島春二十代句抄(4

 

昭和三十年(二十三歳)

 

冬夜空何も無し甘い唾が湧く

悩む額に当てたる冬の金属は

紫のガラスのボタン少女の冬

冬暁や部屋中の影溶けてゆく

雲暗き冬田の水を舐める犬

日向ぼこ黄色な空を夢みけり

皹に泣きし幼き頃は淨かりき

コーヒーがくすぐる脈や寒の雨

生まれたるばかりの馬糞寒夕べ

大寒や鶏冠を握る手なき鶏

猫二声汽笛一声夜半の寒

目刺噛むよい歯よい指幸ひに

俳句する心ともなく目刺噛む

春寒や唇に置く指我がもの

白昼の野火を見て居て刻涜す

野火始末夕日に眼細めけり

梅日和人群がりて丘均す

駆けり来て音なき野辺の陽炎に

陽炎を感じくすぐったく歩く

ふと脇の本落し陽炎ふ野中

春の雪ためらふ如く手に乗り来

春風やネオンが点けば寒うなる

水温む喫水深き船見れば

母ぬくくぬくき子抱き春霰

樹の裏と表に人が凭り芽吹く

吾が心丸く硬くて春枯木

春眠や畳の日射煙らせて

苛立つや春雨の壁打ち湿り

春の星どこかのラジオ絶叫す

花の上烈しく鳩の羽ばたくも

身を振ってゆくハイヒール鐘霞む

捨てられて塵汚からず芦の角

つばくらや髪刈って出てやるせなし

懶惰なる爪で眉掻く麦は穂に

おたまじゃくしが擽ったい徒食の手

八重桜翳にまみれて夕寒し

眉薄れ行く老人に蝶乱舞

蜷覗く水に己がゆらりとす

身篭りて若葉の影の重き髪

椿二つ三つ落ちし間を泣きにけり

春昼や子どもの言葉迸る

雲遅し草笛を吹き嗄らしても

雄大な春の雲眉剃りこんで

人葬る営みすすむ松の花

春泥に汚れ歓ぶ女児であり

薔薇闌けて吾が若さ追ひ詰めらるる

葱坊主夕日は靄に溺れ居て

声高に話した後の春没日

板のやうに疲れた瞼青嵐

夏来る風走り行く鼻先に

若葉冷えて中年の固まりし貌

五月田の鷺のくちばし吾を指す

夏痩や風吸ひ込めば胸眩し

新緑の感じに吾が目玉も加ふ

新樹より抽き出でし想ひ直ぐに消ゆ

新樹の中の風の中なる胸安らぐ

声抛る子ら去にて蝙蝠高し

虹掛けてチャペルにありし新鮮さ

働いてゐる頭脳に窓の虹太し

五月晴踏切安全に白し

赤土の山の近道五月晴

 

 

昼寝覚広告塔の濡れた曲

口笛は乾き切ったり夏の蝶

夕焼に腕組みすれば鼓動あり

コーヒー店出て炎天が高うなる

炎天の横断歩道背中に子

瞑りて炎天に渦巻かれ居り

炎天の鷺羽ばたいて己持す

青年期の松炎昼を揺れてゐる

炎天の高さに鷺の翼努む

月見草の歓楽に疲れて戻る

海綿の如く夕立に濡れにけり

夏萩にきらめきのぼる埃かな

元来夢幻的遊園地白雨来る

手花火へ遠き山並みよりの風

崖下の道のきらめき蝉の領

晩夏天日金歯に呵々大笑せられ

炎天へ下着扁平に干し並べ

町の子に町の蜻蛉は直ぐに発つ

新開地尚虚ろなる蟲の闇

眉にある露けさに上目で星を

花野にて遇ひし神父の毛深き手

月曜は白きリボンの秋の風

葡萄吸ひし舌縮み朝日の眩し

石数個あり昼の蟲滲まする

石遠く抛り音無し秋の海

秋の海へ冷たき膝を向けてゐる

坂上る歩々のたのしさ秋日和

鴉群れて何事もなき秋の暮

三日月を見つめる彼に声掛けず

ポストに手食はせがてらに月仰ぐ

少年の不安にぴたり細き月

わびしさを少年知りぬ蓼の花

耳たぶに糸のよな風蟲名残

夕べ澄み電車非情に走り去る

谷底へ下り行くことの秋深く

空耳に木琴の音露の中

秋の蛇母高き声失はず

句帖持てば秋の蛙のうめき居り

産卵すこほろぎに感情を見る

癖つきし髪切らんとぞ秋の雨

ミルク飲みし口生臭し霧の中

霧を来て女小鳥の瞼持つ

シネマ出てこの世の夜霧亦深し

秋の沼思ひぞ篭めし礫打つ

熟柿舐め居て眠り薬の効き来り

うす煙る煙突は初冬であり

吾が胸に向き背き敗荷の伏す

銀杏散るや今居し子ども今はなし

らんらんと霜に陽射しや罪なき吾

宗教の冬とどろかす太鼓に病む

守る人の辛き人生朝焚火

坂歩く幼児木の葉降り吝まず

山眠る這はねばならぬ路ありて

冬草に降る日オルガン鳴る如し

母の吸殻子が踏んで消す寒き土

ストーブの熱線劣等感に浴び

ストーブに話題なる胃が熱過ぎる

ストーブぬくかりき何を語りしか

枯葉吹き寄る交番の灯のやや暗く

冬の虹近く右脚のみが立つ

弟子の手が師に示しけり冬の虹

 

 

 

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