[INDEX]

翁の文

富永仲基
(關儀一郎編纂『解説部 第二』 日本儒林叢書 東洋圖書刊行會 1929.9.25)
※ 〔 〕に節番号を付した。(*入力者注記)
※ 序の送り仮名、本文ルビはNDLデジタルコレクション公開本を参照した。
※ NDL本は、内藤湖南が複製し、湖南の跋と亀田次郎(吟風)の識語を合綴する。
 for IPA Font-families  縦書表示用

  翁の文序(林師良)   序(全機居士)   翁之文序(伴礼玄幹)   序(伴〔富永〕仲基)   本文   跋(内藤湖南)   識語(亀田吟風)
[TOP]

翁の文序

過しころ伊加須利のみや(*坐摩宮)の邊に翁ありけり。其姓名はしらず。ある人のいへるをきけば、才ありかしこく、常に夜學を好て、ねよとの鐘はひゞくにも、机によこおれて(*丸くなって)、小夜ふくるも知らず、あかつきの雁の聲きくなり。文を友として隣の人さへしらずしもありしとかや。德ある人には必ことばありと、富永の伴のなにがし、時雨ならでまた問ものもなき戸ぼそを折節に音信(*おとづれ)て、きける物がたりを書あつめ、題して翁の文と名づく。やつがれが家居軒ちかければ、みよとて示されけるを、所も渡邊(*ますほの薄の故事を伝えたという渡辺聖)の翁の文なれば、登連(*登蓮法師)がふるごともおもひ出られて、とりあへずみれば、誠に印度の教は、薪つきて消る火のことはり(*薪尽火滅)、月ならぬ指(*指月の譬)を拂ひ、聖のみちは、大本位育(*「中庸」に説く中和の道)の極にねざし、文國の文を嫌ひ、吾國の神のいにしへをあふぎ、後人の附會をしりぞけ、三輪川の淸き唐衣のこと(*「発心集」等に伝える玄賓僧都の逸話)までもしれりける人ならでは、此文のおもむきは、えもいひけむやとおしはからるれ。めづらしき文なれ共、かんな(*仮字)に書つゞりたれば、人のなをざりに見過さむ事をおしくて、師良(*林師良)の老のくりごとに、みじかき筆してつたなく書添る事しかり。
延享改元(*一七四四)神無月の比

[TOP]

(序)

夫三教とは何の道ぞや、誠の道とは何の道ぞや。此翁何邊の事を觧してか、好肉上に瘡を剜る(*「無門関」)や。まことに道の不レ明、なんぞたゞ千百年のみならんや。明と不明と摠に烏有に屬す。しかるに二三の良友此翁を讃歎してやまず。又蛇足をそへられたるはなんぞや。余もとより翁の名もしらず形もみねば、何を讃歎すべきよしをしらず。唯吾友子仲(*富永仲基の字)の従上來不傳の妙道(*釈迦以来伝えられた不立文字の教え)をつぎて、人の爲に老婆心切なるをみるのみ。しからば子仲と翁と趣同じきや異なるや。ことならば、なんぞ翁にかたぬぎして、家の教にもなすべきといはんや。もし同じといはゞ、子仲に辜負す(*背く)べし。世人這裡におゐて一隻眼を具して、大黄の甘をかみ得ば、子仲をしること、おもひ半に過む。是を子仲の序といひ、これをおきなの序といふ。もし妙道をしらんとせば、天邊の月に問取せよ(*「碧巖録」)。
延享甲子(*延享元年)十月望
浪華全機居士 (*川井立牧)書

[TOP]

翁之文序

昔シ有リ二神儒佛一焉。各敷テ二其教ヲ一、以導キ二其昏墊(*苦シミ)一、使三皆有二依テ以テ昭明ニスルヿ一也。而シテ風移リ俗易リ、敦龎(*高く厚い)純固ニ、男女底シレ豫ヲ(*たのしみをいたし。「孟子」)、説クレ之ヲ者モ亦歎息シテ稱シレ之シ、靑史氏モ亦保シテレ之ヲ、而後世貌スルレ道ヲ者モ亦奬スレ之ヲ。至テレ今ニ故家收ノレ燼ヲ。無二賢不肖一、皆是レ依ル矣。今也知叟决起シテ、一タビ號ビ二乎斯ニ一。又將レ使ント三斯ノ民ヲ有二一變スルヿ一。不リキレ圖ラ言フノレ道ヲ之至リ二於斯ニ一也、出テ二於其類ニ一、拔キ二於其萃ニ一、古今道樞一ナラントハ也。今叟與二三教一、其意豈ニ異ナランヤ乎。予有テ二將父之勤一、未レ遑アラ二暇慮ニ一。不レ知ラ自レ今或ハ聞テ二知叟ノ之道ヲ一、而風移リ俗易リ、敦龎純固ニシテ、男女底シレ豫ヲ、説クレ之ヲ者モ亦共ニ嘆息シテ稱シレ之ヲ、靑史氏モ亦共ニ能ク張二大ニシテ斯ノ道ヲ一保スルヿレ之ヲ、若ク二三教ノ一然ルヤ乎否ヤ、可ンヤ二堅白ス一乎否ヤ。方テ二今ノ之世ニ一、鮮シ二貌スルレ道ヲ者一、而シテ貌與二不貌一、所レ不レ論ゼ也。吾觀ルニ二知叟之言ヲ一、天下必ズ有ラン二擧テ而奬スルレ之ヲ者一。一タビ聞ケバ二斯ノ業ヲ一、則使ン下斯ノ民也善敗自ラ明ニシテ、始・衷・終皆無ラ上レ愆。惟レ乃チ吾黨ノ之微言、有三誕ヒニ(*大に)稗二補スルヿ於天下ニ一者也。嗚呼、有レバ二斯民一、有二斯道一。由テ二今ノ之道ニ一、易フ二今ノ之俗ヲ一、亦タ何ノ難キノ之有ラン。其レ唯叟カ乎。獨リ於テ二斯道ニ一莫キレ有ルヿ二夭閼スル一而已。不レ知ラ在昔シ三教ノ之起ル、亦如クレ此ノ美ナルヤ乎否ヤ。惟レ三年春三月、郷人將下論二撰シ知叟ノ之言ヲ一、耀二明ニシテ之ヲ天下ニ一、以テ爲ント中斯ノ民ノ之紀ト上也。令ム二予ニ有一レ言。言ノ之諄〻タル、是レ予不才ナリ。雖ヘドモ二則チ不才ナリト一、今也於テ二斯道ニ一同フスル二宮羽ヲ一者ノハ、唯叟ト曁(と)レ吾有ルカレ之レ也歟。
賀古  伴禮玄幹 撰


[TOP]

翁の文

(端書)

此文は、ある翁(おきな)のかきたるものなりとて、朋友(ほうゆう)の本(もと)よりかして見せたる也。かゝる末(すえ)の世とはいへど、かしこき翁もありけり。三教(さんきやう)の道の外(ほか)に、又誠(まこと)の道といふことを、主張(しゆちやう)して説出(ときいで)たり。げに此言(このことば)のまゝに従(したが)ひ行(おこな)はむに、又何(なに)の過(あやま)ちは、あるまじきものをと、仲基(なかもと)ははや此翁に肩ぬぎして思はるゝなり。翁の名はなにとかいふと問へど、しれずとて告(つげ)ざれば、よしなし。古(いにしへ)のいはゆる、隱居(いんきよ)して言(こと)を放(ほしいまゝ)にするものの、その類(たぐひ)なるべし。吾家(わがいへ)の教(をしえ)ともなし、又人にも傳(つた)へむとて、始終(はじめをはり)みなかきうつしぬ。
元文三年(*一七三八)十一月
伴のなかもと寫す

[TOP]
〔一〕 今の世に、神儒佛(しんじゆぶつ)の道を三教とて、天竺(てんぢく)・漢(から)・日本(につぽん)、三國ならべるものゝ樣(やう)におぼへ、或(あるひ)はこれを一致(いつち)ともなし、或はこれを互(たがひ)に是非(ぜひ)して爭(あらそ)ふことにもなせり。しかれども道の道といふべき道は、各別(かくべち)なるものにて、此(この)三教の道は、皆(みな)誠の道にかなはざる道也としるべし。いかにとなれば、佛(ぶつ)は天竺の衢(みち)、儒は漢(から)の道、國(くに)ことなれば、日本の道にあらず。神(しん)は日本(にほん)の道なれども、時(とき)ことなれば、今の世の道にあらず。國ことなりとて、時ことなりとて、道は道にあるべきなれども、道の道といふ言(ことば)の本(もと)は、行(おこな)はるゝより出たる言(ことば)にて、行はれざる道は、誠の道にあらざれば、此三教の道は、皆今の世の日本に、行れざる道とはいふべきなり。
・右は第一節なり。
〔二〕 佛者(ぶつしや)の物(もの)ごと天竺をまなびて、己(をのれ)をも修(おさめ)め(*ママ)、人をも化度(けど)すれども、はや梵語(ぼんご)をつかひて説法(せつぽう)をもなし、人もこれを會淂(ゑとく)したるためしはあらず。まして調度(てうど)より家造(やづくり)にいたるまで、天竺に一(ひと)つもたがはぬ樣(やう)にせんことは、おもひもよらず。天竺は偏袒(へんたん)(*肌脱ぎ)して合掌(がつしやう)するを禮(れい)として、股膝(またひざ)なども露見(ろけん)するを端正(たんせう)なりとせり。されば經(きやう)にも、踝膝(くはしつ)露現(ろげん)、陰馬藏(おんまざう)(*おんめざう。陰藏)とものせたり。人のかくれ(*陰部)のきたなきをも、あらはしてかくさゞるをよしとす。佛者(ぶつしや)は皆かゝることをも、はゞからずなすべきなり。
右は第二節なり。
雖(いへども)二是(これ)我語(わがごと)一、於(おひて)二餘方(よはうに)一不(ずんば)二淸淨(しやうじやうなら)一、不(ざれ)レ行(おこなは)無(なし)レ過(あやまち)。雖(いへども)レ非(あらずと)二我語(わがごに)一、於(おいて)二餘方(よはうに)一淸淨者(しやうじやうならば)、不(ず)レ得(ゑ)レ不(ざるを)レ行(おこなは)(*「五分律」)と説たれば、全(まつた)く其國(そのくに)の風俗(ふうぞく)を變(へん)じて天竺を学(まな)べと、佛(ぶつ)もをしゆるには非(あら)ず。然(しかる)に日本の佛者の、諸事(しよじ)天竺をうつし学ばむとて、此(この)國に不相應(ふさうおう)なることをのみ行ふものは、皆其道にもあたらぬことなり。翁(おきな)はこれをにくみて、嘲弄(てうろう)をなしたるなり。
〔三〕 又漢(から)にては、肉食(にくじき)を重(おも)とすれば、儒(じゆ)者は牛羊(うしひつじ)などを畜(かひ)置(おき)て、常(つね)に料理(りやうり)すべきなり。その献立(こんだて)も、禮(れい)の内則(だいそく)にかきたるを、考(かんが)へてなすべきなり。婚禮(こんれい)には親迎(しんげい)をなすべきなり。祭(まつり)には、尸(かたしろ)をおくべきなり。又その衣服(いふく)にも、深衣(しんえ)(*しんい。儒者の着る服。)を用(もち)ひて、頭(かしら)には章甫(しやうほ)(*殷代の冠。儒者の冠とする。)などをきるべきなり。今の身には上下(かみしも)をきて、髪(かみ)をなでつけにしたるは、漢の形(かたち)にあらず。尤(もつとも)儒者は、唐音(とうゐん)をつかひて、漢文字(からもじ)を用(もち)ゆべきなり。唐音(とうゐん)にもさま〴〵あれば、周(しう)の代(よ)の魯國(ろこく)の音(ゐん)をまなぶべきなり。漢文字も品(しな)おほければ、古文(こもん)・籀文(ちうもん)・科斗(くはと)(*蝌蚪。篆文)の文(ぶん)などを用ゆべきなり。
右は第三節也。
素(して)(*基づく、従う)二夷狄(いてきに)一而行(おこなふ)二夷狄(いてきを)一(*「中庸」)ともいひ、又禮(れい)は従(したがふ)レ俗(ぞくに)ともいひ、又禹(う)は袒(かたぬぎして)入二裸國(らこくに)一(*「戦国策」)ともいへば、全(まつたく)く(*ママ)其(その)國俗(こくぞく)を変(へん)じて、漢(から)の真似(まね)をせよと、儒者(じゆしや)もいふにはあらず。然(しかる)に、日本(につぽん)の儒者の、諸事(しよじ)漢の風俗(ふうぞく)に似せむとて、此國にうとき事のみ行(おこなふ)ものは、又真(まこと)の儒道(じゆどう)にも當らぬ事也。
〔四〕 扨また日本のむかしは、人に向(むか)ひて手を拍(う)ち四拜(しはい)するを禮(れい)とし、枚手(ひらで)(*大嘗会の際などに供える器。柏の葉を重ねて作る。)とて柏(かしは)の葉に飯(いひ)をもりてくらひ、喪(も)には歌をうたひ、泣(なき)しのび、喪を除(のぞ)きては、川へ出(いで)て祓(はらい)をなしたり。神(しん)を學(まな)ぶ人は、ヶ樣(かやう)の事ひとつ〳〵、昔(むかし)にたがはぬやうに考(かんが)へ行(おこな)ふべき也。今の世に用(もち)ゆる金銀錢(きんぎんぜに)などいふ物も、本(もと)神代(じんだい)にはなきものなれば、神(しん)を學ぶ人は、これをもすてゝ、用(もち)ひざるをあたれりとす。又今の衣服(いふく)も、呉服(ごふく)とて呉國(ごこく)より傳(つた)へたるなれば、これをも用(もち)ひざるをよしとす。又物(もの)いふにも、神代(じんだい)の古語をよく覺(おぼ)えて、父(ちゝ)をかぞ、母(はゝ)をいろは、爾(なんぢ)ををれ、衣服をしらは(*未詳)、蛇をはゝ(*未詳)、疾(やまひ)をあつしれる(*篤しる)など、物事みなことやうにいひて、又その名をも、なに彦(ひこ)・何姫(なにひめ)の命(みこと)と、皆ことやうに付(つく)べきなり。
右は第四節なり。
左(ひだり)を右(みぎり)にする事なかれ、右を左にする事なかれといへば、今の風俗(ふうぞく)を変じて、太古(たいこ)のやうにせよと、神道もいふにはあらず。然に今の神道の、諸事昔の事を手本(てほん)として、あやしくことやうなることのみをするものは、又その道にも當(あた)らぬ事也。野々宮(のゝみや)宰相公(さいしやうこう)(*野宮定基か。『定基卿記』『黄白問答』等を著す。)の、今の神道は、皆神事にて、誠(まこと)の神道にはあらずとの給しとぞ。誠に今の世の道は、皆神事・儒事・佛事の戲(たはぶ)れごとのみにて、誠の神道・儒道・佛道にはあらざるなり。もし此おきなのふみと、又宰相公のことばなからましかば、仲基(なかもと)もこのこゝろは、つくまじきものとおもはる。
〔五〕 かくこれをいへば、嘲(あざけり)てきよくりごと(*未詳)する樣(やう)にも聞(きこ)ゆれども、その道々を學ばむからは、みなかくあるべき事なりとする也。これをたとへていはゞ、五里十里へだてたる近き國所(くにどころ)の風俗さへ、うつし習(なら)ふことはかたきものなるに、まして漢天竺(からてんぢく)のことを日本へまなばむとし、又五年十年すぎたるほどの近き事さへ、覺(おぼ)えたる人はすくなきものなるに、まして神代のことを今の世にならはんとするものは、皆甚(はなは)だなるまじきことの、大におろかなる事どもなり。たとひそれを能(よく)學得(まなびゑ)て、露(つゆ)ほどもたがはずありとも、人の宜(うべ)しかりとて、又今の世に會得(ゑとく)すべきことにもあらず。されば此三教の道は、みな今の世の日本に行(おこな)はるべき道の道にはあらず。行はれざる道は道にあらざれば、三教(さんきやう)はみな誠の道に叶(かなは)ざる道なりとしるべし。
右は第五節なり。
〔六〕 しからばその誠の道の、今の世の日本(にほん)に行はるべき道はいかにとならば、唯(たゞ)物(もの)ごとそのあたりまへをつとめ、今日の業(わざ)を本とし、心(こゝろ)をすぐにし、身持(みもち)をたゞしくし、物いひをしづめ、立(たち)ふるまひをつゝしみ、親(をや)あるものは、能(よく)これにつかふまつり、
翁(おきな)の自注(じちう)に云く、六向拜經(ろくかうはいきやう)を見るべし。專(もつぱら)五倫(ごりん)のことをときたり。又儒者(じゆしや)も是(これ)を重(おも)きところとなせり。又神令(しんりやう)(*江戸時代に発見された神道書。偽)にも、此五種(いつくさ)を載(のせ)られたり。是(これ)誠の道は、三教の道にも、闕(かく)こと能(あた)はざるしるしなりとす。
君(きみ)あるものは、よくこれに心をつくし、子(こ)あるものは、能(よく)これををしえ、臣あるものは、よくこれをおさめ、夫(おつと)あるものは、能(よく)これに従(したが)ひ、妻(つま)あるものは、能これをひきひ、兄(あに)ある者は、能これをうやまひ、弟(おとゝ)あるものはよく是(これ)を憐(あはれ)み、年(とし)よりたるものは、よく是(これ)をいとをしみ、幼(いとけ)なきものは能(よく)これを慈(いつくし)み、先祖(せんぞ)のことを忘(わす)れず、一家(いつけ)のしたしみをおろかにせず、人と交(まじは)りては、切(せつ)なる誠(まこと)をつくし、あしき遊(あそ)びをなさず、すぐれたるをたつとび、愚(おろか)なるをあなどらず、凡(およそ)我身(わがみ)にあてゝ、あしきことを人になさず、するどに(*鋭に)かど〴〵しからず、ひがみて頑(かたくな)からず(*ママ)、迫(せま)りてせは〳〵しからず、怒(いかれ)どもそのほどをあやまらず、喜(よろこ)べどもその守(まも)りを失(うしな)はず、樂(たのし)むで淫(たは)るゝにいたらず、悲(かなし)びて惑(まど)へるに至(いた)らず、ことたるも、ことたらぬも、皆我(わが)仕合(しあはせ)よとそれに心をたり(*足り)、受(うく)まじきものは、塵(ちり)にてもとらず、あたふべきに臨(のぞ)みては、國天下をも惜(おし)まず、衣食(ゐしよく)のよしあしも、我身(わがみ)のほどにしたがひ、奢(おご)らず、しはからず、盜(ぬす)まず、僞(いつは)らず、色(いろ)このみてほふれず(*放れず)、酒飲(さけのみ)してみだれず、人に害(がい)なき者を殺さず、身の養(やしなひ)をつゝしみ、あしき物くらはず、おほく物くらはず、
翁の自注に云く、瑜伽(ゆが)に壽(いのち)未(いまだ)レ盡(つくさずして)死(しする)、有(あり)二九種(くしゆの)因縁(いんえん)一。一ニハ食(しよく)過(すぎ)二度量(どりやうに)一、二ニハ食(しよくす)二於不宜(ふぎを)一、三ニハ不(ずして)レ消(せうぜ)復(また)食(くらふ)など説(とき)たり。論語(ろんご)にも割(きりめ)不(ざれば)レ正(たゞしから)不(ず)レ食(くらは)、不(ざるを)レ時(ときなら)不(ず)レ食(くらは)、不(ず)二多(おほく)食(くらは)一など説(とき)たり。是(これ)皆誠の道を窺(うかゞ)へるもの也。
暇(いとま)には己(おの)が身に益(ゑき)ある藝(げい)を學び、かしこくならんことをつとめ、
翁の自注に云(いは)く、論語に行(おこなひ)有(あれば)二餘力(よりよく)一則以(もつて)學(まなぶ)レ文(ぶんを)ともいひ、又律(りつ)に爲(ために)レ知(しらんが)二差次會(さじゑ)等(とうを)一學(まなぶ)レ書(しよを)。新學(しんがくの)比丘(びくは)開(ゆるす)レ学(まなぶを)二筭法(さんぽうを)一ともいへり。是(これ)も亦(また)誠の道を窺(うかゞ)へるもの也。
今の文字(もじ)をかき、今の言(ことば)をつかひ、今の食(しよく)物をくらひ、今の衣服を着(き)、今の調度(てうど)を用ひ、今の家(いえ)にすみ、今のならはしに従(したが)ひ、今の掟(おきて)を守(まもり)、今の人に交(まじは)り、もろ〳〵のあしきことをなさず、もろ〳〵のよき事を行ふを、誠の道ともいひ、又今の世の日本に行はるべき道ともいふなり。
右は第六節なり。
これらのことは、皆儒佛(じゆぶつ)の書(しよ)に説(とき)ふるしたる事どもにて、今更(いまさら)各別(かくべつ)にいふべきにあらねども、今翁(おきな)の新(あらた)に我(わが)いひ出(いで)たることのやうに説(とき)なし、人に無用(むよう)のことを捨(すて)て、直(たゞち)にその誠の道を指示(さししめ)したる、その志(こゝろざし)誠にたふとぶべし。
〔七〕 扨(さて)此(この)誠の道といふものは、本(もと)天竺より來(きた)りたるにもあらず、漢(から)より傳(つた)へたるにもあらず、又神代(かみよ)のむかしに始(はじま)りて、今の世に習(なら)ふにもあらず、天よりくだりたるにもあらず、地(ち)より出(いで)たるにもあらず、只今日の人の上(うへ)にて、かくすれば、人もこれを悅(よろこ)び、己(をのれ)もこゝろよく、始終(はじめをはり)さはる所なふ、よくおさまりゆき、又かくせざれば、人もこれをにくみ、己(をのれ)もこゝろよからず、物(もの)ごとさはりがちに、とゞこほりのみおほくなりゆけば、かくせざればかなはざる、人のあたりまへより出來(いでき)たる事にて、これを又人のわざとたばかりて、かりにつくり出(いで)たることにもあらず。されば今の世にうまれ出て、人と生(うま)るゝものは、たとひ三教を學(まな)ぶ人たりとも、此誠の道をすてゝ、一日もたゝん事かたかるべし。
右は第七節なり。
〔八〕 されば又此誠の道をすてゝ、別(べつ)に何(なに)の道もつくり出(いで)がたきしるしには、釋迦(しやか)も五戒(ごかい)をとき、十善(ぜん)をとき、貪瞋癡(とんしんち)の三(みつ)を三毒(さんどく)と名付(なづけ)、孝二養(きやういやうし)父母(ふぼに)一、奉二事(ぶじする)師長(しちやうに)一を三福(さんぶく)の一につらね、諸惡(しよあく)莫作(ばくさ)(*ママ)、衆善(しゆぜん)奉行(ぶぎやう)、自(みづから)淨ム二其意(そのいを)一、是(これ)諸佛(しよぶつ)の教(をしへ)とも説(とかれ)たり。孔子(こうし)も孝弟(こうてい)忠恕(ちうぢよ)を説(とき)、忠信(ちうしん)篤敬(とくきやう)をとき、知仁勇(ちじんゆう)の三(みつ)を三德(さんどく)と名付(なづけ)、懲(こらし)レ忿(いかりを)、塞(ふさぎ)レ慾(よくを)、改(あらため)レ過(あやまちを)、遷(うつる)レ善(ぜんに)とも説(と)き、君子(くんしは)坦ニシテ蕩蕩(たう〳〵)、小人ハ長〳〵戚々(せき〳〵)とも説(とか)れたり。又神道の人も、淸淨(せうじやう)・質素(しつそ)・正直(しやうじき)と説(とき)たり。是等は皆(みな)誠の道にも叶(かな)ひ、いたれることばの、ひがことにもあらぬ、似たる事共なりといふべし。されば三教(さんきやう)を学ぶ人も、かくさへ心得て、ひが〳〵しくあやしく、ことやうなるわざをなさず、人の世にまじらひて、此世をすごしなば、すなはち誠の道を行ふ人なりともいふべし。
右は第八節也。
是(これ)にて翁も本意(ほんゐ)をいひあらはせり。全(まつた)く三教の道をすてんとにはあらじ。只(たゞ)その誠の道を行はしめんとなり。
〔九〕 然(しか)れどもこゝに翁(おきな)が説(せつ)あり。おほよそ古(いにしへ)より道をとき法(ほう)をはじむるもの、必ずそのかこつけて祖とするところありて、我より先にたてたる者の上を出んとするが、その定(さだま)りたるならはしにて、後(のち)の人は皆これをしらずして迷(まよ)ふことをなせり。
右は第九節也。
〔十〕 釋迦(しやか)の六佛(ろくぶつ)を祖(そ)とし、然燈(ねんとう)(*釈迦の過去世の仏)を思ひ出(いだ)して、生死(しやうじ)を離(はな)れよとすゝめられしは、それより先の外道(げどう)どもの、天を祖(そ)として、これを因(いん)に修(しゆ)すれば升(のぼ)りて天に生(むま)るゝと説たる、其上を出たるものなり。それより先の外道(げどう)共も、皆互(たがひ)にその上(うへ)を出(いで)あひたるものにて、欝陀羅(うつだら)(*釈迦の師の一人。欝陀羅羅摩子)が非非想(ひひさう)をときたるは、阿羅羅(あらら)(*釈迦の師の一人。阿羅羅迦蘭)が無所有處(むしようしよ)の上を出たるものなり。その無所有處(むしようしよ)の説(せつ)は、又それより先の識處(しきしよ)の上を出たるもの也。其識處(しきしよ)の説は、又それより先の空處(くうしよ)或は自在(じざい)天等をときたる、其上を出たるもの也。ヶ樣に段々とき出して、天をば三十二までに説(とき)のぼしたり。是はみな外道(げどう)の事にて、同じ釋迦(しやか)の佛法にも、文殊(もんじゆ)の徒(ともがら)が般若(はんにや)の大乘(だいじやう)をつくりて、空(くう)をときたるは、迦葉(かせう)の輩(ともがら)の阿含(あごん)をつくりて有(う)をときたる、その上を出たるものなり。普賢(ふげん)の徒(ともがら)の法華(ほつけ)・深蜜(じんみつ)(*解深密経)などを作り、不空(ふくう)實相(じつさう)をときて、それを成道(じやうどう)四十餘(よ)年の後の説法(せつぽう)にかごつけ(*ママ)たるは、又文殊(もんじゆ)の説(せつ)の空(くう)の上を出たるものなり。其次に華嚴(けごん)をつくりたるものゝ、成道(じやうどう)二七日の説法にかごつけて、日輪(にちりん)のまづ諸大・山王を照(てら)すにたとへたるは、又これを成道の始(はじめ)にかごつけて、諸法(しよほう)の上を出たるものなり。其次に涅槃(ねはん)をつくりたるものゝ、涅槃(ねはん)一晝夜(ちうや)の説法(せつぽう)にかごつけて、醍醐(だいご)の牛乳(ぎうにう)より出るにたとへたるは、諸法を合(あは)せて其上を出たるものなり。又金剛薩埵(こんがうさつた)の大日如來(だいにちによらい)にかごつけて、法華(ほつけ)を第(だい)八、華嚴(けごん)を第九とたて、釋迦の説法(せつぽう)を皆顯教(けんきやう)を名付たるは、是は諸法をはなれて又其上の上を出たるもの也。又頓部(とんぶ)の經(きやう)の、一切煩惱(いつさいぼんのう)、本來自離(ほんらいみづからはなる)。一念不生(いちねんふしやう)、即是成佛(すなはちこれじやうぶつ)などいひ、又禪宗(ぜんしう)に四十餘年(よねん)所説(しよせつ)の經卷(きやうくはん)は、みな不淨(ふぢやう)を拭(のご)ふ破(やぶ)れ紙(がみ)などいひ出たるは、これは諸法を破(やぶ)りて、又其上の上を出たるものなり。是をしらずして、菩提留志(ぼだいるし)(*菩提留支)は、釋迦の一音(おん)、色(いろ)いろにきこえたるなりといひ、又天台(てんだい)は、釋迦の方便(ほうべん)にて、一代(だい)の中(うち)に、説法が五度かはりたるといひ、又賢首(げんしゆ)(*賢首(けんじゆ)大師。法蔵)は、衆生(しゆじやう)の根機(こんき)にしたがひて、其傳(つたふ)る所(ところ)おの〳〵ことなりと心得(こゝろえ)られたるは、共(とも)に大(おほひ)なるとりぞこなひのひがみたる事どもなり。此(この)始末(しまつ)をしらむとおもはゞ、出定(しゆつぢやう)(*出定後語)といふ文(ふみ)を見るべし。
右は第十節なり。
〔十一〕 又孔子の、堯舜を祖述(そじゆつ)し、文武(ぶんぶ)を憲章(けんしやう)して、王道(わうだう)を説出(ときいだ)されたるは、是(これ)は其(その)時分(じぶん)に、齊桓晉文(せいくはんしんぶん)のことをいひて、專(もつぱ)ら五伯(ごは)(*春秋五覇)の道を崇(たつと)びたる、其上(うへ)を出たるものなり。又墨子(ぼくし)の同じく堯舜を崇びて、夏(か)の道を主張(しゆてう)せられたるは、是は又孔子の文武(ぶんぶ)を憲章(けんしやう)せられたる、その上を出たるものなり。扨又楊朱(ようしゆ)が帝道(ていどう)をいひて黄帝(くはうてい)などを崇(たつと)びたるは、又孔墨(こうぼく)の説れたる王道の上を出たるものなり。許行(きよかう)が神農(しんのう)を説(とき)、莊列(さうれつ)の輩(ともがら)の無懷(ぶくはい)・葛天(かつてん)、鴻荒(こうくはう)(*太古)の世を説(と)きたるは、又皆その上の上を出たるものなり。是等は皆異端(いたん)のことにて、同じ孔子の道にも、儒分れて八(やつ)となるとあれば、さま〴〵に孔子にかごつけて、皆(みな)その上を出(いで)あひたるものなり。告子(こうし)(*ママ)が性(せい)無(なく)レ善(ぜん)、無(なし)二不善(ふぜん)一と説(とき)たるは、世子(せいし)(*文王世子か。)が性(せい)有(あり)レ善(ぜん)、有(あり)レ惡(あく)と説たる、その上を出たるものなり。又孟子(もうし)が性善(せいぜん)を説(とき)たるは、告(こう)子が性無レ善、無二不善一と説(とき)たる、その上を出たるもの也。又荀子(じゆんし)が性惡(せいあく)を説たるは、又孟子(もうし)が性善(せいぜん)を説たる、その上をいでたるものなり。樂正子(がくせいし)が孝經を作りて、曾子(そうし)の問答(もんだう)にかごつけて、孝(こう)を主張(しゆてう)して説(とき)たるは、又もろ〳〵の道をすてゝ、孝(こう)へおとしこめたるものなり。是(これ)をしらずして、宋儒(そうじゆ)は皆これを一なりと心得、近頃(ちかごろ)の仁斎(じんさい)は、孟子(もうし)のみ孔子(こうし)の血脉(けつみやく)を得(え)たるものにて、餘他(よた)の説(せつ)は、皆邪説(じやせつ)也(なり)といひ、又徂徠(そらい)は、孔子(こうし)の道はすぐに先王(せんわう)の道(みち)にて、子思(しし)・孟子(もうし)などはこれに戻(もと)れりなどいひしは、皆大なる見ぞこなひの間違たる事どもなり。此始末(しまつ)をしらんと思はゞ、説蔽(せつへい)(*富永仲基の書。散佚。)といふ文(ふみ)をみるべし。
右は第十一節なり。
翁(おきな)はかく説(とき)たれども、孔子の文武を憲章して王(わう)道を説(とか)れたるは、五伯(ごは)の道の功利(こうり)をのみ崇(たつと)びて、事(こと)皆僞(いつは)りに馳(はし)るを患(うれ)へて也。わざと巧(たく)みてその上を出んとには非(あら)ざるべし。又釈迦の六佛を祖(そ)として、生死(しやうじ)を離(はな)れよと説(とか)れたるも、それより先(さき)の外道(げどう)共の皆眞實(しんじつ)の道に非(あら)ざるを患(うれ)へて也。わざと巧(たく)みて上を出たるには非(あら)ざるべし。もしも又翁(おきな)の言(ことば)のごとく、わざと巧みてその上を出たるものならば、釈迦・孔子とても皆(みな)とるにたらざるものといふべし。
〔十二〕 扨(さて)又神道(しんとう)とても、みな中古の人共が神代(じんだい)の昔(むかし)にかこつけて(*ママ)、日本(にほん)の道と名付、儒佛の上を出たるものなり。譬(たと)へていはゞ、天竺の光音天(くはうおんてん)、漢(から)の盤古氏(ばんこし)の時分(じぶん)にも、佛といひ儒といふ、一廉(ひとかど)の定(さだま)りたる道のあるにはあらず、佛といひ儒といふも、皆後(のち)の世の人が、わざとかりに作(つく)り出たることゞもなれば、神道とても又神代(かみよ)のむかしにあるべきには非(あら)ざる也。其最初(さいしよ)に説(とき)出たるを兩部(りやうぶ)習合(しゆがう)といふ。儒佛の道を合せて、能程(よきほど)に加减(かげん)して作(つく)りたるものなり。其次に出たるを本迹(ほんじやく)縁起(えんぎ)といふ。これは其時分に、神道の起(をこ)りたるをねたみて、佛者の徒(ともがら)が陽(よう)には神道を説(とき)て、陰(ゐん)にはこれを佛道へ落(をと)しこめたるものなり。扨其次に出たるを、唯一(ゆいいち)宗源(そうげん)といふ。これは儒佛の道を離(はな)れて、唯(たゞ)純一(じゆんいち)の神道を説たるもの也。此三部(ぶ)の神道は、皆中古の事共にて、又近頃(ちかごろ)に出たるを、王(わう)道神道といふ。是は神道の道とて、各別(かくべつ)に其道あるにはあらず、王道が乃(すなはち)神道なりと説(とき)たる也。又或(あるい)は、陽(やう)には神道を説て、陰(いん)には儒と一つなる神道も出たり。是等(これら)はみな神代の昔にはなき事なれども、かやうに説かこつけて、互(たがい)に其上を出あひたるものなり。是(これ)をしらずして、愚(おろか)なる世(よ)の人の、皆誠の道と心得、其身にもひがことをし、たがひに是非(ぜひ)して爭(あらそ)ふことにもするは、氣毒(きのどく)にも、笑止(せうし)にも、またはおかしうも、翁(をきな)が心にはおもふなり。
右は第十二節なり。
〔十三〕 扨又三教(きやう)にみなあしきくせあり。是をよく辨(わきま)へて迷(まよ)ふべからず。
右は第十三節なり。
〔十四〕 佛道のくせは、幻術(げんじゆつ)なり。幻術は今の飯縄(いづな)(*咜祇尼天〔荼枳尼天〕を祀り、管狐を使って憑き物を行う幻術。飯綱使い。)の事(こと)なり。天竺はこれを好(この)む國(くに)にて、道を説(とき)人を教(おし)ゆるにも、これをまじえて道びかざれば、人も信(しん)じてしたがはず。されば釋迦(しやか)はいづなの上手(じやうず)にて、六年山に入て修行(しゆぎやう)せられたるも、そのいづなを学ばむとてなり。又諸經(しよきやう)にいへる、神變(しんぺん)・神通(じんつう)・神力(じんりき)などいふも、皆いづなの事にて、白毫光(びやくがうくはう)の中(うち)に三千世界(さんぜんせかい)をあらはし、廣長舌(くはうちやうぜつ)を出して梵天(ぼんてん)まであげられたるなど、又維摩詰(ゆいまきつ)が八萬四千(はちまんしせん)の獅子座(ししざ)を方丈(はうじやう)の内(うち)に設(もう)け、神女が舍利弗(しやりほつ)(*釈迦の十大弟子の一人)を女になしたるなど、皆そのいづなをつかひたるものなり。さてそれよりいろ〳〵のあやしき、生死(しやうじ)流轉(るてん)・因果(ゐんぐは)をとき、本事(ほんじ)本生(ほんしやう)未曾有(みぞうう)(*ママ)をとき、奇妙(きめう)なる種々(しゆ〴〵)の説(せつ)をせられたるも、皆(みな)人に信(しん)ぜられんがための方便(ほうべん)なり。是は天竺の人をみちびく仕方(しかた)にて、日本にはさのみいらざる事也。
右は第十四節なり。
翁はかく説たれども、神通(つう)と飯縄(いづな)とは相違(さうゐ)ある事也。飯縄は術(じゆつ)より出て、神通(つう)は修行(しゆぎやう)より出(いづ)ることなり。されども翁の言むべなりとす。
〔十五〕 又儒道のくせは、文辭なり。文辭とは、今の辯舌(べんぜつ)なり。漢(から)はこれを好む國にて、道を説き人を導(みちびく)にも、是を上手にせざれば、信(しん)じて従(したが)ふ事なし。たとへていはゞ、礼(れい)の字(じ)を説にも、本は冠昏喪祭(くはんこんさうさい)の礼式(れいしき)をこそ、礼とはいふべきに、それを爲(たるの)二人子(ひとのこ)一之礼、爲(たるの)二人臣(ひとのしん)一之禮と、人の道にもいひ、又視聽(してい)言動(げんどう)の上にもいひ、又礼は天地の別(べつ)なりなど、天地にまでかけていふにてしるべし。又樂(がく)の字なども、只鐘皷(かねつゞみ)を鳴し慰(なぐさ)むことなるに、それを樂(がく)といひ、樂(がく)といふ、鐘皷(しやうこ)をしもいはむやなどいひ、又樂は天地の和(くは)なりなどいふにてもしるべし。又聖(せい)の字なども、本は只智慧(ちゑ)のある人をいふ言(ことば)なるにそれをいひひろめて、人間の最上(さいじやう)、神変(しんぺん)もあるものゝ樣にいひなせり。孔子の仁(じん)をはり、曾(そう)子の仁義(じんぎ)をはり、子思(しし)の誠(まこと)をはり、孟子(もうし)の四端(したん)・性善(せいぜん)を説き、荀子(じゆんし)の性惡(せいあく)をとき、孝經(こうきやう)の孝(こう)をとき、大学の好惡(こうあく)を説、易(ゑき)の乾坤(けんこん)をときたるなど、皆なにともなき心安(やす)きことどもを、辯舌(べんぜつ)仰山(ぎやうさん)にときなし、人におもしろくおもはれて、したがはれんとするの方便なり。漢の文辭は、すぐに天竺の飯縄にて、これもさのみ日本にはいらざる事なり。
右は第十五節なり。
翁はかく心安きこと共と説たれ共、道の至(いた)れる事(こと)あるは、翁も知ざらんや。又秘授(ひじゆ)のたやすく傳へがたきことあるも、翁はしらざらむや。翁の此ことばに惑(まど)ひて、本意(ほんい)を失(うしな)ふべからず。
〔十六〕 扨又神道のくせは、神秘(しんぴ)・秘傳(ひでん)・傳授(でんじゆ)にて、只物をかくすがそのくせなり。凡(およそ)かくすといふ事は、僞盜(いつはりぬすみ)のその本にて、幻術(げんじゆつ)や文辭は、見ても面白(おもしろく)、聞(きゝ)ても聞(きゝ)ごとにて、ゆるさるゝところもあれど、ひとり是くせのみ、甚(はなは)だ劣(おと)れりといふべし。それも昔(むかし)の世は、人の心すなほにして、これをおしえ導(みちび)くに、其(その)便(たより)のありたるならめど、今の世は末(すゑ)の世にて、僞盜(いつはりぬすみ)するものも多(おほ)きに、神道を教(おしゆ)るものゝ、かへりて其惡を調護(てうご)することは、甚(はなは)だ戻(もと)れりといふべし。彼(かの)あさましき猿樂(さるがく)・茶(ちや)の湯(ゆ)樣(やう)の事に至るまで、みな是を見習(なら)ひ、傳授(でんじゆ)・印可(ゐんか)を拵(こしら)へ、剩(あまつさへ)價(あたい)を定(さだ)めて、利養(りよう)のためにする樣になりぬ。誠(まこと)に悲(かなし)むべし。然(しかる)にその是(これ)を拵(こしら)へたる故を問(とふ)に、根(こん)機の熟(じゆく)せざるものには、たやすく傳(つた)へがたきがためなりとこたふ。是も聞(きこ)ゆるやうなれども、其かくしてたやすく傳(つた)へがたく、又(また)價(あたい)を定(さだ)めて傳授(でんじゆ)するやうなる道(みち)は、皆誠の道にはあらぬ事(こと)と心得(こゝろえ)べし(*ママ)。
右は第十六節なり。

翁の文 終
延享三年(*一七四六)春二月
大阪高麗橋壹丁目
冨士屋長兵衛 行

[TOP]

(跋)

余少小已讀富永仲基出定後語深服其學有家法又聞其著有翁之文物色之三十餘年未能獲但萩原廣道編遺文集覽(*「近世名家遺文集覧」)録仲基翁之文叙(*「翁の文のはしがき」を掲載。)猪飼敬所緒環稱翁之文在神儒佛三教外別倡誠道具有特識又嘗讀江戸千住人橋本律蔵書文雄上人非出定後云舊蔵翁之文教内田銀蔵子録副内田銀蔵君者故文學博士内田君父也余因勸博士檢其先世蔵書博士諾之未果而即世然以是益知世猶有此書未必佚亡也歳甲子一月龜田吟風學士獲此書於大阪一書估余聞之驚喜急東學士借閲且請自任仿印之役學士見允乃以玻璃板印之板蹙原幅者僅二三分其餘盡如原刻此書所論大旨与出定後語三教章同而加詳焉仲基又有説蔽一書専論儒墨以下百家競起所由今已佚而不傳讀此書可淂其梗槩矣其於神道又論兩部惟一諸派迭出所由皆与出定後語論教起前後同其揆而斷其道可道為可行於是邦可行於今時者猶孫卿法後王之義玉於持之有故言之成理過古諸子遠矣吟風學士獲此後数旬我京都大學山鹿司書官亦獲此書鈔本於猪飼敬所舊蔵書中石濱學士純亦發淡路人贈五位仲野君安雄遺書獲此書手鈔本書尾云盖為大阪道明寺屋三郎兵衛作相傳仲基通稱道明寺屋吉左衛門其實吉左衛門者為仲基父芳春及長兄毅齋所通稱以行輩論仲基稱三郎兵衛殆乎信而有徴仲野君与仲基並世齡長於仲基其所傳聞不當有誤也龜田君求余跋此書因遂書如此甲子六月内藤虎   (内藤虎印陽刻)(湖南陽刻)
余少小ニシテ已ニ讀ミ二富永仲基ノ出定後語ヲ一、深ク服ス三其ノ學有ルニ二家法一。又聞キ三其ノ著ニ有リト二翁之文一、物-二色スルコト之ヲ一三十餘年、未ダレ能ハレ獲ルコト。但シ萩原廣道編スル遺文集覽(*「近世名家遺文集覧」)ニ録シ二仲基ノ翁ノ之文ノ叙ヲ一(*「翁ノ文ノハシガキ」ヲ掲載。)、猪飼敬所ノ緒環ニ稱ス下翁之文ノ在リテ二神儒佛三教ノ外ニ一、別ニ倡ヘ二誠ノ道ヲ一具-中有セルヲ特識ヲ上。又嘗テ讀ム下江戸千住ノ人橋本律蔵書シテ二文雄上人ノ非出定後ヲ一云ク、舊-二蔵シ翁之文ヲ一、教ムルコトヲ中内田銀蔵ノ子ヲシテ録シテ副ヘ上。内田銀蔵君ハ者、故文學博士内田君ノ父ナリ也。余因テ勸メテ二博士ニ一檢セシム二其ノ先世ノ蔵書ヲ一。博士諾シテレ之ヲ未ダシテ レ果タサ、而即世ス。然レバ以テレ是ヲ益〻知ル下世ニ猶ホ有リテ二此ノ書一、未ダルヲ 中必ズシモ佚亡セ上也。歳甲子一月、龜田吟風學士獲タリ二此ノ書ヲ於大阪ノ一書估ニ一。余聞キレ之ヲ驚喜シテ急ギ東セシメ二學士ヲ一、借閲シ且ツ請フ三自ラ任ゼンコトヲ二【仿印】〔注丨複製〕ノ之役ニ一。學士見レ允サ。乃チ以テ二玻璃板ヲ一印ス二之ヲ板ニ一。蹙(ちかづ)クルコト二原幅ニ一者僅ニ二三分、其ノ餘ハ盡ク如クニス二原刻ノ一。此ノ書所ノレ論ズル大旨与二出定後語ノ三教ノ章一同ジクシテ、而加フレ詳ナルヲ焉。仲基又有リ二説蔽ノ一書一、専ラ論ズ二儒墨以下百家競ヒ起リ所ヲ一レ由ル。今已ニ佚シテ、而不レ傳ハラ。讀メバ二【此ノ書】〔注丨翁の文〕ヲ一、可シレ淂二其ノ梗槩ヲ一矣。其ノ於ケル二神道ニ一、又論ズ二兩部・惟一ノ諸派迭ヒニ出ヅルニ所ヲ一レ由ル。皆与カリ二出定後語ニ一、論ジテ下教ヘノ起ルモノノ二前後ニ一同ジクスルヲ中其ノ揆ヲ上、而斷ズ二其ノ道ノ可キハレ道トス為ルヲ一レ可キモノレ行フ。於テレ是ニ邦可キコトレ行フ二於今時ニ一者、猶ホシ 下【孫卿】〔注丨荀卿〕法リ二後王之義ニ一玉トスルガ上。於イテ二持スルニレ之ヲ有リレ故、言フニレ之ヲ成スニ一レ理ヲ、過グルコト二古ノ諸子ニ一遠シ矣。吟風學士獲テレ此ヲ後数旬、我ガ京都大學ノ【山鹿司書官】〔注丨山鹿誠之助〕モ、亦獲二此ノ書ノ鈔本ヲ於猪飼敬所舊蔵書中ニ一、【石濱學士純】〔注丨石濱純太郎〕モ亦發キテ二淡路ノ人贈五位【仲野君安雄】〔注丨淡路の庄屋。国学者。〕ノ遺書ヲ一獲タリ二此ノ書ノ手鈔本ヲ一。書尾ニ云ク、盖シ為リ三大阪ノ道明寺屋ハ三郎兵衛ヲ作スモノ二相傳ト一。仲基ノ通稱ハ道明寺屋吉左衛門ナリ。其ノ實吉左衛門ハ者、為リ下仲基ノ父芳春ト及二長兄毅齋一所中通稱スル上。以テ二【行輩】〔注丨輩行〕ノ論ヲ一仲基ヲ稱スルガ二三郎兵衛ト一殆(ちか)カランカ乎。信ニシテ而有リトレ徴。仲野君ヲ与二仲基一並ブルニ、世齡長ズ二於仲基ヨリモ一。其ノ所二傳聞スル一不レ當ラ、有ルナリレ誤リ也。龜田君求ム二余ガ跋ヲ此ノ書ニ一。因テ遂ニ書スコト如シレ此クノ。甲子六月、内藤【虎】〔注丨虎次郎〕
余少小にして已に富永仲基の出定後語を讀み、深くその學家法有るに服す。又その著に翁之文有りと聞き、これを物色すること三十餘年、いまだ獲ること能はず。但し萩原廣道編する遺文集覽(*「近世名家遺文集覧」)に仲基の翁の之文の叙を録し(*「翁の文のはしがき」を掲載。)、猪飼敬所の緒環に翁之文の神儒佛三教の外に在りて、別に誠の道を倡へ特識を具有せるを稱す。又嘗て江戸千住の人橋本律蔵文雄上人の非出定後を書して云く、翁之文を舊蔵し、内田銀蔵の子をして録して副へしむることを讀む。内田銀蔵君は、故文學博士内田君の父なり。余因て博士に勸めてその先世の蔵書を檢せしむ。博士これを諾していまだ果たさずして、即世す。然れば是をもつて益〻世になほこの書有りて、いまだ必ずしも佚亡せざるを知る也。歳甲子一月、龜田吟風學士この書を於大阪の一書估に獲たり。余これを聞き驚喜して急ぎ學士を東せしめ、借閲しかつ自ら仿印の之役に任ぜんことを請ふ。學士允さる。すなはち玻璃板をもつてこれを板に印す。原幅に蹙(ちかづ)くること者僅に二三分、その餘は盡く原刻のごとくにす。この書論ずる所の大旨出定後語の三教の章と同じくして、詳なるを加ふ。仲基又説蔽の一書有り、専ら儒墨以下百家競ひ起り由る所を論ず。今已に佚して、傳はらず。この書を讀めば、その梗槩を淂べし。その神道における、又兩部・惟一の諸派迭ひに出づるに由る所を論ず。皆出定後語に与かり、教への前後に起るもののその揆を同じくするを論じて、而その道の道とすべきは行ふべきもの為るを斷ず。是に於て邦於今時に行ふべきこと者、なほ孫卿後王之義に法り玉とするがごとし。これを持するに故有り、これを言ふに理を成すに於いて、古の諸子に過ぐること遠し。吟風學士此を獲て後数旬、我が京都大學の山鹿司書官も、亦この書の鈔本を於猪飼敬所舊蔵書中に獲、石濱學士純もまた淡路の人贈五位仲野君安雄の遺書を發きてこの書の手鈔本を獲たり。書尾に云く、盖し大阪の道明寺屋は三郎兵衛を相傳と作すもの為り。仲基の通稱は道明寺屋吉左衛門なり。その實吉左衛門は、仲基の父芳春と長兄毅齋及通稱する所為り。行輩の論をもつて仲基を三郎兵衛と稱するが殆(ちか)からんか。信にして徴有りと。仲野君を仲基と並ぶるに、世齡於仲基よりも長ず。その傳聞する所當らず、誤り有るなり。龜田君余が跋をこの書に求む。因て遂に書すことかくのごとし。甲子六月、内藤虎
〔漢文エディタ原文〕  余少小ニシテ已ニ讀ミ 2( 富永仲基ノ出定後語ヲ )1 、深ク服ス 3( 其ノ學有ルニ 2( 家法 )1 。又聞キ 3( 其ノ著ニ有リト 2( 翁之文 )1 、物- 2( 色スルコト之ヲ )1 三十餘年、未ダ^能ハ^獲ルコト。但シ萩原廣道編スル遺文集覽(*「近世名家遺文集覧」)ニ録シ 2( 仲基ノ翁ノ之文ノ叙ヲ )1 (*「翁ノ文ノハシガキ」ヲ掲載。)、猪飼敬所ノ緒環ニ稱ス 2{ 翁之文ノ在リテ 2( 神儒佛三教ノ外ニ )1 、別ニ倡ヘ 2( 誠ノ道ヲ )1 具- ┤有セルヲ特識ヲ }1 。又嘗テ讀ム 2{ 江戸千住ノ人橋本律蔵書シテ 2( 文雄上人ノ非出定後ヲ )1 云ク、舊- 2( 蔵シ翁之文ヲ )1 、教ムルコトヲ ┤内田銀蔵ノ子ヲシテ録シテ副ヘ }1 。内田銀蔵君ハ者、故文學博士内田君ノ父ナリ也。余因テ勸メテ 2( 博士ニ )1 檢セシム 2( 其ノ先世ノ蔵書ヲ )1 。博士諾シテ^之ヲ未ダ _シテ_ ^果タサ、而即世ス。然レバ以テ^是ヲ益〻知ル 2{ 世ニ猶ホ有リテ 2( 此ノ書 )1 、未ダ _ルヲ_ ┤必ズシモ佚亡セ }1 也。歳甲子一月、龜田吟風學士獲タリ 2( 此ノ書ヲ於大阪ノ一書估ニ )1 。余聞キ^之ヲ驚喜シテ急ギ東セシメ 2( 學士ヲ )1 、借閲シ且ツ請フ 3( 自ラ任ゼンコトヲ 2( 【仿印】〈NOTE 複製 〉ノ之役ニ )1 。學士見^允サ。乃チ以テ 2( 玻璃板ヲ )1 印ス 2( 之ヲ板ニ )1 。|蹙(ちかづ)クルコト 2( 原幅ニ )1 者僅ニ二三分、其ノ餘ハ盡ク如クニス 2( 原刻ノ )1 。此ノ書所ノ^論ズル大旨与 2( 出定後語ノ三教ノ章 )1 同ジクシテ、而加フ^詳ナルヲ焉。仲基又有リ 2( 説蔽ノ一書 )1 、専ラ論ズ 2( 儒墨以下百家競ヒ起リ所ヲ )1^由ル。今已ニ佚シテ、而不^傳ハラ。讀メバ 2( 【此ノ書】〈NOTE 翁の文 〉ヲ )1 、可シ^淂 2( 其ノ梗槩ヲ )1 矣。其ノ於ケル 2( 神道ニ )1 、又論ズ 2( 兩部・惟一ノ諸派迭ヒニ出ヅルニ所ヲ )1^由ル。皆与カリ 2( 出定後語ニ )1 、論ジテ 2{ 教ヘノ起ルモノノ 2( 前後ニ )1 同ジクスルヲ ┤其ノ揆ヲ }1 、而斷ズ 2( 其ノ道ノ可キハ^道トス為ルヲ )1^可キモノ^行フ。於テ^是ニ邦可キコト^行フ 2( 於今時ニ )1 者、猶ホ _シ_ 2{ 【孫卿】〈NOTE 荀卿 〉法リ 2( 後王之義ニ )1 玉トスルガ }1 。於イテ 2( 持スルニ^之ヲ有リ^故、言フニ^之ヲ成スニ )1^理ヲ、過グルコト 2( 古ノ諸子ニ )1 遠シ矣。吟風學士獲テ^此ヲ後数旬、我ガ京都大學ノ【山鹿司書官】〈NOTE 山鹿誠之助 〉モ、亦獲 2( 此ノ書ノ鈔本ヲ於猪飼敬所舊蔵書中ニ )1 、【石濱學士純】〈NOTE 石濱純太郎 〉モ亦發キテ 2( 淡路ノ人贈五位【仲野君安雄】〈NOTE 淡路の庄屋。国学者。 〉ノ遺書ヲ )1 獲タリ 2( 此ノ書ノ手鈔本ヲ )1 。書尾ニ云ク、盖シ為リ 3( 大阪ノ道明寺屋ハ三郎兵衛ヲ作スモノ 2( 相傳ト )1 。仲基ノ通稱ハ道明寺屋吉左衛門ナリ。其ノ實吉左衛門ハ者、為リ 2{ 仲基ノ父芳春ト及 2( 長兄毅齋 )1 所 ┤通稱スル }1 。以テ 2( 【行輩】〈NOTE 輩行 〉ノ論ヲ )1 仲基ヲ稱スルガ 2( 三郎兵衛ト )1 |殆(ちか)カランカ乎。信ニシテ而有リト^徴。仲野君ヲ与 2( 仲基 )1 並ブルニ、世齡長ズ 2( 於仲基ヨリモ )1 。其ノ所 2( 傳聞スル )1 不^當ラ、有ルナリ^誤リ也。龜田君求ム 2( 余ガ跋ヲ此ノ書ニ )1 。因テ遂ニ書スコト如シ^此クノ。甲子六月、内藤【虎】〈NOTE 虎次郎 〉

[TOP]

(識語)

此書富永仲基所著而湮逸不得見者久矣雖學者竭力索之未有得也今茲玉樹香文房主偶獲之於西京遂歸於予秘笈喜不可禁乃記之大正甲子(*大正一三年〔一九二四〕)一月仲五   吟風(*龜田次郎)識 (龜田之印陽刻)
此ノ書富永仲基所ニシテレ著ス、而湮逸シテ不ルコトレ得レ見ルヲ者久シ矣。雖モ二學者竭シテレ力ヲ索ムト一レ之ヲ、未ダルナリ レ有ラレ得ルコト也。今茲ニ玉樹香文房主偶マ獲二之ヲ於西京ニ一、遂ニ歸ス二於予ガ秘笈ニ一。喜ビ不レ可カラレ禁ズ、乃チ記スレ之ヲ。大正甲子一月仲五   吟風識ス
この書富永仲基著す所にして、湮逸して見るを得ざること者久し。學者力を竭してこれを索むといへども、いまだ得ること有らざるなり。今茲に玉樹香文房主偶まこれを於西京に獲、遂に於予が秘笈に歸す。喜び禁ずべからず、すなはちこれを記す。大正甲子一月仲五
〔漢文エディタ原文〕 此ノ書富永仲基所ニシテ^著ス、而湮逸シテ不ルコト^得^見ルヲ者久シ矣。雖モ 2( 學者竭シテ^力ヲ索ムト )1^之ヲ、未ダ _ルナリ_ ^有ラ^得ルコト也。今茲ニ玉樹香文房主偶マ獲 2( 之ヲ於西京ニ )1 、遂ニ歸ス 2( 於予ガ秘笈ニ )1 。喜ビ不^可カラ^禁ズ、乃チ記ス^之ヲ。大正甲子一月仲五


  翁の文序(林師良)   序(全機居士)   翁之文序(伴礼玄幹)   序(伴〔富永〕仲基)   本文   跋(内藤湖南)   識語(亀田吟風)
[INDEX]