「白い巨塔」 1966年・日本 |
○監督:山本薩夫○脚本:橋本忍○撮影:宗川信夫○音楽:池野成〇原作:山崎豊子〇企画:財前定生/伊藤武郎○製作:永田雅一 |
田宮二郎(財前五郎)田村高廣(里見脩二)小川真由美(花森ケイ子)東野英治郎(東貞蔵教授)藤村志保(東左枝子)小沢栄太郎(鵜飼医学部長)加藤嘉(大河内教授)加藤武(野坂教授)石山健二郎(財前又一)鈴木瑞穂(関口弁護士)滝沢修(船尾教授)ほか |
この映画、ずいぶん前に一度見ているのだが、内容はかなり忘れていた。最近になって同じ原作をドラマ化したもののうち2003年の唐沢寿明主演版を全編鑑賞する機会があり、その流れでこの映画も見直してみる気になった。手元にあったのは山本薩夫監督生誕百周年記念企画でNHK-BSで放映されたのを録画したものだ。なお、この百周年企画には1時間のドキュメンタリーがついていて、山本薩夫監督の映画人生をまとめていて二度目の鑑賞ながらなかなか見ごたえがあった。 「白い巨塔」は、映像化作品の多い山崎豊子の小説の中でもとりわけ映像化が繰り返されている作品で、この映画版が最初の映像化だ。大阪大学医学部をモデルにした「浪速大学医学部」を舞台に(一応映画の冒頭で「特定のモデルはない」と言い訳は出るが)大学病院内の封建的人間関係、学閥もからんで金銭が飛び交う派閥抗争、人命と向き合う医者のモラルのあり方などを問うた重厚かつ娯楽性も高い原作小説は「サンデー毎日」に1965年まで連載されて大きな反響を起こし、さっそく大映で映画化となったのが本作。監督をつとめたのは独立プロで社会派作品を多く手掛け、このころ大映で「忍びの者」や「氷点」といった娯楽作をヒットさせていた山本薩夫で、この作品も娯楽性とテーマ性を両立させた傑作として高く評価され、その後山本薩夫が山崎豊子作品を次々映画化する流れにもつながっていった。 一説に、この原作が書かれる直前に大映のプロデューサーで山崎豊子と交流のあった「財前定生」氏がおり、当時大映でスターとなっていた田宮二郎の本名が「吾郎」であったことから本作の主人公の名前が「財前五郎」になったという。そしてこの映画版の「企画」にその財前氏が名を連ね、主人公の財前を田宮が演じているので、原作執筆時点で大映での映画化、田宮は「当て書き」であった可能性もある。実際田宮二郎はこの財前役が当たり役となり、のちに続編も含めた映像化であるTVドラマ版(この映画版と共通するキャストもいる)の伝説的演技にもつながっていく。 原作は登場人物も多く、複雑に思惑が入り乱れる展開なので、映画にするのは苦労したと思う。2時間半という当時の基準からいえばかなりの長時間映画なのだが、名脚本家・橋本忍は原作の要所要所を分解・再構築してなんとか時間内におさめている。正直なところ一度見ただけでは人間関係や各人の動きが飲み込みにくいところはあるが、なんとなくドロドロした抗争ぶりが分かればいいのかも。今回は20回以上の時間をかけた唐沢版ドラマを見た後だったので話は非常によく飲み込めたが、同じ原作だから当然だけど映画版も重要な場面や流れはちゃんと押さえられていて感心もした。考えてみれば山本薩夫映画は登場人物がやたらに多いのがお約束で、山崎豊子との相性は抜群だったのだろう。 映画は、田宮演じる財前の手術シーンでいきなり幕を開ける。メスが皮膚と肉を切り裂き、内臓が見えてくる映像の手前にスタッフ・キャスト表示が流れていくというなかなか刺激的なオープニングだ。この手術シーン、本物って話もあるんだけどどうなんだろう?この映画では他にも遺体解剖シーンとかでかなり生々しい臓器が映ったりするのだが、白黒映画のおかげでそれほどグロくはない。カラーだったら大変じゃないかと。よくできた作り物じゃないかとも疑ってるんだが、とにかくこのいきなりのオープニングが医学界のグロさと重ね合わせる意図で作られているのは明白だ。 主人公の財前はブラック・ジャックを連想させるほどの天才的外科医(手塚治虫も阪大医学部なので無縁ではない)。その腕前はマスコミでももてはやされ、「サンデー毎日」にも写真入り記事が載るほど(なお、NHK放送版では実在雑誌のため雑誌名の音声が消されていた)。彼は現在第一外科の助教授という地位にあり、師匠であり上司である東貞蔵教授(東野英治郎)に宮仕えする身。その上下関係は絶対であり、助教授といえど「大名の下の足軽大将」ぐらいのものでしかない。教授が院内を「総回診」する際には助教授、助手、その他大勢の配下を従えて練り歩く「大名行列」が日常風景。東教授は行動が派手で自信過剰気味の財前を忌々しく思っていて何かと財前に嫌味を言うが、財前は表面的にはひたすら従順にふるまいつつ、陰では自分が教授になるまでの我慢、と宮仕えの辛さを自嘲している。しかし退官の迫る東教授は、自身の後任教授に財前ではなく外部の人材を招聘しようと画策し始め、それを知った財前も自身が教授になるべく医学部長の鵜飼教授(小沢栄太郎)に取り入り、手段を選ばぬ闘争を開始する―‐ とまぁ、こういう調子で映画は始まり、以後露骨に実弾(賄賂)や有力ポストの約束が飛び交うエゲツナイ教授選挙戦が展開されてゆく。大学内外の各派閥や大阪医師会などいろんな人物が絡んでくるので一度見ただけでは全体を詳しく把握はできないが、まぁ何やらスゴイことになってるというのが分かればイイ。唐沢版ドラマを見た後で見ると人脈関係がかなりよく分かったのだが、入り乱れぶりはむしろ時間が短い映画版の方が強い印象。 そして、映画版ではセリフの大半が関西弁で、それがエゲツナサをよりドギツク浮かびあがらせている。もともと山崎豊子自身が「大阪」をアイデンティティとして初期作品でもそれが濃厚に描かれていて「白い巨塔」もその流れにあり、映画版もそれを踏襲したのだろうが、二枚目の田宮も大阪弁ネイティブということもあってよりギラギラした存在感を放ち、この辺はそれなりに評判よかった唐沢寿明の標準語財前より「実在感」があったと思う。 唐沢版で唯一関西弁キャラだったのが財前の義父・又一(そこで演じてたのは西田敏行)だが、この映画版では石山健二郎がとりわけ下品な大阪弁でまくしたて、何かといえば「なんぼや!」と大金贈賄攻勢をかけまくる。その又一の直接的すぎる現金攻勢に激怒して追い返す大河内教授役に加藤嘉というのもピッタリで、この配役はのちのTVドラマ版にも引き継がた。もう一人TVドラマ版でも同役となったのが小沢栄太郎演じる鵜飼学部長で、山本薩夫映画で「巨悪」をやらしたらもう絶品、というのはこの映画ですでに始まっていた。 派閥抗争の第三勢力を率いる野坂教授を演じる加藤武もなかなか印象的で、対立する他の二派閥双方にいい顔をして巧に自陣営の利益を得ようとするその姿勢は、後年の「仁義なき戦い」の加藤武のキャラに通じていくような。この役はややこしくなると思われたか唐沢版では出番がかなり少なかった。 「白い巨塔」といえば財前に対比する重要キャラ、里見の存在が大きいが、この映画版では田村高廣が演じている。大映では「勝新太郎の兄弟分」をシリーズ作品で演じたことで田宮二郎と共通点があったりして。東教授の娘で里見にシンパシーを感じてゆく左枝子は時間の都合もあって出番が少なかったが、若い頃の藤村志保が演じている。「若い頃」とついつい書いちゃうのは、僕がこの人については大河「太平記」以降でしかほとんど見ていないからで…(汗)。 以下、ストーリーのネタバレを含みます。まぁ原作も有名で知ってる人も多いだろうし、知ったところでそう問題にならないと思うけど。 映画は後半、激戦の末に教授になりおおせた財前が、その教授選のさなかに起こした医療ミス(この辺、原作と変えて話をまとめている)で患者を死なせたとして遺族から訴訟を起こされ、日本映画では珍しい裁判映画の様相となっていく。双方の証人、鑑定人が出廷してひたすらしゃべり続ける展開になるのだけど、ここがまた面白い。医者の患者に対する責任問題がどこまで問えるのか、映画の中でもかなり微妙な扱いで、観客にその判断をゆだねているような感もある。 映画では最後に弁論するのが原作から変えて医学界の大御所で教授選では財前に敵対していた船尾教授(演・滝沢修)になっていて、財前の患者に対する行為に問題があったと断言しつつも法的な責任が問えるかという点については判決を財前勝利の方向に大きく持っていく意見を述べる。裁判に勝利した財前は例の「大名行列」の総回診をし、裁判で財前に不利な証言をした里見は浪速大学を追われてエンディングとなる。 この映画の製作時点で山崎豊子の原作もそこまで描いて完結しており、映画もそのまんまにしていたのだが、原作の読者からこの「悪が勝つ」のような結末に不満の声があがり、山崎豊子もその声に押される形で続編を執筆、財前が転落してゆく展開をくっつけて一つの作品にまとめることになる。実は映画で財前を演じた田宮二郎も、財前はこのあと転落するのではとの予感を抱いていたそうで、その転落部分を描いたTVドラマ版を自ら演じて…自らも伝説的な最期を遂げることになってしまう。 山崎豊子も山本薩夫に「白い巨塔」続編を作ってほしかった、というコメントを残しているが、それはやはり田宮主演のものだったのだろうか。山本薩夫は「華麗なる一族」「不毛地帯」と山崎作品を続けて映画化しているが、そのいずれにも田宮は出演しているけど脇役ばかり。特に「華麗なる一族」のとき田宮は一方の主役である鉄平役を熱望したが容れられなかったことを悔しがっていて、自身の死に方にその鉄平と同じ方法をとってしまった、という因縁ばなしもある。。(2024/1/16) |