「司馬遼太郎をやさしく読む」
司馬さんの「憂え」そして『願い』
こうした美意識を問うた司馬さんだっただけに、小説の執筆をやめてしまってからの司馬さんは対談などで文明論的な視点から、現代人が失ってしまった倫理観や気概を憂え、自己の利欲だけに走る今日の日本人に警鐘を鳴らすことが多くなった
たとえば、いみじくも最後の対談となった『日本人への遺言』(対談者田中直毅氏・「週刊朝日」1996年3月/1.8日号)で、こんなことを言っている。
「(私の)家の横にネギ畑がありました。…・・老人が二百坪ほどの畝を作り、宅地転用になる時期を待っていて、それまでの間、ネギを植えているという感じでした。(土地の値上がりだけを待っている。)ネギ畑を眺めていて、どうやら労働の価値というものはこれで終わりだなと思ったのです。ネギを作っている老人の心はささくれだっいるだろう。労働の価値が吹っ飛び、ものを作る喜びもない。このまま日本全国がそうなれば我々が千年以上もの長い間に培ってきたモラルが崩壊するなと思いました。」
「(山口敏夫氏を批判して)土地を投機対象に使ったり、転がしたりするということは、良くないことだとどこかで思ってくれれば、ああいう顔にならずにすむんですが、山口敏夫さんはなにが悪いんだという顔でした。(略)資本主義を野放しにすれば猛獣の食い合いになるということはわかります」
対談の話題は、どこかタガが外れてしまった現代日本の現状を憂え、土地問題から官僚腐敗、住専問題まで及ぶのだが、司馬さんが一貫して嘆いているのは、ここまで腐りきった国家の指導者や日本人の倫理観の喪失についてだった。
そして、最後のこういうのだ。
「次の時代なんか、もうこないという感じが、僕なんかにはあるな。ここまで闇をつくってしまったら、日本列島という地面の上では人は住んでいくでしょうけれども、堅牢な社会を築くという意味では難しい。ここまでブヨついて緩んでしまったら、取り返しがつかない」
司馬さんのテーマは、日本及び日本人を追求したものだったが、過去の日本人、特に侍の美意識を書けば書くほど、現代の日本人の醜さにはほとほと嫌気がさしていたのであろう。
そして、その思いが冒頭に記した「二十一世紀に生きる君たちへ」を書かせ、未来を担う子供たちに次代を託したのである。少しその文章を引用してみるー。
司馬さんはまず、「人間は、自分で生きているのではなく、大きな存在によって生かされている。」として、自然を破壊しつづけてきた現代人の放漫さを叱咤し、子供たちには自然との共生を訴える。そしてこういうのだ。
君たちはいつの時代でもそうであったように、自己を確率せねばならない。
──自分に厳しく、相手には優しく。
という自己を。
そして、すなおでかしこい自己を。
(中略)
このため、助け合う、ということが、人間にとって、大きな道徳になっている。
助け合うという気持ちや行動のもとのものは、いたわりという感情である。
他人の痛みを感じることと言ってもいい。
(中略)
この根っこの感情が、自己の中でしっかり根づいていけば、他民族へのいたわりという気持ちもわき出てくる。
(中略)
鎌倉時代の武士達は、
「たのもしさ」
ということを、たいせつにしてきた。人間は、いつの時代でもたのもしい人格を持たねばならない。人間というのは、男女とも、たのもしくない人格にみりょくを感じないのである。
(中略)
以上のことは、いつの時代になっても、人間が生きてゆくうえで、欠かすことができないこころがまえというものである。
無責任で放漫な現代の大人たちに照らし合わせ、司馬さんは子供達に、「自己を確率せよ、自分に厳しく、他人にやさしくあれ、そしてたのもしく生きろ」と、人が人として生きる人生の原則を優しく訴えるのである。