「ひまわり」 I girasoli 1970年・イタリア |
○監督:ビットリオ=デ=シーカ○脚本:チェーザレ=サバティーニ、アントニオ=グエラ、ゲオルギ・ムディバニ○撮影:ジュゼッペ・ロトウンノ○音楽:ヘンリー=マンシーニ |
ソフィア=ローレン(ジョバンナ)、マルチェロ=マストロヤンニ(アントニオ)、リュドミラ=サベーリエワ(マーシャ)ほか |
イタリア映画には音楽の印象が強烈なものが多い。もちろん映画音楽の名作はどこの国にもあるものだが、イタリア映画では特にその旋律が映画そのものよりも有名なんじゃないかと思うような例が多い。映画自体が名作だから曲も…ということでもあるのだけど、曲そのものが独り歩きしてしまうというか。ニーノ=ロータ、エンニオ=モリコーネ、ヘンリー=マンシーニといったイタリア系作曲家たちの作る映画音楽(イタリア映画とは限らないが)は「映画そのものは見たことないけどこの曲は知っている」という名曲ぞろいだ。 この「ひまわり」のテーマ曲もそんな名曲の代表(ヘンリー=マンシーニ作曲)。僕も映画は見たことなかったけどこの曲だけはよく知っていた。そこから「どんな映画なのか」ということも書籍等で知るようになり、ようやく映画そのものをTV放映で見ることになったころにはストーリーも含めてずいぶん知識が入ってしまっていた。 まとめてしまえばずいぶん簡単な話で…ソフィア=ローレンとマルチェロ=マストロヤンニの夫婦がいて(二人ともイタリア映画でやたらと主役を張っており、夫婦・恋人役の組み合わせが多い。要するにえらくベタな組み合わせである)、夫は第二次大戦のソ連戦線に出征して行方不明となる。いつまで経っても帰って来ない夫が生きていると確信した妻は単身ソ連に乗り込んであの広大な国を探しまわる。そしてようやく夫と再会するのだが、彼にはすでにロシア人の女性と結婚して子供までもうけていた…とまぁ、そういう話である。未見の方にはネタばれだが、あまりにも有名なので僕も鑑賞前にここまでは知っていたので大目に見てもらいたい。 実際に映画を見てみると、いきなり冒頭が戦後、夫が行方不明という時点になっていて、そこから回想に入って行く。ローレン演じるジョバンナとマストロヤンニ演じるアントニオのラブラブ模様が延々と描かれてゆき、ようやく結婚するも兵役逃れを図って失敗、かえって過酷なソ連戦線送りという展開になっている。第二次大戦のソ連戦線というと「独ソ戦」というぐらいでドイツ軍という気がするが、同盟国のイタリアも派兵していたことは「ニュー・シネマ・パラダイス」の主人公の父親がこれで戦死してしまう設定だったので知ってはいた。 それまで情熱的ではあるがちと軽薄な印象もあるジョバンナ(あくまでこの映画前半の役作りとして、ですよ)が「夫を見つける」という断固たる決意を抱いて単身ソ連に乗り込むあたりになってくるとまるで別人のような凄みがでてくる。しかしソ連行きといっても制作当時は冷戦の最中、「西側」の人間が「鉄のカーテン」の向こうのソ連に入ることはかなり難しかった。しかも映画撮影のためだというんだからソ連側も「なんだ、そりゃ」となかなか理解を示さなかったという。 それでもビットリオ=デ=シーカ監督らスタッフが映画の内容と趣旨を必死に説明してOKをとり、異例のソ連ロケが実現したんだそうなんだが正直なところ絶対にソ連で撮らなきゃいけなかったかな〜〜と思うシーンがほとんどのような。そりゃまぁ現地ロケの方が演技でも現実感が出るといった効果はあるだろうけど、イタリア国内でも撮れそうな場面ばかり。タイトルにもなっている「あたり一面ひまわりだらけ」の有名なシーンはそれこそソ連でないとダメだろう、と思っていたのだが、実はこの肝心な場面を撮れる場所がソ連では見つからず、実はスペインで撮影していたと聞くと、なおさら苦労してソ連ロケする意味があったのか?と思えてくる。ま、雪の中の彷徨シーンなんかはロシアで撮った方が良かったとは思うけど。 ロケ現場というと気になるのが、ソ連の駅のシーンの背景に明らかに原子力発電所と分かる建造物が映っていること。チェルノブイリではないと思うんだけど、見た時期が時期だけに気になってしまって。 夫を見つけるという執念の顔になったローレンがまた凄い。あてもなくソ連領内を歩き、人ごみの中から「イタリア人」の男を発見してしまう眼力。もっとも日本人の目から見るとみんなマストロヤンニに見えてしまい、「もう見つけたのか?」と驚いてしまうが、これは別人(笑)。しかしやっぱりロシア人とイタリア人の見分けはつくんでしょうな、向こうの人には。 そして執念の末にようやく(映画時間的には割とあっさり見つけた印象だけど)見つけた夫だったが、彼には若いロシア人妻がいて幸せに暮らしていた上に、すでに娘までもうけていた。当然大ショックを受けるローレンだが、その経緯には一応納得はできる。過酷な冬のロシアの戦場で仲間とはぐれ、雪の中をさまよって凍死寸前のところを若くて美人の女性に助けられてしまっては…ましてその女性がリュドミラ=サベーリエワ、ソ連版「戦争と平和」のヒロイン・ナターシャ役とあっては、イタリア男としてはこっちにフラついてしまうのも無理はないかと(爆)。どうもマストロヤンニはイタリア人プレイボーイのイメージがつきまとってるもんな。 大ショックを受けてジョバンナは帰国。その後の日常がしばし描かれたのち、母親の見舞いのためにアントニオが一時帰国してくる。アントニオが「一目会いたい」と電話をかけてくるが、ジョバンナは拒絶。それから列車がストで止まり、行きずりの娼婦のところへ連れ込まれたりする紆余曲折の展開があってから結局二人は会う。そして…と一応ネタばれは書かないでおくけど、とにかく切ない、あの有名なテーマ曲そのままの切なさのまま駅での別れのシーンになる。 前半で延々と描かれた、他愛もないと思える二人のラブラブな日常描写がここで一気に効いてくる。この映画では戦争という大きな異常事態のために恋人同士が引き裂かれるんだけど、こういう出会いと別れは戦争とは無関係にある、普遍的なものだ。まただからこそその切なさに世界中の観客が涙したのだろうな、と思う。ソフィア=ローレンとマルチェロ=マストロヤンニなんて大スター同士の組み合わせだというのに、どちらもフツーの一般市民にしか見えなくなるのもそれに通じているのだろう。(2012/2/11) |