「武士道」こそ日本人のアイデンティティー

 

 それにしても、どうしてこんな社会になってしまったのか。戦前と比較して、われわれ現代人は何をなくしてしまったのか。

 私はそれを個々人の「自立心」のなさだと思っている。意思力のなさだと思っている。意思力といってもよい。「かくあるべし」という理念のもとに、自分の心を律して生きる意志である。もっと端的にいえば、現代人の心から人が人として守るべき「道徳」とか「修身」といった。“己を磨く”ための教育が、社会からも家庭からも学校からも消えてしまったことだ。そのツケが現在の日本社会にまわってきたのである。

 かって戦前の学校や家庭では「修身」というみをおさめる教育や躾があった。あるいは人間が人間として守らねばならない「道徳」を厳しく教えられた。それは人間を育てるという意味の教育が「知育」「体育」「徳育」の要素から成り立っていたからである。ところが戦後教育では、この「徳育」だけがスッポリ抜けていたのである。

「道徳」や「修身」というと、いかにも戦前の古めかしい教育として、あの忌まわしい戦争に駆り立てた精神主義を思い出されるであろうが、本来の“人の倫”である道徳や修身が悪かろうはずがない。それは動物としての「人」を「人間」たらしめる、ものだったのである。

 人は誰しも幸福を求め、より美しく生きたいと思っている。いかなる人でも軽蔑され、汚辱に満ちた人生など送りたくないはずだ。この差は何できまるのか。これこそ己を磨く「修身」や「道徳」の差ではないのか。

 儒教は、これを「仁、義、礼、智、信」(五常の徳)、さらには「忠・孝」の七つの徳で説いている。簡単にいうと、仁とは思いやり、義とは正義、礼とは礼節、智とは叡智工夫、信とは信頼のことであり、忠とは誠を尽くすこと、孝とは目上の者を大事にすることである。ところが、明治になって国家が「忠君愛国」なる標語をつくったことから、いつしか「忠」は「忠義」「忠節」の部分だけが増幅され、軍国主義に利用されたことから、GHQ(連合国総司令部)がもたらした戦後の民主主義教育で徹底的に批判され、戦後社会から一掃されたといういきさつをもっている。だが、たとえそうであったとしても、「道徳」や「修身」は今日においても“人の倫”の本義であることには変わりない。それを利用した戦前の政治が悪かったのである。

 かって、先の「自立心」を「気概」という徳にまで高めた精神があった。「かくあるべし」という厳しい自己戒律をもって行動の美学とした精神文化があった。それが「武士道」である。

 武士道などといえば、今の人には封建的な過去の遺物をみなされようが、果たしてそうか。たしかに武士道は、特権階級の武士が守るべき道徳律として誕生したが、その崇高な精神は時代の変遷とともに、社会の状況に呼応しながら、武士のみならず広く一般にも広がり、普遍的な日本人の倫理道徳観となったのも事実なのである。

 そして、その武士道を明治になって改めて体系化し、“日本人の精神”として外国に紹介したのが新渡戸稲造の『武士道』であった。

 武士道とは何か――。

 それを解明するのが本書の目的であるが、新渡戸はその基本的精神を「勇猛果敢なフェアー・プレイの精神」としている。すなわち、不正や卑劣な行動を自ら禁じ、死をも恐れない正義を遂行する精神であったというのだ。

 詳細は本論で述べるが、儒教ともっとも違うのは、儒教が「仁の精神」(思いやり)をトップに置いたのに対して、武士道はその中心に「義」を置いたことだ。義とは「打算や損得のない人としての正しい行い」ということである。

 したがって、サムライたる者の行動基準はすべからくこの義をもとにして、「五常の徳」を「仁義」「忠義」「信義」「節義」などに作り替え、さらにその集大成として「誠」の徳を最高の地位にすえた。「誠」」とは、一般的には誠実さということだが、その字が「言」と「成」からできているように「言ったことを為す」との意味に転化し、ここから「武士に二言はない」との言葉が生れ、言行一致の行動美学となったのである。

 そのために武士は、三民(農民・商民・工民)の上に立つものとして、民の模範となるべく、正義をモットーとし、利欲に走らず、ひとたび承諾したことには命懸けでその言葉(約束)を守り、不正や名誉のためには死をもってあがなうことが義務づけられたのである。福沢諭吉はこれを「痩我慢の説」と称したが、その痩我慢があればこそ、日本はアジア諸国に先がけて明治維新を成り立たせ、西洋列強の植民地にならず、日本の近代化を成功させたのである。

 いま荒廃たる日本人の現状を見るとき、われわれ日本人がなくした最も大事なものは、この精神のバックボーンではなかったのか、と思う。前述したように戦後の日本は経済至上主義を生み出したが、そこにあったのは栄辱の何たるかも知らず、ただ「利欲に」に走るエコノミック・アニマルを求めたに過ぎなかったのである。いわば、日本人全体が“拝金教”に狂い、その代償として人情はなくなり、心はささくれだち、あげくの果ては成人病にノイローゼ、そして過労死だ。いかに物質的に豊かになっても、精神の豊かさがなければ人は幸福にはならない。

 賢明なる明治の先達たちは、それを知っていたがゆえに、開国によって怒涛のごとく押し寄せた「文明開化」の嵐の中で日本伝統の精神を忘れんがために、「和魂洋才」なる思想でそれに対抗した。じつはその和魂こそ武士道精神だった。それは武士道が日本人のバックボーンであり、アイデンティティーだったからである。だが、戦後の日本人はこの「和魂」すら忘れ、顔のない日本人をつくりあげたにすぎなかったのである。

 先日、ある外国人の友人から、警察官僚たちの不祥事件を話題にされ、「あの美しきブシドウーはどうなっているのだ」と問われたが、いまや外国人のほうが武士道の美しさを知っているのである。

 かって日本人はこんなはずではなかった。ふたたび“美しき日本人”といわれるためにも、先哲が築き上げた武士道精神を再確認するべきではないのか。執筆の動機はこの一点にある。

 ちなみに、本書は、新渡戸稲造博士が書いた『武士道』を底本として、あらゆる武士道論を網羅し、私なりの現代的解釈を付け加え、新たなる平成の「新武士道」を描いてみようというのが趣旨である。