1.アリャサノコリャサ アリャサノサコリャサ 春は早よから(アリャサット) 室戸の便り(コリャサット) 霜を知らない花が咲く花が咲く 遍路(遍路)姿もちらほらと |
2.アリャサノコリャサ アリャサノサコリャサ 踊る海原(アリャサット) 命をかけて(コリャサット) 男度胸の鯨釣り鯨釣り 波の(波の)しぶきに虹が立つ |
3.アリャサノコリャサ アリャサノサコリャサ 月の岬の(アリャサット) 浜辺で会うた(コリャサット) あのこ愛しい虹つばき虹つばき 忍ぶ恋路にゃ灯の明かり |
4.アリャサノコリャサ アリャサノサコリャサ よさこいうとーて(アリャサット)酒酌み交わし(コリャサット) おらがながめの黒潮の黒潮の 宝(宝)万両の大魚船 |
室戸阿南海岸国立公園の中核にある景勝地。
また、この地は空海が青年時代に修行したと 伝えられる所で、空海のこもった御厨人窟 (みくろど)、他空海にまつわる多くの伝説があ る。 |
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室戸岬山頂から東に見る紀伊水道側、
際だって見えるのが風力発電塔。 |
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室戸岬山頂から西に見る室戸市・土佐湾 | |
室戸岬灯台
光達距離30.5海里の1等灯台である。 近くには、室戸岬測候所がある。 富士山山頂に次ぐ台風観測マンモス レーダを備えている。 |
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幕末・倒幕派の志士室戸岬突端に建っている。 |
安芸郡北川村の庄屋職・慎太郎は間崎滄浪、
武市瑞山に師事。24歳で土佐勤王党に加わって、 翌年長州に走り、三条実美、 高杉晋作らと親交を 深めた。忠勇隊に参加、禁門の変で奮戦、次第に 長州の武力倒幕派に協力するようになった。 幕府の長州征伐に対抗するため、 龍馬らと薩長 連合を実現させた功績は大きい。 龍馬が後藤象二郎を説いて、 幕府の大政奉還 運動を展開したとき、慎太郎は板垣退助介に進言 して武力倒幕の先頭にたった。 龍馬が「船中八策」で、新政府綱領を示したのに 対し、慎太郎は「時勢論」がある。動乱の時代、 謹言居士といわれた慎太郎が、 自分の体験見聞 を元にして述べた的確な時勢論で、新しい時代の 実現を予言した。 海援隊長と陸援隊長、談論風発の龍馬と行動派 の慎太郎、 ともに新政府誕生の前夜、京都で暗殺 される。 |
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空海(774〜835年) 真言宗の開祖。
幼名は真魚。送り名は弘法大師。 父は佐伯田公、母は阿刀氏。延暦10年18歳 のころ京都で学ぶ。 その後『虚空蔵求聞持法』 をある僧から習い、阿波、土佐などでその法の修 行した。室戸岬の御厨人窟 で修行するうち明星 のかがやきで心をひらいた話は有名。 延暦23年、奈良東大寺で具足戒を受ける。 の ち遣唐使に従い唐に渡る。長安の清龍寺で仏教 をおさめ2年目に、 帰国、真言宗を伝えた。各地 に寺を開いたが、 土佐には室戸の最御崎寺、津 照寺、金剛頂寺、十市の禅師峰寺、長浜の雪渓 寺、宇佐の清龍寺、 足摺岬の金剛福寺、宿毛の 延光寺など創建、 これが四国八十八カ所霊場の 基となった。 弘仁7年(816年)高野山にのぼり 真言宗総本山として金剛峰寺を開いた。同12年 48歳のとき讃岐平野に満濃池を造った。54歳で 大僧都となり、翌年都に庶民の師弟を教育するた めの学校綜芸種智院をつくった。 四国遍路の鈴の音は国家の守りと個人の幸せ を願う空海の心であるという。 書にもすぐれていた。 |
人物記載資料 高知新聞社発行 土佐人物ものがたり より Home |