よさこい時雨
作詞作曲 武政英策         編曲  酔太

     1.法師ケ端に降る雨は 純信恋しの夢しのび 
       磯の千鳥がすすり泣く やるせ涙の通り雨 
       土佐の高知のはりまや橋で 坊さんかんざし買うを見た
      2.岬まわった帆傘船 いつか二人で来た頃は 
        白いつじも咲いていた 夢もはかない五台山 
        つつじ一枝お馬の髪に さしてやりたい五台山
     3.泣いてこがれて 今日もまた
       きりにかくれて 来たものを 
       浦戸夜風が身にしみて お馬いとし泪雨
純信坊(1829年〜不明)と鋳掛屋の娘、お馬(1839〜1898年)の悲恋物語を歌った曲。
 よさこい節の元歌は
おかしなことことよな はりまや橋で 坊さんかんざし買いよった ヨサコイ ヨサコイ
 髪が少し赤かったといわれるが、色白で綺麗な娘お馬は人目についた。鋳掛屋の長女で武家奉公に出たあと、五台山(高知市)のふもとの親元に 帰った。そこで竹林寺(五台山)の脇寺の美男の僧慶全(けいぜん)と人目を忍ぶ仲になった。坊主頭の美男僧が「かんざし」を買うのは、やはり人目についた。「かんざし」を買ったのは慶全だともいわれる。住職の純信は放っておけなかった。寺法(じほう)によって慶全を追放した。ところが、ときの純信は27歳の分別盛り。色恋はかくしきれぬもの、たちまち知れわたって「不倫の破戒僧」として寺へお預かの身となった。せかれるほど恋心はつのった純信は、お馬としめし合わせて駆け落ちをしてしまった。
 番所を抜け、琴平(香川県)へたどりついたところを、追跡の役人に捕らえられ高知城下へ連れ戻された。関所破りの罪は重い。取り調べの上、2人 は繋がれて山田橋、松け鼻、思案橋の番所で、3日間さらし者にされた。純信は国外(土佐藩以外)川之江へ、お馬は安芸川から東へ追放された。お馬 は神峰寺(安芸郡安田町)のふもとの宿屋で働いていた。一段落ついたかにみえたが、お馬恋しさに、純信は行商人に身をやつして、お馬のところへしのんできた。たちまちばれて、純信はまた国外へ、お馬は今度は仁淀川以西へ追放となり、須崎の池ノ内の庄屋のお預けとなった。世間を騒がせたお馬の色香は、それでも失せなかった。そのうち池ノ内の大工寺崎米之助に見初められて結婚、2男2女を得て平穏な家庭の主婦となった。明治18年、東京・滝野川に移り住み、貞節な60歳の生涯を閉じた。
 純信は岡本要(おかもとかなめ)の俗名で、伊予の国川之江で一生を送ったという。(熊本市外生絡院で死去したともいわれている。)慶全、純信、幸崎の愛を受け入れて生きてきたお馬は、それでもからりとした土佐女の輝きがあった。
              土佐人物ものがたり より

  『よさこい時雨』は『南国土佐を後にして』を最初にレコーディングした昭和30年に、B面で発表したもの。

武政英策作品集 土佐ふるさとのうた より

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