ケースリポート2

2002年日本矯正歯科学会大会にて「プロ金管楽器奏者を矯正治療した3例」としてポスター発表したものから1例を掲載します。そのときの文章をそのまま掲載しますので、専門用語でわかりにくいかもしれませんが、最後に説明をします。発表した一部の写真、文章は省略しました。

可撤式矯正器具で前歯1本のみ移動したホルン奏者の例

初診時

初診時年齢38歳の男性。 主訴は上顎右側中切歯の捻転。学生時の口腔模型に比べ捻転の度合いが強くなっており2〜3年前より気になるようになった。これにより中低音域が演奏しにくくなったと来院。

<初診時所見>顔貌所見:口唇閉鎖はスムーズであるがわずかに上唇の突出感がある。口腔内所見:AngleII級。上顎右側中切歯の捻転と下顎右側第一小臼歯の頬側転位を除いては、目立った叢生はない。上下前歯部には咬耗が認められ、切縁は鋭利な斜面を形成している。セファロX線写真所見:骨格的にはSNAが大きく、上顎前歯がやや舌側に傾斜している。上顎中切歯正中が右側に偏位している。

初診時の口腔内

 

初診時の演奏状態

中音域(実音C)でmpでロングトーンした状態で撮影

 

下記の実線は咬合時、青線が演奏時での重ね合わせ

 

<診断・治療方針>叢生を伴う軽度のII級2類不正咬合。演奏の障害となっていると考えられる上顎右側中切歯の捻転のみを改善する。目的の上顎前歯以外は動かさず、演奏に支障のないよう可撤式装置で改善する。年に数回しか来院できないが長期間かけて穏やかに動かすことで歯の変化に演奏が無理なく適応できることを期待する。

<治療経過>上顎アクティブプレートを夜間使用する。使用開始前に21|12のストリッピングを行う。同時に切縁を0.5mm削合した。その後は年に数回のペースで来院し、同部のストリッピングを行った。装置使用開始1年4ヶ月後、微調整と保定をかねてソフトリテーナーに変更した。

治療経過

使用した装置

アクティブプレート 微調整と保定のためのソフトリテーナー

治療後

<治療結果>上顎右側中切歯が舌側に移動し上顎前歯部の叢生は改善した。上顎中切歯の削合によりオーバーバイトが減少した。

治療前後の変化

治療前 治療後

SNA
SNB
ANB
FMA
FMIA
IPMA
U1-SN
OP-SN
InterIncisor
overjet
overbite

84.0
77.5
6.5
26.0
56.5
97.5
92.0
17.0
140.0
5.0
6.5

84.0
77.5
6.5
26.5
56.5
97.5
89.0
18.5
143.0
4.0
6.0

治療後の口腔内

治療後の演奏状態

 

 

<治療中の演奏面での留意点>

上顎アクティブプレートを入れる時点で、21|12のストリッピングを行ったが、その直後から、問題があった音域で改善が多少みられた。これは特に上顎右側中切歯遠心面を削合して唇側への突出が減少したためと考えられるが、咬耗のために薄くなった中切歯の切縁が欠けやすい状態だったために削合し、0.5mm短くなったことの影響もある可能性がある。

歯の変化による演奏への支障は全くなかった。

年に数回しか来院できないため治療期間が長くかかったが、穏やかな歯の移動のため、無理なく歯の変化に演奏が適応できたと考えられる。通常、月に1度の通院で同様の治療を行った場合、3〜4ヶ月で移動は終了できるが、その場合でも特に演奏に問題が出ることはほとんどない。

<治療による奏法の変化>

結果的に、問題のあった中低音域に改善がみられた。治療前は、緊張状態を保ったまま中低音を吹くと音が鳴らず息が漏れてしまったが、下顎の動きがスムーズになり音質が以前(歯の捻転が強くなる前)の状態に戻ってきたとのこと。また、上唇の右側のコントロールが効くようになった感覚がある。

マウスピースの位置が口唇の左側にずれていたのが、やや中央に寄った。また、楽器(マウスパイプ)が左に傾いていたが、完全に真っ直ぐにはならなかったものの、傾きの程度が減少した。

演奏時のおける口唇周囲の筋のバランスが変化し、特に左側の口角を上方に引く筋が過剰に使われていたのが軽減した。

演奏時の下顎位はほとんど変わっていないが、上下前歯の位置関係が変化し、前後的な差が少なくなった。これに伴い、楽器(マウスパイプ)の角度が上向きになった。

楽器の左右のずれの軽減により、演奏時の下顎位の自由度が増したことと、上顎中切歯の舌側移動により演奏時の上下前歯の位置関係が改善したことが、中低音域の改善につながったと予想される。


用語説明)AngleII級:上下第一大臼歯の前後関係が上が前にある状態。IIは本当はローマ数字の2。II級2類不正咬合:上顎歯列と下顎歯列の前後関係が上が前にある状態がII級で(上顎前突)、そのうち上の前歯が前方に傾斜して出ているのが1類で、上の前歯が立っているというか通常より内側に倒れているのが2類。咬耗:上下の歯が噛むことで歯がすり減った状態。SNA:頭に対して上顎の前後的な位置を数字で表す指標。唇側・頬側ー舌側:外側ー内側。21|12:上の前歯4本を数字で表すとこうなる。ストリッピング:歯の脇の面をわずかに削って隙間を作る。


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