見失っての歌。
 七月七日 いろんな人からラブレター続々でもシカト。「かかるをりに、宮の、すごさずのたまはせしものを」と思うところに「僕が織姫のように指をくわえて眺めるはめに陥るとは思わなかった」の歌。「さは言へど、すごし給はざめるは」と思い、「私て七夕に嫌われているの」の歌。宮はでもウジウジ。
 七月末 宮から「星の数ほどいる男の一人に数えておくれ」。毎晩あなたを招く荻の葉風を聞かないの、の女の歌。聞き耳を立てて聞くことにする、と宮。
 二日ほど後 突如宮来訪するが、なんてことない話をして帰る。
 数日後 全然来てくれないので思いがまします、という女の歌。その後、あの夕暮れの逢瀬は忘れません、の宮の歌。
 八月になったので、女、石山に七日ほど参廊。宮、来訪を企も、小舎人童から石山にいると聞いて、翌朝、手紙を言付ける。女の里心がついている所に小舎人童到着。「信心深いんですね。僕て信仰の邪魔?逢坂関を越えて届く僕の愛。いつ帰ってくるの?」京にいたときは冷たかったのにわざわざ石山までもう宮さまったらー、で「あなたは誰?いつ下山するかと聞いてますが、都へすぐ帰るつもりで参廊したと思うの?」小舎人童こそいい迷惑、宮「苦しくとも行け」といって「つめたいね、忘れるなんて、僕に会うためだけでも戻っておいで。こんなことで出家してたら世の中ボーズだらけさ」の歌。「私の涙は琵琶湖なみ。本気なら迎えに来てヨン」。でも宮、行けない。
 その後、女帰京。「連れ戻しに行くつもりだったのにもう下山。いったい誰と下山したんだ。いいかげんな信仰だねェ」と宮のからかい。女「あなた一筋に生きるために下山したのよ」
 八月末 野分・雨。「例の、をり知りがほにのたまはせたる」から通って来ないのも許せるワ。台風の空は僕の心のよう。女、秋/飽きの空のようてこと?
 九月二〇日すぎありあけの月 長いこと訪問してないな、月を見てるかな、男といるのかな、と小舎人童だけ連れて門をノック。侍女が寝惚けている内に叩きやむ。空耳かしら、とこの事件のメモを書いていると、「ありあけが沈むまでまっていられなくて帰った」の歌。私を「いかにくち惜しのにおぼしつらん、と思ふよりも、なほをりふしはすぐし給はずかし」とそのメモを送る。「ありあけの月を見ていると、同じ心のだれかがノックした」と。宮から返事。来訪がないのでつまらないが、さすがいい返歌。
 九月末 宮から、愛人が地方に行くので、歌の代作を御願い。
 十月十日ごろ 宮来訪。宮の言葉に思い乱れる女を見て、みんなコイツを悪く言うが、今ここに二人でいるじゃんか、と女を起こして、「時雨も露も降らないのに、お前の枕にしている袖(手枕)がびしょびしょ」。それからの二人の合い言葉は 「タ・マ・ク・ラ」。
 それからしばしば来訪 ますます女を愛して、うちに住みなさい、そうすれば私の外出を咎められずにすむ。女は、宮が北の方ともうまくいってないというし、私が大きな顔をしなければいいんだし、と思うが、世間体が、と一応断る。宮、まかせなさい、といって帰る。朝、タマクラの贈答。
 翌夜、宮は明るく澄んだ月の歌を作り、翌朝送ろうとしたが、先に女から霜の  歌トーチャーク。小舎人童の遅刻のセイ。女とりなすが、「この童を殺したろかまで思った」と宮。「連絡役も殺すくらい私に無関心におなりなの?」で笑っておしまい。またタマクラ贈答。
 二三日後 「月を見てるかい?」の歌に「寝られないケドかえって物思いがつのるから見てない」の歌。宮は「おしたがへたる心地して、なほくち惜しはあらずかし、いかで近くて、かかるはかなしごとも言はせて聞かん、とおぼし立つ」
 二日ほど後 女車で昼の来訪。「しばしうちふさせ給ひて」早くうちに来いと催促。「でも『見ても嘆く』ですワ」「塩焼き衣サ」宮、檀の紅葉を折って「ことの葉ふかくなりにけるかな」。女「白露のはかなくおくと見しほどに」
   *見てもまたまたも見まくのほしければ馴るるを人はいとふべらなり
   *伊勢のあまの塩焼き衣馴れてこそ人の恋しきことも知らるれ
 翌日 「昼間現れたオレに驚いた?」「葛城の神と同じくらい恥ずかしかった」
 こうしているうち、いろんな男にいいよられてめんどうだし、宮のところへ行こうかしら。でも・・・。大鳥の贈答の後来訪。紅葉狩りに誘う。
 十月紅葉狩りの日 女物忌みドタキャン。その夜時雨。
 翌朝 「行けなくて残念だワ」「今からでも遅くない」「常磐の山が紅葉するというなら行ってもいいケド・・」暮れた後、女の家が方塞りなので拉致して三位の家に。右近の尉・小舎人童もいる。
 翌朝 連れられて帰宅。
 某日 召人は不本意、出家も考えたが、両親子供のめんどうも見たい、よし、女は度胸、で召人になるのを決意。で、他の男に居留守を使いまくって逆恨みを買い、悪い噂が宮へ。宮、激昂。女「来て下さい。私から行くと外聞がよくない」の歌。宮、「オレとの噂が立つのがそんないやなのか。『名』だけでなく、腹まで立つぜ」「私を恨んで下さい。私も宮を疑うことがあるのですから」宮来訪。噂に惑わされたが、噂を立てられたくなければうちへ!
 いつもそういうがめったに来訪なさらない。雨風の激しい日にも来てくれない。「霜がれネあき風ネ」「かれはててわれよりほかに問ふ人もあらしの風をいかが聞くらん」そしてまた女を連れ出す。
 翌日 昨日初めて物思いせずに過ごせました、の女の歌。一昨日昨日今日の連続で、ええぃうちに来い、の宮の歌。夕暮れ、「冬の落日さみしいわ」の歌。
 翌朝 来るといってた宮がこないので、「おきながら明かせる霜」の歌
 そうこうしているうちに女、風邪を引く。たびたび見舞い。
 十一月一日 雪が降る。贈答。
 某日 「霜をどう見る?」「『いくあさしもをおきて見』る鴫は私」その夜宮来訪。みぞれ。召人になったあとオレが出家したらどうする? 女泣く。
 このころ、やたら贈答を繰り返し、読んでて退屈だゼ。
 十二月十八日 宮、女を連れ出しに。いつものデートかしらと思うと「侍女を連れて行け」さてはそのまま連れ去られる。堂々と侍女を連れて来ようと思ってたけど、それならいつのまにかいて、みんなを驚かせてやれ。で、
 翌朝 櫛の箱など取りにやる。人に垣間見などされるのを心配。
 二日ほどして、上に紹介しようとするが、あんな身分の低い女をこっそり連れ込むのは特に大切にしているからだ、といって激昂するので宮、気後れ。上、「なんで言ってくれないの。じゃまなんかしないは。人に笑われるのが恥ずかしいの」「い、いや。人を雇うのに愛情がないわけにはいかないじゃないか。ただ髪をとかせるために呼んだのだ。お前も侍女として使っていいのだよ」下手な言い訳ですね
 数日たって 夜も昼も一緒。宮は上のもとにもめったに行かない。
 正月一日 貴公子達が集まるが、宮が一番!上の女房達は女見物。
 某日 上へ姉から、恥ずかしいから離婚しなさい。上、わかった、オッケー。で、出ていっておしまい。と本に。
 
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  紫 式 部 日 記
 
 ・紫式部日記関係系図
 ・紫式部日記の内容
 ・紫式部日記のあらすじ
 
紫式部日記関係系図
 
 
 
紫式部日記の内容
 
・前半は、彰子の出産前後の記事。とにかく大騒ぎ。
・中宮の一族礼賛。道長は酔っぱらい。
・源氏物語執筆者としての関係記事が現れる。
・風景にかこつけ、他人の立場と引き比べ、ふと、内省的になる。
 ・女性が人前に出る恥ずかしさ。宮仕えのはしたなさ。
 ・私みたいなとりえのない女が出家もせずにこうしていてよいのか。
 ・世に埋もれながらものんきにすごしていたのに、宮仕えに馴れてショック。
 ・漢籍の読める女としてはしたない思いをしたが、読めるのはいいこと。
・後半(寛弘六年正月三日以降)、消息文体(地の文の丁寧語・下二<たまふ>)
 ・同僚の女房は、おおむね誉めているが、ちょっとけなす。屈折している。
 ・清少納言についてはさんざん。



 
紫式部日記のあらすじ
 
(年譜)
 
 970天禄元 藤原為時、藤原為信女と結婚。
 972    紫式部の姉(長女)誕生。
 973天延元01紫式部(次女)誕生(970説、978説もある)
 974  二02弟・惟規(長男)誕生。母没か。
 975  三03異母妹(三女)誕生。
 976貞元元04異母弟(次男)誕生。
 977  二05父、東宮読書始の副侍読
 978天元元06詮子、円融入内。兼家右大臣。
 980  三08異母弟定暹誕生。懐仁(一条)誕生。
  ----このころ、父、惟規に漢籍を教え、式部が男でないことを嘆く----
 982  五10藤原宣孝蔵人左衛門尉。
 984永観二12円融譲位。山即位。父、式部丞、蔵人。
 985寛和元13宣孝失策。大嘗会御禊に父・宣孝ら奉仕。
 986  二14父式部大丞。花山退位。父退官。一条即位。
 988永延二16彰子誕生。
 990正暦元18宣孝筑前守。道隆摂政関白。兼家没。定子中宮。
 991  二19円融崩御。
 993  四21清少納言、中宮定子に出仕。
 995長徳元23宣孝帰京。道隆・道兼没。道長内覧の宣旨。道綱母没。
 996  二24父越前守赴任。式部、父とともに下向。
 997  三25宣孝式部に求婚。
 998  四26宣孝右衛門佐。式部帰京。再び求婚。宣孝山城守兼任。
 999長保元27宣孝(四七歳)と結婚。彰子(一二歳)入内。
1000  二28彰子中宮。式部の長女賢子誕生。定子崩御。源氏執筆開始か。
1001  三29父帰京。夫没。父、東三条院詮子四十賀に屏風歌。詮子崩御。
 
 
1005寛弘二33 12/29夜 中宮彰子に出仕。
1006  三34    出仕後も里居がち。
1007  四35 01/13 兵部丞惟規蔵人。
       夏頃より、中宮に『白氏文集』「楽府」二巻進講。
1008  五36
 03/14 父正四位下蔵人左少弁。このころ源氏一部成立。
 04/13 中宮、土御門邸へ退出。
 05/01 土御門邸法華三十講開始。
 06/24 中宮、内裏へ還啓。
 07/16<中宮再び土御門邸へ退出>「秋のけはひ入り立つままに、土御門殿のありさま、いはむかたなくをかし」お産の苦しさに耐えていらっしゃる彰子を誉め、こんな立派な人に仕えられる喜びを述べる。
 07/20<中宮御産のための五壇の御修法>夜深きころから荘重な僧の声々。名だたる僧たちの登場。人々(=女官)出仕ころに夜が明ける。
    <すばらしい道長>外を見ると、殿(=道長)が掃除をさせている。女郎花を折って、几帳から覗かれる。朝顔(寝起き顔)が恥ずかしいが、「これおそくてはわろからむ(作歌が遅いと趣ない)」とおっしゃるので、「女郎花と差別して露の下りてくれない私の醜さが知られます」と歌を作る。殿の返し「白露は差別しない、女郎花は美しくなろうと努力して美しいのだよ」。
    <すばらしい頼通>ひっそりした夕暮れ、宰相の君と話していると、まだ幼いと馬鹿にしていた頼通が「性格のいい女は少ないね」などと立派なことをいう。あまりべったりしないうちに「いい女のいるところで長話していると噂がたつかんね」と口ずさんで去る。物語の登場人物みたい。
 07末 <播磨守碁の負態>碁に負けた播磨守が供応。
 08/20余<出産前の人々>上達部・殿上人宿直して遊ぶ。ご無沙汰の女房も参上。
 08/26<薫物分配>中宮、薫物調合して女房に分配。
    <弁の宰相昼寝姿>昼寝の弁の宰相が絵物語の姫君みたい。物語の夢でも見てるの、と起こすと怒る。その顔も美しい。
 09/09<重陽>倫子(彰子母)より養老の菊の着せ綿を贈られる。私はちょっとだけ菊の露に触れて、千代はお返ししましょう、の歌を作るが、贈る前に帰ってしまわれた。
    <香を焚く>綺麗な月。中宮は先日の薫物を試される。いつもより苦しそう。夜中頃産気づかれる。
 09/10 中宮明け方から出産の白装束。貴族ら大騒ぎ。物の怪調伏のため修験者という修験者はみな集まる。御誦経の使いも大騒ぎして出立。四十人余りの女房たちは狭い場所に犇めきのぼせている。入れない人もいる。年輩の女房たちは忍び泣き。
 09/11<出産>午の刻、敦成(後一条)誕生。さまざまな行事。
 09/13<三夜の産養>中宮職役人によるお祝い。
 09/15<五夜の産養>殿の産養。みな、得意そう。
 09/16<若い女房の舟遊び>
 09/17<七夜の産養>朝廷の産養。
 09/18<衣を変える>みな白装束から普通の衣服に。
 09/19<九夜の産養>春宮権大夫(頼通)の産養。
 10/10余日<スカトロ道長>中宮は御帳をお出にならず、私はそばに控えている。殿が夜中にも暁にも若宮のもとに現れて乳母の懐を探る。お気の毒。殿は、若宮に小便引っかけられて乾かしながら、「幸せだなぁ」と。
    <私のモノローグ>行幸近いので邸の清掃。様々な菊が集まる。見ると、老いも退きそうな気がするはずなのにそう思えない。私が物思いをそんなにしない性格だったら今よりも気楽なはず。でも、出家の思いがわいてくる。悩めば悩むほど煩悩よ。ああ、水鳥はのんきね、でも他人事ではない、私も他人から見ればのんきに宮仕えしているように見えるのよ、の歌。すると水鳥も実は大変なのね、私と一緒で。
    <小少将の君と文通>折からの時雨はあなたを思う涙よ、と小少将の君。
 10/16<行幸>帝を迎えるため新造した舟を殿閲艦。行幸は辰の刻なので油断していると突如鼓の音、大慌て。輿到着。
    <帝、若宮と御対面>殿が若宮を抱いてお渡しする。若宮ちょっと泣く。乳母の弁の宰相の君が御佩刀取って近侍。きまり悪かったって。
    <管絃の遊び>筑前の命婦が故詮子の頃の行幸を思い出して泣き出しそう、泣くと不吉なのでみんな取り合わない。殿、こんな名誉な行幸はない、と酔い泣き。加階して、帝還御。
 10/17<若宮初剃ぎ・若宮の家司定め>人選が事前に漏れず、身内が洩れて残念。
    <中宮御前の華やかさ>殿の上(倫子)もお世話。すばらしい。
    <藤原実成・斉信との対話>二人は中宮に昇進のお礼でも申しあげさせようというのか、暮れて、局の辺りで声をかける。実成が声を掛けてもやりすごし、斉信が声を掛けたら返事したもので、実成が「斉信を特別扱いするのは勝手じゃが、わしの方が上司じゃぞい」とすねる。格子をのけて坐って話そうぜ、というが、私は、上達部を坐らせて話させるという、そんなに礼儀知らずが許される若さじゃない。
 11/01<御五十日の祝い>泥酔のオヤジたち。几帳を破るヤツ女の服装をジロジロ見てるヤツ酔って女房の服を引っ張るヤツ泣くヤツ。左衛門督(公任)が「このわたりに若紫やさぶらふ(源氏を書いた人はいますか)」と。源氏みたいな人がいないのに、紫の上がいるわきゃない。
    <からむ道長>酔ったみんなが恐ろしいので宰相の君と隠れていると殿に見つかり、歌を所望される。今日は五十日のお祝いですが、今後の若宮の八千歳の年齢は数えようもない、と詠むと、すかさず返し。鶴の千年の年齢が私にあったら、若宮の年齢を数え、後見できように、と。
    <しゃべり上戸の道長>「中宮様、お聞きでしたか、うまい歌でしょ」と自慢なさって「わしは中宮の父として最高、わしの娘として中宮は最高、おお、かぁさんも嬉しそうに笑っとる。よい夫を持ったと思っとるようだわい」と。中宮はハイハイと聞いているが、殿の上は聞いちゃいられないと退出。「わしが送らぬとかぁちゃん恨むぞぃ」と御帳のうちを通って行かれる。「中宮様、無礼と思っておられよう、でも、親がいいから娘もよいのだぞ」とおっしゃるので、みな失笑している。
 10/10ごろ<冊子作り>還啓準備の調度品として、冊子の書写を方々に依頼する。殿「出産直後に寒いのにむりしおって」といいながら、紙や硯をもっていらっしゃる。宮が私に渡されると、「おっ、もったいない」って。源氏を局に隠しておいたのを、殿に漁られて、内侍の督の殿に献上なさった。ちゃんと清書してないので、みっともない。若宮は赤ん坊言葉をしゃべっている。帝も早く会いたいだろう。
      <ちょっと里居>冬の水鳥が御前の池に集まるのをみながら、宮中に入る前に雪が降ったらきれいだろう、と思って里居して二日ほどの間に降っちまったじゃないの。実家の木立を見てもきれいじゃないわ。出仕前は、四季の変化をぼんやり見ては物思いに耽り、いったい将来どうなるんでしょう、と思いながら、物語フリークたちと文通して、私ってつまらない人間ね、と思いながらも辛い目はみなかったのに、出仕したらこの世の辛さをすべて味わったわ。今、物語を見ても、昔のように気持ちを入れられないし、文通していた人達も、出仕した私をどんなに軽薄な女だと思っているだろうか、と思うと手紙も出せない。きっと私に手紙を出したら、人に見せ回るだろうと思っていることでしょう。そう思うと、手紙も出せず、自然と絶交状態。出仕後、内裏や土御門邸と実家を行ったり来たり、根なし草なので、友も訪れられない。ほかならぬ実家で、別世界を感じる私は不幸。こうなると、今の宮仕えの友人が懐かしい。辛い宮仕えに私順応してしまったのかしら。大納言の君に「一緒に過ごした折りが懐かしい。実家にいると、冷たい水の上に一羽いる鴨のよう」。返し「ふと夜半に目覚めると、鴛鴦のように過ごしたあなたが恋しい」。彼女、完璧だわ。
      <出仕の催促>宮からも殿の上からも、早く来て欲しいって。嘘でももったいないお言葉。出仕する。
 11/17<内裏(一条院)還啓>車に乗って出発。下りて歩くのに、月が明るいので恥ずかしい。寒い中、火取り(香炉)で暖を取りながら、小少将の君と語りを入れていると、男たちが「おひさ〜」と挨拶にくるので今日は迷惑。男らが帰宅するのを見て、どんないい奥さんがいるのよ、と思う。と言っても妬いてるのじゃなくて、美しい小少将の君が幸薄いことと比べてなの。
    <道長より中宮への贈物>昨晩の贈物を御覧になる。
 11/20<五節の舞姫>舞姫達は明かりに照らされて恥ずかしいことでしょう。先日の私と同じね。帝も御覧になる。殿も御覧になっているので気も抜けない。
 11/21<寅の日の酒宴>若い女房たちは、内裏が久しぶりなので男を珍しそうに見ている。その夜、舞姫を帝が見られる。気分が晴れたら行こうと思ってたら、人が多すぎて、と仲間がたまっている。殿にせかされて行くが、公達が舞姫達の批評をしているのを聞くと、セクハラで聞い苦しい。
 11/22<卯の日・童女御覧>今年は気合いが入っているとか。私も釣られて興奮。人目にさらされてもいい身分とはいえ、他に負けまいというプレッシャーもあって気の毒よ。そう思う私は堅苦しいわ。私に、あんなに人前に出ろ、と言われてもまごつくだけでしょうが、ふと、こんなふうに人前に出るなんてことを以前は想像だにしなかったわ。驚くほど変化するのは人の気持ち。宮仕えになれているうちに平気になるんでしょうか。我が身が夢のようで、ひょっとしたら男の人とふしだらな関係まで結んでしまうのでは、と思うとぞっとして、儀式も目に入らない。
    <いじめ>若い人がする、介添に、ババァの左京馬がまぎれている。昔は宮中にすんで偉そうにしていたが、いまでもしゃしゃりでに、よし、みんなで皮肉ってやろう。と、不老不死の意味を持つ蓬莱山を描いた扇に「バァさんめだつわね」という歌を添えて送る。中宮は「同じならちゃんとおくらなければ」とおおように言うが、「ほんのいたずらですから」と、差し出し人不明の体で送る。
 11/24<巳の日の夜の調楽>五節過ぎてなんとなくみな寂しそう。
 11/28<酉の日の賀茂の臨時の祭>前夜から宿直して一晩中大騒ぎ。左京馬の主人内大臣からの手紙が変。どうも、左京馬へのいたずらを勘違いして、正式の返しを送ってきたらしい。祭の使いとなった道長五男教通(十三歳)が堂々と見えるので、乳母は泣いている。神楽の名手、兼時の舞が去年に比べて見る影もない。老衰を我が身となぞらえて感じられる。
 12/20<若宮百日の祝宴>私は里居してて記述なし。
 12/29<里居してた私が参内>今日が初出仕記念日。あのときはまごついたが、今や馴れてしまった私って、因果なものよ。夜だし、宮は物忌みなので、そのまま臥していると、女房らが「宮中はやっぱり里と違うわ。里ではもう寝てるころなのに。沓音がいっぱい」というので、「今年も暮れて私も年老いて行く夜ふけの風の音を聞いているとぞっとするわ」と独り言の歌。
 12/30<追儺>追儺が早く終わったので歯黒をつけたりしていると、弁の内侍が  来て寝ちゃった。内匠の蔵人はあてきに縫い物の仕方を教えている。のんびり。とそこへ、悲鳴。内侍はなかなか起きない。泣き声がする。恐ろしい。火事ではない。内匠を先に押し立て、宮が心配だから、内侍をどつき起こして、三人で震えながら進むと、裸の女が二人。引剥ぎだったのか、とますます気味悪い。追儺が終わって男たちがいない。手を打って人を呼ぶが誰も来ない。身分の低い刀自がやっと来た。身分差も忘れて直接、蔵人である弟を呼ぶよう命ずる。でも、いない。別の蔵人が来て、明かりを点けてまわる。この二人に服を与える。朔日の装束は無事。二人の裸姿は、恐ろしくもおかしかった、が、ナイショ。
1009  六37
 01/01<正月>不吉な事をいってはいけない日なのに、昨日の事をベラベラ。凶  日なので、若宮の御戴餅は三日に延期。
 01/03<御戴餅>給仕担当の大納言の君は美しい。ここで、我が、中宮付き女房たちの紹介。(中略)とにかくみんな容貌はすばらしい。昔仕えていた人も。ところが、性格が最高の人はなかなかいない。人の心は様々だから、いい点もあれば悪い点もある。
    <斎院(選子)の中将の君への論駁>彼女の、なんか増上慢な手紙を目にしてむかついた。斎院を最高と書いてある。そりゃ斎院は最高かもしれないが、仕えている女房を比べると、中宮方が勝っている。斎院は世俗から離れて雑事はなく、風流に浸っていられる。でもこちらはあれこれと忙しくて暇がない。私みたいなものでも、まして若い女房ならなおのこと、暇があって男と歌のやりとりをして軽蔑されないなら、本気になってどんなすばらしい歌だって詠める。でも、宮中では、今、競合しなければならない女御・后はいまやなく、中宮の気質として、軽薄に男と応対することは許していない。でも、やはり下の身分の軽い女房たちはいて、彼女たちは男と接する。でも、上の女房たちは接しない。だから男たちが「中宮のところは風流じゃない」というのでしょう。さすがにこれではまずいとは思います。男たちも、私たちのところでは生真面目に、斎院のところではそれなりに、顔を使い分けている。だから、男の応対はフィードバックされないまま。それで斎院方にも私たちの評判がゆがんで伝わるのでしょう。そういうわけで、何もわからずに人を非難する中将の君は馬鹿ね。
    <和泉式部>和泉式部にはとんでもない点はあるが、手紙の言葉遣いは走り書き程度の手紙でも美しさがある。でも、歌は、趣向や古歌の知識や判断の点で、本当の歌人とは言えないが、でまかせに作った歌にでも、魅力ある一点がある。でも、彼女の他人の歌の批評を聞いていると、そんなに歌がわかっていない。たぶん口から歌が生まれるたちなのでしょう。立派な歌人だなとは思われない。
    <赤染衛門>格別な歌人ではないが、風格のある歌を詠み、多作ではないが、世間に知られた歌は、すべてちょっとした歌も含めて立派な詠みぶりだ。彼女と比べると、ヘタウマな歌を詠んで得意になっているヤツラが見苦しい。
    <清少納言>こいつ、得意顔をしてむかつくヤツ。賢ぶって漢字を書き散らしているが、よく見ると不十分。他人と違う風流を発揮しようという人は、絶対将来才能が枯渇して、風流気取りになり、つまらないものでも感動したふりをして、趣深い物を無理に探して目を皿のようにしていると、見当違いな風流を発見するでしょう。そういう人の最期を見てらっしゃい。
    <我が身>かくいう私は取り柄も将来への希望もないが、せめてすさんだ振る舞いはしたくない。その気持ちがあるのか、月を見ると昔の感動に比べて老いを感じると言われているが、私もそうなりそうなので、奥に入って物思いに耽る。風の涼しい夕暮れ、下手な琴をかきならして、これを聞いて嘆きが増えたと気付く人がいるかしら、と、ばかげたことを考える。そうは言っても、汚らしい自宅の部屋には、雨の日に調律が乱れるからというフォローもせずに、塵の積もったままの楽器が置いてある。物語や古歌は虫の巣。漢籍も、夫の死後は手を触れるものもいない。退屈な時、一、二冊読んでると、侍女たちが、「奥様は漢籍を読むから不幸なのです。女が漢籍を読むものですか。昔は女が経を読むことさえやめさせたのに」と陰口をたたくので、「古来縁起をかついで長生きしたやつはいない」といいたいが、言い過ぎなのでやめる。でもやはり彼女らのいうのももっとも。
    <私の性格>人はさまざま。得意そうに振る舞って気持ちよさそうな人、逆に勤行など立派な行いも使用人の前でさえ目立たせないように気を使う人。宮仕えをしていると人に気を使って無口になる。私ってそれ系の人。だから人は無口な私をお高くとまっていると思うもの。それがたまに人といると、馬鹿みたいにふるまうので、「へぇー意外な性格ね。別人みたい」とみんないう(人見知りするタイプなのね)。中宮様さえそうおっしゃった。
    <女の生きざま>見苦しくないよう落ち着いて人目を意識して行動するのがよい。気取った態度がくせになった人は目立つもの。目立てばくせも見える。まして首尾一貫しないことをいったり、悪口をいったりするとなおのこと目立つもの。そういうくせの目立つ人は避けられてしまうもの。そんな悪口をいう人の機嫌をとってもしかたない。こちらもその人に冷たくしてよい。
    <左衛門の内侍>彼女は私のことを嫌いらしく、おぼえのない陰口をたたいてる。帝が源氏を読ませて聞いていらしたとき「作者は日本紀を読んでいるに違いない、なぜなら漢学の知識があるから」とおっしゃったのを拡大解釈して、彼女は「紫式部は漢学の才を鼻に掛けている」といいふらし、私に「日本紀の局」というあだ名をつけた。ふん。笑わせるんじゃねぇの。私は実家の侍女の前でさえ漢学の才を隠しているのに、そんな宮中で見せびらかすわけないじゃないの。そもそも弟が子供の頃、父から漢学を教わって、トロくてしかたない、横で聞いている私の方がわかるもんだから、父が「この子が男だったら跡継ぎにできたのに」と言っていた。ま、それはそうとして、彼女の陰口が蔓延したらしく「男でさえ鼻に掛けるやつはロクな未来はない。まして女だからな」などと私の耳にも入ってしまって、私はショックで漢字は一という文字さえ書かなくなった。ノイローゼね。なじみの漢籍も読まない。でも噂はどんどん広まる。と、そこに、中宮様が『白氏文集』を学習したがったので、一昨年からこっそり「楽府」の部分を講義している。宮も隠しておられたが、道長様や帝の知るところとなり、道長様はきれいに書写した巻を宮にプレゼント。私がこんなに陰で厚遇されてるなんて、あの左衛門のバカは知らないでしょう。知ってたらどれほど悪口をいうことか。ああ、いやだ。
    <消息文の結び>そろそろ出家をしたいと思ってます。などと書き連ねて参りました。乱文ですから読んだら返して下さい。読まなくてもいいし。
 09/11<御堂詣で>暁、宮が土御門邸内の御堂へ。その後舟遊び。
 ある日<ナンパする道長>源氏物語が宮の前にあるのを御覧じて「酸っぱいものと噂の立つ梅をみんな折るが、浮気者という噂が立ってるお前をみんな口説くだろうな」という歌を梅の実の下にある紙に書かれる。私は「だれにも口説かれてないのに浮気者という噂を誰が立てたの」と返し。また、夏の夜、戸を叩く人がいるが、こわくて無視していると、翌朝道長様から「一晩中水鶏以上に戸を叩いたのに」と歌。返し「普通じゃない水鶏の叩き方だから、開けなくてよかった」。
 11/25<敦良親王(後朱雀)誕生>記述なし。
1010  七38
 01/03<若宮たちの御戴餅>
 01/01<中宮御薬の儀>
 01/02<中宮への臨時客>年始にいろいろやってきた。道長様は長男の宮を抱かれて、年始のあいさつをさせなさり、可愛がられているが、奥様に「下の宮を抱こうかいの」とおっしゃると、長男の宮はねたんで「あーうー」とお責めになるのを、道長様が可愛がり申しあげなさって謝るので、みな笑う。
    <子の日>みなで清涼殿へ。帝主催の管絃の遊び。いつものように道長様は泥酔。わずらわしいから隠れていると「お前の親父はせっかくのお招きなのに帰ったぞ。ひねくれた野郎だ。父親を許してやるから代わりに初子の日だ、歌を詠め」とからんでくる。言われるままに歌を詠むのもみっともない。よくみると泥酔というわけでもなく、顔色が美しくいらっしゃる。「いやぁ、ずっと宮が子供なしで寂しそうだったのに、いまやわずらわしいくらいに左右に皇子を見るようになった、幸せだ」とおっしゃって、寝ている宮の寝てる部屋を開けて覗く。「初子の日に小松がなかったら大変」という歌を口ずさまれる。新しい歌よりも、こうしてぴったりはまった古歌を口ずさまれるのは最高。
 01/03<中務の乳母と道長を賞賛>夕方、昨日の道長を誉め合う。
 01/15<小少将の君と>彼女、道長の召人。隣にいる。道長様が笑って、お互い
付き合っているのを隠している男がいて、そいつが(わしかな?)相手の方に言い寄ってきたらたいへんじゃん」とおっしゃる。私たち秘密ないも〜ん。
    <敦良親王御五十日の宴会>この日で記述終わり。
 
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  更 級 日 記
 
1008寛弘五01孝標女誕生。父36歳。
1011  八04一条譲位崩御。三条即位。
1016長和五09三条譲位。後一条即位。
1017寛仁元10 1/24、孝標上総介。下向。
1018  二11「あづまぢの道のはてよりもなほ奥つかたに生ひいでたる人、いかばかりかはあやしかりけむを・・」姉、継母から物語のことを聞き、等身の薬師仏を作り、帰京を祈る。
1020  四13 9/13帰京開始。我が家を見ると、薬師仏が立っている。落涙。
 9/15いまたちから下総いかだへ。終日雨。
 9/17まののてう「朽ちもせぬこの川柱残らずは昔の跡をいかで知らまし」
   くろとの浜「まどろまじ今宵ならではいつか見むくろとの浜の秋の夜の月」
 9/18ふとゐ川、まつさとのわたり。産後別行動の乳母を兄に連れられて見舞う。男手がないのでみすぼらしい仮屋。別れを惜しみ、ふさぎこむ。
 9/19渡河して武蔵。竹芝伝説。火焚く衛士が「酒壷に渡したひさごが風に鳴る」と独りごちたのを帝の娘聞き、負ってもらって見に行く。捜索者に娘、前世の運命だと言う。いまさら連れ帰っても、と、帝は男に娘と武蔵与えた。
 ・武蔵、相模間あすだ川。在五中将の「いざこと問はむ」と詠んだところ。
 ・にしとみ。絵のような景色。
 ・もろこしが原。秋の末だから大和撫子見えず。「もろこしが原に大和撫子」
 ・足柄山。遊女(こはたの孫)と遭遇。都でも使える美貌。西国の遊女ほどでは、と遊女ら謙遜。恐ろしそうな山中に戻るのを見て、別れを惜しむ。
 ・足柄越え ・関山泊(駿河) ・横走(岩壷の清水)
 ・富士山。上総からは西に見えた。噴煙。夕暮れは火が見える。
 ・清見が関 ・田子の浦遊覧 ・大井川
 ・富士川の古老の除目の話。「川上から丹で除目が記してある黄色の紙が流れて来た。駿河の国司は二人書いて在る。翌年、除目はこの紙の通り。駿河の国司は一人目が死に、二人目が着任した。富士で神々が決めているのだ。」
 ・ぬまじり発病。さやの中山越え天ちう川で療養。
 ・浜名橋。下る時は丸太を渡してあったが今はないので舟で。 ・ゐのはな
 ・三河高師の浜 ・八橋(橋がない) ・二むらの山泊(柿が庵に落下)
 ・十月晦日に紅葉。嵐こそ吹き来ざりけれ宮路山まだ紅葉葉の散らで残れる
 ・三河と尾張となるしかすがの渡り、げに思わづらひぬべくをかし。
 ・鳴海の浦。潮の満ちないうちに走って渡る。
 ・美濃国墨俣 ・野上(遊女遭遇。足柄追想) ・雪の不破の関、あつみの山
 ・近江国おきなが家四五日逗留 ・みつさか山(時雨・霰)
 ・犬上・神崎・野洲・くるもと・琵琶湖(なでしま・竹生島)・勢多橋・粟津
 ・12/2夜到着すべく申刻発。関山で粗造りの丈六の仏の顔を見る。
 ・夜半、三条宮の西の家に到着。
 <物語入手>実母に頼んで親戚の衛門の命婦から草子を入手。没頭。他の作品も読みたいが、都慣れしてない我が家には手づるがない。
 <継母離別>五歳児を連れて去る。梅の木が咲く頃来ると言って去る。が・・・・
1021治安元14 が来ない。催促の歌「待つべきかしら。梅は春を忘れなかったわ」。返歌「待ってなさい。私でなく恋人が来ると聞いているわよ」。
 3/1<乳母死亡>「花はまた咲くが死者は戻って来ない」の歌。
 3/15<侍従大納言行成女死亡>帰京時手本にくれた「鳥部山」の歌が不吉です。
 <源氏入手>慰めに母が物語をくれる。源氏を全巻入手できるよう太秦篭りにも祈る。上京中のおばから源氏他を貰う。昼夜読みふけり「后のくらゐも何にかはせむ」。夢で僧が「法華経五の巻をとくならへ」と見るが、夕顔・浮舟に憧れ無視した私は今考えるとおばかさん。
 5/1「時ならずふる雪かとぞながめまし花橘のかをらざりせば」
 10月「いづこにもおとらじ物をわが宿の世を秋はつる景色ばかりは」
 <またも夢のお告げ>「天照御神を念じませ」という夢を無視した私はばか。
1022治安二15<侍従大納言女転生>5月迷い猫を隠して飼う。下衆近くに寄らず。病中の姉の夢で、作者が恋うので侍従大納言女が猫に転生したのに下衆の近くにおかれてさびしい、と見る。
 7/7<長恨歌物語借り出し>不吉な話だけど七夕にちなんで
 7/13<荻の葉>夜中、姉が「私が飛んで消えたらどう思う?」と不吉な話。ぞっとしてるので姉は話題を変える。隣家で男が「荻の葉」と呼ぶ。「秋風になぜ荻の葉は答えない?」の歌に、姉「待たずに去った男がうらめしい」
1023治安三16<自宅焼失>4月。猫焼死。父も大納言に話そうとしていた矢先。
1024万寿元17<姉の死>出産後死ぬ。二人残された子に月光が当たって不吉だ。姉が『かばねたづぬる宮』を求めていたことが判明。不吉な姉さん。
1025万寿二18<リストラマン孝標>一月。県召で失職。同じ境遇の人と贈答。
 <東山転居>4月〜8月末。苗代。水鶏。時鳥。妻恋鹿。
      「思ひ知る人に見せばや山里の秋の夜ふかきありあけの月」
       9月中旬帰京。田は刈り果てている。
       10月末再訪。尼に来春再訪を約す。花の盛りに連絡ちょうだい。
1026万寿三19<うそつき尼>連絡くれない尼に詰問の歌。
 <お世話になりました>逗留先の主人に「露のあはれ」を感謝。
 <継母詐称>離婚後も「上総」の名前で宮廷に出ている継母に抗議。
1027万寿四20<夢見る少女>世間の人は一七八より経を読むが、私は相変わらず浮舟に憧れるおばかさん。
1032長元五25<単身赴任孝標>常陸介単身赴任(60)。娘を任地に連れて自分が死去したら田舎で娘は途方にくれる。都に残して赴任先で死んだら都で路頭に迷う。後者はよくあること。せっかく拝命したのだから永延の別れのつもりで赴任する、と大演説。
 <7/13父出発>顔を合わせるとかえってつらいので五日前から合わせないようにした。思い通りの身分ならゆっくり別れを惜しめたのに、と父の歌。現世で父さんにわかれるなんて、と私は自動筆記。人の訪問もなく父を恋い慕う。
 <太秦参篭七日間>すれ違った男と付句。父のことばかり考え祈る。
 <父の便りへ>子しのびを聞くにつけても留め置きしちちぶの山のつらき東路
1033長元六26<清水での夢>母と清水へ。居眠りしてると無信仰を窘める僧の夢。
 <初瀬鏡奉納>代参僧の夢。清げな女性が、願文が添えてないことを不思議がり、鏡に、苦しがっている姿と優雅な姿とを見せた。私は占いさえ聞かない。
 <天照御神を念ぜよ>そう勧める人がいる。その神は伊勢だの宮中だので祀られているそうだ。どうして私に行けようか、と暢気な私。
 <親族が尼に>冬の山里はたいへんでしょ、の歌に、いつも心配掛けて、の歌。
1036長元九29<父の帰京>父に、あの別れた秋の悲しさは今ではわらいぐさ、の歌。父泣いて、思い通りにならない人生も今まで生きてきて良かった、の歌。
 <母出家>母出家して別棟で家庭内離婚。父は引退して私が主婦の座。退屈にしているよりは、と出仕のお誘い。昔気質の親は反対。しかし積極的に生きることを勧める人がいて、しぶしぶ宮仕えに出された。
1039長暦三32<祐子内親王家出仕>まず一晩試しに出仕。内弁慶の私は茫然として翌暁退出。次は十二月に数日。枕が変わって眠れない。父や姉の子が気がかり。退出すると父が「お前がいないと人も訪れずさびしい」と泣く。翌朝は「お前がいるとにぎやかだ」と喜ぶのもいたいたしい。
 <前世の夢>清水寺の仏師らしい。丈六の仏の金箔を押しさしで死んだそうな。その功徳で貴族の娘に転生したとか。現世で参詣したら前世のポイントと相俟って幸運もあったろうに。でも、お参りせずに今日まで至る。
 <退職>12/25御仏名の夜の出仕を最後に退職。宮仕えしていれば何か未来もあったろうに、親は退職させ、結婚させられた。現実は期待はずれの人生。
1040長久元33 橘俊通(39)と結婚か。現実生活に没頭。浮舟になれなかった。それなら仏教修行してればよかった。でも、まだそう思うだけ。
1041長久二34 夫単身赴任(下野守)。パートで宮家勤務。気楽なものよ。宮のお供で宮中へ。そういえば私の信仰している天照御神は内侍所にいらっしゃる。で、こっそり参上。冬になり、関白頼通の女房と語りを入れる。その後、あの夜が懐かしいとの歌。私もそう思っていた。水鳥が鳴くのを聞いて、水鳥も私と同じで安眠できないのね、と歌うと、たまの宿直のあなた、毎晩宿直の我々の心境を分かって下さい、と隣に寝ている人が返し。
1042長久三35<よろめき>十月初旬不断経の夜。友人と佇んでいると源資通が話しかけてくる。彼は春秋の優劣を述べ、冬もまたいいですよ、と。友人は秋を選び、私は春がいいとの歌。資通は、春の夜をあなたの思い出にの歌。資通は、老女房が琵琶を奏でた冬の夜が忘れられないと演説。私の素姓は不明。
1043長久四36<カレと再会>八月、宮の管絃の遊び参加について参内。私の声を聞いてカレが「あの時雨の晩が忘れられない」と。なんでそんな時雨ほどのことを思い出すの、の歌を読みかけで人が来たので私は逃げた。後で以前の友人を通じて返歌をくれたそうだ。例の時雨の日のような時に琵琶を聞かせたい、とのこと。私も聞かせて貰いたい。
1044寛徳元37<カレと再会失敗>春頃、内親王家にカレが来たとか。でも人目が多いので断念。カレも。琵琶を聞きたかったのに、の歌を贈ってそれで終り。
1045寛徳二38<石山参籠>子供の成長、現世利益、後世の往生を願って三日参篭。夢で麝香を貰う。きっといい夢なんだろう。
1046永承元39<初瀬詣で強行>10/25世間が後冷泉帝の大嘗会の騒ぎの中、夫の支持を得て強行。冷やかす人の多い中、感心する人もいる。逆流するのは大変。宇治についた。ここが浮舟の宇治か。ここでも人が逆流。舵取りらが天下でもとったよう。夜深く出たのでやひろうぢで休息。強盗で有名な栗駒山をビビリつつ越える。贄野で下衆の家泊。その家の者が一晩中起きてモゾモゾ。聞くと、我々が釜でも取るのではと心配しているみたい。東大寺、石上を経て山辺泊。夢で、高貴な女性が、宮中に上がれる、といった。翌日、初瀬川を越え、長谷寺に。三日目の夜、御堂から、稲荷から来た杉だ、と投げかけられる夢を見た。帰りは奈良坂の下衆家泊。どうも盗人の家だったらしい。
1047永承二40<鞍馬参籠>春と十月に。
1048永承四42ごろ<石山参籠>
 <また初瀬>例の杉の効験を今度こそ、の歌。奈良坂では人が多いので野中でキャンプ。露でびっしょり。
 ・しきりに参篭。最近は現実生活に不満無し。幼児の成長、夫の出世を祈る。
 <宮仕え時代の友と贈答>越前の友に、雪で友情も消えたのね、と贈る。
 ・夫婦喧嘩でもして太秦に篭もっていると、友から手紙。あなたと過ごしたつらかったあのころがかえって懐かしい、と返歌。
 ・春、内親王家で三人で話した翌日歌を。つらい宮仕えでしたが二方と過ごしたころが懐かしい、と。一人は、現実は厳しい、もう一人は、あなたに会えるから宮仕えもできるのよ、の返歌。
 ・筑前に下った友を思いながら寝たので、彼女といた頃の夢を見た。
 ・和泉下り。海の景色。冬上京。
1057天喜五50病気になったので物詣でもできぬ。子の成長を願う。夫信濃守赴任。門出には嫁いだ娘の新居に8/10移る。8/27夫は長男と下向。見送りのものが翌日戻り、大きな人魂が京に向かうのを目撃したとのこと。不吉。
1058康平元51四月夫上京、9/25発病、10/5死去。初瀬の鏡の占いの不幸はこれか。10/23荼毘。見送りの長男の、信濃下向時との落差。ああ、昔からきちんと仏教修行してたらこんな目に遭わずにすんだろう。杉の夢を見たとき、すぐ稲荷に参詣してたら。なんかいい夢はあたらず、悪い夢はあたる。こんな私も来世の頼りが一つある。天喜三年10/13夜、夢に阿弥陀来迎。恐ろしいとおもっていると、また今度来るかんね、といって目覚めると翌朝だった。
1059康平二52甥が訪ねてくる。夫に先立たれたおばすてによく来てくれたの歌。
  十月、涙で暮れる私の目にも月は明るいの、の歌。
  ひとりずまいをわびる歌を尼に贈ると、あんたなんてまだまだよ、の返歌。
 
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  成 尋 阿 闍 梨 母 集
 
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  讃 岐 典 侍 日 記
 @藤原長子 A平安末期(一一〇九ころ)三一歳
 Bとにかく、院が病気で苦しんでるか、周りのものがオタオタしているのが上  巻。下巻では<回想モード>にしょっちゅう入たり出たりして、院を追慕し  ている。「き・し・しか」ときたら、<回想モード>
 (上巻)堀河帝発病(1107/6/20)〜崩御(7/19)三九歳
  ・(序)院に仕えた八年を回想する宣言
  ・院、発病。みんなで見守る。院、結構病人らしい我侭を言う
  ・院、苦しみが休まるかと、「しるしのはこ」を胸に置く
  ・大臣の見舞い、院、作者を膝の蔭に隠してやる
  ・中宮参内、物の怪登場
  ・院、受戒、崩御、乳母達退出、作者の姉錯乱、神器は皇太子(鳥羽)へ
 (下巻)
  ・白河から、鳥羽への出仕を求められ、喪も明けないのにと悩む
  ・一一〇八年元日、出仕、鳥羽即位
  ・摂政と対話
  ・この間、院の月忌み、何を見ても院を思い出して追慕する
  ・服喪が済み、心ならずも更衣
 
 
 
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  建 春 門 院 中 納 言 日 記
 日記文学。一二一九ころ。藤原俊成女。『たまきはる』
 
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  海 道 記
 紀行文学。一二二三以降。京都より鎌倉への東海道の旅行を和漢混淆文で記した男性の作品。
 
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  建 礼 門 院 右 京 大 夫 集
 
・私家集。二巻。貞永元年(1232)頃成立
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  東 関 紀 行
 
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  弁 内 侍 日 記
 
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  十 六 夜 日 記
 
 ・十六夜日記関係系図
 ・十六夜日記のあらすじ

十六夜日記関係系図

十六夜日記のあらすじ
 @ 旅立ちまで
  ・亡夫為家の遺領、細川荘(播磨国)が為相に伝えられず、為氏に横領されて  いるので、鎌倉幕府に訴えに行くという旅立ちの経緯
  ・歌道の家柄を誇る。名残を惜しむ子らとの別れ。五人の子の歌を書き付ける。
 A 旅の様子 ↑ 「海道記」「東関紀行」「更級日記」「土佐日記」の系譜
  ・地名にちなんだ故事や、地名との掛詞を使った歌を各所で作る
  ・10/16 逢坂の関〜野路〜守山
    逢坂(地名・逢ふ)、ふる(降る・古里)、守山(地名・漏る)
  ・10/17 守山〜野洲〜小野
  ・10/18 醒が井〜不破の関〜関の藤川〜笠縫
  ・10/19 平野〜洲俣〜一宮
  ・10/20 おりつ〜熱田〜八橋
  ・10/21 原野〜宮路山〜渡津
  ・10/22 高師山〜浜名橋〜引馬(浜松)
  ・10/23 天竜川〜見附
  ・10/24 小夜の中山〜菊川
  ・10/25 菊川〜大井川〜宇津の山〜手越
  ・10/26 藁科川〜興津浜〜清見が関〜清見潟〜富士山
  ・10/27 富士川〜田子の浦〜国府〜三島明神
  ・10/28 箱根〜湯坂〜酒勾
  ・10/29 鎌倉到着
 B 鎌倉にて
  ・都の人々・息子などと、さかんに歌の贈答をする。年を経て、秋まで。
 C 幕府に捧げたとおぼしき長歌
 
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  源 家 長 日 記
 
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  中 務 内 侍 日 記
 
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  と は ず が た り
 
 @ 後深草院二条(久我雅忠女) A一三〇六〜一三一三
 ・後深草院 皇子↓夭折
 ・雪の曙(西園寺実兼) 女児
 ・有明の月(性助法親王、後深草・亀山の兄弟、十一歳で出家) 男子二人
 1271(一四歳) 曙の恋人から院のもとへ
 1272(一五歳) 六月・懐妊 八月・父没 十月・曙と逢う
 1273(一六歳) 二月・皇出産 十二月・曙の子懐妊か
 1274(一七歳) 二月・曙の子懐妊 九月・女児出産、流産と偽って里子へ
         十月・皇子死亡 十二月・曙と逢う
 1275(一八歳) 三月・有明求愛、亀山院の付け文 八月・院発病
         九月・有明と逢う 十月・扇の女、傾城の事件
 1276(一九歳) 九月・有明と逢ったあと絶交 十二月・有明から起請文
 1277(二〇歳) 新春・有明を見て鼻血ブー 三月・懐妊中
         四月・曙が作者を訪ね出す、女児と再会
 1281(二四歳) 二月・有明のことが院にバレるが許される 五月・曙と逢う
         十月・有明と逢う 十一月・六日有明の子出産・院の指示で里子
         十一月・十三日・曙と最後の一発、二十五日・曙死亡
 1282(二五歳) 三月・有明第二子懐妊 四月・亀山院との中を疑われる
         八月・密かに男児出産
 1283(二六歳) 初秋・御所退出
 1289(三二歳) 東海道(熱田〜三島〜江ノ島〜鎌倉)
 1290(三三歳) 鎌倉〜善光寺〜浅草〜武蔵野〜熱田〜奈良
 1291(三四歳) 八幡〜熱田〜伊勢〜熱田〜
 1302(四五歳) 厳島〜足摺岬〜松山〜備後〜江田
 1303(四六歳) 備中荏原〜吉備津〜京
 1304(四七歳) 後深草院崩御  1304(四八歳) 亀山院崩御
 
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  枕 草 子
 
類 聚(纂)的 章 段                         
・<〜もの><・・・・は>の形で、それに該当する物を列挙する段
・<〜>部分のの判断を押さえる。以下すべて<〜>の例
・エピソードごとに段落分けして、ナンバリングする
・文末の準体法は、<〜>の省略と考えてみる
 
日 記 的 章 段                            
・主に中宮に出仕したころの出来事を描く
・中宮一家(中関白家)没落後に書かれその頃のことが多いのに、妙に明るい
・中宮一家を賞賛(中宮のファン)。随所に自分の知性をなにげにジマン
SS人物、人物、Sナシ人物の読み分け
地の文Sナシ人物は、(=作者)(か、同僚の女房)
・断りなしのSS人物は中宮はほぼ常に中宮の近くにいる)
随 想 的 章 段                            
・作者の思ったこと、感じたことを記した段(けっこう論理的だったりする)
・一文が長いので、文の要素(主部・述部・・・・)を見極めて読む
・一種の論説文なので、@ 論理展開(対比、同意・・・・)
            A 例示要旨の読み分け に注意する
地の文の心情表現は、(=作者)の判断
  * 心情形容詞/心情形容動詞  * 推量・願望・詠嘆・自発の表現
  * 心情動詞に導かれる表現(思ふ、おぼゆ、見る、見ゆ、聞く、聞こゆ・・)
 
 a 類聚的章段 「山は」「うつくしきもの」パターンの段。いくつかの「〜もの」の例が列挙される。段落分けをこころがけて読む。心情形容詞に注意。
 b 随想的章段 「春はあけぼの」のように、見たもの感じたことを書いた段。ずるずると文が続いてゆく傾向が大きいので、句に切ること。心情形容詞に注意。
 c 日記的章段 中宮一家(父道隆・兄伊周・弟隆家)礼賛。言葉のうえでは謙虚で自分を愚かなものに書いてあっても、なにげに自慢話をしてることがあるので要注意。
    ※ 御前=中宮 上=一条天皇
    ※ 突如SSがでてきたら、中宮の動作。Sナシが出てきたら、作者かその場にいる女房。
 
 
 
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  方 丈 記
 ・会話文は存在しない
 ・地の文に丁寧語「侍り」があらわれる。多く、段落の切れ目の目安となる  (発端か結びに使われる)
 
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  徒 然 草
 ・具体例を積極的に取り上げ、結論を確固たるものにする方向での記述
 ・冒頭か末尾かに主題がくることが多い
 ・人物批評は、その人の性格が主題になる
 ・地の文の推量表現、心情形容詞は作者の感想
 ・一文が構造的に複雑である
 ・論理的展開を考えて書かれてある
 ・可能「る」が、打消文脈以外で用いられる
 ・「召さる・御覧ぜらる」など、「る・らる」を使った二重敬語がある
 ・地の文に丁寧語「侍り」があらわれる(大半が「侍りし」の形)
 ・地の文の「候ふ」は丁寧語ではなく、「伺候」の意味の謙譲語
 ・理想的な人物像は「よき人」(=都会的な洗練された、身分教養のある人)
  その反対は「かたゐなかの人」
 ・「とも」の接続が連体形につくことがある(かばかりになりては、飛び降る  るとも降りなむ。/一〇九段」
 
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  無 名 抄
 
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  無 名 草 子
 
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  栄 花 物 語(栄華物語)
 
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  大 鏡
 ※ 年齢一四〇、五〇歳位の老翁、大宅世継(おおやけのよつぎ)・夏山繁樹(なつやまのしげき)の対話がほとんどを占  めるので、出題されるときに、カギカッコなしで会話部分が出題されるのが  通例である。つまり、地の文が実は会話文であることが多い。したがって、
   @一見、地の文に見える所に丁寧語が出てくる
   A一見、地の文に見える所に下二段「たまふ(る)」が出てくる
   B一見、地の文に見える所で二重尊敬が最高敬語にならないことがある
   C「き」が多用される。そこは話し手の直接体験した部分
   D詠嘆を表す語が出てくる所は話し手の感想部分
 ※ 会話体であるくせに、複数人物が話題になっているところでは、敬意の使い  分けをすることが多い。(SS
 ※ 敬意の高い記録語の「しめ給ふ」を菅原道真に盛んに用いて荘重な感じを出  している
 ※ 丁寧語は「侍り」と「候ふ」と両方出るが、「候ふ」の方が敬意が高い
 ※ 中世語的な連体形の終止用法も現れる
 ※ 謙譲語を強める「しむ」などというものが出てくる
 ※ 入道・御堂 = 道長 (SSを使う)
   大入道   = 兼家 (道長の父。SSを使う)
 
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  今 鏡
 
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  水 鏡
 
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  増 鏡
 
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  松 浦 宮 物 語
 
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  住 吉 物 語
 
  内容
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  石 清 水 物 語
 
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  苔 の 衣
 
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  風 に つ れ な き 物 語
 鎌倉期成立。作者未詳。
 
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【説話】
 ・具体例があって、最後に教訓がある(段落の切れ目)
 
 
  将 門 記
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  陸 奥 話 記
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  保 元 物 語 乱一一五六
 
 
 
 
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  平 治 物 語 乱一一五九
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  平 家 物 語
 ・入道
 ・音便、中世語
 ・と・とて・などのない会話文
 ・「侍り」はほとんど用いられない
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  源 平 盛 衰 記
・十四世紀頃成立。48巻。
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  太 平 記
・応安・永和(1368〜1379)頃成立。小島法師ら。40巻
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  曾 我 物 語
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  義 経 記
・室町時代中期成立。8巻。
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  狂言
 シェークスピア「ウィンザーの陽気な女房たち」と狂言との共通点
 @ 生の喜びの肯定 A ほら吹き、のんべえ、マッチョな男
 B 夫婦間の嫉妬がテーマ C 女性が強い
 D 主人と召使の関係 E 秩序を乱した主人公をみなで懲らしめる結末
 (高橋康也・朝日新聞1996/1/19夕刊・学問を歩く「笑いを考える・中」)
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