AD物語III 第4話 「お台場脱出作戦」



 東京都というところは、実に雪に弱い。
 札幌なんて大都会なのに、1年のうち3分の1は雪に埋もれている。
 それなのに、人々はごくふつうに毎日を送っている。
 いくら慣れていないとはいえ、
 いくら年に1日か2日のこととはいえ、
 東京は雪に弱すぎではないか。
 だいたい去年の反省を今年に生かそうという努力がまるで感じられない。
 おそらく今年も、去年と同じように、
 大雪の日には、飛行機が飛ばなくなり、電車が止まり、
 そして、お台場は、陸の孤島と化すのだ。

 1998年1月8日(木)。  関東地方は、夕方から大雪。  車道にも雪が積もり始めていた。  午後から「街角天気予報」の中継に出ていた僕は、  午後6時前後、レインボーブリッジにいた。  ご存じない方もいらっしゃるかもしれないので解説しておくと、  レインボーブリッジというのは、2層構造になっており、  上層部分が「首都高11号線・レインボーブリッジ」という高速道路であり、  下層部分が「一般道・レインボーブリッジ」なのであり、  その下層部分の中央を「新交通・ゆりかもめ」が走っているのである。  このとき、我々がいたのは、下層の方、つまり「一般道レインボーブリッジ」である。  大雪の夕方、お台場に向かうこの道が空いていようはずがない。  芝浦側から台場側まで、びっちりと混んでいる。  どうやら、台場側で、交通事故のようだ。  どこのバカだ、こんな日に事故ってやがるのは。  いや、こんな日だから、事故ったのか。  窓の外は、牡丹雪。  車道にも隣の車にも我々の乗った中継車にも、  見る見るうちに、雪が積もっていく。  これからは外の気温も下がっていく。  非常にやばい状況だ。  あ。  トラックがおなか見せて寝っ転がっちゃってるよ。  レインボーブリッジって結構スロープが急なのに、  スピード出しちゃうやついるんだよなあ。  こんな雪の日に、スピード出しちゃダメだって。  こりゃ、渋滞するわなあ。  雪降ってきて、トラックまで大はしゃぎ・・・なのか?  ♪トラック喜び腹見せまくり、ネ〜コはこたつでま〜るく〜なる〜  いやー、参った、参った。  はっはっはっは。雪、最高。  愉快、愉快。  ・・・・。  そんなこと言っている場合ではない。
 午後6時半。ニッポン放送着。  雪は降り止む気配がない。  それどころか、ますます強くなっているようだ。  これはちょっとやそっとでは止まないであろう。  とりあえず、ニッポン放送24階のサウンドマンデスクに向かう。  果たしてそこには、どのように家に帰るか迷っている人間が数名いた。  「いやー、参ったねー。どうやって帰るかねー。」  「ホント、ホント、どうっすっかな。」  「おい、ちょっと報道行って、交通情報聞いてこいや。」  「レインボーブリッジで、トラックひっくり返ってましたよ。」  「マジ? まずいじゃない。帰れないじゃない。」  「聞いてきました!」  「で?」  「レインボーブリッジはすでに封鎖になっています。」  「うーむ、やはり。」  「どうします?」  「バスは・・・ダメだな。」  「ええ、時間通りにくるとは思えませんね。」  「あとは、ゆりかもめと地下鉄とタクシー・・・か。」  「ゆりかもめは論外でしょう。いつ止まることやら。」  「そうですね。車内に閉じこめられたら、お終いですからね。」  「うむ。さて・・・どうするか。」  下の地図を見ていただきたい。  中央の赤い「+」がニッポン放送のあるお台場フジテレビビルである。  これを見ればすぐに分かると思うが、  お台場は完全なる人工島である。  この人工島と、東京本土をつないでいるのは、  1.芝浦へ向かう「レインボーブリッジ」  2.有明へ向かう「国道357号線」  3.大井へ向かう「東京港トンネル」  この3カ所だけとなる。  
お台場周辺部の道路地図。 PKOから帰った柘植さん、橋落とすのにご活用下さい。
 このほかに、フジテレビビルのすぐそばを通る地下鉄「臨海副都心線」という手段もあるが、  この地下鉄がつながっているのは、新木場駅。  そこから乗り換える「JR京葉線」も強風や雪にきわめて弱い。  このような自然災害の際には、頼りにならない交通といえる。  いや、新木場からさらに地下鉄を乗り継ぐという手もあるが、面倒だ。イヤだ。  だいたい僕のポッケにはわずかなお金しか入ってないのだ。  乗り継ぎが多いとお金を消耗する。  こんなことならお金おろしておくんだった。  そうすれば、タクシーに乗って首都高湾岸線を東に向かって走れば万事OKだったのに。  千葉の家まで帰ると、1万5000円ぐらいかかるけど(苦笑)。  午後6時半の段階で、レインボーブリッジは通行止めである。  同じレインボーブリッジを使用している「ゆりかもめ」もまもなく止まることであろう。  まず1つ目の帰宅手段がつぶされた。  さて、どうやって帰宅するか。  このフジテレビビルの向かいの駐車場には、僕の車が停めてある。  自慢ではないが、世界で3本の指に入る走破能力を持つ四駆である。  東京程度の雪なら、モノともしないで帰れるはず。  スタッドレスタイヤならね。  そう。  僕はスキーにも行かなきゃ、オフロード走行もしない。  タイヤはどノーマルじゃ。  車は、世界最高級でも、乗る人間が素人だ。  いくらなんでも、ノーマルタイヤじゃ心許ない。  自走で帰る手段も、消えた。  有明に向かって「国道357号線」を使うルートはどうだろう。  これも、上記の「臨海副都心線」と同様、  たどり着く先は「新木場駅」だ。  ですから、京葉線はダメなんですって。  ちなみに、千葉県を走る災害に弱い電車ベスト3は、  JR・京葉線  JR・内房外房線  私鉄・京成線  台風や雪ですぐ止まる。  ま、これで決まった。  使うルートは「3」の「東京港トンネル」だ。
 サウンドマンデスクに集まっていた人間のほとんどが、  「東京港トンネル」を使用するルートを選択した。  大井から大森に出れば、JRや私鉄など、複数の交通機関を選択する事ができる。  また、みんなで一緒に行動すれば、タクシー代を割り勘にできる。  ところが、外に出てみてビックリ。  タクシーがまるでいない。  どうやら、このお台場に来ると、脱出不可能という情報が流れているらしい。  ここにつながる道路は、すべて、チェーン規制。  急に積もりだした雪だけに、チェーンを携帯していないタクシーが多かったようだ。  それでも、なんとかかんとか、2台のタクシーをゲット。  東京港トンネルから大井を経て、JRの大森駅に到着。  ふう、何とか、お台場を脱出することに成功。  しかし、神様はまだまだ僕の前に、大きな試練を用意してくださっていた。
 大森駅から京浜東北線に乗り込む。  ここから品川に出て、総武快速線に乗ることができれば、  あとは、僕のお家、千葉まで一直線。  電車でGO!  しかし。  品川駅に降り立ってみると、  そのライフラインとも言える「総武線・総武快速線」が動いていない。  ぎょぎょぎょ。  もっとも信頼性の高い、電車が動いていない。  んじゃ、そりゃあ。  さあ、どうしよう。  まごまごしている時間はない。  このままでは、山手線・京浜東北線もいつ止まるか分からん。  最後の手段だ。  動いている可能性「0」のアイツにかけてみるか。  京成電鉄。  そう、京成線だ。  地震、雷、台風、雪、土砂崩れ・・・・、  ありとあらゆる自然災害に弱い。  弱々の電車。  「世界弱々電車選手権」が行われたら、ベスト8に確実に残るであろう電車。  「JR京葉線」と「JR内房外房線」もベスト8に残ってるんだけどね。きっと。  品川駅から山手線に乗り、上野へ。  京成線に乗り換えるだけなら、  西日暮里駅で駅舎から出ずに乗り換え可能だが、  この状況下。  途中の駅から乗ったのでは、大混雑の可能性がある。  事実、この山手線も乗車率240%だ(推定)。  ここは一番、京成上野線始発駅の上野に向かおう。  困ったときは、上野駅なのだ。  故郷の訛り懐かし停車場の人混みの中に其を聞きに行く・・・である。  石川啄木である。おっと知識がこぼれちゃったぜ、である。  啄木だって、困ったときは上野駅に行ったのだ。  ていうか、この辺で、関東地方以外の読者は、  地名や路線名が分からず、チンプンカンプンになっていることと思うが、  頑張ってついてきて欲しいモノである。
 京成上野駅で、僕は奇跡を見ていた。  あーんびりーばぼー。  なんと、あの京成線が動いているのである。  「北斗晶のノーザンライトボム」  「チャパリータASARIのスカイツイスタープレス」  「大雪の日に京成電鉄が動いていた」  これが僕が今まで見た奇跡のベスト3。  この京成線のおかげで、僕は無事に帰宅できた。  月着陸船のおかげで生きて還ってこられたアポロ13の乗組員の気持ちがちょっと理解できた。  思えば、死んだおじさんが勤めていたのが、この京成線だったっけ。  叔父貴、あんたのおかげで、オレは家族のもとに帰れるぜ。  センキュー。  この日の帰宅、23時半。  実に、お台場を出てから、4時間半が経っていた。
 翌日、雪は大量に残っていたが、自分の車で帰ることにしてみた。  かなり深い雪が積もっているところもあるようだったが、  僕の車は難なく走ることができた。  よ。さすが、世界で3本の指に入る四駆。  て、おい!  これなら、昨日、自走して帰れたじゃん。  あんな苦労しないでよ!
 続く  2000/01/26

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