AD物語II 第5話 「トランス・フォーメーション」



〜平松愛理のオールナイトニッポンの想い出〜
 「FUSEのTAKUのANN」の後番組として、  91年の春から始まったのは、「平松愛理のANN」。  ディレクターは、「TAKUのANN」と同じく、  サウンドマンの高橋さんです。  この「平松愛理のANN」には、結構エピソードがありまして・・・
 平松愛理さんというと、彼女の代表曲「部屋とYシャツと私」で、  お分かりの通り(?)、  ちょっと年上の  恋愛経験豊富なお姉さん。  ・・・て感じのイメージだったんですね。  ま、もっとも、ANNが始まった頃は、  「部屋とYシャツと私」も発売されてなかったし、  「結婚」もされてなかったんですが・・・。  で、番組開始当初の内容も「女の子からの恋愛相談」みたいなことをやってたんです。  ところが、毎週の深夜放送に、平松さんが体調を崩しちゃいまして、  生放送が出来なくなっちゃったんですな。  仕方なく、ディレクターの高橋さんが考えたのが、  放送日の夕方に、録音をする・・・という方法。  だが、ここで、ラジオの神様のいたづらが!
 平松愛理のANNが放送されていた頃、  ボクは、まだ「学生AD」でした。  でも、担当していた番組は、  「大槻ケンヂのANN」と「平松愛理のANN」の2本だけだったので、  夏休みなんかは、結構ヒマで、家でゴロゴロしてたわけです。    しかし、図体のでかいボクが、始終、家にいるのが、  母親は相当目ざわりだったらしく、 「ヒマなら、別のバイトでもしといで!」  ・・・と、ケツをひっぱたかれてしまいましたとさ。  「めんどくせーなー。外、暑っち〜し、楽なバイトねーかなあ。」  ・・・新聞やバイト情報誌をひっくり返してみても、  楽な仕事は、往々にして、バイト料が安いのは、今も昔もかわりません。  同じ時間働くのなら「少々辛くても割高な仕事」を、  選んでしまうのは、人間の性というモノです。  ・・・そうか?  結局ボクが決めたのは、近くの鉄工所でのバイトです。  辛いじゃん。  暑いじゃん。  疲れるじゃん。  ・・・いいんです。給料良かったから。  何よりよかったのは、工場長がやさしい人で、  「平松愛理のANN」の録音がある金曜日を休ませてくれたことです。  で、ある日の木曜日、スキップ踏みながら(?)のバイトの帰り道、  ふいにいやーな気分が僕を襲ってきます。  なんだろう、このいやーな気分は。  今日、何か別な約束があったような気がしたんだけど・・・。  もう、気になって気になってしょうがありません。  スキップも止まっちゃってます。  あっ!  ポッケから、  「平松愛理のANN・録音スケジュール」  と書かれた紙切れを取り出し、急いで、確認。  今週だけ、録音、木曜だった!!  ・・・ボクが、何の連絡もせずに仕事をすっぽかしたのは、  あとにも先にもこの時だけです。  だってしょうがないじゃん!!  毎週金曜の録音だったのに!!  この時だけ、木曜なんてぇ!!  ずるいよ〜、ずるいよ〜ぉ!!
 この録音になってからの「平松愛理のANN」では「恋愛相談電話」をやめ、  毎週「ゲストコーナー」が設けられていました。  今思うと結構すごいゲストの人が来てたんですが、  中でも驚くべきは、  「ZARD」の坂井泉水!!  ちょうどデビュー曲の「Good-Bye My Lonelyness」が発売になった時期で、  そのプロモーションとして、ゲスト出演してたんですよね。  今、ほとんど、彼女はマスコミに出てこないじゃないですか?  ちゃんと見ておけばよかったなあ。  、ほとんど覚えてないんだよなあ。
 こうして、いろいろと番組形態を変えていった、  「平松愛理のANN」も「半年」という短い寿命でした。  ・・・何故かって?  彼女は、結構「霊感」が強いらしく、  収録スタジオに入ってくるときなんかに、  「あ、このスタジオ、なんかいる・・・。」  なんて言ってたんですよ。  そんなに「霊感」が強いってんなら、  地下の「シャワールーム」で収録しよう、と調子に乗るスタッフ。  前に「有楽町本社」の「怪談」を書いたことがありましたが、  あの「シャワールーム」には、本当に「何か」がいます。  地下のシャワールームで収録・生放送をした番組は、  そのあとの改編を乗り切れず、番組打ちきりになる・・・。  ・・・の「ジンクス」どおり、  「平松愛理のANN」は、改編を乗り切れず、  番組終了となってしまったのでした・・・。  あな、怖ろしや・・・。
 続く  1997/12/04

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