「シェーン」 SHANEI 1953年・アメリカ |
〇監督・製作:ジョージ=スティーブンス〇脚本:A=B=ガスリー・jr〇撮影:ロイヤル=グリックス〇音楽:ヴィクター=ヤング〇原作:ジャック=シェーファー |
アラン=ラッド(シェーン)、ヴァン=ヘブリン(ジョー)、ジーン=アーサー(マリアン)、ブランドン=デ=ワイルド(ジョーイ)、ジャック=パランス(ウィルスン)、エミール=メイヤー(ライカー)ほか |
問答無用の西部劇映画の古典的名作…なんだけど、実は僕は2019年正月になって初鑑賞した。いや、ラストを含めた一部分だけなら民放のどっかの映画番組で放送した際に見たことはある。民放地上波放送なので日本語吹き替えだったのだが、ラストのジョーイ少年が去り行くシェーンに呼びかけるセリフだけ、「シェーン!カンバ〜〜〜ック!!」とそこだけ英語になるのが不思議だった。「シェーン、戻って来て〜〜!」って日本語だとイマイチ感じが出ない、ということなのかな。 なお、映画は見てないくせにこのラストシーンだけ妙に記憶に残っているのは、その昔雑誌の裏表紙にこの場面をあしらった育毛剤の広告をよく目にしていたからでもある。そう、あれも「カンバ〜〜ク!」の意味で使っていたのですな(笑)。 さて2018年の末にNHK衛星でデジタルリマスター版が放送されたので、これを機会に初めて全編を鑑賞することとなった。あまりにも有名な作品なので、あちこちでいろんな感想やら裏話やらを聞いてしまっていて、ストーリーもおおまかにはすでに知っていた。まぁシンプルな話だしね。 ところはアメリカ西部・ワイオミング州のジョンソン郡。広がる高原の向こうにニョキッと高い山がそびえる、ちょっと不思議な風景が印象的だ。これは地理的に言うと、ロッキー山脈とグレートプレーンズと呼ばれる高原地帯との境目にあたる。時代は登場人物のセリフにもチラホラ出てくる南北戦争終結からさして経っていない時期。アメリカ西部ではまさにリアルタイム西部劇が転回されていたころである。 そんなジョンソン郡へ、一人のガンマンが馬にまたがってフラリと流れてくる。もちろんこれが主人公・シェーン(演:アラン=ラッド)である。水をもらおうと、とある開拓農家に立ち寄ると、10歳くらいの少年ジョーイ(演:ブランドン=デ=ワイルド)が親しげに彼を迎える。しかしその父親のジョー(演:ヴァン=ヘブリン)はシェーンを思い切り警戒する。それは無理もなく、彼ら開拓農民たちは、この地に先に入植して牛の放牧をしているこの地の有力者ライカー(演:エミール=メイヤー)がやとって開拓農民たちを脅しているガンマンたちの一味ではないかと疑ったのだ。 そこへそのライカー一味がやって来たため、シェーンが彼らの仲間ではないことが分かる。すぐに立ち去るつもりのシェーンだったが、ジョーと妻のマリアン(演:ジーン=アーサー)はシェーンを家に招き入れて食事も与え(ここでいつになく食事が豪華になってたりする)、さらにちょうど雇っていた手伝いの男が逃げてしまっていたので、シェーンを代わりに雇うという話になる。 一見やさしげなシェーンに、ジョーイはすぐになついてしまう。それどころではなく奥さんのマリアンが明らかにソワソワして、行動があれこれおかしくなる。ジョーはそれに気づいてるような気づいてないような(ラスト近くで「鈍い俺でも…」なんて言うけどね)、それでもシェーンのことは個人的に気に入ってる様子。まぁこの時代に結構きわどいシチュエーションを描いたもんだ、と思ってしまう。 だがそんな誰からも好かれるシェーンだが、ジョーイがオモチャのライフルに「カチャッ」と音を建てただけで、シェーンは「ビクッ」と反応して素早く銃を構えるのだ。ゴルゴ13みたいなもんで、どうもこの男、人を殺したり殺されかかったりといった過去があるな、ということをこの反応が示唆している。終盤でも「人を殺したら、もう元には戻れない」って口にしてるしね。ジョーイに射撃を教えるシーンでの連発もすごみがあるし。 そんなシェーンが、ジョーに頼まれて町の雑貨屋へ買い物に行く。たかが針金なんだが、こういう西部の雑貨屋には商品すべてがいつも置いてるわけではなく、注文に応じて時間をかけて仕入れていたのだろう。映画中盤でも開拓脳幹主婦たちが店にやって来て商品カタログを眺めてカタログショッピングを楽しんでるシーンがあって、現在のネット通販にもつながる商法は、こういう時代の広大なアメリカ西部なんかで必要に迫られて始まったんじゃないかな、と見ていて思った。細かいところではジョーイが空き瓶を見せに持っていくと「ごほうび」としてキャンデーをもらう場面があるが、これはこの時代の「リサイクル」ということなんだろう。こういう生活描写の細かいところ、作り手がかなり意識したものではなかろうか。 この雑貨屋は裏で酒場とつながっていて、ここにライカーとその一味がたむろしている。ここに最初に顔を出したシェーンは彼らに徴発されるも、あえて反応せず、そのために「腰抜け」呼ばわりされることとなる。我慢して我慢して我慢して…最後に炸裂、というよくあるパターンなのかな、と思ったら、中盤でジョーとシェーンの二人でランカー一味相手に酒場で大暴れするシーンがある(撃ち合いでこそないけど)。「バック・トゥ。ザ・フューチャー3」ではないが、「腰抜け」扱いされるのは西部劇の世界じゃ人格否定に等しいんですな。この場面でジョーが一緒に暴れるのは、そうしないと彼がただのダメ親父に見えちゃうから見せ場を作ってやろうということだったんじゃないのかな。 さて映画の中盤から、ライカーが雇ってきた黒づくめの早撃ちガンマン、ウイルスンが登場する。演ずるはジャック=パランス。なんだかんだでキャリアも長く、数多くの映画に出た俳優さんだが(「ゲバラ!」でカストロを演じたり、日本資本の「クライシス2050」でちょっと顔出したりしてたな)、一番の当たり役、有名な役は「シェーン」のこの役だろうな。僕もちゃんとこの映画を見たのはこれが初めてなので、ジャック=パランスの印象も実質今回が初めてなのだが、藤子不二雄Aさんの「まんが道」で「シェーン」に触れ、この黒づくめガンマンの不気味な印象を特筆していたのを読んですでにイメージはあった。思えば、僕の古い映画についての知識って、かなり「まんが道」で得ているような。 このジャック=パランス演じる黒ガンマンが、その早撃ち技術を生かして開拓農民の一人をあっさり撃ち殺す。一応言葉で徴発して(ここで南北戦争ネタが使われる)相手に先に銃を抜かせ、それに対する正当防衛として早撃ちで殺しちゃうわけだ。このシーンも含めて、「シェーン」ではガンファイトはほぼ一発で決着、撃たれた人が吹っ飛ぶ、という当時としてはかなりリアルな暴力描写がみられ、「叙情的な西部劇」という印象が広まってる作品ながら、実は後年のサム=ペキンパー監督のドライな暴力描写に影響を与えたという話も聞く。 そもそもこの物語自体が、リアルな史実を背景にしている。ワイオミング州ジョンソン郡では、先に入植した牛の放牧業者と、リンカーンが出した「ホームステッド法」によって農地を五年間営めば自分の土地が得られるとやってきた開拓農民たちが、土地争いや水争いで激しく対立、ついには放牧業者側が殺し屋ガンマンたちを雇って開拓農民たちの「暗殺リスト」を作って殺させる、という事態にまで発展し、「ジョンソン郡戦争」とまで呼ばれる西部開拓市場の事件となったのだ。 「シェーン」はこの史実を、登場人物も少なく絞ってスケールも小さくしてまとめてるのだが、同事件をスケール壮大に描いてしまったのが、映画史上に残る大コケ超大作として知られるマイケル=チミノ監督作品「天国の門」で、僕はそっちを先に見ている。あれも史実通りというわけではないらしいが、大筋の流れは「シェーン」より具体的に、ある意味エグい背景事情が分かる。「天国の門」だとジョンソン郡にやってきた開拓農民たちは東欧系で英語もロクに話せず、入植地に放し飼いになっていた牛を捕まえて食べたりしたため放牧業者たちが「牛泥棒」として抹殺する、という描かれ方だったが、あるいは「シェーン」のジョー一家もそういうことなんだろうか(ジョーたちも牛や豚を飼ってるが柵で囲っている)。 「シェーン」では基本的にライカーたち放牧業者たちの方が悪者だが、ライカー自身が「自分たちの方が先に来て、インディアンを追い払うなど苦労してきたのに…」とグチる場面があって、彼らなりに言い分があることは描かれている。でもやっぱ殺し屋雇っちゃダメでしょ。警察はいないのか、と思ってしまうが、劇中でも「保安官は遠くにいる」とか言ってるので、実質無警察状態。だから最後にジョー達も自ら決闘に出かけようとしちゃうのである。 決闘へ向かおうとするジョーが、マリアンに「俺が死んでもお前の面倒を見てくれるやつがいる」とか「鈍い俺にだって分かる」とか口にする。妻の心を明らかに察してるんでありますな。それならむしろ自分がやられちゃったほうが、という気持ちになってるみたい。そんなジョーをシェーンが袋叩きにして代わりに自分が決闘に向かう。勝っても負けてもこの家に戻ってくるわけにはいかないよな、これじゃ。見送るマリアンが、明らかにシェーンに一線を越えた行動を起こさんとしたその瞬間、「ママ―!」とタイミングよく(悪く?)ジョーイの声が。いやぁ、ジョーイくん、このあとラストで「ママも喜ぶよ、僕は知ってるんだ」なんて意味深な発言してたし、狙ってやったのかも。 そしてシェーンは決闘へ赴く。ジョーイも犬と一緒に後を追いかけ、その目撃者となる。勝負はまさに一瞬でつき、早撃ちのウイルスンはさらに早撃ちのシェーンに撃たれて吹っ飛ばされ、直後にライカーも一撃で殺される。あっという間に相手を片付けたシェーンは、無表情のまま手慣れた様子でくるくると拳銃を回して(これ、どういう意味があるのか分からんが、カッコイイのは確か)、腰のホルスターにストッとしまう。そういや作中でも拳銃の置き場所はガンマンそれぞれに好みがある、みたいな説明をしていたところがあったな。 何で読んだのか忘れたが、当時ガンアクションの指導役(殺陣師みたいなもんか)の人の話として、西部劇俳優の中で一番本当に「早撃ち」だったのはこのアラン=ラッドだったのだそうな。もっともこのシーンでかっこつけすぎて油断したか、物陰から一発喰らっちゃうわけですけどね。 撃たれて傷を負ったシェーンは、馬に乗って立ち去ってゆく。それを見送りつつ、戻って来てと何度も呼びかけるジョーイ。その向こうには例の山脈の見える風景が。この場面、父が見ながら、「これってもっと明るいシーンじゃなかったっけ?」と言っていたが、先述のように僕もこの場面だけ以前に見ていたので同じ印象を抱いた。このシーンは実際には昼間に撮影して夜明け頃に見えるようにフィルターか何かをかけて暗くしてるうなのだが、デジタルリマスター版はむしろ公開当時のそれを再現していて、昔のTV放送の際は妙な暗さになるので明るくしちゃってたのかもしれない。 このシーンで、ジョーイの呼びかけに一切答えず振り向きもせずに去っていくシェーンが、「実はすでに死んでいる」という説がある…という話も見る前から聞いてはいた。確かに直前にわざわざ一発撃たれる流れがあるので、物語的にはそれもありうるかな、と思わされる。作り手としては観客がどっちにもとれるように意識して作ってるんじゃないだろうか。何かの映画でこの場面のシェーンの生死をめぐって大論争になる場面があるとかで、アメリカの映画ファンの間ではよく知られた話なのだろう。 今回見たのは字幕版なので、ラストのジョーイ君の叫びはどうするのかな、と思って見てたら、「シェーン、カンバーク!」とやっぱり原語のまんまの字幕になっててひっくり返った。字幕でも訳さないのかよ。もうこの映画のこのセリフはそのまんまやることに決まっちゃってるのかな。 映画を見ていた父が「この子、まだ生きてるよなぁ」と言ったが、僕はなんとなく覚えがあって確認してみた。ジョーイ君を演じたブランドン=デ=ワイルド(公開時10歳)は「シェーン」での演技でアカデミー助演男優賞にノミネートされている(ジャック=パランスもノミネートされた)。いわゆる「天才子役」としてその後もテレビドラマや映画で活躍、子役にとどまらず大人になるまで芸能活動を続けたが、1972年に自動車事故により30歳の若さで亡くなっている。キャリアはそれなりに長いのだが、やはり代表作は「シェーン」ということになる。 主演のアラン=ラッドにしても、この作品が一世一代の代表作で、このあとはあまり幸運でない俳優人生を送って1964年に50歳で亡くなっている。息子のアラン=ラッドJr.は20世紀フォックスその他の映画会社社長になって経営者として映画界で活躍したりしてる。(2019/1/20) |