貞丈雜記
伊勢貞丈
(『貞丈雜記』 増訂古實叢書第二囘 吉川弘文館 1928.2.28)
※ 目次見出しを付す。原文ルビをひらがなにしたほか、鈎括弧等を施した。(入力者)
卷之一
一 天下禮法之事 天下の禮法は上古は天子より定め出されて天下の人その禮法を守りし也。鎌倉將軍ョ朝卿より武家の威勢強く公家と二ツにわかれて、公家には公家の禮法を守り武家には武家の禮法あり。京キ將軍義滿公の時に至て彌武家の禮法盛に備はり、公家の外地下の者こと/〃\く武家の禮法を守る事にぞなりける。我先祖伊勢守は代々京キ將軍の政所職をうけ給り、御所奉行を兼勤めし故、將軍家殿中の禮儀作法は皆伊勢守の司どる事なりしかば、將軍家禮法の記録多く傳りしが、應仁の亂に多く燒失てンけり(*ママ)。されども夫より後の書ども家に傳へてあるによりて、京キ將軍の禮法の家と世にもとなへ、伊勢流と人の名付いふ事にはなりたる也。
一 伊勢流之事 我家に傳へ來る所の禮法故實は京キ將軍の御家風なるによりて、流義を名つけていはヾ足利流といふべき事なれども、世上にて左樣にはいはず、伊勢流と云也。
一
禮節之事 禮節と云事貴き人をばつゝしみうやまひ、いやしき人をばあなどらず、同じ位の人をば人を先だてゝ我はへりくだるを禮と云也。うやまふまじき人をうやまふはへつらひ也。いやしむまじき人をいやしむるはおごり也。へつらひもなくおごりもなく、其身の位相應にして、過たる事もなく及ざる事もなくよき程なるを節と云なり。
〔節の字をホドヨシとよむなり。よきほどらゐを云也。〕
一 扇之沙汰 貴人の御前へ出る時扇を腰にさして出る事は古は不禮とせず。扇をつかふ事は無禮也。京キ將軍御代にも中比より扇をさして貴人の御前へ出るを不禮と申ならはしたる樣に舊記に見えたり。配膳などの時は落こぼれたる物などを扇にすへて退く事もある間、配膳にはさしても不苦也。されども世間今は法の如くさゝぬ事なれば、世に隨ふべし。
【頭書】 扇を武家にて貴人の前へさし出る事憚るは上古の風也。續日本紀、
廢帝天平寶字六年八月丙寅御史大夫文室眞人淨三以
[二]年老力衰
ヲ[一]優詔特聽
ス[二]宮中持
[レ]扇策
[一レ]杖。此文宮中に扇を持事をゆるされしなり。後代には扇を朝服の具として、檜扇・蝙蝠など宮中に持つ事になりし也。依て今世とても貴人の前へ出るにはさゝで出る事、上古の故實に叶へり。
一
扇に物を載 扇に物を
載て人に進候事
蜷川記に云、「扇に物をすへ候て進上候時、うらにすへ候哉、表にすへ候哉、かなめを貴人の方へなし申候哉。裏表と定り候てはなく候。鹿の
目の方を我持候て、先を主人へ參候也。」とあり。裏表と定はなけれども、表の方にすへたるが能き也。
軍陣の時は、表に
日輪を書たる扇は、日輪を憚りてうらに物をすゆる也。
一
扇を笏に取 扇をしやくにとると云事、公家にては禮儀を正して物を申さるゝ時は、左右の手にて笏を持てむねのまん中の通りに持て禮儀を申さるゝ也。是禮也。武家は笏を持ざる故、扇を笏の如くに持て禮儀を申事、古の禮也。
年中ゥ大名え御成記に云、「扇をかげに置事不得其意儀ながら、近代如此有來れる間、不及是非。總てしやくの代の心也。されば公家方には御對面の時ももつぱら手に持て被參也。武家方之衆に限り御前へ持間敷に覺悟せり。腰にさしても更に
自由緩怠の儀に非ず。然とて御前にてひらきつかふべからざる也」云々。曾我物語卷六に云、「扇しやくに取なをし、これに曾我の十カ殿御入のよし、父にて候ものうけ給はり、御迎のためよしひでを參らせられて候」云々。此外曾我物語の内所々に扇しやくに取なをしてと云事見えたり。皆禮儀を正し、謹で物申時の事也。古の禮也。
〔宇治拾遺物語卷五に云、「鬢はけたるをのこの六十ばかりなるが、まみのほどなど、そらごとすべうもなきが、うちたる白きかりぎぬにねり色のきぬのさるほどなるきたり、是は給たる
衣とおぼゆる、めし出されてことうるはしく、扇を笏に取てうずくまりゐたり。」又卷十四に云、「刑部
掾といふ廳官、びんひげに白髪まじりたるが、とくさのかりぎぬにあを袴きたるが、いと事うるはしくさや/\となりて、扇をしやくに取てすこしうつぶしてうづくまりゐたり。」〕
【頭書】 笏ハ身ノ眞中ニ有ルヤウニ持テ、我ガ身ノヒズミヲ直スベキ爲ノ定矩ナリ。又君ノ仰ヲ忘レヌ爲ニ書キ付テ、我ガ奏聞スベキ事ヲ書出仕スル事モアリシ也。笏紙トテ右ノ書付ノ紙ノ押シヤウ、公家ニ習アリトゾ。
江家次第ト云書ニモ見タリ。
一
扇の扱古今相違 扇を貴人の前へ腰にさして出る事無禮にあらず。古は貴人に物語などするに、扇を笏に取ると云事あり。
陪膳する人は扇をさすべし。
酌する人は扇さすべからざるよし、
酌并記にみゆ。主貴人の御前にて扇つかふべからざるよし、
條々聞書に見ゆ。扇をひらきつかふは無禮なり。腰にさす事は無禮にあらず。
〔但世上の人今は一統に扇をぬき陰に置て貴人の前へ出るを禮とす。世の風俗のかはり也。一人ばかり故實なりとてそむきがたし。すべて何事も古今の變あり。其變を知らずしては愚也。古實なれども用られぬ事は無力。世上の風にしたがふべし。〕
一
しつけと云事 しつけと云は禮儀の事也。禮の字をしつけとよむ也。しつけがたとは禮法と書也。躾の字をしつけとよめども、躾の字は元來なき字也。
俗の作り字也。
一 進退 ふるまひと云は進退の二字也。身のふりまはしをふるまひと云、立ふるまひとも立居ふるまひともいふなり。今時は人に食物をくはするをふるまひといふはあやまりなり。人に食物をくはするをばもてなしと云也。饗應の二字をもてなしとよむなり。又あるじもふけともよむ也。
一
式退 人に
對してたがひに禮をするを舊記に
色體とあり、又
式體とあり。蜷川記には式退とあり。色體も
式體も文字わろし。
式退とあるは文字よろしき也。式は法也、退はしりぞく也。禮法を正し、辭退して人を先にたて我はあとに退く心なる間、式退と云也。式退と云事を今はじぎあひと云。
宗五一册拔書に云、「禮儀の事しきだい三度迄は無子細。それ過てはかへりて
狼藉也。」又
人唐記に云、「
餘りに禮ふかくする事おこつき
方に似たる也。」云々。おこつきとはおこがましきと云事、今たわけらしきと云詞に同じ。
【頭書】 條々聞書云、「人の色體の事、さのみしげきはかへりて狼藉也。三ヶ度に過べからず。」
一 蹲踞 蹲居と云は貴人の御前を通るとき、そとつくばひ手をつきて通る事を云。蹲居と書てうづくまりすはるとよむ也。今は中禮又通り禮などゝ云人あり。
一 送足 今時貴人の御前へ參る時、送足と云足づかひをする人あり。其足づかひは太刀、目録、又盃其外何にても持て參る時、御前の敷居際までは常の如く歩み來て、片足を上げ敷居を越さうにして越ず、其足を引てふみなをして、扨又敷居を越る也。是を送足と名付て專稽古する人有。古はなき事にて、近來のはやり事也。右の送足の躰、貴人の方を足を上げて蹴る樣に見えて甚無禮なり。かやうの事はつゝしみて人のまねをすべからず。古法には敷居際にてそとつくばひ、上座をうかヾふ體にして物を持て參る也。つくばひて程のあるは惡し。其まゝ立也。
一
左膝立ル故實 古は貴人の御前に
伺候するには、左のひざを立、右のひざをふせて座しける也。宗五一册
拔書に云、「人の
相伴の事、貴人の前にてはひざを左の方を立てあるべし。すはり候物の時はひざなをし
くふべし。」云々。左のひざ立るは、たヾ座する時、貴人の前にては如此する也。
酌をとる時は右のひざを立る也。條々聞書・
酌并記等にあり。今の世にてはかたひざ立るを無禮の樣に心得る也。古はかたひざ立るを禮とす。
【頭書】 條々聞書、使番可心得事のケ條に云、「先人して申て對面あらば、中座へ出てかたひざを立て畏て申べく候。」
一
古ハ禮を專とす 古は輿にめしたる人に行あひ、又は人の
犬追物・
笠懸・やぶさめ・大的・小的など射らるゝ場所近き邊を通る時、又は野山にて
幕など打
遊興せらるゝあたりを通る時、又は
神社佛寺の前を通る時、又
三職などの御門前を通る時、又は川がり・
鷹狩など人のする所を通る時、又鷹すえたる人・
鵜つかひに行あひたる時、何れも向の人は我知らぬ人なりとも、必下馬して通る也。下馬すれば、向の人よりも使を遣してめされ候へと禮をいはるゝ也。人の
せめ馬する所も下馬して通る法也。せむる馬には禮儀なしと云事、古法にて、馬せむる人は人に禮儀はせず、乘打しても無禮にあらず。是等の禮儀、今は
絶て知る人なし。古は禮を
專としける也。
一
足なかに禮なし 雜々記に、「
あしなかには禮儀なし。人の敷皮に座し候とも、通る時あしなかはぬぐまじき也。」とあり。是を以て
考ふるに、敷皮しきて座したる人の前を通るには、
草履・
沓などをばぬぎて通りたると見えたり。
足半はぬがざる也。
一
わらんづの事 わらんづもあしなか同前禮なき由、酌并記に見えたり。わらんづはわらぐつ也。又わらうづ共云。わらじといふはあやまり也。わらんづと云べし。
一 膝行
一 行列鑓長刀の事
一 武家禮法の書の事
一 陪臣猿樂御目見
一 目禮
一 平伏
一 つめひらき之事
一 せめる馬に禮なし
一 三足の器
一 庭上の禮
一 細川流之事
一 禮儀指南
一 ぶしつけものゝ事
一 大名の内の者
一 手熨斗之事
一 猿樂田樂御目見
一 役に從ふ時禮なし
一 沓の禮
一 三儀一統の事
一 ゥ禮と云ふ事
一 書札禮之事
一 ゥ禮家之事
一 習禮
一 故實と云事
一 御成と云事
一 物の喰樣之事
一 拍手事
一 天のさか手
一 腰卷取扱
一 左右膝立居の事
目録に見える見出し。
原文割注。
程度
淡路廃帝。淳仁天皇。
「蜷川親元日記」「蜷川親孝日記」「蜷川親俊日記」等をいうか。(『文科大学史誌叢書』『続史料大成』『大日本史料』等に所収の由。)
「諸大名衆御成被申入記」(群書類従)か。
原文「緩急」
原文木偏
『新訂増補故実叢書』所収。
『続群書類従』所収。
「宗五大艸紙」とも。伊勢貞頼(号宗五)著(大永8〔1528〕)
躾は国字。
辞書には、「色体・式体」で挨拶とする。
原文禾偏
未詳。伊勢貞頼の著か。
未詳。
「組む」か。
「河村誓真雑々記」(『続群書類従』)か。
足半草履
馬の調教
草鞋(わらじ)