高知の松が鼻 番所をにしへゆく 農人町 菜園場 新堀 魚の棚 紺屋町 種崎町を うち越して 京町 ゆくと はや会所が建っている ほどなく 使者屋を うち越して 堺町 本町八丁 通します そこらで 升形 本丁つきぬけ 一丁 二丁 三丁 四丁 五丁目の 観音堂でおさめた |
元来は「高知町廻り歌」として、大津絵節の曲調で、 高知市花街でうたいだされた。 それが「手まり歌」になったもので、別に座敷歌として「そこらで升形 本丁つきぬけて観音堂」と、 三味線二上がりでうたっている。旧高知城下の町名を、東から西へ詠みこんだものだが、町名変更で 現在ほそんどものがなくなっている。 |
松が鼻は、今の宝永町の南端で、堀川のつきあたりに老松があり、船着き場があった。 番所は、後年水上警察署になったが、いまはない。農人町 菜園場 新堀 魚の棚 紺屋町 種崎町 京町とも現町名はないが、菜園場は市内電車の停留所、新堀は小学校名として残っている。また会所 は高知大丸の場所にあった。その前の堀川に使者屋橋がかかり、はしのたもとには使者屋があって、 他藩や藩内の使者が通行した。堺町は現存。泉州堺の商人が住みついたので名づけられたという。 |
本町八丁には武家屋敷があった。升形は、それら武士の非常集合所で、桝の形に正方 形の広場になっていた。五丁目の観音堂は、思案橋の南詰めにあったが、現在は新月橋北詰め東へ移 っている。昭和十年ごろまでの高知で市、もっとも愛誦された手まり歌であった。 |
柳原書店発行所 徳島高知わらべうた より 高知編 著 近森敏夫 吉良長幸(採譜)
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