作曲 武政英策 編曲 酔太 写真提供 PCーVAN高知ボード Katuoさん
ハアー龍河よいとこ一度はござれ ヤットサノサ 地下に万代の神秘境ソレ神秘境(はやし) 土佐の龍河は日本一 ほんにまっこと日本一 龍河音頭でソレヨイヨイ
龍河洞(国史後)は、山口県の秋芳洞、,大分県の風連洞とともに日本の三大洞穴といわ れ巨大な鍾乳洞で、総延長4kmのコースは変化に富み、 上から下がる鍾乳石と下からの びる石筍がさまざまな姿態で洞内を飾っている。また山腹の出口近くには弥生時代の住居 跡があり、観光的にも学術的にも貴重な存在である。現在の観光コース東本洞800mのうち、『記念の瀧』 より奥は1931年(昭和6年)山内・松井両氏の探検によって開かれた。他に中央洞や西本洞があり、 全山洞穴がめぐっているといってよい。
弥生遺跡は、出口近くの第一室から、奥へむかって第三室まであり、、1958年に発掘調 査がなされ、弥生中期に終わってから後期にかけての住居跡と認められた。しかし、平地では稲作が広 まって いたその当時、農閑期に狩猟にきてキャンプ跡なのか、または狩猟と採集で暮らす人々がいたのか、意見の分 かれるところ である。
第一室は床面が平坦で広く、乾燥しているので、、居室にあてられたようである。石の棚の 上に完全な形の弥生土器があったほか、、鉄鏃・石錘、貝や角でつくった装身具などが出土した。第二室は炊 事場と物置を兼ね、、石を積んで囲った炉跡が発見された。第三室は水汲み場と調理場を兼ね、貝殻が小貝塚 状に堆積していたほか、水が流れ出る岩のあいだに高さ33cm、 胴部の径25cmの長頸壺が残されていた。 清水をうけるように傾けて置かれたこの壺は、2000年月のあいだにすっかり石灰華にまかれて神々しく輝 いていた。龍河洞ではこれを『神の壺』と名づけ、洞内の一名物としている。これら各室からの出土品の多く は洞内をめぐって下山する途中にある付属の博物館に展示されている。
山川出版社 高知県の歴史散歩 より
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