「君たちはどう生きるか」 2023年・日本 |
○原作・監督・脚本:宮崎駿〇作画監督:本田雄○音楽:久石譲〇美術監督:武重洋二〇製作:星野康二/中島清文〇制作プロデュース:宮崎吾朗〇プロデュース:鈴木敏夫 |
山時聡真(眞人)、菅田将暉(青サギ)、あいみょん(ヒミ)、柴咲コウ(キリコ)、木村佳乃(夏子)、木村拓哉(勝一)、國村準(インコ大王)、火野正平(大伯父)ほか |
なんだかんだでまたまた引退撤回して、宮崎駿監督が長編アニメ映画を作ってしまった。やっぱり映画監督という人種は死ぬまで作るのをやめられないってことなのか(まぁ例外はいるわけだが)。「風立ちぬ」で引退宣言をしたあとの密着ドキュメンタリーのラストで結局長編新作の製作を決意する様子が紹介されていたが、それからおよそ7年という、結構長い製作期間がとられていた。 その間、どういう作品なのか一切明かされず(ジブリを取材したTV番組でもスタジオ内がモザイクかけられるという徹底ぶりだった)、数年して「君たちはどう生きるか」という、僕もちょこっと読んだ覚えのある吉野源三郎の戦前の教養小説からのいただきタイトルであることが明かされたが(思えば「風立ちぬ」もいただきタイトルだった)、内容の説明は一切なし。鈴木敏夫プロデューサーの口から「ファンタジー」「冒険活劇」「監督の自叙伝的」といった情報がチラホラと出されもしたが、本当に作ってるのかと思ってしまうほどの緘口令ぶりだった。 一昨年末になってようやく公開日と当初発表通りの正式タイトル、そして謎の鳥人間のイラストが公開され、どうやらちゃんと出来上がるようだとわかったが、どんな映画なのかの情報は一切出されず、公開日がどんどん近づいてきても宣伝のたぐいは一切なしという異例の事態に。いったいどんな映画なのか、という疑問自体が話題となって、逆に宣伝効果になったわけだけど、「宮崎駿」というブランドだからそれができるんだよな。 そしてとうとう映画は公開。さすがに公開直後に見に行けなかったが、見た人のネタバレなしでの感触コメントをちょこっと耳に入れつつ、僕はコロナ禍発生以来行ってなかったシネコンまで出かけた。 先に全体感想から書いてしまうと、「案外普通の映画だったな」と。あそこまで徹底して情報遮断するほどビックリするようなもんじゃないだろうと。ある状況におかれた少年が、異世界へといざなわれて冒険、そして帰還するという、大筋ではありがちなファンタジーだと思う。もちろんそこに宮崎監督ならではのイマジネーションが盛り込まれて一種独特の世界にはなってるんだけど、あの情報統制っぷりじゃなんかもっととんでもないものが出てくるかも、と身構えたところもあったので、この点については拍子抜けしたところもあった。 物語の時代は太平洋戦争のさなか。すでに敗色濃厚な空気が流れている時期。主人公の少年・眞人(まひと)には病気で入院中の母親がいたが、その病院が空襲(?)で焼け、母親は死んでしまう。やがて眞人は母の故郷であり父の軍需工場がある田舎に疎開し、そこで母親の妹、つまり叔母である夏子に迎えられる。夏子は眞人の母親に似た妖艶な美女で、しかも眞人の父とすでに夫婦関係にあって妊娠中。母親に似た美女が出てきただけでもドギマギしてるのに、そのおなかにいきなり触らせられるという、お子様にはかなり刺激の強い初対面。いちいちセリフにしたりはしてないが、この「新しい母親」にも、妻の死後にとっととやることはやっちゃってる父親にも、多感な少年の脳内はグールグル状態。しかもこの時代の疎開の定番、同級生たちからのイジメを受けて(このイジメをさらりとロングショットだけで流すところもいい)、それをごまかすために自ら石で頭を傷つけたりもする。この序盤の展開には僕は結構ひきこまれるものがあった。 監督の自叙伝、とか言ってたのがこの部分かなぁと見ていて思った。宮崎監督の少年時代がこのまんまというわけではないが(そもそも眞人より少し年下)、母親が重い病でほとんど不在だったこと、父親が戦闘機を作る軍需工場をやっていたこと、あと空襲の経験がある、といったことが映画の序盤に明らかに反映されている。ただ、そうした自身の体験を反映させた例は「トトロ」や「風立ちぬ」でもあり、今回の映画でも舞台設定に使っているという程度で自叙伝、ってほどではないような。 そんな時代・舞台設定は結構リアル、かつ妙な生々しさを感じるのだが、そこにチラチラと姿を見せる「青サギ」から始まり、母方の先祖が作ったという謎の建物、ディズニー「白雪姫」の七人の小人たちを連想させる不思議な老婆たち、といった不思議要素がジワジワと物語を動かしてゆく。この辺もこの手のファンタジーでは定番なんだけど、このジワジワ感が心地よかった。いったい何が始まるのか、という期待がふくらむのだ。 そのジワジワ進行、話がなかなか進まない感じが僕には心地よかったんだが、その末にとうとう「下の世界」と呼ばれる異世界へと舞台は移る。ここから先は宮崎監督のイマジネーション、言い換えてしまうと頭に浮かんだ妄想の羅列。完全な異世界(一応現世とのつながりはあるが)なので理解不能なのは当り前といえば当たり前なんだが、本作はこれまでの宮崎ワールドの中でも特に説明不足というより説明する気もない状態なので、この辺でついていけなくなる観客も多かったはず。完成後の試写会で監督本人が「自分もわけがわからなかった」とコメントしたそうだが、それは本音でもあり、わざとそうしたのでもあるだろう。 序盤のジワジワ感になんかデジャブを感じるな、と思ったのだが、あとで気づいた。これ、ヒッチコックの「鳥」なんじゃないのか。あの映画も導入部分がすごく長くて、鳥の第一撃がさらっと入って、あとはどんどん鳥の攻撃が拡大していく。こちらでは攻撃ではないけど、青サギが初めて登場するくだりとか、「鳥」っぽさがかなりある。そして行った先の異世界がどういうわけか鳥だらけの世界で、ラストでまさに鳥だらけ状態になるというのも一応共通する。これはヒッチコック以来の「鳥恐怖症映画」になっちゃったのかもしれない。 この文章の執筆を長らくサボっているうちに、やるだろうとは思っていたNHKによるこの映画製作の密着ドキュメンタリーが放送された。公開時にもチラチラ指摘はされていたが、終盤で重要な意味を持つ「大伯父」が故・高畑勲監督をモデルにしたものであり、主人公の少年はやはり宮崎監督自身、そして主人公を異世界へいざなう「悪者」っぽい青サギは鈴木敏夫氏だと番組内で明確にされていた。青サギについては公開直後から多くの人に予想されていたが、大伯父の「正体」については意見が割れていた気がするな。あと番組内では言及がなかった気がするがキリコはジブリで色彩設計を担当した盟友の故・保田道代さんがモデルと推測され、この映画の異世界での冒険は宮崎監督とジブリの歴史を下敷きにした「自叙伝」ということになる。もちろん全部が全部というわけではないだろうが、クリエイターという人種はえてして自分自身や自身の体験をもとに創作を行うものだ(黒澤明の「乱」も登場人物みんなモデルあり説があったな)。深読みすればいろいろ深読みできるように意図して作ってるところがあるとも思う。 ヒロインはもちろん宮崎監督の母親がモデルであろうし、その母親が少女として登場し(しかもエプロン姿で結構萌えキャラ)。一緒に冒険を繰り広げるというのも監督のマザコン願望がより明白に表れたものだと感じる(老婆姿なら「ラピュタ」や「ポニョ」で登場した例がある)。そんな萌えキャラが自分より年上姿の妹を救うために奔走し(それも将来の夫の後添えだ)、男の子が将来自分が生む息子であることを知ったうえで喜びながら別れていくラスト(男の子の方は彼女のその後を知ってるわけで)が結構せつない。 その母親が、将来成長した息子に贈る本こそが、タイトルの由来である吉野源三郎『君たちはどう生きるか』だ。タイトルになってる割に前半でチラッと出てくるだけで主人公が特に読み込む様子でもないので「タイトルにするほどのことか?」とも感じたのだけど、異世界での冒険の記憶をなくしていたはずの彼女の心の奥底にかすかに「息子」との記憶があって、この本を贈ることにした、と考えると物語全体に関わる深読みアイテムだとも思えてきた。「大伯父」の謎めいた人生訓っぽいセリフと合わせて、観る者がそれぞれにその意味を考えろ、ということなんじゃないかな、と実際に劇場で見てからだいぶたった今になると思えてくるところも。かめばかむほど味が出てくるタイプの映画なのだろうな。 引退宣言を撤回してどうしてもという気持ちで作ったとか、まったく情報シャットアウトのゼロ宣伝作戦とか、なんだかんだで話題を呼んだこの作品。今度こそ最後の長編作品だろうとは思うんだけど、宮崎監督、完成後もずいぶん元気みたいだしなぁ。そうこうしているうちに年明けになって本作がゴールデン・グローブ賞のアニメ作品部門を受賞したと報じられ、流れ的にはアカデミー賞もいけるんじゃないかという気配。なんだかんだいってまた何やら作ってしまうんじゃないかなぁ、(24/1/14) |