情報誌 「ぽけっと」 2008/02より 転載
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更新日時 :2010年2月9日 午後 2:14:54
★ 喜びも ・ 悲しみも ・ そのまんまの ボランティア ★
今 遊多

絵 ・鈴木 愛望
”大泉ボランティアコーナーだより”から転載
- 原稿の依頼を受けた -
「 寒い夜 」
居酒屋からの帰り道、どうしても我慢が出来なくなって
空地の茂みに身を隠し、空高く冴え渡る月を眺めながら
「見ヒ あ〜げてごらフン 夜の月ウオ--- 」(ジョンジョロ〜〜〜〜・・ピッ・ピッ。)
とふざけて口ずさんでいました。
家に帰り着くとそのまますぐに寝床に入ったのですが・・
頼まれた原稿のことが気になって眠れません。
「ボランティア活動かぁ、どんな事書いたらええのかな〜?」
★ 初めてボランティア活動に参加した時、知らない人ばかりに混じって、
子供たち相手のゲームコーナーを受け持ち、若しかしたらこれこそが僕の
天職だったのかもしれないと、好い気になって頑張ったこと。
★ 障害のある人達が集まって、近隣の施設や病院に野菜やクッキー等を
売りに行くのを手伝っているのですが、集まりそのものもさることながら、
まわりは僕以外殆どすべてが女性という、僕にとっては極めて特殊な
環境にあるということ。
★ 両手両足とも全く自由にならない重度身障者の Oさん(男性40歳)
の生活は筆舌に尽くし難い大変なものなのですが、それでも三回外遊し、
いくつもの論文や小説を書く勉強家で、凄まじい精神力の持ち主です。
彼と過ごす時間の中身と言えば、
● 6キロものスピードで走る「クチ操縦電動車椅子」の後ろを、
槍持ちよろしくハァハァいいながら小走りでお供したり、
● O Z の五階で昼食を食べた時、
彼に食べさせている間に、僕の注文した「お蕎麦」がスッカリ延びてしまい、
それを手でほぐして食べながら、
これからは絶対彼に食べさせ終わってから注文することにしようと肝に銘じたり、
● 昼間からビールを飲んでしまい、夕方まで二人で枕をならべてねてしまったり、
● 「用を足したいから三十分ぐらいで来られないか???」と
突然!!家に電話がかかってきたりなど、
あれこれ思い浮かべていると・・・
「これが 、そのまんま今を生きていることなんやなぁ」
と妙に安らかな気分になってきて・・・Z Z Z z z z
そのまんま眠ってしまったようです。
1994/12
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練馬区社会福祉協議会 : 練馬ボランティアセンター . ボランティア・市民活動情報誌 「ぽけっと」より 転載 「つくりっこの家25周年に・・・・・」 プロローグ 「ねえねぇ、このジョッキにビールが半分入っているわよね、これをもう半分しかないと思う?それともまだ半分も有ると思う?」女は騒がしい周りの声に負けじと大声を張り上げ身を乗り出すようにして男に問い掛けていた。ところは大泉の居酒屋“養老乃滝”、テーブル狭しと並んだ酒肴を囲んでケンケンガクガク男女6人の「飲み会」が盛り上がっている。女達は揃って「まだ半分もある」派なのだが、男は「どう思うかなんてどっちだっていい、あるだけ飲んで欲しけりゃ頼みゃいい」が答えだった。 女達というのは沢山の人の心を紡ぎ続けて25年“つくりっこの家”の主宰者明星マサさんと職員達で、片や心のありようなど問題としない方の男は人の助けがないと生きていけない重度障害(脳性麻痺)の小田一石さん、鯛を三枚に下ろすことだって、ナマコからコノワタをさばき出すことだって俺には出来るとうそぶいていたが、介助者からは「ロボット扱いする」と敬遠されていたと聞く。彼は「自己決定権」を高く掲げ「俺にだってホームレスになって野垂死ぬ自由はある!」と聞き捨てならない憎まれ口をきいて単身“自由の国アメリカ”に移り住んだ。「あるがままを認め、思うがままに生きる」で男はその”自由”の彼方に何を見ているのだろう? 考えてみれば早いもので私がこの小田さんと「つくりっこの家」にボランティアとして関わってもう10年近くが過ぎたことになる。
つくりっこの家は昨年暮れで25周年を迎え「記念の会」が練馬区勤労福祉会館の講堂で日頃お力添え頂いている大勢の皆さんをお招きして盛大に開かれた。 突然スピーカーから飛び出してきた「なんでだろ〜なんでだろ〜」の大きな声に始まる司会者松本由紀子のツカミはバッチリ!メンバーによるライブトークも、ビデオ上映も、シャンソンも、プログラムはみんなつくりっこの家特製の味付けだから笑いを誘う場面も多く会場は一体となって盛り上がっていた。何人集まったのだろう?とにかく講堂に入りきらないほど大勢の人たちが25周年を祝って集まってこられた、でも私はへそ曲がりだからフト取り残されているような感じがして不満を抱き「10年つくりっこと関わってるけどここに集まってる人の9割は逢うたことがないよ」と前述の職員の一人に話し掛けたら「それだけつくりっこはたくさんの人たちの影の力をお借りしているのよ」と言う答えが返ってきた。成る程やっぱり「まだ半分ある」派だけのことはあると私は感心した。 ★ けれんみを感じさせない独特のトボケた味を出す松本由紀子さんは、ただ一人のクッキー焼き職人であることを自負している。でも私にとって何よりうれしいのは、彼女が“おやじギャグ”のファンであるということで“盲導犬を連れた人の乗った満員バスの運転手が「もう一足お先にお詰め合わせください」と言ったら、座席横にうずくまっていた盲導犬が「もうどけん」”この駄洒落をえらく気に入ってくれている。そんなこともあって「ハウ ア ユー」「ファイン サンキュー アンド ユー」に始まる彼女との弾んだ会話はとても楽しい。 ★ ここにきて大きく変わったのが長野宏美さんだ、お風呂に入れないと悩んでいた長野さん、野菜売りのお金の計算がうまく出来ないと目を吊り上げていた長野さん、野菜販売車の中で「死にたい、死にたい」と言って私を困らせていた長野さん、その長野さんが「癌」に罹患してしまった。ところが、ところがである、退院してきてからの彼女は世間でよく言う「バケた」といわれるほど見事に変わった。心が外に向かって開き鬱積していた重苦しいものも抜け落ちて目に輝きが蘇り“聡明な女性“が復活していた。 いま彼女は病名や実名も明かし障害者と地域の共生のありかたを説いて歩いている、時には遠く仙台まで足を延ばすことだってある。私はその講演記録しか読んでいないが、その整然とした論旨と魂のこもった言葉には強く心動かされるものがあった。でもこの言葉も自殺する迄に追い込まれていった筆舌に尽くせぬ疾病体験と、理不尽な周りの偏見に耐え、そのうえ今度は「癌」との闘いがあってはじめて「うまれたもの」だと思うと、ただ「感動した!!」だけには止まらない何か謎めいたものまで感じてしまう。 ★ 鈴木房子さんを紹介してみよう。彼女は難聴に加えて、話し方に少し癖があってコミュニケーションが難く、自分から話し掛けることもなく孤立しがちだった。補聴器を付けることで様子はぐんと良くなった、でも今回その彼女が壇上でマイク片手に満場のみなさんに向かって話して聞かせたのにはみんなビックリした。 つくりっこの家では、朝のミーティング、ロングミーティング、また合宿などでも話し合いの場が設けられ、各人の本当の意見が出るまで多くの時間を費やして話し、そして聞きあう。解りきったことだが、人はそれぞれに違った能力と世界を持っている。その心が開き他の人の心に届くまでにはそれはそれは長い無駄としか思えないような時間がかかる。鈴木さんの話もこうしたつくりっこの話し合いの中で育み培われてきたものがこの記念の日に花開いたのだろう。 共生という言葉が氾濫している、これは共同生活の略ではない。お互いの開かれた世界を共有しあって生きていくことで、例え“場”を共有していても向き合っていては意味がない、共に明日に向かっていてのことなのだから。またいくら専門書で勉強したからといってもそれだけでは何ともならない、生活実践そのものなのだから。 つくりっこの家は25周年を迎えた。一口に25年といっても大変な時間である。老若男女多種多様の人たちが関わりあい、予想のつかないたくさんの偶然が絡み合いつながってできてきた日常生活の開かれた地域ネットワークは、気付かないところで今も増殖し続けている。 精神の病には病態や体調に波がある、同様につくりっこの家でも弱点が露呈し波も生じるだろう、この25年反省も含めてじっくり振り返ってみてほしい。
ここまで読み終えて、「で、つくりっこの家って何なの?」と思われたのではないだろうか、そんな疑問を持たれた貴方は、もう既に「つくりっこの家」の玄関に立っておられるのだと私は思っている。 2003/12/23
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皆様からのお便りをお待ちしています。