戦後のツケを象徴した「一九九五年」の出来事
こうした戦後社会を顧みるとき、私にはどうしても忘れられない「年」がある。それはちょうど戦後五十年の節目を迎えた「一九九五年」という年であった。今思うとこの年は、戦後の日本人が営々として築き上げてきた「神話」を根底からくつがえす象徴的な事件が、一挙に吹き出した年だったからである。
その一つは、一月に起きた「阪神・淡路大震災」である。その被害の甚大さもさることながら、「大地震にも耐えうる」といわれた高速道路や高層ビルが崩れ、白夜の街が一瞬にして焦土と化したことだ。いかに化学文明が進歩した今日でも、造ったものは壊れるという真理をいまさらながら思い起こさせ、戦後の価値観を支配してきた科学的合理主義とやらを考えさせられた。
科学的合理主義というのは、簡単にいえば、目に見えぬ「精神」よりも具体的な「物質」に重きをおく発想である。そしてその判断基準は「どちらがより合理的か」といった精神である。したがって、すべてのものが数字で表され、功利主義にもとずく価値観われわれの唯一のモノサシとなった。戦後の日本社会は、この価値観にもとづく効率性と便利さを追求してきた社会だったといえる。
ところが、その科学的合理主義で建てられた高層ビルや高速道路が崩壊し、同時にライフラインがストップし、いかに文明というものが脆いものであったか・・・・・・。現代の科学の粋をもってすれば理論的には崩壊しない建造物が立てられるのだが、それは効率主義の面からすれば採算に見合わず、ある一定の期間がくれば壊れるようにできていたからである。
というのも今日の効率主義というのは、その工程において最小の時間、最小の労力、最少の資本を持って利益を追求することを目的とする経済至上主義にほかならないからである。
その比較として、たとえば“日本の美”といわれる法隆寺や東大寺と比べてみるがよい。それらは一千年の風説に耐えながらも、いまだにあの美しさを誇っているのである。それこそ、かっての日本人の叡智といえるが、この差はなんだったのか。科学の進歩とはなんだったのか、と考えざるを得ないではないか。
そして同時に、阪神・淡路大震災で考えさせられたのは、国家としての日本が、いわゆる危機管理や防災・救援システムにおいて、経済大国といわれながら何ひとつ、その準備を整えていなかったということである。これは国家が国民の生命と財産を守るという国家意識を欠如していた証だった。倒壊した瓦礫の下で泣き叫ぶ声を聞きながらも、行政者たちは自衛隊の救援方法を論議していたのである。しかも、あれから五年たつというのに、その危機管理や防災体制は、喉もと過ぎれば暑さを忘れるといったように、本格的な対策は何ひとつ具体化していないのである。