デルタ・グリーン関連年表


1917
:海軍情報部にPディビジョン設立。
1927/7
:ロバート・マーティン・オルムステッド、マサチューセッツ州インスマスより逃れる。その後、ディープ・ワンの町への侵食およびそこで繰り返されていた近親交配についての事実が明らかになる。財務省のエージェントによりインスマスの調査が開始される。
1928/2
:財務省および海軍はインスマスへの大規模な襲撃とデビルズ・リーフの海底にあるディープ・ワンの都市、イハ・ンスレイの爆破を含む、プロジェクト・コヴェナントを発足。
1929/11/1
:財務省のプロジェクト・コヴェナントのエージェントは本来の部署に戻され、ブラック・チャンバーは解散する。海軍情報局は、プロジェクト・コヴェナントおよびブラック・チャンバーのほとんどの職員をPディビジョンに編入する。
1930
:Pディビジョン、フィリピン諸島ピエドラ・ネグラ島襲撃。500人の捕虜が捕らえられ、大量のダゴン秘密教団関連の物品が押収される。この作戦は、成功例として有名である。
1933
:Pディビジョン、ニカラグア太平洋岸の漁村アグア・ヴェルデを襲撃。この作戦において、何らの情報も捕虜も得られない。わずかな押収物が発見され、Pディビジョンのコレクションに加えられた。
1933〜1942
:この間、Pディビジョンは大きな作戦を実行していない。合衆国内の小さな調査に限り行われている。
1942/2/12
:Pディビジョンの部隊指揮官マーティン・クック少佐、戦略事務局長官ウィリアム・J・ドノヴァン少将にPディビジョンでの超常的・オカルト的経験について語る。クックはPディビジョンとOSSの併合を提唱し、ドノヴァンの同意によりその週のうちに合弁がなされる。新しい組織は非公式組織デルタ・グリーンとし、以後の活動は秘匿される。
1942/2〜1945/10
:デルタ・グリーン、ヨーロッパ戦線においてナチス親衛隊カロテキアと戦闘。
1942/12
:デルタ・グリーン部隊とフランスのパルチザンは、カロテキアのエージェントとコーンウォール沿岸コロニー代表のディープ・ワンとの会合を襲撃。ナチスがディープ・ワンとの間に開こうとしていた会談は失敗に終わる。
1945/6/1
:オペレーション・サマー・ブリーズ:デルタ・グリーン、貴重なカロテキアに関するファイルをソビエト占領下のヴィエンナから密輸に成功。
1945/6〜9
:オペレーション・ルナシー:デルタ・グリーン、人狼の組織を壊滅させる。
1945/10/1
:OSSおよびデルタ・グリーン解散。
1947/6/24(?)
:ニューメキシコのコロナとホース・スプリングの近くに、雷雨の影響でUFOが墜落する。
1947/7/7
:合衆国陸軍航空隊第509爆弾処理部隊がUFO残骸の回収および墜落事実の秘匿任務にあたる。数名の元デルタ・グリーンのベテランが召集され、このプロジェクトに協力する。
1947/9/24
:トルーマン大統領はUFO残骸の特殊研究プロジェクト・マジェスティック12を組織。MJ12は調査の調査報告を大統領にのみ行う。デルタ・グリーンのベテランたちはデルタ・グリーンとして復職を果たす。伝えられる所によると、敵対的で異質なエイリアンの技術の存在は否定された。しかし実際の所、デルタ・グリーンと空飛ぶ円盤は関係を持った。
1947/10
:デルタ・グリーン、ヨーロッパおよび南米におけるナチス親衛隊カロテキア構成員の追跡作戦を開始する。
1947/12/30
:MJ12、空軍にUFO隠蔽および目撃情報に不信感を与えるためにプロジェクト・サインを結成。プロジェクト・サインは243のケースを処理する。数名のデルタ・グリーンのメンバーが空軍のごまかしきれない情報を隠す任務につくために、永久的にMJ12に移転する。
1948〜1956年
:デルタ・グリーン、南米に残るカロテキア構成員を追跡、排除するために、サウザンド・ホスピタリティー作戦を実行。
1952/4
:デルタ・グリーン、サウザンド・ホスピタリティー作戦の一環として南極に上陸。
1952/11〜1953/2
:デルタ・グリーン、シック・センパー・タイラニーズ作戦を実行。長期にわたったソ連内務人民委員部の計画を破壊する。
1955
:プロジェクト・コヴェナントおよびPディヴィジョンのファイルは狂人ダニエル・フリースによって破棄される。
1963/4/10
:米韓スレッシャーが乗員諸共ケープ・コッド沖100マイルの海底に沈没する。デルタ・グリーンによってディープ・ワンとの関わりが明らかになる。
1963/4〜5
:デルタ・グリーン、1928年の潜水艦による攻撃以来はじめて、ディープ・ワンの都市イハ・ンスレイを完全破壊するためのリプタイド作戦を決行。
1964
:デルタ・グリーン、ベルギー領コンゴのムルルおよびシンバ族のアトゥ教団を壊滅させるため、クルツ作戦実行。
1969/11
:デルタ・グリーン、不幸にも失敗したカンボジアでの作戦。結果300人近くのアメリカ人捜査官が殉職する。統合作戦本部は事件失敗の罪の所在および情報について調査を開始する。
1970/7/24
:デルタ・グリーン、統合作戦本部によって表向きは解散される。このグループは、非公的な存在として、非合法の陰謀に対することを開始する。
1970/12
:デルタ・グリーン、非公的な存在としてのはじめての任務。東南アジアのトゥチョ・トゥチョ人の村および宗教的な土地に対するB52爆撃機による攻撃を、共産主義者によるものと情報を操作する。
1971〜1993
:この間、デルタ・グリーンによって50乃至80の作戦が行われる。特別な作戦の情報については、わずかであるかまったくない。
1993
:テキサス州ワコ近くのカーメル山に隠れた宗教活動に対するデルタ・グリーンの調査活動。この調査はダビデ派キリスト教段の壊滅という形で幕を閉じる。
1994/2/25
:デルタ・グリーンの古いメンバーであったレジナルド・フェアフィールド、アメリカ陸軍少将は、1970年以前のデルタ・グリーンの作戦について書かれた彼のファイルを、MJ12に策謀により、自宅でNROデルタのエージェントに暗殺される前に、原稿のデルタ・グリーン構成員に伝えることに成功する。
1994/春・夏
:デルタ・グリーンのジョセフ・キャンプ教授、生き残っているデルタ・グリーンのベテランたちを説得し、グループを再組織する。情報が収集され、特に増加するMJ12の陰謀の脅威に対して立ちあがる。