白文鳥発祥の地 愛知県弥富町
 弥富町における文鳥飼育の歴史は古く江戸時代まで遡ることができます。
元治元年(1865年)尾張藩の武家屋敷に女中奉公していた「八重女」(ヤエ)という人が、弥富町に嫁入りした時、日頃飼育の世話をしてきた並文鳥を土産で貰って持参したのが弥富町での文鳥飼育の始まりと伝えられています。
 その後、文鳥飼育が農家の副業として盛んになり、江戸時代末期には突然変異により「白文鳥」が誕生し、これを苦心飼育の末改良を重ねて、現在のような白文鳥と成ります。
 又、弥富町は金魚の里としても有名です。

 弥富町の歴史民俗資料館
弥富町歴史民俗資料館
 には昔の飼育器具や籠 金魚桶が数多く展示されております
 又、場内でミニシアターによる文鳥や金魚の歴史 白文鳥の発祥の歴史など
 細かく見ることが出来ます。まさしく国内において文鳥の聖地と言っても過言ではないでしょう。
  • 近鉄・名鉄・JR弥富駅より徒歩15分

    愛知県海部郡弥富町前ヶ須新田野方 731
文鳥の歴史
身近な鳥文鳥ですが実際に日本国内に入ってきたのは江戸時代初期の頃です。
 又白文鳥は江戸時代末期、桜文鳥からの突然変異により生まれ、固定に成功し現在に至ります
 江戸時代の浮世絵にも数々登場する文鳥は大変人になれ可愛らしい仕草で人々に愛されております。
 現在でも、白文鳥をペアーで購入し繁殖させた場合 親の親が桜文鳥だった場合
 卵から孵った雛は白文鳥ではなく桜文鳥が混じって生まれてくるケースも存在します
 現在世界各国で飼育されており今まで桜文鳥、白文鳥などが良く知られてきておりますが
 1980年代からシルバーやクリームと言ったパステル系の文鳥が世に発表されてきておりますので
 今後、研究が進むに連れまだまだ種類が増えることでしょう
  元々インドネシア付近に生息していた原種が次第に飼い慣らされ現在に至ります
 ヒエ・アワ・キビ等の穀物を好み”Rice Bird”(ライスバード)と言う呼び名で親しまれております
★ 桜文鳥 ★
羽色は、腹部は淡いぶどう色、頭部や尾羽は黒く、ほおに白い斑点があり背、胸はそう灰色、くちばしと脚は淡い赤色であるが、個体により色の濃淡、白斑 の混じり具合に差がみられます。
白文鳥
全身が純白で、くちばしと眼環が紅色、脚は淡紅色でその美しさは飼い鳥の中でも他に類をみません。
白文鳥
 文鳥を飼う

 基本的に群で生活する鳥なので表情は豊かであります。又、人間同様個々に人格(鳥格と言いましょうか)が成鳥に
 成るに連れ個性が固まってきます。
 気に入らない相手に対し攻撃的な行動をとりますが反対に気に入った相手には一緒に行動し荒々しい態度を見せません
 ペアー以外では親子、兄弟一定以上の間隔をとらないと喧嘩をする場合があります先に述べた通り群生活をすると言っても
 一定のテリトリーが存在いたしますのでご注意を。

 手乗りでは無い文鳥を飼う場合
単体飼育より 本来群れ生活をする鳥ですのでペアーでの飼育をお薦めいたします。
 又ショップでの購入する際ペアーリングが旨く行かない場合(先に述べましたが気に入らない相手は攻撃します)
 ペアーのどちらかを交換可能か最初にお聞きすることをお薦めします。
 選ぶ場合において、元気があるか、色々な表情を見せて此方によって来るか、人になれているか、若い鳥か等の自分の目で見た上で
 ショップの方と話し合いをもたれることをお薦めいたします。

 ペアーで飼ったからと言って”繁殖させなくては!”と言う考えをもたれる方もいると思いますが繁殖させなくてはいけない
 と言うことは全くありません。繁殖をさせないペアーの方が長生きをする場合もあります。
 自分が慣れてきて、”他の子供達も欲しい”と思い出した時がくるまで繁殖は楽しみにとっておきましょう。