AD物語III 第9話 「翔べ!160ワイド」
中継忍者隊 ラジオカー(※注1)
(原曲:科学忍者隊ガッチャマン)
誰だ 誰だ 俺だー!(※注2)
空のかなたに踊る影
青い車の ラジオカー(※注3)
命をかけて 飛び出せば
中継忍法「2段でお願いしまーす!」(※注4)
飛べ 飛べ 飛べ 160ワイドぉ!(※注5)
行け 行け 行け 400ワイドぉ!(※注6)
地球はひとつ 地球はひとつ
おお ラジオカー ラジオカー
誰だ 誰だ おまえだー!(※注7)
海の地獄に潜む影
赤い車の ラジオカー(※注8)
嵐をさいて 雲きれば
中継忍法「バラシで行きまーす☆」(※注9)
飛べ 飛べ 飛べ 160ワイドぉ!
行け 行け 行け 400ワイドぉ!
地球はひとつ 地球はひとつ
おお ラジオカー ラジオカー
誰だ 誰だ あいつだー!(※注10)
ビルの谷間に忍ぶ影
黄色い車の ラジオカー(※注11)
夕日を浴びて かけだせば
中継忍法「支局受けで。」(※注12)
飛べ 飛べ 飛べ 160ワイドぉ!
行け 行け 行け 400ワイドぉ!
地球はひとつ 地球はひとつ
おお ラジオカー ラジオカー(※注13)
(※注1)この歌は、ラジオカー1号車のドライバー・古野氏がカラオケに行った際、即興で作成されたモノであり、
文面化されたデータが残っているわけではないので、正確な歌詞ではないかもしれない。作者のありったけ
の記憶を元に再現されたリメイク盤である。
(※注2)この歌が作成された当時のラジオカー1号のドライバーは岩崎氏。ていうか、岩崎氏がラジオカーのドライ
バーを辞める際に行われた飲み会の席上でこの歌は作成されたわけであり、次期ラジオカー1号のドライバ
ーに内定していた古野氏もこの飲み会に出席。この歌を作成するに至った。2000年5月現在も1号車の
ドライバーは古野氏。
(※注3)ラジオカー1号は、歴代ニッサン車が採用され、青い塗装を施される。2000年5月現在の1号車は、セ
フィーロのワゴン車。車やバイクの改造マニアの古野氏が乗っているため、内外装ともに細かなチューニン
グがなされ、より使いやすくなっている。
ラジオカー1号
(※注4)「中継忍法2段」の説明の前に、ニッポン放送が使用している中継用電波の説明をせねばなるまい。ニッポ
ン放送は160メガヘルツ帯と400メガヘルツ帯の2つの中継用ワイド波を所有している。中継地の状況
によってこれらを使い分けるわけだが、場合によってはこの2波を両方使用しなければならないときがある。
例えば、中継地がきわめて遠いような時。ニッポン放送まで距離がありすぎて電波が飛ばない。こんな時利
用するのが「中継忍法2段」である。中継現場からラジオカーで400メガヘルツ帯の電波を出す。その電
波をニッポン放送と中継現場の間に置かれた中継車(ラジオカーよりハイパワーな電波を出せる車)が受信。
中継車は、受信した電波を160メガヘルツ帯の電波に変え、ニッポン放送まで飛ばす。
(※注5)電波状況が芳しくなく、本社までなかなかクリアに中継電波が飛ばない時、中継チームの誰もがこう願って
やまない。後生だから、素直に飛んでくれよ・・・と。
(※注6)400ワイドも上記に同じである。
(※注7)この歌が作成された当時の2号車のドライバーは棟渡(むなわたり)氏。2000年5月現在の担当ドライ
バーは、美しいフィリピン人の奥さんを持つ鈴木氏。道路が渋滞したときの口癖は、
「(中継現場に)着かないかもしれませんねぇ〜。」
お願いですから、笑顔でそう言うのはカンベンしてください。
(※注8)ラジオカー2号は、歴代トヨタ車が採用され、赤い塗装を施される。2000年5月現在の2号車は、ビス
タのワゴン車。ラジオカー1号車・2号車は、数年前にパワーアップかが図られ、それまで、最大5ワット
までの出力の電波しか出せなかったが、このパワーアップ化で、最大50ワットの出力の電波が出せるよう
になったのだ。でも、50ワットなんぞという強力な電波を出すと、そのご近所のテレビの映りが悪くなっ
たりしてクレームの原因。ていうか、そんな電波浴び続けてたら体に悪いに違いない。ま、トラックの運ち
ゃんが使用している超強出力のトラック無線(違法)よりはマシ・・・か。
ラジオカー2号
(※注9)電波状況が芳しくなく、中継車もいなくて、「中継忍法2段」が使用できないとき。この中継忍法が使われ
る。ラジオカーのドライバーとディレクターは、ラジオカーの中継機器(電波発信機・アンテナ等)を車か
ら降ろし、高いところ(ビルの屋上等)に上ぼり、そこから電波を出す。より高いところから電波を出せば、
ニッポン放送本社までそれが届く確率は上がる。
ラジオカーから機器を「バラシ」て、中継を行うため、この忍法名で呼ばれる。「バラシ」の時は、体力を
大量に使うので、みなうんざりである。
ちなみにこれが大出力を誇る中継車。
通称:ランクル(そのままやんけ!)
(※注10)この歌が作成された当時の3号車のドライバーは松島(まつしま)氏。2000年5月現在でも担当ドライ
バーは松島氏。スキューバ・ダイビングをこよなく愛し、ラジオカーの中には、常にダイビング関係の雑誌
が積まれている。
(※注11)ラジオカー3号は、歴代マツダ車が採用され、黄色い塗装を施される。2000年5月現在の3号車は、カ
ペラ。現在唯一残されたセダンタイプの中継車であり、最古参でもある。1号車・2号車の実験機と言って
もよく、それまでのラジオカーには使われていなかったニューテクノロジーが初めて導入された車。近いう
ちに新車導入の噂あり。電波の最大出力は、1号・2号の実験機だったためか(?)、25ワットと、やや
低め。それでも従来の5ワットよりはマシ・・・と導入当時はみんなが大喜びしたものである。
ラジオカー3号
(※注12)電波状況が芳しくなく、中継車もいなくて、さらに周りを見回しても高い建物が無く、「中継忍法2段」も
「バラシ」も使用できないとき。それでもラジオカーのドライバーとディレクターは、諦めてはいけない。
なにもニッポン放送まで電波を飛ばす必要はないのである。ニッポン放送本社の他にも、霞ヶ関ビルや、新
宿の高層ビル、サンシャインビル等にも受信基地はある。さらに、ニッポン放送の横浜支局にも受信基地は
設置されている。焦らず騒がず「支局受け」を考えてみることも必要である。
(※注13)ラジオカーのドライバーのみなさん、本当にご苦労様です。これからもよろしくお願いいたします。
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