「日本人の名著を読む」 

 

◎いったい、日本人はどうなってしまったのか

 振り返れば、たしかに戦後の日本は、献身的な努力と勤勉なる働きにおいて、この国を経済大国へと復興させた。とくに1980年代は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」といわれたように、明治以来に「欧米諸国に追いつき追い越せ」との国家目標を達成した感があった。だが、その繁栄もつかの間、おごり高ぶった日本人は、それをうたかたの夢と消し去り、いまや第二の敗戦といわれるほどのこう構造不況化にある。

 それにともなう未曾有の経済不況は、人の心を荒廃させ、世の中全体に無節操な倫理観をはびこらせ、夢想だにしなかった悪質な犯罪や、わけのわからない変質的な事件を生み出している。とくに、人の見本となるべきはずの政治家や国家官僚、倫理観の強かったはずの教育者や警察官、あるいは裁判官や医療関係者をいった人までが、常識では考えられないような不祥事を起こしている。

 こうした大人社会のモラルの崩壊は、当然、未来を担うべき子供たちにも影響し、“援助交際”なるいかがわしい少女売春が横行し、常軌を逸した子供たちの犯罪にも珍しくなくなった。いったい日本は、あるいは日本人は、どうなってしまったのか。「豊かさ」と「便利さ」だけを追い求めてきた戦後社会のツケガ、いまいっきょに吹き出しているのではないのか。何かがおかしい、どこかが狂っている。そんな思いを抱くのは、けっして私一人ではなかろう……。

 

◎伝統的精神の喪失

 

それにしても戦前と比較して、われわれ平成の日本人は何をなくし、何を置き忘れてきたのか。一言でいうなら、かっての日本人が持っていた「伝統的精神の喪失」ではなかったのかと思っている。具体的にいうなら、人が人として健全に生きていくために持たなければならない「気概」とか「誇り」とか「道徳」とか、日本人としてのバックボーンを喪失してしまったのである。別言するなら、「身を修める」といった自分を磨くための教育や躾が、家庭からも学校からも社会からも消えてしまったことが最大の原因ではなかったのか、と考えている。

本書を読めばわかるように、戦前の日本人達は「修身」という自己研鑽の学問出身を鍛えてきた。「修身」という言葉に抵抗があるなら「人格形成」と言い換えてもよい。動物である「人」が「人間」として社会人になるためのルールを、道徳とか躾を言う名目で叩き込んできたことによって、かっての日本人は少なくともいまよりましな健全な社会を築いてきたのであった。本来、教育の三要素は「知育」「体育」「徳育」と言われてきたが、戦後教育では、この「徳育」だけがスッポリ抜け落ちていたのである。

「修身」や「道徳」をというと、いまでもあの忌まわしい戦争に駆り立てた精神主義を思い出すのでイヤだと言う人がいるが、本来の“人の倫(みち)”を教えた修身や道徳が間違っていたわけではない。それを利用した軍国主義が誤っていたのであり、どのような時代でも、いかなる国家でも、動物としての「人」を人間たらしめるには、自己研鑽としての修身や道徳といった「人間学」は不可欠なのである。これは西洋哲学では学ぶことのできない、東洋思想、日本思想の専売特許といってよい。

 

◎先賢・先学の思想を学ぶ

いうまでもないことだが、国家の存亡は、それを維持する国家国民1人ひとりの「見識」

「教養」「道徳的気概」というものにかかっている。だからこそ福沢諭吉は『学問のすヽめ』において、それを「一身独立して、一国独立す」といったのである。だが顧みて、その見識、教養、道徳的気概を、いま日本人は十分煮もっているといえるだろうか。サムライのように気高く生きているといえるだろうか。外国人に向かって誇りある日本人といえるのだろうか。

 私ごとで恐縮だが、私はここ十数年来、失われた日本人の伝統的精神を蘇生させるために、日本人の精神思想を学び続け、講演などで「上に立つ者の人間学」を語っている。そんなときにいつも私を驚かせるのは、いまや本書に登場した人物および著作を多くの人が知らないということである。これは一般の人ばかりではない。実質的に国家を担っている政治かも官僚も、あるいは、知的職業とされている教師やマスコミ人ですら、思想書の類はほとんど読んでいない。

 たとえば、佐藤一斎などは幕末維新の為政者たちが、こぞって彼の著作を読み教えを受けたものだが、いまや忘れ去られた存在である。忘れられたということは、その精神もわすれられたということであり、歴史上存在しなかったということになる。名前だけは知っているという人はいようが、「中身」を知らないとなれば、それはマンゴーという果実の名前だけ知っていて味わったことがないのと同じことである。

 いま、われわれが日本人とは何か、日本の精神とは何かを知りたければ、それはわが国の歴史を学び、日本人ならびに日本人の息からを作ってきた先賢・先学の「名著」を読むしかないのである。もちろん、この本の登場人物と著作だけで十分とはいえないのは百も承知で、余裕があればあと五十人ぐらいは紹介したいところだが、せめてこれらの原著に触れて、日本人の見識・教養・道徳的気概というものを学び、いまいちど日本人の気高く誇りある精神というものを蘇生してもらいたいと思うものである。

 ただし、断っておくが、単なる古典崇拝は百害あって一利なしといわれるように、“論語読みの論語知らず”となってはただの空論なので、あくまでもその知識を知恵となし、目指すのは「至誠実行」であらねばならないことはいうまでもない。

 最後に本書の刊行にあたり、この企画を用意していただいた致知出版の藤尾秀昭社長、惜しみない援助を与えてくれた担当の大越昌宏氏に心から御礼を申し上げる。

 平成十六年十一月吉日                  岬龍一郎

以下23冊解説

1.吉田兼好『徒然草』
2.宮本武蔵『五輪書』
3.中江藤樹『翁問答』
4.山鹿素行『山鹿語録』
5.伊藤仁斎『童子門』
6.貝原益軒『養生訓』
7.松尾芭蕉『おくのほそ道』
8.新井白石『折りたく柴の木』
9.山本常朝『葉隠』
10.石田梅岩『都鄙問答』
11.恩田木工『日暮硯』
12.杉田玄白『蘭学事始』
13.佐藤一斎『言志四録』
14.頼山陽『日本外史』
15.二宮尊徳『二宮翁夜話』
16.佐久間象山『省けん録』
17.橘曙覧『独楽吟』
18.勝海舟『氷川清話』
19.西郷隆盛『南洲翁遺訓』
20.吉田松陰『講孟余話』
21.福沢諭吉『学問のすヽめ』
22.内村鑑三『代表的日本人』
23.新渡戸稲造『武士道』


「日本人の名著」を読むより                  発行所 至知出版社
                                   〒107-0062 東京都港区青山6-1-23