叱られて
   作曲 弘田龍太郎   作詞 清水かつら
    編曲 酔太

 .叱られて 叱られて
    あの子は町まで お使いに
    この子は坊やを ねんねしな
    夕べさみしい 村はづれ
    こんときつねが なきゃせぬか
 .叱られて叱られて
    口にはださねど 眼になみだ
    二人のお里は あの山を
    越えてあなたの 花のむら
    ほんに花見は いつのこと

    作曲家 弘田龍太郎 (1892〜1952年)

    明治25年高知県安芸郡土居村(現安芸市)生まれ。
    東京音楽学校教授、山田耕筰らと童謡運動を起こす。
    昭和27年11月 没 60歳

 だれもが口ずさんだ「叱られて」の心にしみとおるメロディー。作曲が土佐の生んだ弘田龍太郎。 ほかに「くつが鳴る」「雀の学校」「お山のお猿」浜千鳥」など童謡が多い。 父正郎は、第一中学校(現追手前高校)の二代目校長。母は一弦琴の弾き手だった。 龍太郎は東京音楽学校で学生時代からすでに作曲活動に入った。宮城道雄の新日本音楽運動に参加、そ の後北原白秋らと童謡運動を起こし、盛んに作曲。また山田耕筰とともに大正から昭和にかけての童謡 界の一時代を画した。 東京音楽学校(現東京芸大)教授。天才肌、色白で背の高い美男子。こうと決めたら絶対あとへ引かない、いごっそうの気風があった。百合子夫人の話によると「音楽というともう夢中。作曲にかかると幾晩でも徹夜してがんばり抜く。そんな時は、えらく気むずかし屋で、はらはらさせられた」という。歌曲「千曲川旅情のうた」、歌劇「西浦の神」なども代表作。
    発行 高知新聞社 土佐人物ものがたり より

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