蚩尤(しゆう)と 檀君(だんくん)
 
 
 
 檀君
   南北朝鮮で史実として教えている朝鮮の始祖とするのが檀君である。
 1949年執筆、1979年出版の偽書「桓檀古記」を根拠に、 紀元前2500年頃に朝鮮を建国したとしている。
  
 北朝鮮にある檀君陵
  19世紀末には、檀君を朝鮮民族の始祖として崇拝する民族宗教が多く登場した。
 1993年、北朝鮮は、 平壌市 江東県大埔山の遺跡で発見された人骨を檀君のものであると断定した。
 1959年までは"伝説"の箕子朝鮮 建国者の箕子が朝鮮の祖であるとしてきたが、 現在は"妄想"の檀君が始祖とされ、
 箕子陵は取り壊された。箕子陵の跡地は凱旋青年公園となっている。
 檀君陵は、1994年10月、平壌市江東郡江東邑大朴山に建造された。
 1997年からは、韓国の国定教科書でも檀君神話を「史実」として教育するように指導されている。
 また中国古代史を横取りする企てまで、本当に行われている。  原来我们全是“韩国人”——韩国历史教科书图片汇总
 
 
 檀君 -cn.wiki / 
 檀君を実在にしてしまったので、さらにさかのぼり蚩尤を引っ張り出してくることになった。
 だが朝鮮人が人種的に安定し現代朝鮮人の祖型が形成されたのは、 明の属国であった李氏朝鮮からである。
 朝鮮の外来帰化氏族 - Wiki / 
 朝鮮の民族意識の確立はモンゴルに支配された13世紀頃とみられる。 この時期に『三国史記』の編纂などが行われ、
 13世紀後半に、現在の民族としての自己認識が形成されたとみられる。 ただし、モンゴルの侵入殺戮拉致で人口は
 激減しており、大量の異民族の移民を受け入れた。高麗時代初期には異民族 23万8000人余りが帰化した。
 また契丹滅亡後にも、契丹人100万が高麗に渡来した。 高麗王家はフビライの諸侯の一つであり、モンゴルの血も入った。
 人種的に安定するのは、明に支配された李氏朝鮮からである。 朝鮮民族は15世紀以降に形成された新しい民族である。
 HLA(ヒト白血球型抗原)を分析した結果、朝鮮民族は強く漢民族などとの混血を受けており、日本人と朝鮮人を比較
 すると遺伝的な同質性が低いという結果が出ている。
 【正論】朝鮮民族は日本人が考えるような甘い民族ではない(古田博司) 産経ニュース / 
 
 
 
 
 
 
 蚩尤(しゆう)
 
蚩尤(しゆう)  public domain
 
 蚩尤(しゆう)は中国神話に登場する神である。 『史記』五帝本紀によれば、神農(農耕と医療を司る神)の末期、
 黄帝と蚩尤が戦い、蚩尤は敗れて殺されたとある。黄帝は漢民族の神話上の始祖とされてきた。
 五帝等の話は、様々な神話、伝説を、戦国時代にまとめたものである。中国ではミャオ族(苗族)が、
 苗族の始祖は蚩尤であるとしている。これを朝鮮の常套手段、パクリによって、2007年、韓国で出版された小説 
 『蚩尤天王』が朝鮮の始祖が蚩尤であるとしたうえ、黄帝と蚩尤の戦いは蚩尤が勝利したとした。
 朝鮮のことゆえ、これが史実であるとして大衆的支持を得ている。
 なおパクリの文化も現代中国からのパクリであることは言うを俟たない。
 
 春秋戦国時代は、紀元前770年に周が東西に分裂してから、紀元前221年に秦が中国を統一するまでの、約550年の期間。
 紀元前5世紀を境に前半を春秋時代とし、後半を戦国時代として扱われる。
 蚩尤(しゆう):中国神話中で最も恐れられた九黎族の不死身の戦神 -prometheusblog.net / 
 蚩尤 - Google 検索 /  蚩尤 -cn.wiki /  戦国時代_(中国) -wiki /  春秋戦国時代 -wiki / 
 
 黄帝と蚩尤の決戦の地"涿鹿"

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 40.366667,115.216667 -google map / 
 涿鹿の戦いは、古代中国の神話上の戦争で、軒轅(黄帝)が蚩尤を破った戦い。
 朝鮮人が人種的に安定し、現代朝鮮人の祖形が形成されたのは、 明支配下の李氏朝鮮からで
 紀元前の古代中国に、朝鮮人の 出る幕はないのだが、一応、黄帝と蚩尤の決戦の話題なので、その戦いのあった場所と
 される涿鹿の地図を載せてみた。
 涿鹿县 -wiki /  涿鹿之戰 -wiki / Battle_of_Zhuolu -wiki  /  タク鹿の戦い -wiki / 
 
 
 
 
 

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