いま日本は第二の敗戦状況下にある

 

 いらだちと得体の知れない不安が、いま、日本の社会に渦巻いている。

 日本はどうなってしまったのか、何を求めてここまで来たのだろうか。

 そして、これから何を目指して、どこへいくのだろうか、と・・・・・・。

 

 二十一世紀を目前にして、今日本は『第二の敗戦』状況下にあるといわれている。

 たしかに戦後、営々と築き上げてきた経済成長も、どこでどう狂ったのか、その仕上げであったはずの狂乱バブルで終焉を迎え、その結果として日本は未曾有(みぞう)の経済不況に陥った。

金融機関には大量の不良債権が残り、あまたの企業は倒産の影におびえ、中高年はリストラの名のもとに解雇され、若者層の就職率は戦後最悪となっている。

 その一方でこれまで予想だにしなかった少年犯罪やわけのわからぬ変質的な事件が多発し、その裏では、国民の安全と生命を守るべき警察官が考えられないような不祥事を起こしている。いや、それどころか大阪府の最高責任者である府知事が『セクハラ裁判』にかけられるといった前代見聞の不始末だ。日本人のモラルもここまで低下したのかと驚かざるを得ない。

 モラルの崩壊は、未来を担う子供たちの世界ではいっそう顕著で、登校拒否はあたりまえとなり“いじめ問題”は深刻化し、自殺者は急増している。潜在化する不満のためか学校は崩壊し、常軌を逸した少年犯罪が増え、中学生が、ヤクザ顔負けの恐喝事件を起こし、あげくの果ては小学生が覚醒剤所持で逮捕されるといった事態である。

 また、目を大きく見開けば、異常気象は日常語となり、空からはダイオキシンが降り注ぎ、地球の環境汚染問題は、焦眉(しょうび)の急を告げている。いまや宇宙船“地球号”は瀕死の重傷となっている。

 新世紀を迎えようとしているのに、日本は、世界は、地球はどうなってしまうのか。もしかしたら、豊かさと便利さだけを追い求めてきた“天罰”が下ろうとしているのではないか・・・・・・。

 多くの国民は未来に対して“得体の知れない不安”を抱き、このままで政治はいいのか、これまでの価値観をもちつづけていいのか、と迷っているのが現状である。

 だが、これらの事態に対して、リーダーシップをとるべき政治家や官僚たちは、ただただう右往左往するだけで、何ひとつ適切な対応も指針も示すことができず、国家目標たるものもない。政治家たちはあいかわらず私利私欲のための権力闘争に明け暮れ、官僚・役人たちは、“税金食い虫”となって、わが身の保身だけに動きまわっている。そこには指導者層としての自覚も責任も感じられず、“ノー天気”で無責任な醜態をさらしているだけだ。

 かって三島由紀夫は割腹自殺する直前、サンケイ新聞に寄せた「私の中の二十五年」と題する一分の中で、「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら『日本』はなくなってしまふのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、そのかわりに、無機質な、からっぽな、中間色の、富裕な、抜け目のない、ある経済大国が極東の一角にのこるであらう」と書いていたが、あれから三十年を経て、その状況はますます悪化している。

 何かがおかしい。どこかが狂っている・・・・・・。

 この思いはけっして私一人の思いではなかろう。