外国人に誇りうる美的精神像

 

 たとえば先年(一九九六年)惜しまれて他界した司馬遼太郎は、現代人が忘れてしまったこの武士道精神を、歴史上の人物を通して喚起させてくれた作家であったが、その彼がこんなことを言っている。

「われわれがこれは日本人である。といって外国に誇りうる美的精神像は、いまなお侍と言うものでしかない。(中略)それはたとえばわれわれが英国社会を見てそれが英国人であると、感嘆するとき、彼がたいていサー(貴族)の出身であることを思えばいい。人間、どう振る舞い、どう行動することが最も美しいか、という精神の美意識のありかが、人の最も肝要なものだということは、いつの時代のどの社会も変わらない」(「歴史と小説」所収「日本史の中で暮らして思うこと」)と、サムライのもっていた美的精神像、つまり武士道こそが、いまなお日本人が外国人に誇りうる精神であり、こうした行動の美学はいつの時代でも、どの社会でも変わるものではないというのである。

 では、美的精神像の中味とはなんなのか。司馬さんは別のところで、こう語っている。

「戦国から幕末に至るまでの日本人は、人間というのはどう行動すれば美しいのかということばかり考えてきたような感じがありますね。(中略)『人間はどう行動すれば美しいか』であって、『どういうふうに成功するか』ではないんです。(中略)幕末になると、『聖人は成敗利潤を問わず』という行動主義者が現れて、ただ自分の行動を美しくするということだけででてくる人間が現れて、だだ自分の行動を美しくするということだけで出てくる人間が現れてくる。それは日本人の特殊性というよりも、むしろいわゆる江戸教養時代が、三百年続いたとしたら、その三百年の縮図みたいなものが幕末に出てきているんではないか、そういう感じがするんです。」(同書「維新の人間像」)

 司馬遼太郎のいうところの美意識とは、「聖人は勝敗利潤を問わず」とあるように、事の成功や失敗、あるいは儲かるとか損するかといった、そのような利害打算とは関係なく、自らの「志」に生きた人間、ということである。いわば司馬さんは江戸三百年の教養主義がもたらした、そうした美意識を貫いた男たち、すなわち坂本龍馬、吉田松陰、高杉晋作、大村益次郎、土方歳三、河合継之助などの、“漢(おとこ)の美学”を描くことによって、大ベストセラー作家の地位を築いたのであった。

「聖人は成敗利潤を問わず」という言葉は、中国後漢末の仲長統(ちゅうちょうとう)の言った「男子たる者、安危を問わず、打算に走らず、志に生きる」から派生した言葉であるが、中国ではこの精神をもつ者を「士太夫」といい、日本では「武士」といったのである。「士」とは「清廉にして志に生きる者」のことをいう。

 もちろん士太夫と武士とは同じではない。士太夫葉最初から行政官であったが、その実態は学者・文人に近く、日本の武士は軍人であると同時に行政官であった。が、この両者は指導者層にあるものとして、精神的な価値観の牽引車であり、文化の担い手であったことにはかわりはない。とくに江戸期の武士は「文武両道」のもとに武と徳を積み、詩文をたしなみ教養を高めることを要求された。こうしたサムライとしての高潔なる精神を保つために、武士道は一層の磨きをかけていったのである。