どうしてそんなに忙しいのですか?

そうしてそんなに悩むのですか?

 

お金よりも時間が大事、

ブランド品よりやさしいココロ、

そろそろ生き方、変えてみませんか。

 

お金持ちより時間持ち

     モノモ持ちよりもココロ持ち

 

進歩を求めて、そんなに心を煩わしたり、

あまたの外圧に翻弄されて、それに服従してはならぬ。

それは、すべからく精神の浪費なのだ。

謙譲の美徳は闇の中に輝く天上の光を顕してくれる。

 

生活のレベルが少し下がっても、心の豊かさがもう一段だけ向上すれば

失うものは何もない。

余分な富を持つと、余分なものしか購入しない。

魂が必要としているものを購入するのに、

金銭など必要ないものである。

         ヘンリー・D・ソロー『森の生活』(佐渡谷重信訳)

 

プロローグ

あなたはアリ、それともキリギリス

 

人生は愉しむためにある。

 

 商社に勤める友人のスペイン人が(三十一歳)が日本へはじめて来たころ、私にこんな話をしたことがある。

「日本人はどうして歩くのが速いのですか。いや歩き方だけではなく、食事も、御酒を飲むのも、仕事もなんでも速いです。上司はいつも、速くしろ、速くしろと怒鳴っています」

「みんなやることがたくさんあって忙しいんだよ」

「それにしても忙しすぎます。しかも不思議なのは会社で禁煙が決まると、昨日まで吸っていた人もみんな一緒に禁煙する。どうして自分の好きなことを人からいわれると急にやめられるのですか。

お酒を飲んでも陽気に騒ぐわけでもなく、明日があるから早く帰ろう、と九時ごろになるとさっさとかえってしまう。これで人生楽しいですか」

「楽しいか楽しくないか知らないが、まあ、普通の日本人ならそんなもんだ」

と、私は曖昧な返事しかできなかったが、いわれてみれば確かにその通りだった。速いか遅いかは相対的なものなので、その基準がないと判断しかねるが、外国からきた人がおしなべて「日本人はせっかっちすぎる」といっているのをよく聞くと、そうなのだろう。それに「みんなと一緒」「明日があるから」というのもよく耳にする言葉だ。

 私もいつも不思議に思っているのだが、どうも日本人というのは「みんなと一緒」が好きで、いまを楽しむより、「明日のために」生きている人種らしい。では明日になったら楽しむかというと、またその次の明日のために生きるので、これではずっと楽しめなくなるのだが・・・・・・。

「じゃあ、スペイン人はどんな生活をしているの」

と彼に聞くと、スペインにはシェスタ(昼寝)という習慣があり、午後二時過ぎにはほとんどの商店街が閉まり、街はゴーストタウンとなる。四時ごろ起きて七時頃までに仕事を終え、それからバーで飲み始め、夕食を摂るのは夜の十時過ぎ。食べて、飲んで、騒いで、たちまち夜中。それでも飲みたい奴、騒ぎたい奴は、朝方まで楽しんでいるのだという。

「それを毎日かい?」

「もちろんです。だって人生は楽しむためにあって、仕事をするためにあるのではないのです。日本人を見ていると、ただ黙々と文句もいわずに働くロバのようです」

 勤勉なる日本人をロバとはなんだ。と怒りそうに担ったが、国民性の違いだと思ってじっとこらえた。

 だが、待てよと、ない頭で少し考えた。彼のいう方が正しく、勤勉だとされる日本人の生活のほうがおかしいのではないかと。なぜなら人間は働くために生きているのではなく、人生を楽しむために働くのであり、働くことは生きる手段に過ぎないからだ。だが日本人にとっては働くこと自体が目的のようになっている。だから、外国人にくらべると日本人は楽しむことが下手のようで、どうも外国人から見れば異常に見えるらしい。

 確かに日本人はよく働く。ひと昔の前の高度成長期なら働くことで豊かになり、それにともなって昇進も昇給もあった。だから仕事そのものが生きがいともなりえた。ところがいまは時代が変わり、ご存知の通り、朝から晩まで会社のためと一生懸命に働いたのに、リストラだ、早期退職奨励だ、格下げだと、中高年にとっては受難の時代となった。

「働くのは美徳だ、遊びは悪だ」といわれ、定年退職後の人生に一縷(いちる)の望みをたくして楽しみを先送りにしてきたというのに、五十前後で「お前はもう必要がない」と肩たたきがはじまっている。

 いや、それどころか、その定年を迎える前に、最近に私の周りで同輩たちの“突然死”が続出している。これはどうしたことか。その多くはストレスからくるもののようだ。これでは人生は楽しむどころか、苦労だけして、重たい荷物を背負ったままの道半ばで死んだのとかわらないではないか。

 では、定年退職後の六十歳を過ぎればバラ色の日々が待ち受けているかといえば、福祉行政の行き詰まりから政府は「生涯現役」と言い出す始末で、何のことはない、「一生働いてください」ということらしい。便利で快適な生活を求めてきた経済至上主義とやらの結果が、「金がすべて」の世の中をつくったために、ただ生活をするだけでもランニングコストがかかり、そうなったらしいのだが、これではわれわれはいつ楽しめばいいのか。ここでも楽しみは「明日送り」になっているのだ。

 

まず何よりも“いまを楽しむ

 

 イソップ寓話集に「アリとキリギリス」という有名な話がある。夏の暑い時期、キリギリスは歌って踊って楽しく過ごした。アリは一生懸命働きつづけた。やがて冬が来た。キリギリスは食べるものがなくなり、震えながらアリの家を訪ねると、アリは暖かい部屋の中で豊富な食料に囲まれて幸せそうにしていた。という話である。

 そこから得る教訓として「だから人間も遊んでばかりいないで、やがてくる冬の準備のために働かなければならない」というものだった。こうしてわれわれは働くことは美徳で遊びは悪だと、いつしかそうしつけられてそだったのだ。

 だが、この話は真実を伝えているのか。キリギリスというのは一般に秋の終わりには死んでしまうもので、冬まで生きているという話は聞かない。となれば、キリギリスは自分の一生を楽しくまっとうしただけで、歌って踊るのが彼らの人生だったのだ。冬まで生きて物乞いをするほどみじめではなかった。いっぽうアリも、もしキリギリスがきたら、食料をあたえてキリギリスの美声を聞かせてもらえば、もっと楽しくなったと思うのであるが。これではアリは冷酷な動物になってしまう。要するにこの話は、人間が“働きあり”になることを望んだ為政者の訓話なのである。

 なんてことを真面目に考えていたら、さすがはビートたけし、いいことを言った。「キリギリスが冬にアリを訪ねたら、アリは過労で死んでました」と、この話を作り変えてしまったのだ。

 働きすぎてストレスが溜まり、突然死する友人たちを見ていると、こちらの話のほうが真実に聞こえてくるではないか。ここから生れる教訓は「まずなによりも“いま”を楽しめ」ということである。

 いま一度いう。人生は楽しむためにある。かの『養生訓』を書いた貝原益軒は八十五歳という江戸中期にあっては稀有ともいうべき長寿をまっとうした人だが、「食事は腹八分目」「酒は飲みすぎてはいけない」などと節制をときながら、その極意はなにかと聞かれ、こう答えている。

 

「常に楽しみて日を送るべし。人をうらみ、いかり、身をうれひなげきて、心を苦しめ、楽しまずして、はかなく、年月を過ぎなん事、おしむべし。かくおしむべき月日なるを、一日も楽しまずして、むなしく過ぬるは、愚かなりと云うべし。たとひ家まどしく、幸なくして、うへて死ぬとも、死ぬる時までは、楽しみて過ごすべし」

(常に楽しんで日を送るがよい。人を恨んだり、怒ったり、身体を憂いなげいて心を苦しめ、楽しまないで、はかなく年月を過ごすことは惜しいことだ。惜しむべき大切な年月を、一日も楽しまないでむなしく過ごすことは、愚かというほかない。たとえ家が貧しく不幸にして飢えて死んだとしても、死ぬ時までは楽しんで過ごしたほうがよい)

 

 江戸時代の話をすると、「士農工商」といった厳格な身分制度のあった封建社会で、どんな楽しみがあったのかと思われるだろうが、厳格だったのは武士階級のみで、町人たちはかなり日常を楽しんでいたのである。心のゆとりという点ではおそらく現代社会よりも優雅で楽しかっただろうと思われる。なぜなら江戸の旅行ガイドブックといわれた『江戸名所図解』(文政十二=一八二九年刊行)は明治になるまでベストセラーだったし、売れたということはそれを求める人たちがいたということである。しかも江戸が文字通り“花の都”であったことが記されてあるのだ。

 花といえば、まず桜だが、その代表は上野、ついで飛鳥山、品川の御殿山、向島の隅田川堤、小金井堤とならび、今日われわれが「花見」と称する場所はすべて江戸時代からつづくものである。むろん桜だけでなく、梅、梨、山吹、すみれ、桜草、牡丹、かきつばた、さつき、はす、朝顔、菊、といたるところにさまざまな名所があった。また花のほかに、ウグイスの名所として上野の根岸、ホトトギスは小石川白山、秋虫は西日暮里の道灌山と、江戸の人たちはこうした花鳥風月を季節ごとに楽しんでいたのである。江戸の人々は遊びの天才といってよく、「粋」とか「伊達」という言葉からもそれを偲ぶことができる。こうした楽しみができたということは生活にうるおいがあり、心に余裕があったからであるが、金はなくてもその心さえあれば、人間はどんなところでも楽しめることをおしえてくれる。

 

ナンバー・ワンよりオンリー・ワンを

 

 振り返って、われわれの生活はどうか。一生懸命働いて、とりあえず“小金”だけは溜めたが、それとて老後を満足に暮らせるほどの余裕もなく、日常の生活には困らないといった程度のものである。だが、そのためには毎日、多忙なる日々を過ごしている。科学の長足の進歩はコンピュウータやOA機器を発明し、人間の生活を便利にしてくれたが、その反面、環境破壊や環境汚染を招き、多忙であることはわれわれの心からゆとりを奪い、すさんだ心を生み出した。白夜のような眠らない街で、人々はモルモットのようにせっせと働き、昼下がりの喫茶店でたまの息抜きをしていても、携帯電話の呼び出しでたちまち仕事に引き戻される。

 目に見える表向きの生活は、親世代から見れば格段の進歩で、便利さや快適さから言えば人類史上最高のゼイタクナ社会といえる。だが、その内情はどうか。それにともなって人々の心は満たされているのか。充足した日常をおくっているのか。逆であろう。われわれは「いい生活」はできるようになったが、「いい人生」を送っているとはいえないのではなかろうか。それはまるで見てくれだけの欠陥住宅のようなもので、裏側にまわればあちらこちら致命的な欠陥が見え隠れするのである。

 中国が生んだ世界的な知識人として知られる林語堂(りんごどう)が、次のようなことを云っている。

「自然界のものは、みんなブラブラ遊んでいるのに、人間だけがあくせく働いている。そして檻に入れられて飼いならされるように、文明と複雑な社会に強いられて働き、食うこととのために、頭を悩ませねばならない。年をとるまで働き通して、ついでに遊ぶことを忘れしまったこの文明と言うのは、いったい何なのであろうか」

 忙しい忙しいという前に、あるいはストレスを克服するにはどうしたらいいのかと現実肯定の上に立った方法論を考える前に、われわれはもっと生き方そのものを考えるべきではないのか、というのである。

 文明の進歩が人間の幸福を生み出してくれるものと、そればかりを追求してきたが、果たしてそれは本当に人間を幸せにしたのか。

 こんな話がある。松平定信が行った寛政の改革の頃だ。ある知恵者が外国の本を見て、定信に参勤交代の際の「馬車の採用」を願い出た。徒歩で行くよりも馬車にすれば同時に何人も運べて、より早く、より経費もかからないと。戦後のわれわれが求めてきた「効率」を提言したのである。

 だが、このとき定信は、「たしかに馬車をつかえば参勤交代は早くなるし、便利になるだろう。だが、そんなに便利にしたところで、それが世の中にとって何の利益になるというのだ。他におよぼす影響を考えたことがあるか」と、却下したという。

 定信の考えはこうである。馬車を採用する。となると、それまで参勤交代のおかげで生活を立てていた宿場町、人足、駕籠かき、船乗りなどが失業する。ましてや馬車が通るとなると全面的に道路を改良しなければならず、経費もかかり、景観も一変する。大名が参勤交代が少しぐらい早くなろうかなるまいが、そんなことはたいしたことではない。いまのままでみんなが幸せに暮らしているのに、なぜにその平安を壊してまで便利さを求めるのか、というものだったのである。

 江戸時代というのは原則的にいえば「なにも足さない、なにも引かない」と変わらないことを良しとした社会だったので、定信はあえて便利な馬車の採用を却下したのである。これは変革することによって江戸幕藩体制が崩壊することを嫌ったからというのが歴史学者の見解であるが、文明をあえて進歩させないというのもひとつの立派な見識といえるのである。

 もちろん現代社会は定信と逆の方向へ進んだ。それが近代化であり、科学的合理主義であったのだ。だが、それらが行き着いた先にわれわれはなにを見たか。本論で詳述してあるのでここでは語らないが、目先だけの合理主義を追い求めた結果、われわれは八方ふさがりの人類滅亡への道をひたすら歩んでいるのである。

 環境汚染、ストレス、突然死(過労死)、子供たちの逆襲、金権腐敗、論理観の欠如など、いまの世に起こっていることはすべて、戦後の科学的経済至上主義のもとで、「金がすべて」の世の中を築き上げた結果である。それは同時に、多忙に明け暮れる日々の中でわれわれの心のゆとりを忘れさせ、じっくりと物事を考えてこなかった必然的結果なのである。

 こんな生活を続けることが果たして真に価値ある人生だったといえるのかと、私は思うのだ。金はないよりもあった方がいいにきまっているが、いま求められているのは金よりも心の余裕、ゆとりの時間こそが必要なのである。必要でもない物持ちになるよりも、人間にも地球にもやさしい心が必要なのである。題して「お金持ちより時間持ち、モノ持ちよりもココロ持ち」。つまり、その信条は、ボロは着てても心は錦であり、「いい生活」より「いい人生」をということであり、「ナンバー・ワン」になろうとする競争意識よりも、他人と比較しない「オンリー・ワン」の独自の世界を持つ生き方ということである。

 

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