公務員の哲学 選ばれしものの義務と責任
公の精神とは何か。
人は何のために生きるのか。
失われ、忘れ去られた
美しき日本人像を考える。
この春、新採用された
キャリア官僚1000名への講演録
はじめに
本書は、「国家公務員合同初任研修」(平成9年度)における『公務員の論理』と題する講演の草稿を単行本用にふくらませたものである。
なぜ、私のような浅学でぐうたらなものが、そのような講師に選ばれたかは理解しかねたが、かって出版した自著『新渡戸稲造 美しき日本人』のような話をしてくれ、との要望だったので、身の程をわきまえずにその役目を引き受けることになった。というのも私は、この二、三年、「住専」「薬害エイズ」「高級官僚の汚職」などの問題を引き起こした国家官僚たちの腐敗ぶりを見るにつけ、「申したきこと」があったからだ。
本来、公務員たるべき者の職務は、かっての武士階級が務めていた職務であり、その仕事の本質は「公の精神」を持って、国家と国民の生活を守ることを第一義とするものである。ところが、その武士にあたる現代の公務員は、全体の奉仕者になるどころか、個人的な私利私欲に惑い、「公」と「私」を混同し、国民が汗水たらしめて納めた血税を、汚職や予算の無駄遣いはいうにおよばず、カラ伝票やカラ出張といった姑息な手段で自分たちの会食費にあてている、という。しかも、不思議に思うのは、こうした不祥事や失策を引き起こしながらも、その当時やたちの誰一人も、自ら責任を取ろうとするものがいないと言うことである。
新渡戸稲造博士は、武士道の精神を「高い身分にともなう者の義務」と言っているが、かっての公務員である武士は、支配者階級として、“民の模範”となるべく、正義をモットーとし、私欲に走らず、不正や名誉のためには「死」をもってあがなうことが義務づけられていたものである。
これは何も武士道だけのものではない。西欧の武士道でも同じことをいっているし、フランス語ではこれを「ノブレス・オブリージュ」なる言葉で言い表している。つまり、特権階級にある貴族ないしエリートたる者は、その名にふさわしく強靭な心身と高貴な態度を保持し、庶民の上に立って、彼らの生命と財産を守るために戦う義務を負う、とされているのである。武士道と同じ原理である。
武士道などというと、それは封建的な主従関係を中心とした過去の遺物として否定されようが、私自身もそのような因習的なものを肯定する者ではない。したがって本書で語っているのは、あくまでも新渡戸稲造博士の唱える「道徳的倫理観」としての武士道精神である。
というのも、武士道の根幹を支えるものは儒教でいうところの「五常の徳」、すなわち「仁、義、礼、智、信」といわれるものである。武士は、それらを個人の「名誉」と「気概」をもたらすものとして、人格的形成の素養としたのであった。だから武士道の精神は、単にサムライだけのものではなく日本人の伝統的精神として、広く一般の人々にも受け取られていたといえる。
とはいえ、儒教と武士道とは違う。もっとも違うところは、儒教が「仁の精神」(思いやり・慈悲)をトップに置いたのに対して、武士道は「義」と中心に置いたことだ。義とは「打算や損得のない人としての正しい道」のことである。だからこそ武士は、正義をモットーとし、私欲に走らず、不正や名誉のためには死をもってあがなったのである。いうなれば武士道はかっての日本人が持っていた伝統的精神であり、生きるための哲学であり、日本人としてのアイデンティティでもあったのである。
健全な社会をつくり、美しい自己を確立しようとするとき、もっとも必要とされるものは何か。それが「かくあるべし」という意志の力である。行動を裏付ける倫理的な信念である。私は新渡戸稲造博士の『武士道』を借りて、そうしたことを、これからの二十一世紀をになう新官僚たちに語ったのである。
以下この本の内容を記述しておきます
公務員の精神は武士道に通ずる
公務員=武士階級というこれだけの理由
なぜ不祥事が頻発するのか
いまこそ公務員はエリートの自覚を持て
武士道の根幹はフェア・プレイの精神にあり
武士道的倫理観が喪失した時代
社会正義の実践者であるために
民の手本と義の遂行
義より打算が人を溺れさせる
「理想は自己を磨く宗教」が意味するもの
武士道の誕生とサムライたち
私が新渡戸稲造の『武士道』に魅かれた理由
新渡戸稲造とはどんな人物か
プロテスタンティズムと武士道の驚くべき類似点
明治の大ベストセラー、中村正直の「西国立志編」
『武士道』はなぜ英文で書かれたのか
「われ、太平洋のかけ橋とならん」を貫いた生涯
自立心こそが自己形成の基礎
武士道を支える「仏、神、儒」の思想
江戸開府に始まる武勲から文勲への移行
「修己治人」の朱子学の教え
「正義」こそが石田三成を決起させた
「信義」のために戦い抜いた大谷吉継
「恩」に報いて死んだ宇喜田秀家の忠義
家康が考案した「本物のサムライ教育」のシステム
日本のアイデンティティを考える
なぜ『忠臣蔵』は武士道の華といわれるのか
赤穂浪士を教育した山鹿素行の「士道」
泰平の世の「武士の本分」とは何か
内村鑑三が評価した西郷隆盛の武士道
高潔の証、西郷の「敬天愛人」の思想
福沢諭吉が擁護した西南戦争
福沢が西郷を高く評価した理由
「痩我慢の説」が訴えるサムライの意地
「真勇は怯に似たり」を具現した山岡鉄舟の功績
「本来無一物」という鉄舟の究極の思想
武士道こそ日本人のアイデンティティ
日本人はかって美しかった
遣米使節たちの真摯な輝く目
賞賛の評価、「貧しくとも高貴な民族」
「山高きがゆえに貴からず」を教えた江戸の教育
なぜ武士の教育から「算術」がはずされたのか
知識と実践をひとつにするために
「人」は教育で「人間」となる
教師とは「人間をつくる職業」のはずだ
なぜ教師は聖職者ではなくなったのか
教育の目的は「修身斉家治国平天下」
公僕に成り果てた、いにしえの武士たち
この日本が失ったもの、忘れ去ったもの
「礼」は他人に対する思いやりの表現
太宰春台が唱えた「礼」の真骨頂
「名誉」が持っている命以上の重さ
「名誉の戦死」は名誉ではない
本阿弥光徳が死守した一族挙げての名誉
物質とは無縁な精神の幸福
「公」の心と「正義」の心
かけがえのない地球で人間らしく生きていくために