ファイル:平忠度腕塚・胴塚 tadanori.jpg |
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薩摩守忠度(ただのり)の腕塚と胴塚。 左が胴塚(長田区野田町 長田港北交差点近く)、右が腕塚(長田区駒ケ林)。胴塚も探し易くはないが、ともかく道端にある。 |
腕塚は著名なわりに実に探し難い。近くにある腕塚町の町名の由来にもなり知られた存在だが、京都の将門の首塚の比ではない。長田港近くの丸水運輸という会社の裏手にある。 |
すぐ東に駒ケ林蛭子神社があり、丸水運輸がフォークリフトで作業しているすぐ西の人一人通れる位の路地を入る。丸水運輸、駒ケ林蛭子神社からは眼の前に海がある。 |
清盛の弟、忠度は一の谷など西部方面の大将、東へ敗走する途中、この周辺で伐たれた。享年41。 |
平家物語卷第九 忠度最期 |
箙に結び附られたる文を解て見れば、「旅宿花」といふ題にて一首の歌をぞ讀まれける。ゆきくれて木の下陰を宿とせば、花やこよひの主ならまし。 |
忠度と書かれたりけるにこそ、薩摩守とは知てけれ。太刀の先に貫ぬき、高く差上げ、大音聲を揚て、「此日來平家の御方と聞えさせ給つる薩摩守殿をば、岡部の六彌太忠純討奉たるぞや。」 |
と名乘ければ、敵も御方も是を聞いて、あないとほし、武藝にも歌道にも達者にておはしつる人を。あたら大將軍を。」とて、涙を流し袖をぬらさぬは無りけり。 |